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「まあ、僕の事はさておき、ここは、その大森林地帯の端になるんだけど……。カナン、ちょっとこっちに来て。みんなは少しここで待ってて」
突然、話題を変えるかのように、というか、ご自分が問い詰められそうになっているから逃げるようにですわね、従兄様がわたくしの手を握ってきました。
「ちょっ…ちょっと、サリス。君、危ないって!」
「サリス様!」
「大丈夫。すぐ戻るよ。そっちの事は頼んだよ、ノティオ」
「ああ、気を付けろよ」
ヒューリ様とレチュナの非難などものともせず、従兄様はノティオ様に後を頼んでわたくしの手を引きながら歩きだしました。
「従兄様、何処へ行くのですか?」
「ちょっとこの先にね、君に見せたいものがあるんだ」
悪戯っ子のように笑みを浮かべる従兄様にはため息しか出てきません。
どうせ、嫌です、なんて言っても聞き入れてくれるわけないですもの。
「危なくないの? 危険な獣もいるのでしょう?」
「心配いらないよ、この辺りには出没しない。何度か足を運んだけれど、一度も遭遇したことは無いからね」
「それでも……」
気になって、辺りを見渡してしまいます。
確かに今歩いている辺りは、木々の間から光が差し込みとても神秘的で穏やかな雰囲気の森なのですが、目を凝らし奥の方を見れば、薄暗くていかにも凶悪な獣が現れそうな雰囲気を醸し出しているのです。
じっと見ていると訳もなく寒気がして思わず腕を摩っていました。
「寒い?」
「いいえ、ちょっと向こうが不気味すぎて……」
「ああ、あっちはね。あんまり見ないほうが良いよ。君の視線を感じて余計なものが現れるといけないからね」
「怖い事を言わないで下さい、従兄様!」
ふざけた物言いをしている従兄様ですが、森の奥を見るその瞳には、背筋がゾクリとするような冷ややかさが宿っていました。
やっぱり、何かいるのですか? 従兄様。
「さあ、着いたよ」
そう言われた場所は、レチュナたちがいる場所からは本当に僅か少しの距離。
遠目で護衛の騎士たちがこちらの様子を窺っているのも見えます。
「え? ここ?」
従兄様がわたくしの肩を抱いて促すその場所を見た時、思わず目を疑いました。
だって、そこは……。
「見事だろう? これを君に見せたかったんだ」
「これは……アルトリの…花? え? でも…だって……」
思わず挙動不審に陥ります。
だってそこには、城の庭園でしか群生していないアルトリの花が、所狭しと咲き誇っていたのですもの。
「びっくりしただろう? 僕もここを見つけた時は目を疑ったよ。でもほら、そのおかげで危険な獣はここには近づかない。居るのは彼らだけだ」
従兄様が周りに視線を向けました。
釣られるように周りを見渡すと、そこには木々に隠れるようにしながら小さな動物たちが興味深そうにこちらを見ていたのです。
「まあ!」
つぶらな瞳。
長い耳。
真っ白な毛に愛らしい体形。
野兎ですわ!
なんて可愛いの!
ああ、触りたい!
それにあっちは山リスですわね。それにあっちにいるのは雪狐でしょうか? それにそれに―――
「ねえねえ従兄様、彼らは近寄っても逃げないでしょうか? わたくし、触ってみたいです」
もう、本当に触りたい。
触って、ギュッと抱きしめたいです!
だって、ここに居る彼らみんな、幼い頃に従兄様がくれたぬいぐるみそっくりですもの!
「大丈夫だと思うよ。ほら、彼らも、君に興味津々だ」
笑いを堪えているのがバレバレですわよ、従兄様。
どうせ、子供だね、とでも思っているのでしょう?
でも良いのです。
今は彼らに触れることが出来るなら、何を言われても許しますわ!
わたくしはアルトリの花を踏まないようにゆっくりと動物たちに近づきました。
そうしたら、動物たちもわたくしに近づいてきて、まるで抱っこして、とでも言いたげにその愛らしい瞳で見上げてきたのです。
か…可愛い~!
わたくしは堪らずに野兎をそっと抱き上げました。
ふわりとしたそのぬくもりに思わずギュッと抱きしめます。
すごい。
ふわふわですわ!
そんな突飛な行動にも動じず、動物たちはわたくしの足元でじゃれ付きながら、自分も抱っこして、とでも言いたげに見上げてきました。
その愛らしさは、ぬいぐるみの比ではありませんわ。
本当に可愛らしいのです。
わたくしはうれしくなって、交互にいろんな動物を抱きかかえては抱きしめていました。
飽きもせず、何度も何度も―――
「……あれ?」
ふと頬に感じる違和感。
なんでしょう?
頬が冷たいのだけど……。
野兎を抱きしめたまま頬に指を這わせると、僅かに滴が伝い落ちていました。
ああ、気が付きませんでしたわ。
風が目に入ったのね。
今日は寒いですものね。
屋敷を出るときは雪もちらついていたし……きっとそうです。
そっと瞼を拭い、自分にそう言い聞かせる。
風のせいなのです。
だって、わたくしは、泣いてない。
泣いてなどいないのです。
こんなに楽しいのに、泣くなんておかしいもの。
だからこの涙は……風のせいなのです。
「…おいで」
わたくしの様子を不思議そうに見上げて来る野兎を抱きしめる。
嫌がる素振りなど見せずに、まるで慰めるようにペロッと頬を舐めるその仕種に、また涙が溢れて来ました。
他の動物たちも首を傾げながら見上げて来るけれど、ごめんね、目の前が歪んで、はっきり見えない。
どうして?
風が目に入っただけなのに、涙が止まらない。止めれないの―――
何度も何度も抑えようとも溢れる涙は止まらなくて、泣き顔を隠すように――強く抱きしめた。
★
「ごめんね、カナン」
どれくらいそうしていたのでしょうか。
まるでわたくしが落ち着くのを待っていたかのように声をかけてきたのは従兄様。
その声に振り返ろうとしたわたくしは、振り向く間もなく背後から軽く抱きしめられていました。
「本当に、ごめん。……僕は、結局何も力にもなれなかった。君を泣かせてばかりだ」
どこか自嘲するような声音。
背後からわたくしの肩に顔を埋める従兄様は、まるで自分を責めるかのようにそう言う。
おろらく、アシト様との事をずっと気にしていたのでしょう。だからわたくしが泣いているのを自分のせいだと………。
「従兄様が悪いわけじゃないでしょう? アシト様がわたくしから離れて行ったのは、わたくし自身のせいですもの」
「それでも…だよ。僕は知っていたんだから…」
「前世の僕…ですか?」
「うん…。カナンが居れば、予見は外れると思ってたんだけど……」
「………? アシト様との事?」
それは、ずっと聞かされていたから知っている。
従兄様はいつも『カナン、君、いずれ彼に振られるよ』と言っていましたもの。
それが外れると思っていたの?
「それもあるけどね―――」
どこか儚い笑みを浮かべる従兄様に不安になります。
いつものように揶揄っているような口調じゃない。
わたくしを抱きしめる腕に僅かに力が入って、それはまるで懸命に何かを耐えているようで……。
「でも、一つは覆せたと思うんだ」
そう言った後、従兄様はわたくしから腕を解くと、見たこともないような柔らかい笑みを浮かべました。
それは、どこかアシト様と似ていて、僅かに胸が痛みました。
「もうそろそろ行こうか? 彼らが待ってる」
俯くわたくしの頭をなでながら、従兄様は、少し離れた場所でわたくしたちを見守っていた友人たちの許へと向かいました。
結局、従兄様が何を言いたかったのか分からず仕舞い。
はぐらかすように言葉を濁すくらいですもの、きっと何を訊いても答えてはくれない。
言えない事情があるのだろうけれど、一人で抱え込んでいるのではないかと少し心配になります。
レチュナたちに手を振りながら歩いていく従兄様を見送り、わたくしはもう一度だけ動物たちを抱きしめた後、彼らの元へと向かいました。
いえ、行こうとしていたのです。
きゃあ!
森に反響するように響く、その悲鳴を聞くまでは―――
★
突然響いた微かな悲鳴。
え?
何…?
従兄様たちの許へ行こうと歩を進めていたわたくしは、その声に驚いて思わず歩みを止めました。
女の人の悲鳴よね?
誰の?
怪訝に思いながら辺りを見渡します。
え?
あの子たちが居ない?
どこへ?
キョロキョロと辺りを見渡しても、つい先ほどまでそこにいたはずの動物たちの姿が一向に見当たらないのです。
何が………っ!
「カナン!」
「カナン様!」
異変を感じ取った従兄様たちも慌てて走って来ます。けれどわたくしは、ある一点から目を逸らせないでいました。
木々の間を縫うように走って来る一団。
森の奥からまるで何かに追われるかのようにこちらに近づいてくる彼らを目にした時、わたくしは、自分の目を疑いました。
どうして………?
知らずに身体が震えていました。
だって、その一団の中に、わたくしが今も尚恋い焦がれる彼――アシト様がいたのですもの。
「カナン、下がって……」
見ているものが信じられなくて愕然としているわたくしの耳に、従兄様の固い声が届きました。
「カナン様、こちらに」
レチュナがわたくしの肩を抱きしめるようにして後ろに引きます。
それと同時にわたくしたちの前にヒューリ様とノティオ様、それに従兄様が守るように立ち、前を見据えていました。
護衛の騎士たちは、従兄様に手で制され、僅かに後ろに下がって様子を窺っています。
しかし、その手はいつでも抜刀できるように剣の柄に掛けられていたのです。
何が起こっているの?
訳が分からない。
だって、こちらに走ってきているのはスティーナさんとアシト様たちなのに、どうしてそんなに警戒しているの? というより、どうして彼らは森の奥から現れるの?
けれどその疑問はすぐに解けることになるのです。
「ひどいですわ、カナン様!」
息を切らせて走ってきた彼ら……いえ、スティーナさんは、わたくしを見るなりそう叫びました。
苦痛に顔を歪ませるスティーナさんは徐に腕を押さえ、わたくしを睨み付けて来ます。
押さえるドレスの袖に見えるは、僅かに滲む―――赤。
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