18
「君がヒロインだなんて、面白い事を言うね」
さっさと終わらせるぞ、とでも言いたげに、従兄様がスティーナさんに問いかけました。
日も落ちてきて、すでに辺りは少し暗くなってきています。
「だって、本当の事だもん。みんなは知らないと思うけど、この世界は私がヒロインの私の世界なの! だから、私の思うように世界が動くの。これが物語の筋なの!」
「私が君と出会い、君が悪役令嬢というカナンに虐められ、そして兄上が賊に殺され、カナンも死んで……私と結ばれた君がこの国の王妃になる…だろう?」
「…っ! な…なんで、アシト様がそれを知ってるの」
問い詰めるようなアシト様の言葉に、スティーナさんが僅かにたじろぎました。
信じられないという風に、アシト様を見ています。
というか、わたくしもそのような事、初めて聞きましたわ。
あ、前に従兄様に、わたくしが悪役令嬢だとは聞きましたが、それは冗談だと……。
―――違うのですか?
「その物語の強制力が私たちを君に縛り付けた」
淡々としたアシト様の声が響きます。
強制力?
聞きなれない言葉です。
あれ?
でも、その言葉、どこかで……。
『さすが、強制力……』
ああ、何のお話をしているときかは覚えていませんが、確か従兄様がそのような言葉をボソッと言っていたような……。
「君は、物語に添うように私たちを籠絡していき、君の言う悪役令嬢こと、カナンを虚偽で糾弾しようとした」
「ち…違う。私…本当にカナン様に……」
「まだ言うか!」
「だって、本当だもん! 物語だと、本当にカナン様に虐められてたもん! だから、カナン様が私を虐めていたのは本当だもん!」
あ…なんて言ったら良いのでしょう?
スティーナさん、完全に物語と現実を混同していますわ。
確かに、物語の世界に入り込んで、そう、例えば、王都の劇場などで開かれている舞台を見た直後などに夢見がちになるご婦人方がいるというお話は聞きます。けれどそれは一時の夢で在り、現実と混同することは無いのです。
スティーナさんは、それをずっと混同したまま?
それも、わたくしを悪役令嬢とした物語って……ありましたかしら?
「君の言う物語が、この世界全てに関わっているのは知っている。私たちが君に惹かれたのもその所為だという事も……。けれど、君の知らない現実もここにあるという事を……君は…知らない」
射竦めるかのようにスティーナさんを見るアシト様は、苦痛に顔を歪めさせ、言葉を続けた。
「私たちは、君の玩具じゃない。君に都合の良い人形じゃない。私は…君の知るアシトではないし、カナンも兄上も、君の知る物語の一登場人物ではない! 私たちは、ここで生きている人間だ! 分かるか?」
「な…なにを言ってるの? わかんない…分かるわけない。だって、この世界は私の世界よ。私の為に存在して、私が幸せになるためにあるの! 私が望んだ未来に、私が皆に愛される未来の為にあるの! ここは物語…ううん、ゲームの世界だもん。私は、攻略してただけだもん。強制力って言うけど、私の攻略が成功していたからそう動いているだけなの! それのどこがいけないのよ! ゲームの中なんだもの、私の好きなように攻略して良いでしょう? それがどうして駄目なの!」
「馬鹿か、お前。世界がそんな都合の良いものであるはずがないだろう?」
スティーナさんの叫びを呆れながら聞いていたのか、従兄様は、どこか疲れたような声で反論していました。
スティーナさんの呼び方が、めちゃくちゃぞんざいになっています。
「気づいていないのか?」
訳ありげな問いかけは、スティーナさんに向けられたもの。
「お前の、時間は、もう、終わったんだよ」
言葉を区切るように言う従兄様は、周りを見ろ、と言いたげに視線を辺りに巡らせました。
「お前に反感を持っているのは、もうアシトだけじゃない。彼らもすでにお前の呪縛から逃れている。その理由、分かるか?」
スティーナさんを取り巻いていた殿方たちを一瞥した後、従兄様はスティーナさんを炯眼しました。
「ここで、この私の命を奪えなかったことが君の敗因だよ。私の命が失われなかったことで、世界は動きだした。もう、君のための強制力はない」
「あるの! だって、私は――」
「自分だけだと思うな!」
スティーナさんの言葉を切るように従兄様の怒声が響きました。
そのあまりの迫力に周りから一瞬音が消え、辺りを見渡せば、誰もが聞き耳をたてて口を閉じていました。
「この世界の秘密を知っている者が、自分一人だと思うな」
「な……」
「お前がどのルートを選ぶのか、ずっと探っていたよ。ここが、小説の世界なのか、はたまたゲームの世界なのか、とね。まさか、私の知らないゲームの世界で逆ハーレムを狙っていたというのは笑えたけどな」
「ま…まさ…か」
「今頃気付いたのか? ずっと、予兆はあっただろう? 特に悪役令嬢らしからぬカナンなんて、そのものだ」
「……おかしいと思ってた。悪役令嬢は虐めてこないし、肝心のイベントは起きないしで、もしかしたら、悪役令嬢も私と同じなのかも、と思っていたけど……」
「そう、私だよ。カナンじゃない。私が……君と同じなんだよ。それに、お前の望む未来には、私が必要不可欠だろう? そう…私の死が……」
「……っ!」
その言葉を聞いたスティーナさんの目が、驚きで見開かれました。
信じたくないと言いたげに、従兄様を睨み付けています。
わたくしはというと、従兄様の言葉とスティーナさんの態度で、やはりスティーナさんも従兄様と同じなのだと確信がもてました。
従兄様と同じように、スティーナさんも予見が出来るのだと……。
ゲームとか攻略とかよくわからない言葉もありましたが、スティーナさんの見た予見では、アシト様はわたくしではなくスティーナさんと結ばれていた。だから、わたくしが邪魔だった。それ故、わたくしを悪役に仕立て糾弾していたのですね。
従兄様が、いずれアシトに振られるよ、と言っていたという事は、従兄様の予見でも、アシト様とスティーナさんが結ばれていたのでしょう。
だから、わたくしに何度も忠告していた。
予見通りの未来が訪れたなら、傷つくのはわたくしだから…と。
ただ、強制力と言うものが何かは未だに良く理解できませんが、アシト様がしきりに魅了されるとか、なんとか言っていましたから、なにかわたくしには分からない力でも働いていたのでしょうか? そのせいで、アシト様はスティーナさんに惹かれていたと……。
それならば、あまりアシト様を責められませんわね。
その強制力の所為でアシト様がスティーナさんに惹かれていたのならば、それはアシト様の意思ではない。
そう言う事なのでしょう。
それに、アシト様…わたくしを愛していると言ってくださいましたもの。
もう、それだけで良いです。
アシト様の、その言葉を…信じますわ。
「だから、抗ったんだよ。この世界に生を受けて、自分の未来を知った日から私は抗ってきたんだ」
従兄様が、過去を思い出すかのように言葉を紡ぎます。
ふと気づけば、辺りには、いつの間にかアルトリの花が舞っていました。
従兄様の周りを、ふわりふわりと、緩やかに舞うように―――
その花びらの一つを、従兄様は愛おしそうに手に取り、口づけました。
あれ?
ふいに見えた淡い光の粒。
すぐ見えなくなったので、おそらく目の錯覚だと思いますが、従兄様の周りに光の粒が漂っているように見えたのです。
目を擦っているわたくしの横で、従兄様を凝視したレチュナが一瞬身体を強張らせました。
次いで聞こえてきた声は―――
「花の似合う男なんて、嫌味ですか? わたくしへの当てつけ? 誰が素敵だなんて思うもんですか。わたくしは絶対に惑わされませんわ。花に口づけて、それが素敵だなんて、絶対に目の錯覚ですわ。ああ…王都に戻ったら、すぐに薬師に相談しましょう。そうしましょう」
いや、それはきっと目の錯覚じゃないから、レチュナ。
褒めているのか貶しているのか分からない呟きを零しながら従兄様に釘付けになっているレチュナは――再び見ないことにしておきますわ。
「誰が好き好んで自らの死を望む?」
そんなわたくしたちの挙動を気にもせず、というか気付いていない従兄様は、スティーナさんへの糾弾を止めることはしませんでした。
「抗うだろう、普通に…。だから私は、私の知る知識を使った。それこそ、手あたり次第利用してね。その一つが、悪役令嬢と呼ばれていたカナンだよ。私は、カナンを使い、世界の強制力に歯向かう道を模索していたんだ」
思わず、絶句してしまいました。
従兄様が、わたくしを利用していたなんて、そんな事、知りませんでしたわ。
でも、利用って、わたくしはどのように利用されていたのでしょうか?
あまり、従兄様に使われているという感じはしないのですが―――
「兄上……」
なぜかアシト様が眉間を押さえています。
わたくしを利用していたとはっきり言われて、どう言葉を返していいのか戸惑っているようにも見えます。
そのアシト様を見て、従兄様も苦笑を浮かべていました。
「カナンはね、アシト。カギの一つだったんだよ…」
「カギ?」
「ああ、世界の強制力を壊すには、カナンがカギの一つだったんだ。私の予見に存在するカナンは、スティーナと相反するもの。スティーナをヒロインとすればカナンは彼女を際立たせるためだけに存在する悪役令嬢と呼ばれる者。だから私は、本来あるべき物語の筋を一つ壊した」
従兄様が、わたくしとアシト様を交互に見てきます。
苦笑ともつかない複雑な笑みを浮かべて。
「それが、二人の出会い、だよ」
わたくしたちの出会い?
確か、城の庭園でしたわよね?
従兄様が根付かせたアルトリの花が咲く庭園で、わたくしたちは出会った。
それが、スティーナさんと何か関係があるのですか?
ふとスティーナさんに目を向けると、スティーナさんは、信じられないものを見るような目つきで従兄様を見ていました。
「まさか……夜会での庭園でアシト様に出会わなかったのは……」
「そう、物語の始まり。君とアシトの出会いを潰したのは、私だよ。君の言う庭園ではなく秘された王城の庭園だけどね、とっくにアシトは出会っていたんだよ、君じゃなくて、カナンにね。それこそ、君と出会うずっと以前に。もちろん、記憶にある二人の最悪の出会いは回避したよ。カナンが一方的にアシトに惚れて、その執着故にアシトに嫌われる、なんて、カナンが可哀そうだろう? まあ、そのかいあって、そこから二人の絆が深まっていってね。気が付けば相思相愛。誰も入り込む隙がないほど、お互いしか目に入っていない、という図式が出来上がっていたんだよ。いやあ、私は頑張ったね。カナンをアシト好みに教育して、アシトを嗾けて、ほんと苦労したよ。カナンは油断すると物語の悪役令嬢まっしぐらというような性格だし、アシトはアシトで、一時はカナンを邪険に扱っていたからね。この二人の絆が私の未来に影響すると思ったらまったく気が抜けなかったよ」
分かる? この健気な私の努力、と言を続ける従兄様に思わず顔が引き攣りそうになりました。
わたくしとアシト様の出会いが、従兄様によって、従兄様の都合の良いように演出されていたという事実を目の当たりにして、本当に顔面が引き攣りそうです。
これが、わたくしを利用していたという事なのでしょうか?
これが……?
だって、これって、アシト様と出会わせてくれたのが従兄様という事でしょう? なら、わたくしは感謝こそすれ、利用されたとは思いませんわよ。
「な…なんで! なんでそんなことをするの!」
憤るスティーナさんに、従兄様が近づいていきます。
真正面に立ち、見下ろすようにスティーナさんを見ています。
その表情は、ここからは見えません。
ただ、スティーナさんの側に立つナジュラス様が、従兄様の顔色を見て瞬時に跪いていますので、よほど凶悪な顔つきをしているのではないのでしょうか?
「決まってるだろう? お前とアシトが結ばれる未来を断ち切るためだよ。知らないだろう? アシト、お前に魅入られていながらも、自我を取り戻していたんだ。それこそ何度もな……。それだけカナンを愛していたという事だ。お前ではなくてな……。それに、言っただろう? 私は、私の未来のためにカナンを使ってお前の物語の筋を潰した…と」
「……信じられない! なんてことをするのよ! ここは、私の世界なのよ!」
「お前の世界? 何か勘違いしていないか? いいか、同じような記憶を持つ私がここに存在している限り、ここは、私の世界でもあるんだよ。何度も言うが、お前の時間は、もう、終わりなんだよ」
「そ…そんなことは無い! この世界は私の世界なの! 私のゲームなの! こんなエンディング私は認めない! 全エンディングを制覇したこの私が、こんなところで終わるわけない。きっと…っ」
従兄様は、狂ったようにそう叫ぶスティーナさんの背後に回ると、その首筋に手刀を浴びせました。
もう聞いていられない、とでも言いたげに顔を歪めています。
崩れ落ちるように地に伏すスティーナさんを見下ろし、従兄様は感情の抜けたような声音で言葉を紡ぎました。
「君はこれから、カナンの歩むはずだった未来を歩むんだよ。私たちの死を望んだんだ。相応の覚悟はあるんだろう? 嫌だと言っても、もう誰も君を守ってはくれない。自業自得、とも言うけどね」
連れていけ、と…静かに騎士に命じる従兄様は、どこか切なげに空を見上げて瞑目していました。
何を考えているのかは分かりません。
静かに佇む従兄様に誰も声をかけることが出来なかったのです。
緩やかに過ぎていく時間の中、ただ、白い花だけが従兄様の周りをふわふわと舞っていました。
慰めるかのように、癒すかのように……。
―――白い、アルトリの花が、舞っていたのです。
読んでくださってありがとうございました!




