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9 二人の王子 1 サリス視点

「こんなところでいったい何をしておりますの!」






 庭園近くで、ヒューリとノティオから男爵令嬢が妙な動きをしていると報告を受けた僕は、その後の展開を予測していた。


 おそらく男爵令嬢はカナンを糾弾させようと動く。

 本来ならそれは春季祭で行われるべき物語の筋だが、アシトが婚約破棄を言い出さなかった事で流れが変わった。


 さっきも、彼女はわざとカナンにぶつかって行こうとしていた。アシトが止めていなかったら、そのままカナンを糾弾する場面に持っていくつもりだったのだろう。


 そのアシトの行動にも驚嘆するが……。


 アシトは、もうあのお守りを身につけてはいない。だから、カナンへの想いなどすでに無くなっているはずなんだが………よく動けたものだ。


 おそらく無意識なんだろうけど、身体がカナンを守るために反応するという事は相当抵抗している証。


 しかし、その抵抗も、いつまで持つのか―――


 ふと思うのは、カナンの事。

 塞ぎ込み、何もかも諦めたかのように笑う、僕の、大切な………。


 もうあまり猶予はないのかもしれない……。

 カナンは、アシトの言動に傷つき、心がかなり疲弊している。

 これ以上の負担は、心を殺しかねない。


 物語の悪役令嬢のように、我を通し何もかも吐き出せるような強い心の持ち主ならまだ良かった。けれど、今のカナンにはそれは難しい。


 感情的になるな。

 冷静であれ。


 幼いころから言い聞かせていたことは多々あるが、特にその二つを僕は良く口にしていた。

 そして、僕の言う事を頑なに守り続けてきたカナンは、もう物語の悪役令嬢では無くなっていた。


 僕がそうした。

 僕が変えてしまった。

 僕がカナンを変えなくてはいけなかった。


 僕の未来を変えるための――カギとして。


 今更だけど、後悔はある。

 アシトに傷つけられ涙するカナンを見る度に、酷く胸は痛む。

 だけど、これしかなかった。


 世界の強制力すら味方につけている男爵令嬢の思惑を覆すには、どうしてもカナンが必要だった。だから、カナンが更に傷つくだろうと知っていながらも僕は利用する。


 男爵令嬢が、この舞踏会で何らかの動きを見せることを、僕は知っているから―――


 さて、これからどうしようか……。


 そう思案している所に、突然レチュナが息を切らせて走ってきたのだ。


 そして、冒頭の言葉―――




「こんなところでいったい何をしておりますの!」




 すごい剣幕で怒られた。




 ★




「落ち着け、レチュナ」


「落ち着いておりますわ、サリス様!」


 いや、かなり怒っているだろう。

 目を吊り上げ、睨み付けるようにして見上げてくるレチュナから思わず少し後退る。


 こうまで怒りをあらわにするレチュナも珍しい。


「…何かあったのか?」


「何かあったのか、ではありませんわ、ノティオ様! あの女、明らかに自作自演にもかかわらず全部カナン様のせいにしているのよ!」


「自作自演?」


 ヒューリが怪訝そうに首を傾げる。


「そうとしか思えない行動を取っているの! 内容を聞く前にここにきたから詳しい事は分からないわ。ただ、一人でどこからか戻ってきたと思ったら、突然『カナン様が……』とか言って、取り巻きの殿方たちの前で泣き始めたのよ。それを見ていた他の方々も同情し始めちゃって……」


「へえ…。カナンはずっとここにいたんだけどな、僕と一緒に」


 わざと、なのか?

 それとも、僕たちがいないのを狙って動いたのか?

 

「もともとカナン様ではないと信じていたけれど、サリス様と一緒にいたと本人から聞いたから急いでここにきたの。公爵様や国王陛下もいらっしゃらないし、もう会場内にカナン様の味方は少ないのよ。カナン様の人となりを知っているご令嬢方はその女の言葉を鵜呑みになんてしないけれど、あの女の涙に現を抜かした殿方なんて、カナン様をすごく軽蔑した目で見ていたわ」


「サリス……」


「急がないと、まずくないか?」


 固い声で僕を促すノティオとヒューリ。

 言われずとも分かっている。


「行こう…。カナンが心配だ」


 無性に嫌な予感が付き纏う。

 男爵令嬢が行動を起こすのは知っていた。知ってはいたが、こうも後手に回るとは思っていなかった。


 父上や公爵夫妻もカナンの側にはいない。

 僕がここに居ることで、レチュナまでもがカナンの側から離れてしまった。

 

 まるでカナンが一人で会場に戻ることを確信しているかのような動きだな。


 急がなくては―――


 

 

 逸る心を抑え、僕たちは急いで会場へと戻った。




 ★




 舞踏会場内は、妙に静かで不気味だった。

 誰もが息をつめたかのように、ある一角を注視していたのだ。

 その所為か、会場内にいる誰もが僕たちに気付いていない。


 そして聞こえてきた声は、カナンを責める一人の男の声。


 あの男は……。


「レギエル伯爵だな。確か、つい最近爵位を継いだばかりのはずだ」


 ノティオが思い出すように言う。


「前伯爵が病死、だったっけ? 確か、三か月ほど前だよな」


 そして、ヒューリが補足する。

 二人が何を言いたいのか、僕には手に取るようにわかる。


 なぜなら―――


「……これも、予見通りか? サリス」


 答えるより先に僕は動いていた。


「カナン様!」


 レチュナが叫ぶ。


 カナンっ!


 目の前では、カナンがゆっくりと身体を傾けていたのだ。


 抱きとめようと伸ばした腕に重さがかかる。

 倒れ込んできたカナンを支え、その顔を覗き込むと閉じられた眦に涙が滲んでいた。


 ずっと、耐えていたんだろう。

 何を言われても、口を噤んで……いや、もう反論する気力さえ残っていなかったのかもしれない。


 伝い落ちる涙を拭うように、そっと指を這わせる。


「良く、頑張ったね…」


従兄様(おにいさま)……わたくし、頑張れていたのでしょうか?」


 微かに聞こえる声は、どこか諦めを含む弱弱しい声。


「うん…ここで何も言い返さなかったことは称賛に価するよ。後は僕に任せて――カナン」


 薄く目を見開き、どこか安堵した表情のカナンは、泣き笑いの様な儚い笑みを見せ、意識を手放した。




 ★




「何があった?」


 問う声は、自分でも信じられないほどの冷たい声。

 眠るカナンを抱きかかえ、僕は前を見据えた。


 辺りを見渡せば、多くの者がカナンに侮蔑の視線を向けている。

 特に突き刺すような視線を向けるのは、妄信の如く彼女に入れ揚げている奴らか。


「もう一度問う。何があった? 誰か、現状を説明せよ」


 いつもの僕とは似ても似つかない言動。

 辺りから、戸惑いの声も上がる。


 あれが、サリス殿下か? と―――


「……僭越ながら私が――」


 名乗りを上げたのは、先ほどカナンに非難の言葉を投げかけていた男。


「……レギエル伯爵だな」


 僕は、この男を知っている。

 なぜなら彼は、後に男爵令嬢を養女として受け入れる男だからだ。


 だから、この場で男爵令嬢を擁護しカナンを責め立てるだろうことは知っていた。知っていたが、まさか一方的に責めたてるとは思わなかった。


 国の将来を憂い、実直で誠実な若き伯爵……と言われていたはずなんだが、どうやらこの男も魅入られているらしい。彼女に――


 これも、世界の強制力、なのか?


「はい。……実は、申し上げにくい事なのですが、そちらにおられるアグランゼム公爵令嬢がこちらのご令嬢…スティーナ男爵令嬢に非道な行いをなさいまして、その真偽を問うていたのです」


「非道な行い?」


「そうです、サリス殿下。そちらにおられるアグランゼム公爵令嬢は、スティーナ嬢に辛辣な言葉を投げかけて傷つけ、彼女が自らの意に沿わないと知るやドレスを汚しあまつさえ暴力に訴えるがごとく傷を負わせました」


 つらつらと並べるのは、在りもしない罪状。


「……証拠は?」


「は?」


「そこまで言い切るなら、証拠はあるのだろう?」


「彼女が言っている、それが証拠だ」


 口を挟んできたのは、ウィンロア。ノティオの兄。

 ちらりと視界に映るのは、この様子をじっと見ていたであろう彼らの父デレシアス伯爵。伯爵は、まるで見定めるかのように僕を凝視していた。


「ウィンロア。私が言っているのは、第三者の事だ。本人の証言ではない」


「彼女が嘘を言っていると? まさか、そうおっしゃるのではありませんよね、サリス殿下」


 震えるスティーナ嬢を守るように前に立つのは、ヒューリの弟ナジュラス。


 アシトは―――動かない…か。


 じっとカナンに視線を向けながら、時折首を横に振っているのは、思い出しかけているのか?


「真偽など今は関係ない。スティーナ嬢以外にその場を見たものはいるのか、と訊いている。答えよ」


「……誰も見ていなかった、って言っていましたわ、太子様」


 僕の問いに答えたのは、カナンを気遣わしげに見ていたご令嬢。確か、カナンとレチュナの友人だったか…。


「へえ…誰も見ていないにも関わらず、カナンを一方的に責めていたのか? どうなんだ? レギエル伯爵」


 カナンの髪から、アルトリの花を取る。

 ふわりと香るのは、甘い匂い。

 月光の下でしか香らないはずのその匂いは不思議と強く、ゆっくりと僕の周囲を満たしていく。


 これで少しは正気に戻ってくれれば良いが……。


「それは……アグランゼム公爵令嬢にも問いました。しかし、公爵令嬢はなんの弁明もなさらなかったのです」


「言えるわけがないだろう?」


 僕は、アルトリの花を伯爵の眼前に向けた。


「は?」


「身に覚えのない罪で責められ、一方的に周りから追い詰められたこの場で、味方の少ない彼女にいったい何が言える?」


「だが、スティーナ嬢は公爵令嬢に―――」


「それを言うなら、カナンは会場を出てここに戻るまでこの()と一緒にいた。その後も、ここに戻るまで城の警護の騎士がずっと見ていたはずだ。さて、カナンはいつそのご令嬢に罵倒を浴びせ、怪我を負わせたというのかな? 伯爵」


「は? サリス様と……一緒にいた? まさか……」


 レギエル伯爵の目に、僅かに疑惑が灯る。

 彼女に妄信していたなら、ここで帰ってくる言葉は即座に彼女を擁護する言葉のはず。

 だが、伯爵は訳が分からず、酷く困惑していた。


 少し正気に戻ってきたか?


 その証拠に、何の調べもなく公爵令嬢を糾弾した事実をやっと自覚し始めたのだろう。

 伯爵の顔には、焦りと、後悔……そして、疑惑に満ちた目は、自らが擁護した男爵令嬢に向けられていた。


「ああ、いたよ。ずっと…ね。それでもまだ、カナンがそのご令嬢に非道を働いたというつもりか?」


「い……いえ、サリス王太子殿下。おそらく殿下が仰っているのは真なのでしょう。しかし…スティーナ嬢の発言も偽りとは思えず……」


「なぜだ? そこの男爵令嬢が偽りの発言でカナン…いや、アグランゼム公爵令嬢を貶めたのは今が初めてではないだろう? 忘れたのか? 前の夜会を」


 そう、男爵令嬢がカナンを貶める発言をしたのはこれが初めてではない。

 カナンが居ないところで聞くに堪えない噂をばらまき、一度、僕に戒められていた。


 その夜会が、レギエル伯爵邸での夜会なのだから伯爵が知らないはずはない。


「あ……そう…でした。なぜ、私は忘れて……」


 驚愕に目を見開く伯爵は、思い出すや否や深く礼をしてきた。

 

「申し訳ございません、殿下! 真偽を確かめもせず公爵令嬢を責め立てたことは私の非にございます。真に――」 

「わ…私、嘘は言っていないわ! 本当にカナン様に――」


 自らの非を認め謝罪しようとした伯爵の声を止めるかのように声を張り上げたのは――物語のヒロイン、男爵令嬢スティーナ。


 分が悪いと思ったのか、彼女は取り巻きの間を出て僕の前に近寄ってきた。

 楚々として歩く姿に、彼女を取り巻く男たちが釘付けになる。


 彼女は、僕の前に来ると深く礼をしてきた。


「…サリス王太子殿下。先日の非礼はお詫びします。でも、私は嘘を言ってはいません。本当にカナン様に―――」


 尚もカナンを侮辱するような言動に、無性に苛つく。


「だから、その証拠は? もちろん、君以外の」


「誰も、いないわ。でも……っ!」


 縋るような眼差しはなぜか僕に向けられた。

 

 潤む瞳。

 震える愛らしい唇。

 

 きっと普通の男なら、すぐにでも魅入られるのだろうけど―――


「私には効かないよ」


 ぽつりと呟かれた声は果たして彼女に届いたのか、怪訝そうに顔を歪める彼女は愛らしいからは程遠いほどの醜悪な顔をしていた。


 笑ってはいけないと思いつつも、思わず笑みがこぼれる。

 彼女から見たら、僕の方こそ醜悪な顔をしていたに違いない。


「で……でも、私、本当にカナン様に――っ!」


 その時だった。

 ふわりとひと際強く辺りに甘い匂いが立ち込めたのは―――


 これはアルトリの花?

 誰が?


 不思議に思いふと周りを見渡すと、近衛騎士たちが舞踏会場の窓を開けていた。

 吹き抜けるような風に乗って、匂いだけではなく白い花びらもふわふわと会場内に入って来る。


「……アルトリの…花?」


 小さな声だった。

 聞き取れたのが奇跡の様な小さな―――


 その声に導かれたように視線を向ければ、アシトが愕然とした表情でアルトリの花に見入っていた。

 そして、信じられないような面持ちでゆっくりと視線を向けるのは、僕が抱きかかえているカナン。


 アシトは、苦しげに顔を歪めながら眠るカナンをじっと見ていた。

 決して目を逸らさず、まるで自らを戒めるように唇をかみしめ、自らの拳を強く握りしめていた。


 ここで正気に戻るとは思わなかったな。


 僕がここに来てからアシトは一言も発していない。てっきり静観しているだけだと思っていたがどうやら違うらしい。


 ずっと、戦っていたという事なんだろう。 

 男爵令嬢の、というより世界の強制力と―――


 おそらく、カナンが倒れたことで彼女の呪縛から僅かに逃れ、それが、アルトリの花で完全に自我を取り戻した、という事か。


 すごいな。


 アルトリの花に、これほどの効果があるとは思わなかった。


 呆然と白い花を見つめる周りをよそに、僕は花に纏わりつく輝く光に見入っていた。




 僕にしか見えない――精霊の光を。





 





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