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 彼――この国クラディア王国の第二王子であるわたくしの婚約者、アシト・ユーセラム・クラディア様は、艶やかな黒髪と深い紫色の瞳のとても美しく凛々しい青年です。

 その容貌は幼い頃ただ一度だけお会いしたことのあるアシト様のお母様――側妃様によく似ていらっしゃいます。


 側妃様は貴族ではなく市井の商家の娘で、王宮の侍女を務めていた時に国王様に見初められました。紆余曲折ありましたが国王様はその想いを貫き、周りに側妃とすることを認めさせたのです。


 側妃様はその身分故、あまり表には出てこられませんが、とてもお美しく、その容姿――漆黒の黒髪と夜に光の加減で金色にも見える淡く揺らめく瞳を月に準え、闇に輝く月の如く、との意から『月下の姫』とも呼ばれています。そう比喩される側妃様に良く似ていらっしゃる第二王子様ですもの、皆からの注目度はかなりのものですわ。


 わたくし?

 わたくしはその身分故――アグランゼム公爵家の一人娘ですもの。誰と結婚して公爵家を継ぐのか噂には事欠きません――注目されることはあっても、容姿的には際立って美しいわけではありません。ただ、アシト様に相応しくあろうと努力はしていますので、それなりに見られる容姿だと自分では思うのだけれど……。


 どこか気弱な発言に友人の多くは「カナン様は愛らしいとか可愛らしいというよりはどちらかと言えば華やかで凛とした美少女ですわよね」「光を弾くような細く柔らかい金色の髪と青い瞳。まるで昼の申し子のような容姿をしていらっしゃいますもの。だからこそ、月下の君とお似合いなのですわ」と言ってくださいます。

 わたくしが公爵令嬢だから本音を言えないのね、と思っていた時もありましたが、アシト様からも「カナンは光の申し子のようだね。凛としてとても綺麗だ」と言われ、とてもうれしかったのを覚えています。


 本当にわたくしを大切にしていたの。

 いつも穏やかで、側にいるととても安心できて――わたくしの大好きな人。


 そんなアシト様が、従兄様の言う『破棄』ではないですが、どうして突然婚約の解消などと言い出したのでしょうか? それも、こんな大勢の衆目を集める場所で……。


 アシト様らしくない。


 わたくしから視線を外す様に顔を背けるその表情からは、わたくしを嫌っているようには見えなくて、むしろ何か懸命に堪えているようにさえ覗えます。


「カナン、聞いているか?」


 顔を背けたまま、アシト様が訊いてきます。

 わたくしが何も言わないことに焦れているのでしょうか?


「カナン、頼むから了承してくれ」


 今度は懇願するような声音。


 いったい、アシト様に何が起こっているのでしょうか?


 本気でわたくしとの婚姻を取りやめたいのなら、わたくしの意志などお構いなしに本当に破棄してくださればよろしいのに。どうして解消にこだわるのですか? 


 アシト様、貴方の真意はいったいどこにあるのですか?


 困惑する私の耳に微かに聞こえるざわめきの声。


 ふと周りを見渡せば、わたくしたちの一挙一動を見逃してなるものか、と言いたげな視線があちらこちらから……。


 ああ、そういえば、ここは舞踏会場でしたわね。


 ええ、ええ。皆さんの言いたいことは分かります。

 目立ちますものね。

 正式な婚約式を済ませた二人が、その婚約を解消するという話をしているのですもの。それもみなさんの前で……。


 向けられるのは興味本位の好奇な眼差し。

 視線が痛いですわ。


 本当にどうしてこんな場所で言い出したのか……。


 いくら国王様方が――国王様と王妃様は少し会場から離れていますわ。ちなみにわたくしの両親も国王様方とご一緒に会場を離れています――いらっしゃらないとはいっても、この場で言うべきことではありません。


 何度も言いますが、こんな失態を犯すような方ではなかったはずなのに―――


 僅かに顔を伏せ、何も言わずにアシト様に背を向ける。それが礼を欠くと知ってはいても、この場にこのまま留まるわけには行かないのです。


 騒ぎを聞きつけてお父様たちが戻ってこられたら取り返しのつかないことになりますもの。


 ええ、それが一番恐れている事。

 一人娘であるわたくしをことのほか愛しんでくださっている両親にこの事がばれたら、せっかく婚約までたどり着いたのに、喜々としてアシト様の懇願に二つ返事で了承してしまいますわ!


『愛しいカナン。君を傷つけるものは何人だろうと許さないからな』

『そうよ、カナン。何があろうと私たちは貴女の味方よ』


 わたくし同様、従兄様から未来を聞かされていた両親はわたくし以上に慎重で――だから相手が王族の第二王子という身分で在りながら、正式な婚約はわたくしが成人するまで頑として了承しなかった――事が起これば例え相手が王族だろうとわたくしを守るために喜々として行動を起こす。おそらく国王様も何も言わない。言えない……。


 あまり詳しい事は分からないけれど、アシト様のお母様を国王様の側妃として認めるよう皆に働きかけたのがお父様であったとか……。自分の姉が正妃であるにも関わらず、国王様の心を慮って尽力した姿に国王様は恩義を感じているらしい、とは従兄様の言葉。


 それに、わたくしのお母さまは国王様が一番かわいがっていた国王様の妹君。国王様にしたらわたくしは愛しい妹の娘であり、姪でもある。それ故、アシト様との婚約はことのほか乗り気だった。


 それが、アシト様からとはいえ、婚約の解消? 国王様は兎も角、お父様は絶対に了承してしまいます! それもすぐに! そんなの――――っ!


 あっ……わたくし―――


 無意識で願っていた自分の本音に思わず苦笑いが浮かびます。

 だって気付いてしまったのですもの。

 アシト様に婚約の解消に同意してくれと言われても、本心では拒絶しているわたくし自身に―――。


 そうよ、わたくしの想いは、すぐに了承できるような簡単な想いじゃない。

 幼いころから、アシト様だけを見て、アシト様だけを慕って、アシト様といつか結ばれる日を夢見て……。


 やっと、婚約できたのに。

 これで、ずっと一緒に生きていけるって……そう、思っていたのに―――


 無理です、従兄様。


 その場にならないと自分の感情なんて分からないと思っていたけれど、やはり無理です。アシト様を諦めるなんてことはわたくしには出来ない、どんなに願われても、わたくしはきっと同意することなんて出来ない……。


「待て、カナン! 返事は!?」


 急に立ち止まったわたくしの肩に焦ったように触れるアシト様の手。

 振り向かせようと掴むその手を無意識に軽く払う。


「…カナン?」

  

 その仕種を拒絶と受け取ったのか、それともわたくしがそのような態度に出たことに違和感を覚えたのかは分からないけれど、どこか怪訝そうにわたくしの名を呼ぶ彼の声に応えるため、わたくしはゆっくりと振り向き、一瞬だけ視線を絡ませる。


 口元に軽く笑みさえ浮かべるわたくしを驚いた態で見つめていたアシト様に向かい、わたくしは大仰なほどに完璧な淑女の礼をとった。


 瞬間、聞こえてくる感嘆のため息。


 醜聞の中心人物で在ろうわたくしなのに、興味本位で聞き耳を立てている方々でさえ見惚れるほどの完璧さですわ。


 これがアシト様に相応しくあろうと努力したわたくしの成果です。

 当てつけるように披露したのは、わたくしを切り捨てようとしたアシト様へ向けた僅かながらの抵抗ですわ。


「……カナン」


「……アシト様。このような重大な事、わたくしの一存で返事を申し上げるわけにはまいりません。申し訳ございませんが、後日改めてのお話とさせていただきます。重ねて無礼を致しますが、今宵はこれにて失礼いたしますわ」


 きちんと言えたでしょうか?

 やはり声が震えてしまいます。

 懸命に平静を装っていますが、足が震えて仕方ありません。


 でも今のわたくしにはこれくらいしか出来ない……。

 この場で了承するなど出来ないし、かといって、アシト様に縋り付くことも出来ない。

 だから、これで良いのですよね、従兄様?

 この場での返事を避けるのが得策だと判断したわたくしは、間違えていないですわよね?


 ちらりと伺うのは、少し離れた壁際からわたくしをじっと見守っている従兄様。

 腕を組み、壁に軽く背を預けながらこちらを窺っていた従兄様は、わたくしの視線に気付くと満足げに頷き返してくれました。その姿にほっとします。


 これで良い。

 たとえ婚約の解消だとしても、わたくしの判断で返事をするわけには行かない。

 この婚約に関しては、わたくしたちの判断で勝手に解消出来るものではないのです。


 だってもともとわたくしたちの婚約は、初めて出会った幼い頃にお互い一目惚れをして、両親や国王様まで巻き込んで結んだものですもの。


 まあ、身分的な問題もありませんしお互い想いあっているのならと、まだ幼いにも拘らず___当時アシト様は八歳、わたくしは五歳でした___仮の婚約を結んだのです。

 それから十年。

 やっと念願かなって正式な婚約を整え、一年の準備期間を経て式を挙げる。


 そう、この舞踏会が終わったらすぐにでも式を挙げる予定だったのです。

 日取りは舞踏会後に決める、とお父様が言っていましたので、きっと今頃、国王様とその事を話しているのだと思います。特に国王様は殊の外わたくしたちの婚姻を喜んでいましたもの。


 それが、式を挙げるどころか、婚約の解消なんて……了承してくれ、だなんて、そんなこと出来るわけがありません。


 だから、きちんと話し合う必要があるのです。

 この場で了承出来るものではないのです。


 そう思い告げたわたくしの言葉に、微かに息を飲む音が聞こえました。

 顔を上げたら、アシト様がその表情に困惑の色を浮かべていました。


 口を僅かに動かしていらっしゃるので、何か言いたのでしょうか?

 堪らず、頭を掻く仕種をするアシト様は、一度天井を見上げた後、何かを決意するかのようにわたくしを見てきました。


「君の言い分も理解できる。私たちだけでは決められないという事も承知している。けれど、君にここで了承してもらえないなら、私は決断しなければいけないんだよ」


「……決断、ですか?」


 言いにくそうに顔を再び背けるアシト様が、僅かに視線を巡らす。

 そして、ある一点で目の動きを止めた。


 僅かに口の端に浮かぶのは穏やかな微笑。

 その微笑みの向ける相手は――――


 あっ――――


 うそ……っ!


 それに気づいた瞬間、わたくしは居たたまれなくなり、淑女にあるまじき速さで会場から走り去っていました。


「カナン! 待つんだ! 返事を! 頼むから了承するという返事をしてくれ! そうでなければ、私は君との婚約を――――」


 聞きたくないっ!

 アシト様がわたくしを拒絶するような言葉なんて、聞きたくもない!


 わたくしの後を追いかけるように響いていたアシト様の声は、途中で途切れました。

 遠くで微かに言い争う声は、従兄様の声。何を言い合っているのかは分からないけれど、ただ一言「カナン、行け!」という声だけははっきりと聞こえました。


 なにも考えたくはなかった。

 知らないほうが良かった。

 まさか、婚約の解消が真にアシト様の心変わりだなんて、知りたくもなかった!


 どうして見てしまったのだろう?

 見なければ良かったのに。アシト様の視線の先など、追わなければ知らずに済んだのに!


 千々に乱れる感情に任せて、涙を流すわたくしはそのあとどうやって屋敷に帰り着いたのか分かっていませんでした。


 どれだけ泣き暮らしていたのでしょうか? 気付いた時には、すでに舞踏会から数日がたち、わたくしは従兄様から散々言われることになるのです。






『だから、言っただろう? 振られるって。僕の言葉を信じなかった君が悪い』






 従兄様―――八つ当たりして良いですか?

 

 


 




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