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恋に焦がれて本能寺 ~織田信子の受難~  作者: シラサキケージロウ
第一部 一話 あなたは武士
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あなたは武士 その1

 とある休日。同じ学校に通う女の子に呼び出され、待ち合わせ場所に行ったら武士がいた。


「何を馬鹿な」と僕の頭を疑う人もいらっしゃるかもしれないが、太陽の光をぎらぎらと反射する銀色の鎧と、金色に光る三つ叉の装飾が付いた兜を身につけたその姿を、武士以外に形容する方法があるのならば教えて欲しい。どうか性急に。


 僕の姿に気づいた武士がこちらに真っ直ぐ近づいてくる。その歩き方に一切の迷いはない。腰に下げられたあの刀ですぱっと斬られはしないだろうかとふと不安になる。


 思えば彼女は出会った時からそういう方だった。友人と遊びに出るのに甲冑を着てきても、何もおかしいことはない。





「ブショー系女子?」


 一週間前のことだった。聞き覚えのない言葉をオウム返しで聞き返したことをよく覚えている。


 放課後の教室。センセーショナルな造語を僕に聞かせた友人の四王天京太郎は、「そうだ」と言って目を輝かせた。彼がこういう餌を前にした柴犬のような愛嬌たっぷりの目をする時は、たいていの場合はろくでもないことを言い出す合図だ。


「今日から8組に入ってきたブショー系女子の転校生がさ、スッゲーかわいいらしいんだよ」


「珍しいよね、6月に転校生なんて」


「食いつくトコそこじゃねーだろ? ブショー系だぞ、ブショー系。ヤベーだろ、興味湧くだろ」


 はて、ブショー系女子とは何なのか。一寸ばかり考えてみる。


 ブショー=無精=無精系。


 なるほどつまり、動くのをとにかく嫌がったり、服装や身だしなみがだらしなかったりする女性のことだろうか。女性のだらしなさというのは男にとってやたら魅力的に映る。僕だってそれは否定しない。しかし、無精っぷりを前面に押し出す女性というのもいかがなものか。古き良き大和撫子魂はどこへ行ったというんだ。


 僕は呆れて思わず息を吐いた。


「無精な子をかわいいだなんて。価値観の変遷っていうのはわからないものだね」


「確かに、ちょっとヘンな子ではあるみたいなんだけどさ。でも顔はカワイイって。そこらのモデルじゃ太刀打ち出来ないって。マジだぜ、マジ。俺、写真だけ見せてもらったんだけどさ、あれには3組の阿部も、陸上部の茂手木先輩も勝てんわ。レベルが違う。てか、住む世界が違う? そういうレベル。ただし、女優にはなれん。顔が良すぎ。嫉妬されて共演者に潰される。トゥーシューズに画びょう仕込まれる、って、それは姉の影響受けすぎ? 『ガラスの仮面』の読みすぎ? そういや、ガラスの仮面っていえば――」


 このまま放っておけば、京太郎は延々喋り続ける。彼をそういう男だとわかっていた僕は、「あれかな」と無理に割り込んだ。


「京太郎は、僕にその〝ブショー系女子〟を一緒に見に行こうって言いたいのかな」


「そゆこと。話が早いなヒデナリ。ほら、さっさと準備、アンドゴー。向こうだってヒマじゃねーんだ。いつまでも教室にいるとは限らないんだからよ」


 その〝ブショー系女子〟の転校生に全く興味がないといえば嘘になる。僕だって、可愛い子に興味が無いわけじゃない。でも、だからといってわざわざ見に行こうとも思えない。動物園のパンダではないのだから、知らない人からチラチラ見られるというのは、転校生の彼女にとって気分のいいものではないだろう。


 僕は「遠慮しておくよ」と言って席を立った。


「なんだよ。気になんねぇの、ブショー系女子」


「気になるよ。でも、わざわざ見に行こうとは思えないだけ」


「つまんねぇの」と唇を尖らせた京太郎は、鞄を肩に掛け教室を出て行った。


「いいよ。俺一人で見に行く。後悔すんなよ」





「お屋形様には明日から学校へ行って頂きます」


 平手の爺が唐突にそう言ったのはつい昨日のことだった。突然部屋までやってきて、「大事なお話があります」などと言い出したと思ったらこれだ。老いてなお虎のような力強さを秘める顔つきが、いつもよりも一段と険しくなっているところを見るに、下手な冗談を口にしているわけでないことはわかる。


「この世に生を受けて15年余。私は学校へ行ったことは愚か、この城から出たことすらほとんど無いのだぞ。それを今更になって学校へ通えなど、妙な話だと自分で思わぬのか」


「全くもってその通り。しかし、これも家訓ゆえ。お屋形様にもわかっているはずですぞ」


 ――我が家の家訓。それは、頭首となる者は元服を迎えた年から三年間、〝どこにでもいる普通の高校生〟として生活しなければならないというもの。高校生活を全う出来なければ、我が家では正式な後継者として認められない。


 聞くに、広く社会を知るべしという主旨の元で、私の祖父によって家訓の末に添えられたらしいのだが、それが目的ならば幼少期から世間に出せばいいだけの話だ。暗殺を恐れるのはわかるが、元服までこの城に幽閉された挙句、突然「学校へ行け」というのはいささか酷な話ではなかろうか。


 そもそも、両親が早くに天へ昇ってからというもの、私はこの家の頭として精一杯やってきたつもりだ。加えて、私以外にこの家を継ぐ権利のある者はいない。となれば私は、何もこのような家訓に縛られる必要も無いのではないか。


 この状況に是非とも足掻いてみたくなって、私は「爺よ」と奴の肩に手を置いた。


「私の権限をもって、今日からそのふざけた家訓は止めにすることにしよう。そうすればその〝高校生活〟とやらの話は無くなるな?」


「なりません。今の貴方はお屋形様ではりますが、まだ真なる意味での〝お屋形様〟ではない。家訓を書き換えることはいっこうに構いませぬが、それが出来るのは貴方が正式にこの家の頭首として認められた時のみです。つまるところは、今ではない」


「……頭が固いな、爺。火縄銃を担いで戦に赴く時代はもう終わったのだぞ? 時代は足を止めることは無い。合理的に物事を判断せねば――」


「頑固者で結構。お屋形様、ここばかりは譲りませぬぞ」


「なるほど」と呟き、私は手元の日本刀に手をかけた。爺は眉すら動かさぬままこちらを見据える。


 ここで私が「応」と言わねば、この男はたとえ喉元に刀の切っ先を向けられたところでここから一歩として動かぬだろう。よしんば首を刎ねれば、頭だけで私に食いついてくるに違いない。今、爺の瞳に宿るのはそんな覚悟だ。


 私は日本刀から手を放し、渋々「応」と頷いた。爺は安堵したように微笑んだ。


 その日の夜は敦盛を舞って英気を養った。





 …………やはり、爺の首を刎ねておくべきだった。


 この世に生を受けて初めて学校に行った感想がそれだった。


 まず、机と椅子というものが気に入らない。教養の無い教師の話を何時間も黙って聞いているだけでも億劫だというのに、あんな固くて窮屈なものに身体を収め続けるというのは拷問に近い。日ノ本に産まれた人間であれば、畳に並べた座布団にでも座って話を聞く方が集中力も増すだろうに、何故あのような道具に頼るのか。


 それに、周囲の者からの視線が煩わしい。私が少しでも動くたびに周囲の者から警戒の視線が向けられる。動いてなくても脅えた視線を向けられる。授業と授業の合間に設けられた空き時間になると、教室の外から好奇の視線が向けられる。いつ何時も視線の集中砲火を浴びせられているというのに、向こうから声を掛けてくることは一切無いのでなおさら煩わしい。幾度と腰の黒太刀に手が伸びそうになったが、今は戦国の世ではないと己に言い聞かせぐっと堪えた。


 嗚呼、そういえば、昼の休憩時間中に愛刀の手入れをしていた時は静かで良かった。あの時は何故だか教室から人がすぅっといなくなった。明日からは時間があれば刀の手入れをして過ごそうと思う。


 最後に、皆、格好が不自然だ。男の着る服は袴の延長線にあるものだとまだ納得出来る。しかし女の着る服はなんだ。風が吹くたび、歩くたびにひらりひらりとはだけ、なんとも短く、脚が見えて奥ゆかしさがない


 ……そもそもあれでは布を腰に巻いているだけではないか! 何を考えている! 我らの間に脈々と受け継がれてきた大和撫子魂はどこへ行った!


 あのような格好で町を歩けば、襲ってくれと言いふらしているようなものである。聞いたところでは護身刀も持ち歩かないようだし、全くこちらが不安になる。


「……しかし、この生活が三年か」


 そう思うと、ため息せざるを得なかった。


 様々なことに辟易しながら学校を出ると、向こうから黒緑の毛を持つ雄々しい馬が走り込んできた。私の愛馬、黒兎だ。


 彼の走る姿を見た私は、ようやく自分の現実に帰ってきた気がして安堵した。


 黒兎は私の前で止まり、自らの背に乗せられた鞍を鼻先で指し示した。彼の鞍には長々とした手紙と、学校周辺の地図が貼り付けられていた。


『せめて下校の際ばかりは黒兎に乗ることを禁じさせて頂きます。高校生は高校生らしく電車を使うこと。川越の駅まで戻って来ることが出来れば迎えを寄越しましょう』


 手紙に書いてあるのはそのような内容のことであった。爺の文字だ。あの男、どこまで私を翻弄すれば気が済むのか。


 手紙を握りしめ唖然と立ち尽くす私に少し悲しそうな瞳を向けた黒兎は、迷いを振り払うかの如く大きく嘶いた後、私の元から走り去ってしまった。私はその背中をしばらく目で追っていたが、彼は私の視界から消えるまで振り返ることはとうとうなかった。


 地図のおかげで駅までの道のりはわかる。電車だって、見るのも乗るのも初めてだが、幼い頃には乗り方を幾度と習ったから問題はないはずだ。


 ゆえに川越まで戻るのは造作もない。しかし甚だ面倒だ。この場に座してじっと耐え、痺れを切らした家の者が迎えを寄越すのを待つというのも悪くはない。しかしあの爺のことだ。そう易々と折れるとは思えぬ。


 ならば覚悟を決める他ないだろう。ここが私の桶狭間。越えねばならぬ、最初の試練。


 手紙を丸めて放り投げ、落ちてくるそれを抜いた刀で両断すると、僅かながらに気分が晴れた。遠巻きから私を眺めていた輩の気配はそこで消え失せた。


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