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 一か月後。




 辺り一面うっすらと白い雪に覆われた季節。

 新しい年を祝うお祭り、通称、新雪祭を間近に控えたこの時分は、何処の家でも、家屋で過ごす日が多くなります。

 それでも、社交はあります。

 ただ、この時期の社交の多くが自宅で親しい友人や家族を招いての小規模な夜会やお茶会などですが……。


 わたくしも友人からのお茶会のお誘いがいくつか来ているのですが、お断りしています。


 だって……。


「雪道を出歩くなんて、せっかくのドレスが汚れますもの。それを分かっていて出かけるなんてわたくしは嫌ですわ」


 さほど雪が積もるわけではありませんので、溶けた雪道を歩くとドレスの裾が思いっきり汚れるのです。


 せっかくアシト様からプレゼントされたドレスなのに、汚すのは忍びないですわ。


「カナンが出不精でわがままなだけだろう? 市井の民は、この雪の中ちゃんと働いているんだぞ」


 公爵邸談話室にて、暖炉の前に居座っているのは従兄様。

 なぜか椅子ではなく床に座り込んでお茶を飲んでいます。その粗野な姿さえも優雅に見えるのが腹立たしい。


 その従兄様が、わたくしの言葉を聞いて諫めてきます。

 民が働いているのだから、貴族のわたくしたちも模範となるべく働け、という事なのでしょう。


 お茶会も貴族の社交の一つ、ある意味お仕事ですものね…情報収集という名の……。でも――


「良いじゃないですか、兄上。カナンはまだ怪我が治ったばかりです。あまり無理をさせないでほしいですね」


 長椅子に座るわたくしの隣に座り、優しくわたくしの頭を撫でてくれるアシト様は、そう言いながら笑みを深くしました。

 アシト様がそうやってわたくしを庇ってくれるのはうれしいのですが、従兄様にはわたくしが外出したくない理由なんて丸わかりですわよ。

 ほら、ちらりとこちらを向く視線が、その目が…めちゃくちゃ座っています。

 怖いです―――


「カナン…僕が本気で怒る前に、きちんと社交は熟せよ。新雪祭まで間がないんだ。公爵令嬢の責務として、今までの遅れ、取り戻せ」


 従兄様がそうおっしゃるのも分かるのです。

 だって、わたくし今年はまともに社交に出席していないのですもの。


「兄上はカナンに厳しすぎますよ。カナンが社交を休んでいたのは私の責任でもあるのです。カナンばかり責められませんよ」


 ね…と言いながら、わたくしの髪に指を這わせ、滑らすように掬い取るのはアシト様。

 その髪の一房を軽く持ち上げ口づけを落としながらわたくしを見る目は、まともに目を合わすのを遠慮したくなるほどの艶やかさを帯びていました。


「そうですわよ、サリス様。カナン様が社交嫌いになったのは、あの女のせいですもの。カナン様を責めてはいけませんわ」


 わたくしの対面の一人用の椅子に腰かけて、こちらを輝くような笑みで見ているレチュナが、擁護するように従兄様に言う。


 でも、別にわたくし、社交嫌いというわけではないのです。

 溶けた雪でドレスが汚れるのが嫌だから、というのも単なる言い訳。


 本当は、まだ怖いのです。

 あの、秋季祭の舞踏会でのわたくしを蔑むみんなの視線が……突き刺さるような軽蔑の眼差しが……未だに、忘れられないのです。


「カナン、大丈夫だ。これからは私がいつも側にいる。君を守る盾になる。だから、君は何も心配することは無いよ」


 わたくしの不安を感じ取ったのか、アシト様がわたくしの肩を抱き寄せました。


 宥める様に、頬を優しく撫でながら……。


「………ああ、そう言えば、どうなったんだ? サリス」


 レチュナの隣の椅子に座って、気まずそうにわたくしたちから視線を逸らすヒューリ様は、話題を変えるように従兄様に問いかけました。


「…なにが?」


 従兄様は、こちらに背を向けたまま問い返しました。


「あの女…いや、男爵令嬢はどうなったんだ? あれから、まったくと言って良いほど噂が聞こえてこないけど、君……なんかした?」


 男爵令嬢……。

 ヒューリ様がいう、その男爵令嬢とは、スティーナさんの事でしょう。


 ひと月前。

 わたくしが怪我を負った事件。


 後から聞いたことなのですが、従兄様たちは、スティーナさんがその日、わたくしたちを襲うだろうことを予測していたのだそうです。

 不自然に行動するスティーナさんを訝しんで、市井の民に扮した近衛騎士を使い、従兄様と宰相様がスティーナさんを見張らせていたとも聞きました。

 だから、スティーナさんが賊の一味と接触し契約を交わしたのはすでに知っていて、その後、賊が襲撃準備をしていたことも突き止めていたということです。


 突き止めていたからこそ、罠を仕掛けた。

 突然街中で襲われるくらいなら、こちらから舞台を整えればいいと――


 それには、アシト様も関わっていたと聞きます。

 スティーナさんに魅入られたアシト様に、従兄様が告げたのだそうです。

 あの日、わたくしを連れて大森林地帯に行くことを……。


 アシト様からわたくしたちの予定を聞いたスティーナさんは、『たまにはみんなで出かけましょう! 私、大森林地帯へ行ってみたいですわ。連れて行ってくれるでしょう?』とお願いしてきたのだそうです。


 スティーナさんの願いに取り巻きたちは誰も反対しませんでした。

 その場所が、一つ間違えれば命を落としかねないほどの凶悪な獣が生息する地域だと知っていても、スティーナさんに魅了されている彼らに否は言えなかった。いえ、否と言える術を持っていなかった。


 強制力という得体のしれない力に縛られた彼らは、スティーナさんの言葉に従う以外道は無かったのです。


 ああ、その強制力も従兄様から聞きました。


 なんでも、スティーナさんの予見通りの未来を迎えるよう、世界が無理やりに人の感情を修正しているのだそうです。


 アシト様がスティーナさんに惹かれ、スティーナさんが幸せになる未来のために―――


 怖いと思いました。

 自分の感情を…想いを、知らずに変えられるのですもの、ものすごく怖いですわ。


 その強制力と、アシト様はずっと戦っていらした。

 すべてが終わった後にそう聞きました。

 わたくしへの想いが、強制力に抗う原動力になったとも……。


 うれしかったですわ、それを聞いて……。

 従兄様に言わせれば、強制力を自力で跳ね除けるのは奇跡に近いと言っていましたもの。


 アシト様は何度もわたくしを守れなかったと嘆いていますが、それほど強烈なスティーナさんの魅了に抗い続けてくれたのです。それに比べたら、わたくしが傷を負ったくらいなんでもありませんわ。


 わたくしを慕う心がスティーナさんの呪縛に勝っていた。

 もう、それだけで十分です。

 

 こうしてアシト様が側にいてくれるだけで―――


 凭れるようにアシト様に寄りかかり、その肩に頭をのせる。

 アシト様は、優しくわたくしの肩を抱きながら片方の手ではわたくしの指を絡めて遊んでいました。


 少し、くすぐったいです。


 ああ、それと、取り巻きの方々も、実はスティーナさんの恋のお相手だったと聞きましたわ。

 ええ、アシト様だけではなかったのです。

 従兄様の予見では、アシト様だけがお相手だったそうですが、スティーナさんの予見では、他にもいらっしゃったそうなのです。


 その方々全員と、スティーナさんは結ばれたいと思っていた。


 それを聞いた時は、思わず顔を引き攣らせました。

 そんな事、本当に出来ると思っていたのでしょうか…。


 従兄様に言わせれば、スティーナさんはそれが出来ると思っていた、いや、そうなる未来もあった、と言いました。


 従兄様が賊に殺されていたなら或いは――


 今となってはもう知るすべはありませんが、そうならなくて良かったと心から思います。


「何もしてないよ。ただ、男爵が爵位返上の上この国を出て行ったというのは聞いた」


「嘘をつけ。君が脅したと聞いたぞ、私は。宰相閣下が頭を抱えていた」


 従兄様と並んで床に座るノティオ様が、はぐらかすかのように言葉を濁す従兄様を一瞥していました。


「ああ、ここ最近、父上が忙しくしていたのはその所為か。あちらこちらに手をまわして、かなりお疲れの様子だったよ」


「宰相閣下曰く、サリスは、スティーナ嬢の罪状を事細かく男爵に聞かせた挙句、スティーナ嬢を使いこの国を混乱に陥れるつもりだったのか、と男爵を脅したらしい。それを聞いた男爵が、すぐさま爵位を返上して娘共々姿を消したという事だが……国を出ていたのか?」


 じっとノティオ様が見据えるのは、暖炉の火を見つめる従兄様。

 誤魔化すな、と言いたげな視線に観念したように、従兄様が口を開く。


「……脅すつもりはなかったんだけどね。男爵本人は、何も知らなかったようだし。ただ、自分が長く王都を離れていた間にあの娘が勝手をしていたと言っていた。僕から、事の次第を聞いた男爵は顔を青くしていたよ。自分が娘を引き取りながら、ほっておいたのが原因だと……。彼らが国を出てからの事は、僕は知らない。途中まで同行した騎士によれば、自分で雇った僅かな護衛を引き連れてあの大森林地帯に入って行った、とは報告を受けている。まあ、あの広大な森を抜ければ隣国への近道だからね。おそらく、そういう事だろう」


 隣国に向かったという事でしょうか?

 あの森を抜けて?


 それって、大丈夫なのでしょうか?

 いくら近道だと言っても、あの森はそう簡単には抜けれないのではないでしょうか?

 だって、一日二日で抜けれるような森ではなかったですわよね。

 従兄様、はぐれたら迷うと言っていましたし……。

 それに、わたくしたちが居たのだって、あの森のほんの入り口近くです。


 その森の奥深く分け入って隣国に向かう?

 いったい何を考えているのでしょうか、男爵様は―――

 

 わたくしの肩を抱くアシト様の腕に、僅かに力が入りました。

 顔色を窺えば、気遣わし気に従兄様を見ていたのです。


「…カナンが本来歩む未来…ですか? 兄上」


 静かな問いかけでした。


 わたくしが本来歩むはずだった未来とは、いったい何なのでしょう?

 それって、アシト様に振られる未来ですわよね?

 違うのですか?


 問いかけるようにアシト様を見つめれば、アシト様はふんわりと笑みを見せ、カナンは知らなくていいよ、とはぐらかされてしまいました。


「そう…カナンが歩むはずだった未来だ。覆った今、その反動があの娘に降りかかっているんだよ。自業自得だけどね」


 どこかやるせない様に言葉を紡ぐ従兄様は、もしかしたら、スティーナさんの行く末を知っているのではないでしょうか?

 

 わたくしが本来歩むはずだった未来同様言葉にはしませんが―――なぜか、そう思うのです。








読んでくださってありがとうございます。


最終話は、本日、20時に更新します。

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