15
「ひどいですわ、カナン様!」
息を切らせて走ってきた彼ら……いえ、スティーナさんは、わたくしを見るなりそう叫びました。
ひどい?
何が?
突然そう言われても、わたくしには何のことかさっぱりです。
困惑するわたくしを睨み付けるように見て来るスティーナさんは、よく見ると右腕辺りに怪我を負っているようでした。
ドレスの袖から僅かに血が滲んでいるのです。
「まさか、公爵令嬢ともあろうお方が、このような事をするとは思いませんでしたよ」
炯眼するように睨み付けるのはナジュラス様。
「大丈夫か? スティーナ。すぐに手当てする」
ウィンロア様は、しゃがみ込み腕を抑えるスティーナさんを、これ見よがしに手当てし始めました。
ですから、いったい何ごとなの?
突然現れて非難されても、わたくしには何の覚えもないのですけれど……。
本当に、この方たちは何を言っているの?
「何か言ったらどうですか、カナン様!」
言え、と言われましても、何を?
周りを見れば、レチュナがこめかみを抑えながらスティーナさんを睨み付けていました。
ノティオ様とヒューリ様は各々の兄弟であるナジュラス様とウィンロア様をどこかあきれ顔で見ています。
その他にもわたくしを睨み付けるスティーナさんを守るように立つ殿方とか、アシト様の護衛なのでしょう、近衛騎士の制服に身を包んだ方々が数人、背後に立ちこちらの様子を窺っていました。
「スティーナ、落ち着いて。君が憤るのは分かるけど、ここは冷静にね」
ナジュラス様が宥める様にスティーナさんに声をかけていました。
でも、わたくしを見る目はひどく冷たい。
「分かっているわ、ナジュラス。でも、いくらアシト様に婚約を破棄されたからって、私を襲うように命じるだなんて、酷いです!」
はあ?
「そうだな、スティーナ。それは看過出来ない行いだ。すぐにでも陛下に進言するとしよう」
「ありがとう、ウィンロア」
「そうだよ、心配いらないよ、スティーナ。俺たちが側にいるから」
「そうだよ、スティーナ。僕たちの他にも、君を守るためにこれだけの騎士が集まってくれたんだからさ」
「うん、ありがとう、皆。スティーナは、皆に大切にされているんだね」
口々にスティーナさんを擁護する取り巻き――ええっと、皆さん貴族の子弟なのでしょうけれど、良いですわよね、取り巻きで――の方々に思わず顔を顰めてしまいます。
いったい、なんの茶番を見せられているのでしょうか?
なんだか、少し頭が痛くなってきました。
「君に怪我を負わせるとは私たちの失態ですね。アシト殿下が騎士を呼びに行っている隙にこんな…。君を守れなかった私を許してくれますか?」
「ナジュラスのせいじゃないわ。だって私はこうなることを分かっていたんだもの。もっと気を付けるべきだったの」
「君が悪いわけじゃないだろう、スティーナ。俺らが無事だったのは君のおかげだろう? 君が危険を知らせてくれなかったら、俺らは囲まれていただろうし、下手をすると騎士の到着を待たずに全滅していたかもしれない」
「ありがとう、ウィンロア」
「賊も撤退したようですし、ここまで来たらもう心配はいらないとは思いますが……」
「でも不安なのよ、ナジュラス。だって、彼ら言ってたもの。私を襲うよう依頼を受けた、って!」
「そうですね。ここに公爵令嬢がいる事こそ、その証拠でしょう。きっと、君が襲われるのをその眼で確かめようとしていたのでは?」
「最低だな」
「……私もそう思いますよ、ウィンロア。でも今は、スティーナの無事を心から神に感謝したい。君を守るためにアシト殿下に騎士を同行させるよう進言して本当に良かった」
スティーナさんの手を取り真摯に告げるナジュラス様に首を傾げます。
これ、本気で言っているのでしょうか?
アシト様がスティーナさんを守るために近衛騎士の同行を許した?
僅かな違和感。
従兄様でさえ、ご自身の護衛にも関わらず、わたくしたちと一緒という事で近衛騎士をわざわざ王国の騎士団に偽装させていたというのに、アシト様がスティーナさんを守るために近衛騎士のままでの同行を認めるのでしょうか?
本当に……?
アシト様の行動が信じられなくて、わたくしはその真意を確かめるようにアシト様に視線を向けました。
実は、先ほどからずっと気になっていることもあるのです。
アシト様が一言も言葉を発していない―――
そうなのです。
スティーナさんと一緒にここに来られてから、アシト様は何も言っていないのです。
春季祭の日からスティーナさんを擁護し続け、秋季祭ではわたくしに拒絶の言葉を投げかけたアシト様が、なぜ何も言わないのでしょうか?
取り巻きたちの様子を窺うに、彼らはスティーナさんが怪我をしたのは一様にわたくしのせいだと糾弾しています。
それなのに、なぜアシト様は何も言わないの?
それに、先ほどからこちらを見ないのです。
頑なにこちらに……わたくしに背を向け、何度も頭を軽く振っているのです。
後姿なので、その表情は見えませんが……なぜ?
そのアシト様の様子に気付いた近衛騎士の一人が、アシト様に何か話しかけていました。
耳元で語られているので何を話しているのかはこちらには聞こえません。けれど、アシト様の言葉に頷いた騎士は、なぜかこちらを気にしながら従兄様に視線を向けたのです。
まるで指示を仰ぐかのように固い表情のまま―――
それに釣られわたくしも前にいる従兄様に視線を向けました。
背中しか見えませんが、なぜか震えているのです。
っていうか、従兄様、笑ってませんか?
わたくしが非難を受けているのに、肩を震わすほどに笑っているって、失礼ではないですか!
そんな従兄様を見て、苦笑を浮かべているのはノティオ様とヒューリ様。
隣でレチュナが、「なんなのこの下手な演劇は。どこの大衆劇場?」と呟いているのを聞いた時は、自分が責められているのにも関わらず、思わず笑いそうになってしまいました。
実際言われている事は、本当に身に覚えがない事ですしね。
「何を笑ってるのカナン様! 本当にひどい人。ご自分の思う通りに行かないからって私を襲わせるなんて……それを見て笑うだなんて、だからアシト様に婚約を破棄されるのよ!」
叫ぶスティーナさんに首を傾げます。
そういえば、さっきもそう言ってましたわね。
婚約を破棄されたって……。
でも、これって、言っても良いのでしょうか?
わたくし、未だに婚約は破棄…いいえ、解消されていませんけれど―――
その時です。
「くくくっ……ははは……あははははっ!」
もう我慢できない、とでも言いたげな笑い声が辺りに響いたのです。
★
「ははは……ああ、おかしい。本当に笑わせてくれるよ、君は」
お腹を抱えるほどの笑い声を響かせるのは従兄様。
従兄様は笑いすぎて涙が出ているのか、眦を押さえながらスティーナさんを見ていました。
「何が可笑しいのですか? サリス様! 私がそこにいるカナン様にひどい扱いを受けているのに、笑うなんて酷いです」
苦々しく従兄様を見るスティーナさんは、令嬢にあるまじき醜悪な表情を一瞬浮かべたあと、徐に周りの殿方に視線を向けました。
涙を浮かべ、儚さを前面に出した風情で―――
「うわぁ~、これが君の言っていた魅了か。すごいな……」
ヒューリ様が、面白そうにスティーナさんを見ています。
魅了?
確かにスティーナさんは一目見て魅了されそうなとても美しい女性ではあるけれど、ヒューリ様の言葉には、それだけではない響きが感じられました。
ちらりと見えた横顔には、どこか侮蔑の色が混じっています。
「これに馬鹿兄貴がやられたっていうのか? この程度の事でか?」
頭を片手で抱えるようにしてそう言うノティオ様は、嘆息まじりに従兄様に確認を取っていました。
了承の如く頷く従兄様に、小さな声で「やっぱりただの脳筋か? だから騙されるんだ」とご自分の兄君を評していたのは、聞かなかったことにしたいです。だって、その後にウィンロア様を見るノティオ様のお顔が、ものすごく怖かったのですもの。なまじお顔が整っているから、余計に怖いです。
「なんで……なんで思い通りにならないの。許さない……」
ぼそりと呟くようなスティーナさんの声。
その声に目を向けると、スティーナさんがわたくしたちの背後を見て僅かに首を縦に振るのが目に映りました。
何?
思わず振り向いた視線の先に―――
嘘っ!
いつの間に!
「従兄様!」
わたくしの叫び声に従兄様は瞬時に振り向き、その表情を強張らせました。
「こっちか! カナン、来い! 皆は周りを固めろ!」
そう言ってわたくしを引き寄せると背後に庇い、周りに激を飛ばしたのです。
「従兄様、彼らはいったい?」
「サリス、彼らが、君が言っていた賊か?」
わたくしと同時に声を発したノティオ様は、確認を取るように従兄様にそう問いかけていました。
「…おそらくな。まさか、背後からとは思わなかった。来るなら、彼らの後からだとばかり…」
ちらりと視線を向けるのは座り込むスティーナさんたち。
え? 従兄様、この襲撃を知っていたの?
知っていて、ここに来たの?
どういう事?
疑問に思いレチュナに見ると、レチュナは鬼の形相でスティーナさんを見た後、わたくしの手をぎゅっと握ってきました。
「大丈夫ですわ、カナン様。こうなることは予測済みですもの。カナン様は、ここでわたくしとじっとしていてくださいませ」
ああ、これは、レチュナも知っていたと思うべきですわね。
そうですわよね。ノティオ様とヒューリ様も知っているみたいだもの。レチュナが知らない訳無いですわよね。
知らされてなかったのはわたくしだけ……。
どうしてわたくしにだけ秘密にしていたのかは分かりませんが、これも何か意味のある事なのでしょうか?
聞きたいことは沢山あります。
でも今は―――
向ける先は、迫りくる賊の一団。
従兄様は、わたくしたちを背に庇いながら賊と対峙していました。
その口元に、不敵な笑みを浮かべて―――
「へえ、見たとこざっと五十人、ってとこか。僕たちを狙うにしてはお粗末だね」
従兄様、あまり挑発しないでください!
「なんだと、ゴラァ!」
「お前ら,殺っちまえ!」
ほら、熱り立ってしまったではないですか!
「私は剣は苦手だ、頼むよ、ヒューリ」
「分かってるよ、ノティオ。君はご令嬢たちを守っててね!」
そう言って賊に向かっていくのは、ヒューリ様。
心なしか楽しそうなのは気のせいでしょうか?
「さて、僕も少しは身体を動かさないとね。ノティオ、カナンを頼んだよ!」
従兄様が、腰の剣を抜くと賊の一人と切り結ぶ。
「サリス様、何をしているのです。貴方様も下がってください!」
騎士の一人が慌ててそう叫び、従兄様を守るように賊と剣を合せていました。
「カナン様!」
「ったく! 私は剣は苦手だと言っただろう! ここから先は通さないよ」
襲いくる賊から守るようにレチュナがわたくしを抱きしめ、ノティオ様がその拳で賊を殴り倒していました。
ええ、間違いではありません。
確かにノティオ様が殴り倒しているのです。
剣が苦手と言っていましたが、苦手なのは剣なのですね。その意味がいまやっと理解しました。
だって、わたくしとレチュナを守りながら拳を奮うノティオ様は、決して弱くは無いのですもの。ほぼ一撃で昏倒させていますわ。
「やるな、ノティオ。俺も負けていられないね!」
そう言うヒューリ様も、周りにいる近衛騎士顔負けの剣技を披露していました。
剣技が得意と豪語していたのは嘘ではなかったようです。
そして、未だに動かないスティーナさんと同行してきた騎士に声を張り上げたのは、従兄様。
「何をしている! 騎士の本分を忘れたのか!」
戸惑いながらわたくしたちを見ていた騎士たちは、従兄様のその声で我に返り、襲い来る賊を迎え撃って行きました。
けれど、アシト様含むスティーナさんの取り巻きたちはその場を動こうとはせず、ただ成り行きを見ているだけでした。
見ているだけというか、おそらくスティーナさんを守るために動かないだけのような気もしますが……。
その一連の様子を静かに見ていたスティーナさんは、取り巻きたちに庇われながらわたくし…いいえ、なぜか従兄様をずっと見ていました。
何?
スティーナさんは何かを捜しているように視線をさまよわせ、賊が襲ってきたとは反対方向……スティーナさんたちが逃げてこられた森の奥に目を遣った時、その口の端に歪んだ笑みが浮かんだのです。
その時――
ヒュっ!
わたくしは、風を切る微かな音を聞いたのです。
「危ない!」
無意識に身体が動くというのはこういう事を言うのですね。
わたくしは後先考えずに、賊と闘っている従兄様を、思いっきり突き飛ばしていました。
読んでくださってありがとうございました!




