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 瞬間―――


 右腕に感じる突然の激痛。


「カナン!」


「カナン様!」


 従兄様とレチュナの悲壮な声が聞こえます。


 放たれたのは一本の矢。

 痛みを堪えながら自分の右腕を見ると、肩から少し下のあたりに血が滲んでいるのです。


 袖をめくってみると―――み…見ないほうが良かったかもしれませんわね。

 かなり皮膚が抉れていて、これ…かなり……痛い…ですわ。


「カナン! 何をしてるんだ、君は! 当たったらどうする?! 怪我じゃすまないぞ!」


 従兄様の怒声。

 こんなに声を張り上げる従兄様は初めて見ます。

 無茶をしたのは分かっているのですが、そんなに怒らなくても良いでしょう?


「サリス様、ご心配は分かりますが、今はカナン様の手当てが先ですわ」


「ああ…。カナン、少し我慢しろ」


 憮然とした態でレチュナの言葉に頷く従兄様は、マントを脱ぐと地面に敷き、その上にわたくしを横たわらせました。


「……っ!」


 その動きだけで、腕に痛みが走ります。


「カナン様、しっかりしてくださいませ。ああ……これは、酷いですわ。すぐに治療いたします。救護袋を持ってきなさい! 急いで!」


 レチュナがわたくしの傷に目を顰めながらそう声を張り上げると、騎士の一人が救護袋を持って走ってきました。


「大丈…夫よ…レチュナ」


「無理するな。大丈夫じゃないだろう、まったく。僕が君を守らなくちゃいけないのに、君が僕を守ってどうする。叔母上たちに叱責されるのは僕なんだよ? 分かってる? カナン」


 そう言いながらわたくしの頭を乱雑になでる従兄様は、その言動とは裏腹に、とても優しい目でわたくしを見ていました。


「ごめん…なさい、従兄様(おにいさま)。でも、身体が自然に動いていたの。従兄様(おにいさま)を守らなくては…と…。だから、従兄様(おにいさま)が…無事…で良かっ……っ!」


「カナン!」


 何でしょう? 少し身体を動かしただけで激痛が走ります。


「カナン、この薬を飲むんだ。痛みを押さえてくれる」


 痛みを堪えるわたくしの口に注がれる甘い水。

 口の中で広がるこの味というか匂いは―――


 これは…アルトリの花?


「レチュナ、消毒用の酒は?」


「あります!」


「ノティオ、誰も近づけさせるな!」


「了承した」


「良いか、カナン。傷口を消毒する。痛いだろうけど、我慢して…」


 そう言った後、従兄様は一気にわたくしの腕にお酒をかけたのです。


 わたくしは、そのあまりの痛さに―――とうとう意識を手放してしまいました。




 ★




 どれだけ意識を失っていたのでしょうか?

 気が付いたのは、辺りから剣戟の音が聞こえなくなってからでした。


「あっ…カナン様。気が付かれたのですか? 駄目です! まだ立ち上がっては!」


 身体を起こし立ち上がろうとしたわたくしをレチュナが制しました。


「大丈夫よ、レチュナ」


「大丈夫ではありません。傷は塞がっているわけではないのですよ。せめて、座っていてください」


 そう言いながらレチュナはわたくしの背に手を当てて、そっと支えてくださいました。


 起き上がって周りを見渡すと、従兄様たちが切り付けられ傷を負って動けない賊たちを縛り付けている最中でした。


「あれからどうなったの? レチュナ」


「賊のほとんどは捕らえました。みなさん無事とは言い難いのですが、今は一つ所に纏めている所ですわ。ただ、カナン様に矢を射った者がまだ見つかっていないのです」


 まだ見つかっていない?

 では、また―――


「殿下! 捕らえました!」


 矢を射って来るのではないでしょうか?


 そう、危惧したわたくしの耳に、賊を捕らえたと叫ぶ騎士の声が聞こえました。

 よく見ると、スティーナさんたちが逃げてきた森の奥の方から、騎士たちが一人の賊を引き連れてやってきます。


「……サリス殿下! この男が矢を射かけていたようです。如何いたしますか?」


「…どうするかって? 決まっているだろう? 僕を…いや、カナンを傷つけたんだ。捕えるだけで済むわけがないだろう? 殺すに決まってる」


 目の前に突き出された男に向ける従兄様の声が思いっきり低いです。

 かなりの威圧も含まれているようで、冷ややかに賊を炯眼するその視線は、わたくしに向けられているわけではないのですが、背筋に寒気が……。


「ま…待ってくれ! 俺たちは頼まれただけなんだ」


 男はきょろきょろと周りを見て、一つ所で騎士たちに囲まれている仲間を見た時、もう逃げられないと悟ったのか、まるで命乞いのようにそう叫んでいました。


「頼まれた?」


 従兄様の目が鋭くなります。


「ああ、そこの女に」


 従兄様に問い詰められた男は、ゆるゆるとある一点を指さしました。


 え?

 わたくし?


 そう、男はわたくしに指を指していたのです。

 その瞬間、わたくしは見てしまいました。

 スティーナさんの口角が醜く歪むのを―――


「へえ、カナンに頼まれたっていうのかい? 自分を矢で射ろ、と? 笑わせてくれる。そんな虚言を、私が見破れないとでも思っているのか?」


 淡々と、とても穏やかな声で問いかけているはずなのに、従兄様から発せられる雰囲気はまるで正反対。背後に豪雪を背負っているかのような冷ややかさがあるのです。


「ち…違う! そこの娘のせいにしろって言われんだ! あっちの娘に!」


 思いっきり首を横にふる男は、わたくしに向けていた指を、ものすごい速さで動かしました。


 向けた先、そこにいたのは―――


「な…なにを言っているのよ! あなたたちなんか知らない、知らないわよ! 私のせいにしないで!」


 憤怒の形相で賊を睨むスティーナさんがいたのです。






「いいや、確かに俺たちはお前に頼まれた」


「お頭」


 拘束されている賊の中でお頭と呼ばれている男が、スティーナさんの叫びを聞いて声を出します。


「そいつが言っていることは間違いじゃねえ。俺らを雇ったのは、そこの嬢ちゃんだよ」


 お頭と呼ばれた男は、罪を擦り付けようとしたスティーナさんを睨み付けていました。


「嘘言わないで! 私、頼んでない!」


「嘘言っちゃあいけないぜ、嬢ちゃん。この方は太子様だろう? 髪色で気付くべきだったぜ。どうあがいたって逃げられねえ。なら、長いもんには巻かれろ、っていうだろう? 今更罪が軽くなるとは思えんが、一人だけ逃げれると思うなよ」


「な…なに言ってるの? 勝手な事言わないで! 私じゃない。私は、何も知らない!」


「知らないじゃないだろう? 頼んできたのは、間違いなく嬢ちゃんだ。今日ここで、自分を少し傷つけた後、逃げる先にいる男の内、紫金の髪の男を殺してくれってな。嬢ちゃん本人がそう言ったんだ。忘れるわきゃねえだろう? 俺が」


 紫金の髪の男?


 ちらりと見遣るのは、お頭とスティーナさんの会話を面白そうに眺めている従兄様。

 ふわりと風に揺れるのは、陽に輝く紫金の髪。

 今お頭と呼ばれた男は、紫金の髪の男を殺してくれって頼まれたと言っていました。それは、従兄様の髪色です。


 もしかしてスティーナさんは、従兄様を殺そうとしていたの?


「そんなこと言ってない!」


「ああ、こうも言ってたな。俺たちを雇ったのは、そこで倒れている御令嬢の所為にしてくれってな」


 ああ、わたくしに矢を射った男もそう言っていましたわね。


「違うわ! 私は本当に頼んでなんかいない! 罠よ! 全部、私を陥れるためのその女…悪役令嬢の罠なの! お願い、皆、信じて!」


 スティーナさんが、縋るように取り巻きたちを見て訴えています。

 自分ではないと。

 賊が襲ってきたのは、自分ではなく、わたくしのせいなのだと……必死に声を張り上げているのです。


 でもなんでしょう?

 あれほどスティーナさんを擁護していた取り巻きの皆さんの様子が、少しおかしいのです。


 呆然とスティーナさんを見ている方。

 何度も頭を振られている方。

 異質なものを見るような目で見る方――この方はウィンロア様ですね。


「あ…ああ、そう…です。スティーナが、そんな事……」

「もう、いい……」


 ナジュラス様がスティーナさんを擁護するように言葉を発したのと重なるようにアシト様の静かな声が響きました。


「……解けたか」


 そう呟いたのは従兄様。

 従兄様は、何かを確かめるかのようにゆっくりと周りを見渡した後、なぜか楽しそうにその口元に笑みを浮かべていました。


「もう、いい。分かったよ、スティーナ」


「アシト様」


 自分を守ってくれると思っているのか、スティーナさんの声には喜色が含まれていました。


 嬉しそうに抱き付こうとしたその瞬間、


「私に触らないでくれないかな。虫唾が走る」


「え?」


 ものすごい不機嫌な……いいえ、不機嫌というのも生ぬるいほどの、それこそ背筋が凍り付きそうなほど冷酷な、とでも言うような声でアシト様がスティーナさんを拒絶したのです。


 わたくしがそのような声で拒絶されたら、二度と立ち上がれないと思いますわ。

 それこそ、今までわたくしがアシト様から言われ続けていた拒絶の言葉が、まだ優しかったのだと思わざるを得ないほどに……。

 それほどに冷たい声だったのです。


「ずっと、自分に嫌気がさしていたよ。君に魅了されている間、ずっとね。君の呪縛が一時的に解ける度、自らの行いを悔やんだ……。いや、悔やむどころじゃない。愛しい人を傷つける……傷つけるよう仕向けられた私の気持ちが、君に分かるか?」


 え?


「そんなの…私のせいじゃない。だって、アシト様は…私の」


「私の、何? はっきり言おうか? 私は君のものではないし君に惹かれてすらもいない」


「嘘よ!」


「君にそう言われる筋合いはない」


 涙を浮かべ、信じられないというようにアシト様を見つめるスティーナさんに背を向け、アシト様はわたくしに視線を向けました。


 優しくて、穏やかで、まるで愛しい人を見るような眼差しでわたくしを……見ているのです。


 いったいどうなっているの?

 なぜ突然アシト様がスティーナさんを拒絶したの?

 それに魅了とか呪縛とか仕向けられたって……いったい何なの?


 アシト様の突然の豹変に驚きを隠せないまま、わたくしは近づいてくるアシト様から目が離せなかったのです。






「……カナン」


 わたくしの目の前で立ち止まり、見下ろすように見ているアシト様は、声を震わせてわたくしの名を呼びました。


 切なそうに、愛おしそうに紡ぐ声音。

 その呼び方は、まるでわたくしを愛しんでくれていた頃のようです。

 幼いころからずっと聞いていた、わたくしの愛しいアシト様の―――


 もう聞けないと思っていた。

 もう、そんなふうにわたくしを呼んでくれないって……。


「……カナン」


 確かめるようにもう一度わたくしの名を呼ぶ。

 たったそれだけの事なのに……アシト様がわたくしの名を呼んでくれている、ただそれだけの事なのに、うれしくて泣きたくなります。


 夢なのでしょうか?

 これは、痛みが見せている夢なの?

 それとも、咲き乱れるアルトリの花が見せている幻?


 ―――それでもいい。


 夢でも幻でも、アシト様がわたくしを……わたくしの名を呼んで愛おしそうに見つめてくれるなら、一時の夢幻で構わない。


 それだけでわたくしは……幸せなのです。


 わたくしをじっと見つめているその幻のアシト様は、わたくしと目線を合わせるように跪きました。


 真摯に見つめて来るアシト様の瞳は、夜の闇のようにさえ見える深い紫色。

 微かに揺らめくその瞳の中に、瞳を潤ますわたくしが映っていました。


 アシト様は、わたくしが負った怪我を目にすると、その優美なお顔を曇らせました。


「ごめん、カナン。私は君を守れなかった。君が兄上を庇っていたのは見ていたのに、私は動けなかった。断ち切ることが出来なかった。その所為で君が怪我を負うなんて……。情けないな…君を守るのは私だと、そう自負していたのに……」


 辛そうにそう言いながら、アシト様はわたくしの左手を両手で包み込むように掴んで自らの額に当てました。


 懸命に許しを乞うように―――


 アシト様のせいじゃないのに……。

 従兄様を守ったのは、わたくしが勝手に動いたこと。

 怪我をしたのだって、誰のせいでもない。


 でも、アシト様はそれを自分のせいだと言う。

 どうしてそこまで、自分を責めているの?

 わたくしの事は、嫌いなはずでしょう?


「ごめん、カナン。君を守ると約束したのに、私は……」


 あっ……。


 その約束は―――アルトリの花の前で誓ってくれた……。


 うそ……。

 覚えているの?

 だってそれは、正式に婚約した後、アシト様がわたくしに誓ってくれた言葉です。

 それを覚えているの……?

 スティーナさんに心を移して、もう、忘れてしまっているとばかり……。


「……君を傷つけた。…君を泣かせた。…君が悲しんでいるのに、私は何もできなかった。君を苦しめているのはこの私なのに、私は………。本当にごめん」


 項垂れ、吐露するのはわたくしへの謝罪。

 ゆっくりと、一つ一つ懺悔するように言葉にするアシト様の声が震えていました。

 いいえ、震えているのは声だけじゃない。

 

 手に伝わる微かな震え。

 わたくしの手を強く握りしめるアシト様の手が、震えていたのです。


 その言葉に、態度に、嘘は見えませんでした。

 本当に後悔しているようなのです。

 

「…カナン」


 アシト様がゆっくりとその顔を上げました。

 目を合せ、わたくしを見てきます。

 真っ直ぐに見つめるその瞳が、微かに揺れていました。


「カナン…聞いてる?」


 懇願する声はどこか切なくて、わたくしが何も言わないことに焦れてもいるようで……。


「カナン、お願いだから…何か言って」


 何か言わなくては、とそう思うのに、なかなか言葉が出てこないのです。


 だって、何を言ったら良いのですか?


 夢なのに……。

 こんなに自分の都合の良い夢なのに…。


 何を言ったら―――


「カナン……」


 でも、でもね。

 夢だって分かっているけど、わたくしを呼ぶアシト様の声が…眼差しが、わたくしを愛しんでくれていたあの頃のアシト様なのです。


 だから……。


 わたくしは、込み上げる涙を堪えながら、愛しい人の名前を声に乗せました。



 

「……アシト…様」







 


読んでくださってありがとうございました!

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