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あの舞踏会から早くも半年近くが過ぎ、この間わたくしは社交には一切参加していませんでした。
思い出されるのです。
煌びやかなあの雰囲気の中に居ると、アシト様から告げられた決別の言葉が―――
その婚約も、未だに解消には至っておりません。
わたくしが落ち着くまで、わたくしの心が決まるまで…と、ずるずると先延ばしにしているのです。
舞踏会の一件を聞いた両親は、すぐにでも解消させようと動いていましたが、なぜか従兄様が止めたのです。「もう少し、アシトの様子が見たい」と言って。何をそんなに気にしているのかは知りませんが、あの日のアシト様の態度にかなりの違和感があったそうなのです。
それにどういう心境の変化なのか、その件のアシト様からもあれから催促はありません。あの方のことを思えは早く解消したいのだろうけれど、一向に連絡がないのです。
だからと言って、こちらから了承しました、と言えるほど、わたくしの心はまだ割り切っていないのも事実なのです。
そんな欝々とした日々を過ごしているわたくしの元に、従兄様は良く足を運んでくれました。
そのおかげで大分気持ちも落ち着きました。というより、落ち着かざるを得なかった、というのが本音、ですね。
だって、従兄様の言動は、わたくしを元気づけるため、というより、心を抉る方が多かったのですもの。抉られて抉られて、気付けば従兄様に反発していましたわ。それからは怒涛のように八つ当たりです。
あの方の事も知っていたのでしょう?
知っていてわたくしには秘密にしていたのでしょう?
アシト様に振られる理由がはっきりしているなら、教えてくれたっていいでしょう?
どうして肝心な事は何も言わなかったの?
泣きながら責めるわたくしに、従兄様は宥める様に理由を教えてくれました。
『知っていたよ、彼女の事は……。けれど、彼女の目的がまだ不明瞭だったからね。動きも微妙だったし……。だから、カナンが傷つくと分かっていながら、何も言えなかった』
相変わらず、何のことを言っているのか意味が分かりませんが、彼女の事を言えないのには理由があったようです。
その従兄様はといえば――――
「何度も言うけれど、あそこで君がアシトに婚約を破棄されるのは必然なんだよ」
「破棄ではありません。解消を願われたのです!」
「似たようなものだろう?」
「違います!」
今日も今日とて、従兄様は我が家の庭園に設えた東屋で、まるで自宅のように寛ぎながら目の前で優雅に紅茶を飲んでいらっしゃいます。
その優雅さとは雲泥の差の口の悪さですが―――
ちらりと、紅茶を飲むふりをして従兄様に視線をむける。
初秋の空に輝く髪は紫金。
肩より少し長めの髪は後ろで一括りにして、一部を風に遊ばせている。
アシト様とどこか似た容姿を持ちながら、その色合いは全くの別ですわね。
夜の申し子のようなアシト様と対を成すような髪色と、晴れ渡った空のような色をした瞳の、まるで昼の申し子のような姿。そっくりというわけではありませんが、似ているのです。
でも似ているのは当然。
この二人は紛う事無くご兄弟ですもの。
お母さまは違いますが………。
目の前にいるわたくしの従兄様――サリス・アリスティ・クラディア様は、この国の正妃であるわたくしの伯母上の息子で、正真正銘の王太子様ですわ。
五歳年上の彼は、何かと公爵家の一人娘であるわたくしを実の妹のように可愛がってくださいます。それこそ、幼少のころ……アシト様と出会う以前からですわ。
その従兄様が、何度もわたくしに言い聞かせるように繰り返していた言葉を投げかけるのです。
「だから言っただろう? アシトに振られるって」
「……まさか、本当の事だなんて思いませんでしたわ」
「僕が嘘を言ったことがあるかな? 君にはずっと誠実だったはずだけど?」
「どの口がおっしゃるのですか?」
「この口?」
「……はぁ」
にこやかに肯定する従兄様にため息が出ます。
全然悪びれていない……。
いつもの事ですが、本当にこの従兄様は掴みどころがないですわ。
ふらふらしていて、どこか不真面目で。これで本当に王太子としての責務を果たしているのでしょうか? 少し、心配になります。
それに、良くない噂も聞きますもの。
理由もなく良く街に遊びに行かれているとか、学問も剣術も成績が芳しくないとか、あまりの放蕩さに、アシト様を次期王に、という声も一部貴族の間から出ているとかいないとか……本当にいろいろ悪評には事欠きません。
それでも噂は噂でしかなく、わたくしは、目の前の従兄様がそんなに愚かな人だとは思えないのです。
アシト様も言っていましたもの。
『噂に惑わされたらいけないよ、カナン。兄上は愚かなどでは決してない。私には分かる。兄上の行動にはきっと理由があるはずなんだ。その理由が何かまでは今の私には知る由もないけれど、いつか、兄上の力になれたらと思うよ』―――と。
まあ、周りが何を言おうが、とうの本人は、まったく気にしている様子はないのですが……やはり、従妹としては気になってしまうのです。
きっと、わたくしが心配していることも知っているのでしょうけれどね、この従兄様は。
そして、従兄様もわたくしをとても案じている。
言葉では辛辣な事を言っていますが、本当にこの半年近く、いつにもましてわたくしに会いに来てくれていた。
王宮と我が公爵家が近いとはいっても、さすがに三日と空けずに来るのは如何なものかと思いますが………。
それだけ、心配をかけたという事なのでしょうね。
アシト様とのことで―――
「……わたくし、本当に振られてしまったのですね?」
「そうだね」
「はっきりと断言しないでくださいませ! 心が抉られますわ」
「僕の言う事を信じなかった君の責任だろう? あれほどアシトには気を許すなって言ったのに……」
「そんなの分かるわけがありませんわ」
分かるわけなんてない。
アシト様の心の変化なんて、あの日までまったく気付きもしなかった。
エスコートの為、我が家に迎えにいらっしゃった時ですら、わたくしを愛しむその微笑みに嘘は見えなかったのですもの。
まさか、そのすぐ後であのような事を言い出すなんて思いもしませんでしたけれど…。
「惚れてたもんね~」
「……一目ぼれだったんだもの」
「…ん?」
「初めて会った時から好きだったの。アシト様も同じ気持ちだと思ってた」
「そうだね。顔は似てるのに僕には惚れずにアシトに一目ぼれしたんだもんね。さすが、強制力……」
ぼそっと呟かれた最後の言葉はあまり聞き取れなくて、ただ、顔は似ているのに、という従兄様の言葉に首を傾げたのです。
似ている……かしら?
じっと、従兄様の顔を見つめます。
アシト様の面影は……確かにありますわね。でも………。
「アシト様とは全然違いますわよ」
「何処が?」
「……全部」
「はははっ、全部か」
「そうです! アシト様は、従兄様とは違って、とても優しかったもの。腹黒くないし―――」
「うん? 今何か聞き捨てならない声が聞こえたよ、カナン?」
「なんでもありませんわ、従兄様。空耳です」
思わず口に出た本音を誤魔化すために顔を背けたわたくしの耳に、微かな笑い声。
「それで…?」
次いで聞こえてきたのは、従兄様にしては珍しいくらいの真剣な声音。
思わず驚いて従兄様を凝視してしまいました。
「それで…とは?」
いつもの他愛ない会話とは違う雰囲気を纏う従兄様に、わたくしは姿勢を正します。
ここから先はふざけて良い話ではない。そう、感じたのです。
「これからどうするの? あの舞踏会からすでに半年。もう良いんじゃないか? 君も大分落ち着いただろう?」
従兄様の言葉に、肯定するように頷く。
「……ええ。友人たちがいろいろ教えてくださいました。わたくしの知らないアシト様と彼女の事を―――」
わたくしを気にかけてくださっていた友人たちが、わたくしが参加していない夜会のお話や舞踏会での噂話などを教えてくれたのです。
けして耳に優しい噂話ではありませんでした。
アシト様と件の令嬢が一緒に夜会に参加していたとか、人目のない庭園で抱き合っていたとか、他の殿方と一緒に件の令嬢を取り合っていたとか、あまつさえ、わたくしとはあれから一度として会っていないにも関わらず、件の令嬢はわたくしに謂れのない中傷を受けたと吹聴してまわっているとか……。
根も葉もない話にすぎないけれど、それを鵜呑みにしている方々もいらっしゃるそうです。
その多くが、件の令嬢を取り巻く殿方なのだとか……。
いったい何なのでしょうね?
その様子を窺っていた従兄様はわたくしに会いに来るなり喜々として話してくれました。
『すごいよ、カナン。僕は初めて目の当たりにしたよ、リアル逆ハーレム!』
何がそんなに楽しいのかわたくしには良く分かりませんでしたが、その時の従兄様は、ものすごく上機嫌でした。
伝え聞いたわたくしが中傷したという内容も、従兄様にしてみれば的が外れているのだとか。
男爵家の娘がアシト様に近づくなど何様のつもりなのですか? とか、アシト様はわたくしの婚約者なのです。軽々しく近づかないでくださいませ、とか、わざとぶつかってきてはドレスを汚されたと泣き出す、とか。
もちろん、そのような事、わたくしは一切していませんわよ。従兄様にも止められていますし、中傷するにも彼女の事をわたくしは知りませんもの。
会ったのは……見かけたのはあの舞踏会場でのあの場限りですわ。
それに、あの舞踏会から、本当にわたくしは屋敷から一歩も外に出かけていませんもの。はっきり言って、引きこもっていたのですから。
従兄様も、その時ばかりはわたくしの擁護の為、というより、あからさまに不自然な事ばかりなのではっきりとそれは違うと断言したらしいのですが……。
その時の事を見ていた友人たちは、青褪める件の令嬢に溜飲を下げたと言っていましたわ……。
その事もあってなのでしょうか。
アシト様からの婚約解消の打診が無いのは―――
「アシトを恨む?」
「いいえ、アシト様が悪いわけではありませんもの。わたくしの努力が足りなかっただけですわ。わたくしに魅力がないから、アシト様の心を繋ぎ止めていられなかっただけ……それだけです」
「そんなことは無いよ、カナン。君は十分魅力的だよ」
「そんなことを言うのは従兄様だけですわ」
そうよ、従兄様。
だってわたくしは気づいてしまったのですもの。アシト様が魅力に感じるのはわたくしではなくあの方なのだと。
あの――数多の令嬢たちの中にありながらひと際きわだっていた朱金の髪と紫色の瞳の愛らしい美少女。
アシト様を見つめる儚い微笑みは、とても保護欲を駆り立てるもので、あの舞踏会場でもアシト様以外にも幾人かの殿方が彼女を守るために周りにいたと記憶しています。
そしてそれは、友人たちから語られるアシト様と彼女を取り巻く環境を聞くたびに、若干目を眇めることになるのですが………。
「ほんと――アシトは何を考えているんだか」
「なにか言いましたか?」
「なんでもないよ」
そう言って紅茶を嗜む従兄様は、そのまま口を噤んでしまいました。
アシト様が何を考えているかなんて、今のわたくしには何もわからない。分かりたくもない。けれど、時折思考に耽るように空を見上げる従兄様の瞳が、まるで何かを決意するかのように鋭さを増していくのには、僅かながらに驚きを隠せませんでした。
何を考えているの? 従兄様?
わたくしの視線に気付いた従兄様は、どこか曖昧な微笑みを向け、一言告げたのです。
「傍観者を気取るのは、ここまで、かな」―――と。
その意味を知るのは、数週間の後。
わたくしはなぜか従兄様にエスコートされ、半年ぶりに舞踏会へと足を踏み出すことになるのです。
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