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本日、二話目の更新です。

 あの秋季祭の舞踏会以来、わたくしの醜聞は社交場で溢れかえっていました。

 従兄様がその場を収めたとは聞いていたのですが、あちらこちらの夜会でその時の事をいかにもこちらに非があるとばかりに吹聴しておられる方々がいるのだそうです。主にスティーナさんや彼女を擁護する殿方たちなのですが……。

 さすがに聞くに堪えないことばかりで、わたくしはそのお話を友人から聞くたびに我慢を強いられることになるのです。


 憤っても仕方ない。

 もし仮にわたくしがその場にいて反論したところで、スティーナさんを信じる方々にはただの言い訳にしか聞こえない。


 なら、何も言わないほうがいい。

 社交になど出ないほうがいい。

 じっとして、屋敷に籠って、ほとぼりが冷めるのを待ち続けた方がいい。


 あきらめにも似た心境で日々過ごしていたわたくしの元へその噂が届いたのは、舞踏会からひと月後。

 本格的な冬を間近に控えた、寒い朝でした。


 ――アシト様がスティーナさんと誓いの口づけを交わしていた。


 もう無理なのだと思いました。

 わたくしがどれだけ慕っても、アシト様は自分には振り向かない。

 どれだけアシト様に相応しくあろうと努力しても、アシト様が向けるまなざしは、わたくしではなくあの方。


 もう、わたくしはアシト様の側にはいられない。

 もう、わたくしは―――諦めるほか……ない。


 なぜか涙は出ませんでした。

 悲しいはずなのに…。

 どうしてか、泣けないのです。

 ただ、アシト様を慕い続けた日々が、とても遠く感じて、まるで夢の中にいたようなそんな気がしていたのです。




 全部、悪い夢だったら良かったのに――――


 


 ★




「カナン、出かけるよ」


「嫌です」


「良いから、出かけるよ」


「だから、嫌です!」


「駄々を捏ねないで、カナン。いつまで屋敷に籠っている気なんだ? 良いから、行くよ」


 そう言って屋敷に引きこもっていたわたくしを半ば強引に連れ出そうとしているのは従兄様。


 アシト様の噂を聞いてから数日後。

 何を思ったのか、ここしばらく音沙汰がなかった従兄様が突然訪ねてきてそう告げたのです。


「さあ、早く支度して」


「どうしてわたくしが」


「文句を言わない。さあ、急いで」


 従兄様は、わたくしの反論になど聞く耳を持たず、勝手に我が家の侍女に命じわたくしの外出準備を急がせました。


 従兄様の突拍子もない行動には慣れているはずなのですが、さすがに今回は気が乗りません。

 だって、わたくしは外出する気がないのですもの。


 そう思っていても、従兄様に真っ向から歯向かう気にはなりません。

 従兄様がそんな行動を取るのも分かるからです。


 従兄様がこんな強引な手段に出たのは、何もかもが嫌になって屋敷で燻っていたわたくしを見かねての事。


 本当は分かっているのです。

 ずっと心配かけているって……。


 分かっているのだけど――


 ちらりと窓の外に視線を送る。

 薄暗い景色の中、微かに見える白い―――


 ……どうして今日なの?


「何心配してるの? ああ、今日は少し寒いもんね。大丈夫だよ、カナン。行先はそう寒くないはずだから、多分………」


 なんですか、その多分、って!

 そんな事を言われたら、まったく信用できませんわよ、従兄様!


「良いから、ほら支度を急いで。ああ、今日は少し歩くからドレスは歩きやすいのにしてね。それと、防寒着も軽いのにして、あとは―――」


 むくれるわたくしを軽くあしらい、従兄様は問答無用の如く、侍女に喜々として指示を出していました。


 本当にどうしてこんな寒い日に外出などしなければいけないのですか?

 せめてもう少し暖かい日にしてください、従兄様!






「カナン様、お待ちしておりましたわ!」


 支度を終えて屋敷の外に出ると、輝くような笑みでレチュナが出迎えてくれました。


「レチュナ、貴女も一緒なの?」


「はい。カナン様の久々の外出ですもの、わたくしもご一緒します」


「良いの?」


「もちろんですわ!」


「二人とも、おしゃべりは後だ。早く馬車に乗って」


 従兄様にせつかれながら公爵家所有の馬車に乗ると、隣に座ったレチュナがどこか複雑そうな顔をしてわたくしの手を握ってきました。


「カナン様、申し訳ありません。カナン様の了承も取らずこのような強引な手段で連れ出して……」


 気遣わし気にそういうレチュナは、わたくしの手を握りしめて懸命に謝罪してきました。ここに来るまでのわたくしの様子から、従兄様が無理やり連れてきたのだという事を察したのでしょう。


 そっと労わるように撫でる手は、ずっと従兄様に捕まれていた手。逃がさない、とでも言いたげにしっかりと握りしめられていたその手が、少し赤くなっていたのです。


「ああ、もう! カナン様の麗しい御手が赤くなっているではないですか! サリス様はもう少し加減ということを覚えた方が良いですわ」


 ぶつくさと言いながら見遣るは、対面に座る従兄様。


「仕方ないだろう? カナンがすぐに了承しないから、多少強引になっただけだ」


「それでもですわ! もっと他にやりようがあったでしょうに」


「そうか? じゃあ訊くが…。カナン、僕に抱きかかえられて連れて来られるのと手を引かれて連れて来られるのとどっちが良い?」


 はあ?


 思わず従兄様を凝視してしまいました。

 なんなのでしょう、その二択。

 手を引かれてはまだしも、抱きかかえてって……。


「あ、もちろんお姫様抱っこでね」


 両手を上向きにして上下に動かす仕種をしながらそういう従兄様は、なぜか面白そうにわたくしを見てきました。


 いや、それ絶対に嫌ですから……恥ずかしいですから!

 というより従兄様(おにいさま)、それただ単に面白がってるだけでしょう?


「貴方に聞いたわたくしが馬鹿でしたわ」


 レチュナが呆れたように嘆息し、


「今更だろう?レチュナ嬢。諦めろ」


 従兄様の右隣に座るノティオ様が憮然とした口調であきらめを促し、


「ノティオの言う通りだよ。サリスに訊くのがそもそもの間違いだって」


 同じく左隣に座るヒューリ様が、笑いを堪えたままで同意していました。






「ああ、間に合ったわ。もう急に出かけるなんて言うから焦ったじゃないの。サリス、カナンを頼んだわよ」


 遅れて見送りに来たお母さまが、文句を言いながらも従兄様に念を押しています。


「分かってますよ、叔母上。そちらも…」


「言われずともすでに主人が動いています。貴方は貴方の成すべきことをなさい」


 お母さまの言葉に首を傾げます。

 お父様が動いている?

 なんのこと?

 わたくしたち、ただ外出するだけよね?


「……肝に銘じます」


 珍しく神妙な顔つきで答える従兄様にお母さまは満足そうに頷いていました。


「よろしい。ああ、でもカナンに何かあったら許しませんよ。良いですね、サリス。カナンも気を付けるのよ」


「はい、お母さま。行ってまいります」


「出して」


 従兄様のその声を合図に扉が閉められ馬車が動きだしました。


 同行するのは、わたくしたちの他に十名ほどの護衛の騎士たち。

 整然と馬車を取り囲むようにして護衛する彼らの纏う色は青。


 王国の騎士団?

 でも、あの方々は―――


 そう、青い色をした王国騎士団の制服に身を包んでいますが、彼らのその顔には見覚えがあるのです。


 皆さん、城の近衛騎士団の方々ですよね?

 よく城で見かける方々ですもの、従兄様が一緒だから護衛として付いてきたのかしら?


 通常、一貴族の護衛に近衛騎士は就きません。

 依頼され護衛の任を請け負うのは王国騎士団なのです。

 近衛は王族を守る者たち。

 だから、こうして一貴族の馬車を護衛するなどありえないのです。


 それが王国騎士団に偽装してまで護衛として付いてくるという事は、これはどう見ても従兄様の護衛ですよね。

 従兄様が公爵家の馬車で出かけるから、王国騎士団の制服を着用しているだけ。


 でも、珍しい事です。

 従兄様、よくお忍びで城下の街に行くと言っていましたが、その時は『護衛などいないよ』と豪語してましたもの。


 そんな従兄様が近衛騎士たちを連れてきた。

 今回に限ってなぜ?


 それに―――


 わたくしの視線に気付いた壮年の騎士の一人が、軽く会釈をする。

 柔らかく微笑むその眼差しからは、わたくしを軽蔑する色は見えない。


 彼らはわたくしの噂を気にしていないのでしょうか?


 社交に流れるわたくしとスティーナさんとの確執。

 一様に殿方はスティーナさんを擁護していると聞いたけれど……。


「大丈夫だよ、カナン。彼らはスティーナ嬢の甘言に乗ってはいない。君を卑下た目で見ることは無いから安心して」


 まるで心の内を見透かしたかのように従兄様が言う。

 その言葉を鵜呑みにするわけではないけれど、従兄様がそう断言するのならば本当の事なのでしょう。

 ふざけた言動の多い従兄様ですが、わたくしに関することで嘘は言わないですもの。

 ただ、信じたくないことは多いですが……。


 心配そうに見て来る従兄様に、わたくしは口元に軽く笑みを浮かべて頷きました。

 わたくしを気遣ってくれるその心がうれしかったのです。


 そのわたくしの笑みを見た従兄様は、驚いたように僅かに目を見開くと、次の瞬間、心から安堵したような優しい笑みを浮かべました。




「うわぁ~、誑しだわ。ここに女誑しがいるわ。ああ、見てない。わたくしは何も見てない。騙されませんからね。わたくしは、絶対に、騙されませんわ」


 さらに、その従兄様の笑みを直視したレチュナが、隣でぶつくさ何か呪文のように呟いていたのは――聞かなかったことにします。


 

 

 ★



 

 どれくらい走っていたのでしょう?

 途中、昼食のため休息をとり、更に馬車を走らせ到着した場所は、一面赤く彩られた木々が立ち並ぶ森でした。


 朝方ちらついていた雪は王都を出たあたりで止んで、今は青空が広がっています。風も穏やかで、従兄様が言っていた通り、本当にあまり寒くはありませんでした。


 従兄様に促され、森の中に入っていきます。

 道らしい道は無いようで、木々の間を縫うように進んでいきます。


「僕の後をついてきてね。はぐれると迷子になるよ」


「迷子になるどころじゃないだろう、サリス」


「そうそう、奥の方から獣の声がするよ? 迷ったら最後、帰れないんじゃないのか?」


 ノティオ様とヒューリ様の言葉に、背中に悪寒が走ります。

 ふと気になって森の奥へ視線を向けたら、ものすごく不気味な雰囲気を醸し出していました。


「獣がいるのですか? そんな危険な場所に、どうしてカナン様を……って、いいえ、連れてきたのは意味がある事だって分かっていますけれど、それにしても……」


 ぶつくさと文句を言いながら、わたくしの隣を歩くレチュナは、納得いかないとでも言いたげに従兄様を軽く睨み付けていました。


「大丈夫だって。この辺に彼らが近づくことは無いから。ほら、着いたよ」


 みんなの悪態など気にもせず、従兄様はある一角を指さしました。


「ここは……?」


 指さした場所。

 そこにわたくしはゆっくりと歩を進めました。

 立ち並ぶ木々の間で立ち止まり、半ば放心したまま上を見上げてしまいました。


 空を覆いつくすかのような赤。

 ゆらゆらと揺れる葉が、差し込む日の光に反射して朱金に輝いています。

 そのあまりの神秘的な光景に、わたくしは、いいえ、わたくしたちはしばらく声もなく魅入られていたのです。


「きれいですわね……」


 レチュナが、感極まったかのように呟きます。


「あれ? 川の音が聞こえるよ。近くにあるの?」


 ヒューリ様が辺りを見渡すように従兄様に問いかけていました。

 耳を澄ますと、風に揺れる木の葉の音に紛れて、微かに川のせせらぎが聞こえてきます。


「少し先に行ったところにあったはずだよ。でも、あまりお勧めしないかな」


 あっちだね、と言った場所は、不気味な森の奥。

 ああ、お勧めしない理由が分かりました。

 おそらくだけど、


「危険、ってことか?」


 ノティオ様の問いに、従兄様は頷きながら徐にわたくしの頭を撫でてきました。


「だから、向こうへ行ったらいけないよ、カナン」


 突然話を向けられて、思わず驚いてしまいます。


「……あんな不気味なところ、行け、と言われても行きませんわよ、従兄様(おにいさま)


「ん~、分かってはいるんだけどね。ほら、カナンは突発的に何をするか分からないから」


 なんですか、それは!

 

「心配いりませんわ、サリス様。わたくしがしっかりと見ていますから」


 いや、レチュナもそれはどうかと思いますわよ。

 わたくし、そんなに危なっかしいでしょうか?


 周りを見れば、同意するように見て来るノティオ様とヒューリ様。

 護衛の騎士たちは、わたくしと視線が合うと、一様に顔を背けてしまいました。


 これって、心配されていると思った方が良いのでしょうか?

 何か違うような気もするのですが……。


 あまり気にしてはいけないと思い、わたくしは彼らから視線を外し、周りの景色を堪能しました。

 

 なんでしょう、世俗から切り離されたかのような見事な景色を見ているだけで、ものすごく心が癒されます。






「……従兄様(おにいさま)、今更なのですが、ここはどこなのでしょう?」


 しばらく周りの景色に見入っていたわたくしは、思い出したかのようにそう問いかけました。

 目的地に着いた、とは聞いていましたが、ここが何処なのかは聞いていなかったのです。


「ああ、言ってなかったね。ここは王都から馬車で半日……大森林地帯は知ってるだろう?」


 従兄様の問いに頷きます。


 大森林地帯。

 王都クラディオスの南方にある広大な森。

 王家直轄領とされてはいるけれど、確か、危険な獣も多く生息しているからあまり人が立ち入らないと聞きます。


「ここがそうなのか?」


「そうだよ、ノティオ」


「随分慣れた様子だけど、君、何度か来たことあるだろう」


「まあね」


 ヒューリ様の問い詰めるような問いかけに、従兄様は僅かに肩をすくませた。


「危険ではないのですか? こんな場所にお一人で来るなど…無謀の極みですわ! もっと世継ぎの君らしく、ご自分の身を大切になさいませ!」


「一人じゃないよ。彼らも一緒だ」


 目を吊り上げ憤慨するレチュナから少し後ずさりながら、従兄様は助けを求めるかのように護衛の騎士たちを見ました。


「ご心配召されるな。王太子殿下の御身は我らが王国近衛騎士一同、身命を賭してお守りいたしております」


「……そう、ならば良いのです」


 レチュナは、どこか納得いかないと言いたげな表情をして従兄様をじっと見ていましたが、最後には諦めたかのように嘆息していました。


 そうそう、従兄様の行動にいちいち憤っていたら、身が持たないですわよ、レチュナ。


「カナン、何を考えた?」




 ―――何も考えていないですわよ、従兄様。気のせいです。





 

 




読んでくださってありがとうございました!

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