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「ここにいたのか?」


 ふと隣に立つ気配に一瞬肩を震わせましたが、聞きなれたその声を聞いて安堵しました。

 どこか気遣わし気に声をかけてきたのは従兄様。

 きっと、会場を勝手に抜け出したわたくしを心配して追いかけて来たのでしょう。


「勝手に抜け出して、心配したぞ」


 諫めるような口調とは裏腹に、頭をぽんと叩く手はとても優しい。


「レチュナも、ひどく気にしていた」


 言われずとも分かっていますわ、従兄様。

 レチュナは、わたくしがアシト様たちと話している間、ずっと心配そうに様子を窺っていましたもの。


 会場内に流れる楽の音や談笑する周りの声に阻まれて、わたくしたちが何を話しているのかまでは分からなかったと思うけれど、アシト様が去った後のわたくしの様子から、おそらく察してくれた。わたくしが酷く傷つくようなことを言われたのだと―――


 それでも……察していながらも、レチュナはわたくしに何も訊かなかった。

 一人になりたいというわたくしの心を慮って、何も言わず黙って見送ってくれた。


 心配かけているのは分かっています。

 でも、わたくしは、あのまま会場にはいたくなかった。

 楽しそうに談笑するアシト様と彼女を、見たくはなかったのです。


 だから、ここに来た。


 白い花が咲き乱れる、この王宮の庭園に―――




 許可無き者は入れないこの庭園は、一人になりたい時には丁度いいのです。

 だって、ここに来られるのは国王様に許可を頂いた者だけですもの。仮にアシト様がここに来られてもスティーナさんは入れない。


 だから、ここにいれば、あの二人を見ることは無い……。


 それに、この場所はアシト様と初めて出会った場所でもあるもの。


 もう、十年以上前ですわね。

 わたくしがまだ五歳、アシト様が八歳の頃、従兄様の招きで――国王陛下には許可を頂いていたそうです――この庭園に連れてこられたとき、アシト様に出会った。


 アシト様は艶やかな黒髪と深い紫色の瞳のとても綺麗な少年だった。

 わたくしは一目見て、アシト様に惹かれた。

 彼を好きになっていた。

 従兄様には呆れられましたが、王宮に来るごとにアシト様に付き纏い、彼は自分のもの…と、勝手に決めつけて独占していた。


 奢りもあったのだと思います。

 一人娘であるがために、両親には甘やかされていましたもの。

 わたくしがアシト様と結婚したいと言えば、絶対に叶うと信じていたのです。

 そして、アシト様もわたくしを愛しいと思っているのだと………。


 ずっと、両思いだと思っていたけれど、今思えば、わたくしが勝手にそう思い込んでいただけなのですね…。


 アシト様は妹のように慈しんでくれていただけだったのに……。


 潤む視界に映るのは、白く咲き乱れるアルトリの花。

 従兄様が『カナン、この花の匂いは嫌な事を忘れさせてくれるよ。そしていつか君の助けになる花だ』とそう言って、この庭園に根付かせていた小さな花。


従兄様(おにいさま)、助けになんてなっていないですわ」


 愚痴くらい言わせてもらいます。

 だって、お守りの効果なんてなかったもの。


「心外だな、ちゃんとなってるだろう?」


「何処がですか……」


「君がお守りとしてアシトに渡してあったから、アシトは抵抗できてたんだよ」


「え?」


 今、なんて……?


 ぽつりと呟かれた声は、聞き取れないくらい小さくて、わたくしは気になって従兄様を見上げた。


「なんでもないよ……。まあ、ここにこの花が咲いているからこの程度で済んでいる、というのもあるんだけどね。それに、カナンだって……」


「…わたくし?」


 意味ありげにわたくしを見つめる従兄様は、幾分ためらいがちに言葉を続けた。


「うん。僕の予見ではね、君は、傲慢で、他者を見下し、身分を笠に好き放題。アシトに近づく女性がいれば徹底して虐め、最悪な事には危害すら加えていた」


「………っ!」


 どこの御令嬢ですか、それはっ!

 って、いや、ちょっと待って。

 それって……聞いたことがあります。

 確か、従兄様に良く聞かされていた作り話の一つで、よくある恋愛物語だよ、と言って語ってくれた、確か……悪役……そう! 悪役令嬢ですわ!


 え? 

 それが、わたくし? 

 え? 

 なんで…? 


「驚いた?」


 まったく悪びれる風もなく問いかける従兄様に、なぜか腹が立ちます。


 選りによって悪役令嬢ですか? わたくしが……?


「初めて聞いたわ、そんなこと……」


「初めて言ったからね」


 本当に? 

 悪役令嬢なの? 

 わたくしが……?


 まあ、確かに、叱責もされず甘やかされてわがまま放題で育っていれば、従兄様のいう悪役令嬢のようになっていたのかもしれませんが……。

 

 困惑するわたくしをよそに、従兄様は、徐にアルトリの花を一輪摘んで、わたくしの髪に挿してきました。


 ふわりと香るのは、甘いお菓子の様な匂い。


「どうして今まで教えてくれなかったの?」

 

「君が予見通りの未来を進むのを阻止したかったから……なんてね。うそ…全部冗談だよ。真に受けないで」


「はぁ?」


「ほらほら、もういい加減会場に戻らないと…。レチュナが心配しているよ」

 

 話はこれでもう終わり、とでも言いたげに背を向ける従兄様は、惚けるわたくしを残し、会場へと戻って行きました。


 いいえ、戻ろうとしていた。


「サリス、ここにいたのか?」


 ヒューリ様とノティオ様が何やら複雑な表情をして現れるまでは。


「…動いたのか?」


 従兄様の問いかけに、二人は苦笑ともつかない曖昧な笑みを浮かべ―――頷いた。




 ★




「カナン様!」


 従兄様が、御友人のお二人と何やら深刻なお話を始められてしまったので、わたくしはその場に残ることも出来ず、一人で会場へと戻ってきた。


 本当は戻って来たくはなかったけれど、お話の邪魔をするわけにはいかない。

 

 従兄様、いつにもまして険しいお顔をしていましたもの。お話しが終わるまでここで待っていますわ、とは言えなかった。


 憂鬱な面持ちで会場に戻ったわたくしを真っ先に迎えてくれたのはレチュナとこの舞踏会で親しくなったご令嬢たち。


 けれど、なんでしょう?

 周りの視線が……痛いのです。

 蔑む、というかなんというか、とにかく、わたくしを軽蔑している、という眼差しで見てくるのです。


 いったい…なにが――


「レチュナ、何があったの?」


「カナン様は、何もご存じないのですか?」


「何を?」


「つかぬことをお訊きしますが、カナン様、今までどちらに居られたのですか?」


 レチュナを通して知り合った子爵家のご令嬢は、ある一点を凝視しながら訊いてくる。


「今まで? わたくしは、ここに来る直前まで従兄様(おにいさま)と庭園にいましたわ」


「そのサリス様は今どちらに?」


 なぜかレチュナが青ざめた顔で、従兄様の居場所を訊いてきます。

 本当に、いったい何が……?


「…従兄様(おにいさま)なら、まだ庭園近くで御友人たちとお話なさっていると思いますわよ」


「…あの方たちは、いったい何をしているのよ、まったく!」


 え?


「レチュナ?」


 突然ドレスを裾を掴み、淑女にあるまじき早さで駆け出していくレチュナに驚いてしまいます。


 本当に、何が起こってるの?




「……アグランゼム公爵令嬢」




 その答えは、一人の男性の問いかけで明らかになりました。


 栗色の髪をした、端正な顔立ちの若き伯爵。

 確か、レギエル伯爵様だったかしら……。

 その伯爵様がわたくしに訊いてきます。


「失礼を承知で申し上げる。貴女はあちらにおられるスティーナ男爵令嬢に辛辣な言葉を投げかけたとか…」


 え?


 向けられた視線の先にいたのは、頬を両手で押さえ、泣き続ける一人のご令嬢。


 あの方は、スティーナさん?

 どうして泣いているの?

 今伯爵様は、わたくしが何かしたと言っていましたわよね?

 そんな覚えは無いのだけれど……。


 スティーナさんはわたくしの視線に気付くと、一瞬体を強張らせアシト様の胸に縋り付く。


「なんでも、アシト殿下に婚約の解消を乞われたのをスティーナ嬢のせいになさったとか」


「…っ! そんな…こと」


 言ってない……。


「否定なさいますか? なら、スティーナ嬢にお訊きしましょう。麗しのお嬢さん、貴女は何を言われたのですか?」


 わたくしへの態度とは雲泥の差。

 優しく問いかけるその表情は、彼女を安心させるためなのかひどく優しい。


「…私…カナン様に……」


「躊躇う事はないよ、スティーナ。すべて話したらいい。ここにいる皆は君の味方だから…ね」


 怯えるスティーナさんを抱きしめるアシト様。


 でも、愛おしそうに声をかける言葉と態度でわかる。


 アシト様も、わたくしを疑っている―――


「私…カナン様に言われたの。誰も側にいなかったから信じてもらえないかもしれないけれど……でも!」


「大丈夫。スティーナがそんなに怯えているのです。嘘のはずはないでしょう? みんな信じておりますよ」


 スティーナさんの頭を慰めるように撫でているのは、ヒューリ様に良く似ている殿方。


 あの方が弟君のナジュラス様なのね。


「そうだよ。誰も君を疑わない」


 スティーナさんの手を取り心配そうに顔を覗き込んでいるのは……ああ、あの方がノティオ様のお兄様ですね。お名前は確か、ウィンロア様。面立ちが、というより髪の色が同じですわ。


 その後も次から次へと、スティーナさんを擁護する殿方が続き、皆の信頼を勝ち得たと思ったのか、スティーナさんは徐に顔を上げた。


「ありがとう、皆さま」


 はにかむ様な笑みを見せて涙を拭うスティーナさんは、覚悟を決めたかのようにわたくしを見据えてきた。


 その一連の流れを、わたくしはなぜか何の感情も湧かず、ただ茫然と眺めていた。


「私、カナン様に言われたの。アシト様から離れてくださいって。アシト様に私は似合わない、自分とアシト様の邪魔をするなら容赦はしないっ! って……。でも、私だってアシト様が大切です。だから、それは出来ないって言ったの。そうしたら、カナン様、公爵令嬢たる自分に盾突くのがいけないのよ、ってワインを……」


 ああ、スティーナさんのドレス、赤く染まっていますわね。

 白い豪奢なドレスですもの。目立ちますわ。


「私たちがプレゼントしたドレスを汚されたのですか? それは、悔しかったでしょうね?」


 ナジュラス様が顔を歪ませています。

 ちらりとわたくしに向ける視線は、まるで居殺さんばかり……。


「じゃあ、その頬の傷は? さっきからずっと気になっていたんだよ。何があった?」

 

 ゆっくりとスティーナさんの頬に指を這わせているのは、ウィンロア様。


「これは…カナン様に叩かれました。泥棒猫! って、そう言って――っ!」


 頬を抑え、再び泣き出したスティーナさんを慰めるように抱きしめているのはアシト様。


 わたくしを見る目は、酷く冷たい―――


「……なるほど、気高き公爵家のご令嬢がなす言動ではありませんね。さて、何か言い分がありますか、アグランゼム公爵令嬢。あるなら、弁明くらいはお聞きしますよ」


 伯爵の言葉にわたくしは口を噤んだ。


 何も言えない。

 ここで何かを言ったって、アシト様はけっして信じてはくれない。


 いうだけ、無駄――

 

「…カナン様」


 心配そうにわたくしに声をかけてくれるのは、ずっと側にいてくれたご令嬢たち。

 でも、彼女たちも、相手が伯爵様だからなのか、何も言えずにいた。


 悔しそうに唇を噛み、せめてもの抵抗という態で、スティーナさんを睨み付けていた。


 けれど、わたくしは―――


「何も言わないという事は、認めるのですね? 自分の行いに非があると…。これは、陛下にも進言しなくてはいけませんね。公爵家の一人娘がこのような非道な行いを―――」


 もう、何も聞こえませんでした。

 どうしてなのか分かりません。

 ただ、わたくしを非難する伯爵様の声が本当に聞こえなくなったのです。


 ぼんやりと周りを見渡して、不思議に思う。


 どうして、わたくしを守ってくれる人がここにはいないのでしょう?


 お父様もお母さまも、今は席を外している。

 国王陛下と正妃様もいらっしゃらない。

 従兄様もまだ戻って来てはいない。


 まるで計ったかのように、今ここにわたくしの味方は…わたくしを擁護出来る方々はいないのです。


 ただ一人、いつもわたくしを守ってくれていたアシト様は―――


「…アグランゼム公爵令嬢。君には失望したよ」




 もう、わたくしの味方では―――ない。




「カナン様!」


 聞きたくなかった。

 アシト様からそんな言葉、聞きたくはなかった!


 妹でもいい。

 側に添えなくてもいい。

 けれど、嫌われたくは…なかった!


 薄れゆく意識の中で聞こえたのは、わたくしの名を叫ぶレチュナの声。


 倒れ込む瞬間、ふわりとわたくしを抱き止めるのは―――




「良く、頑張ったね…」




 従兄様(おにいさま)……わたくし、頑張れていたのでしょうか?




「うん…ここで何も言い返さなかったことは称賛に価するよ。後は僕に任せて――カナン」






 

 




読んでくださってありがとうございます!


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