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5 アシト・ユーセラム・クラディア

アシト視点です。

 なぜ、私は彼女を傷つけるような事を言ったのだろうか。

 なぜ、愛しくて大切な彼女――カナンにあんなひどい言葉を投げつけてしまったのだろうか。


 なぜ……急に―――


 分からない……。

 いくら自らに問いかけようと、一向に答えが出てこない。


 なぜ……私は……?




 あの日――半年前の舞踏会。


 幼いころからの想いが実り念願かなって正式な婚約者と認められ、後は挙式を待つばかりだった私たちが初めて二人で出席した舞踏会。

 婚約してからも小さな夜会には出席していたが、国中の貴族が集う舞踏会にそろって出席するのは初めての事だった。


 当日エスコートをするために公爵邸に向かった私を出迎えてくれたのは、思わず息を呑むほどに愛らしく着飾ったカナンだった。


 いつも纏っている凛とした雰囲気とはまるで別人のように愛らしく、贅沢にレースをふんだんに使用した淡い薄紅色のドレスもとても良く似合っていた。惚れ直したと言っても良い。


 それに、首元を飾る宝石は、私の瞳の色。


 深い紫色した宝石をあしらった首飾りが彼女の胸元で揺れるのを目にした時、思わずその胸元に口付けたい衝動を抑えるのに必死だった。


 自分の感情を気取られないよう、そっと首飾りを持ち上げて宝石に口づける。ちらりとカナンを窺えば、驚きと羞恥で顔を真っ赤にしていた。愛しくて我慢できず頬に口づけると更に落ち着きをなくし、半ば涙目で私を軽く睨んでくる。


 そんな仕種も私を夢中にさせる要因だ。

 本当に愛しくて仕方がない。


 それがどうして―――?


 確か、会場に到着する前までは、カナンをとても愛しいと感じていたはずだ。


 何時からだ?

 何時から、カナンへの想いが変化した?


 いや、今でもカナンへの想いは変わらずにこの胸の内にある。

 いや、違う―――カナンは妹の様なものだろう?

 いや、そうじゃない。

 カナンは、私の大切な―――




 なんだ、これは?


 なぜ相反する想いが混同するんだ?




 分からない―――




 どうも、自分の感情が曖昧すぎて気持ち悪い……。




 あの日、あの舞踏会で――私にいったい何があった?




 ★




「アシト、気持ちに整理はついたのか?」

 

 あの日以来、父上に何度も呼び出されそう問いかけられた。

 あの舞踏会での婚約解消。

 父上は激昂するわけでもなく、ただ諭すかのように私に問いかけて来るだけだった。


 ずっとその事は考えないようにしていた。 

 自分でもあの日の暴挙は信じられないのだ。


 本当に、なぜカナンにあのような事を言ったのか今もって理解できない。

 それ故、何度父上に問われようと、はっきりとした返答は出来ずにいた。


 とうのカナンにさえ、彼女からの了承の返事を聞きたくはなくて、婚約解消の話はあれから一度もしていない。


 解消など……したくもない―――


 そう、婚約の解消などしたくはないのだ、私は! 

 愛しい彼女とやっと婚約まで漕ぎつけたのに、なぜ解消などしなくてはならない! 


 だが、思い出すのは舞踏会での一件。


 カナンが突然走り去ったあの時、兄上が止めてくれて助かったと真に思う。

 そうでなければ、私は取り返しのつかない言葉をカナンに投げかけていた。


 あの時――私は思わず叫びそうになっていたのだ。


「婚約を破棄する!」―――と。


 憤る私を止めたのは兄上だった。

 カナンに行け! と叫んだあと、飄々とした兄上からは想像できないほどの威圧でもって私を制した。そして尚もカナンに向かい叫ぼうとしていた私を諫めてくれたのだ。


「ここまでだよ、アシト。これ以上は駄目だ。君はこの場でカナンを本気で傷つけたいのか? 君のこれまでの想いはその程度のものだったのか?」


「うるさい! 離せ! 言わないと…言わないといけないんだ!」


「アシト、良いからこっちに来い!」


 訳もなく混乱する私を兄上は引き摺るように会場から連れ出した。

 それを見ていた私の友人たちや彼女(・・)が何か叫んでいたようだが、兄上の側近たちに止められていた。


 そして、連れてこられた場所は――――


「…庭園? ………あっ」


 そこは、王宮の片隅にある王族専用の庭園。

 世界中の珍しい草花や貴重な薬草などが植えられている、国王に許されたものしか足を踏み入れることは出来ない場所。


 ふわりとそよぐ風に乗って微かに香るのは、庭園の外周に敷き詰められたかのように咲き乱れるアルトリの花。


 幾重にも連なるように咲く小さな白い花は、季節を通して咲き続ける珍しい花で、少しでも手入れを怠るとすぐに枯れてしまう。これだけ群生しているのは、厳重に管理された王宮の庭園ならではの光景だ。それにアルトリの花は月光の光を浴びると仄かに匂い立つ。


 ふわりと揺れる小さな花から立ち込める香りが私を包み、燻っていた感情が急に凪いでいく。


 ああ、そうか。

 アルトリの花の香りは、邪を払うと言われていたな。


 そう言っていたのは誰だったか……。


『この花きれいでしょう? おにいちゃんが摘んできたんだよ。あまいお菓子のようなにおいがいやなことぜ~んぶ忘れさせちゃうんだって』

『嫌な事を忘れる…ね。じゃあ、ここにいた小さなレディは、何か嫌な事でもあったのかな?』

『う~ん……ないしょ』


 どこかいたずらっ子のように微笑むあの小さな少女は―――カナン。


 私の愛しい―――


 ああ……ここで私は……。


『アシト様、この花は邪を払うとも言われているのですって。従兄様がそう言っていたの。でも、従兄様の言う事だから本当かどうかは微妙ですけれどね』


 おどけたような口調とは裏腹に、どこか不安そうな瞳で私を見るカナンは、アルトリの花を一輪摘んで私に差し出した。


『お守りです。アシト様が、ずっとわたくしと共にありますように、と』

『おや、私の気持ちを疑ってるの、カナン?』

『違いますわ。疑ってなどいません。ただ、あまりに幸せすぎて少し不安になるの』


 それは、在りし日のカナンと私。

 いつだったかあまり思い出せないが……正式に婚約して、少し経ったあたりだろうか。


 アルトリの花を見つめ儚げに微笑むカナンに、私は、大丈夫だ、私の心は変わらない、ずっとカナンと共にあるよ―――と、そう言い聞かせるように何度も告げた。


 それが……っ!


「少しは落ち着いたか、アシト」


「兄上――私…は……っ!」


 どうしてあんなことを―――っ!


 愕然としてしまった。

 取り返しの付かないことをしてしまった。

 冷静になって初めて、自分の犯した罪に戦慄した。

 なぜ自分はカナンに婚約の解消など願ったのだ…と。


 後悔に苛まれ崩れ落ちる様に座り込む私の頭を、兄上がゆっくりと撫でてきた。


「気にするな、とは言えないけどな。時は戻せるものじゃないし……。けれどここまでとは思わなかったよ。まさかこれほど魅入られるものだとは……。さすがは世界の強制力、ということか……」


 兄上が何を言っているのか半ば理解できなかった。

 ただ、小さく呟かれたその言葉がなぜか心に残っていた。


 魅入られた―――


 誰に……?


 そう考える前に、兄上から発せられた言葉でまた落ち込むことになる。


「まあ、あまり落ち込むな、アシト。これは予見されたことだ。お前が今日ここでカナンに婚約破棄を言い渡すことは世界の理だからね。知っていただろう? 君は十分抵抗した方だよ」


 そう、私は兄上から聞かされていた。

 あまりにも信憑性がなく滑稽すぎて信じてはいなかったが―――知っていた。


 だが一つ訂正させてもらう。


「婚約の破棄なんて言ってませんよ、私は――」


「言いかけただろう?」


「……それはっ!」


 確かに言いかけた。

 どうしようもなく、心が…感情が、カナンに婚約破棄を言わなければ、と思わされた。


 考える間もなかった。

 去り際の、涙を懸命に堪えている潤んだ瞳が私の心を苛む。


 もうカナンは許してくれないのだろうか?


 そう思うだけで、胸が酷く痛む。




 あれから半年。


 伝え聞くところによると、カナンは大分落ち着きを取り戻したという報告を受けている。その背後には、兄上がいるという事も知っている。


『我が愚兄が自慢げに話していましたよ。なんでも、サリス様が毎日のように慰めに行かれているとか』

『確か、まだ婚約の解消は成立してないんだろう? この際、不貞を理由に婚約を破棄したらどうだ?』

『その通りですわ。アシト様という方がありながら、他の殿方を招き入れるだなんて、カナン様もひどいです』


 そう私に語るのは、いつのころからか私の周りに集い友人と豪語する宰相の次男ナジュラスと伯爵家の嫡男ウィンロア。そして、労し気に私を見つめる少女スティーナ。


 ああ、そうか……。


 思い出した―――


 スティーナ――彼女に出会ったからだ。






 彼女との出会いはいつだったか……。

 ああ、確か、ナジュラスに連れていかれた夜会が最初だったな。


「最近、社交を賑わせている美少女がいるのです。一度お会いしてみませんか?」


 自分にはカナンがいるし興味もない、と告げれば、会えば気が変わりますよ、と断言された。そして、その美少女と称される令嬢に会っても尚心が変わらなければ、カナンへの気持ちは本物、とも。


 半ば挑戦的な誘いに乗る形で夜会に出席した私は、そこで出会った少女に―――一瞬で魅入られた。


 誘われるように令嬢に近づき、自然とその美しい手を取っていた。

 気付いた時には、令嬢をダンスに誘い夢中になっていた。


 長い朱金の髪と紫色の瞳の愛らしい美少女。

 その口から零れるのは涼やかな耳通りの良い声。

 身分違いを気にしているのか、常に一歩引いた態で私に接する彼女にも好感が持てた。


 そして、知らずに芽生える歪な感情。


 彼女を誰にも渡したくない。

 彼女は私のものだ。

 彼女こそ、私の運命―――


 熱に浮かされたように彼女の虜になっていた私は、彼女の側に群がる数多の男たちに嫉妬した。


 ナジュラスが、そんな私を見て、笑っていた―――


 だが、その狂おしいほどの熱情も、夜会が終わり城に戻るとなぜか霧散していたのだ。


 何だったんだ? 

 カナンが…愛しい彼女がいるのに、なぜ私は――


 自分の感情に戸惑いながらも、カナンへの想いが変わらずにあることに安堵する。


 けれど、カナンのいない夜会などで彼女に会うと、なぜか熱病の如く彼女に惹かれていく。そして城に戻れば……またその想いは消える。


 繰り返される、相反する感情を怪訝に思いながら、私はあの日を迎えた。


 あの、舞踏会の日を――

 

 カナンと共に出席した王宮の舞踏会。

 国中の貴族が集うその日は、男爵家の令嬢である彼女――スティーナも出席していた。




 当日、会場で出会ったスティーナには、いつもとは違いそこまで熱に浮かされるような感情は湧かなかった。

 なぜかは分からない。

 カナンが私の側にいたからなのだろうか?

 その事をあまり疑問に思う事すらなくカナンと共に舞踏会を楽しんでいた私は、カナンが友人との会話を楽しんでいる隙に、ナジュラスによって半ば強引にスティーナの元へと連れてこられた。


 そして、


『お会いしたかったです、アシト様。このような場でいう事ではないと知っています。けれど―――』


 潤む瞳に、私は瞬時に心を奪われた―――




 ああ、そういうことか。

 私はカナンのいないところでスティーナと会うと、自分の意思とは関係なしに彼女に惹かれてしまうのか。だからあの時、兄上は『魅入られた』と言っていたのか……。



 

 ★




「それで? お前はどうするつもりだ?」


 ずっと思考に耽っていた私に、父上から再び問いかけられる。


 どうするも何も、私はカナンと婚約を解消するつもりなど無い。けれど――


「ねえ、アシト」


 返答に詰まっている私に声をかけたのは、ずっと黙したまま紅茶を飲んでいた兄上。

 そう、今ここには父上の他に兄上も同席していたのだ。


 部屋に入った直後、兄上がここにいるという事に少なからず驚いたが、それ以上に気まずくもあった。


 あの舞踏会の日から、兄上には叱責されることが多々あったのだ。


 あまり思い出したくもないが、その中には自分の行動を恥じる行為も混じっているのだ。なぜ、そんなことを仕出かしているのか、本当に自分でもよくわからない。

 一度など、彼女を抱きしめている所を兄上の側近に見られたこともある。

 その友人から兄上に報告がいっていることは、後できつく嫌味を――確かあの時は『カナンとはいつ婚約の解消をするんだ?』と皮肉気に言われた――言われたことから推察できる。

 それ以外でも、やたらとカナンの友人であり兄上の婚約者筆頭とも呼ばれているレチュナ嬢を、なぜか私とスティーナが出席している夜会やお茶会などで頻繁に見かけた。


 きっと、舞踏会から今日までの私の行動を調べていたのだろう。

 

 気まずさから目を逸らす私と違って、兄上は何一つ気にした素振りも見せず口元に僅かに笑みを浮かべていた。


 ただ、言葉を交わすことは無いが――


 それに、兄上がここにいる事こそが、私を驚かせる一番の要因でもある。


 兄上は、王太子邸に住まうようになってから――確か私とカナンが出会ったころだったはず――城から足が遠のいていたのだ。


 その兄上が、なぜここに?


「なんでしょうか、兄上」


 兄上の意図が見えない。

 僅かに警戒しながら答える私に、兄上は何を思ったのか、徐に手を伸ばして私の首元に隠してあった革の紐を引き抜いた。


「兄上!」


 それは、カナンに貰った……っ!


「これが、君を今まで守っていたものだね。邪を払うというアルトリの花を使った香袋。だからか……」


 私から奪うように取り外したそれは、革紐に括られていた手製の香り袋。お守りにとカナンに渡された大切な―――


「兄上、返してください!」


「これ、大切なの?」


「そんなの、決まってる!」


 ずっと身に着けていた。

 あの日から――カナンを傷つけたあの舞踏会の後からずっと。

 カナンに会えなくとも、彼女への想いが消えないようにと願いを込めて……。


 だから―――


「兄上!」


「…なるほどね。ずっと不思議だったんだよ。あれほど彼女(・・)に魅入られていながら、未だにカナンに想いが残っているのはなぜなんだろう、ってね。本来なら、とっくにカナンへの想いなんて消えているはずなんだよ。ましてや、君は拠り所であるカナンにこの半年一度もあっていない。これがあったからなんだね。だから、想いが消えずにいる。だけど、これじゃ駄目だ。確かにアルトリの花は邪を払う。けれど、これに頼ったままでは物語は進まない。だからね、アシト。これからはこれに頼ってはいけないよ」


「何を――!」


「いいかい? 僕の…いや、私の予見はまだあるんだよ、アシト。真にカナンとの未来を望むなら、君はこれを身に着けていてはいけない。もう婚約の破棄、いや婚約の解消どころじゃないんだ。自分の意思で、自分の願いでかの令嬢の魅了に打ち勝っていかないと、君はいずれカナンを失うことになるよ」


「―――っ!」


 兄上の告げたその言葉に、私は一瞬声をなくした。


 カナンを失う……?

 そんな馬鹿な…。

 兄上は…何を…言って―――


 冗談だろう、と思い兄上を見れば、怖いほどに真剣な目で私を見据えてくる兄上の双眸とぶつかった。


 冗談では……ない…のか?

 カナンを失う…って……そんなこと―――!


 瞬時に訪れる喪失感。

 考えたくなかった。

 

 カナンを失うなど――一瞬でも思いたくなかった。

 

 けれど、兄上は告げる。

 予見はまだ続いていると。

 婚約解消だけではないと―――

 自分の意思で、この自分でも理解できない感情の起伏を制しないと、カナンを失うことになると。


 呆然と兄上を見つめる私に、兄上は僅かに口角を緩め、告げた。


「だから…ね、アシト。君には酷な事を強いると思うけど、私に協力してくれないかな? カナンのために――」


 カナンのため。


 カナンを失わないためになら―――


 


 僅かの逡巡もなかった。

 私は了承の意を込めて、強く頷いていた。








読んでくださってありがとうございます!



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