12 二人の王子 4 アシト視点
ある国に、とても母親思いの愛らしい少女がいた。
少女は、さる貴族の庶子で隠れるように母親と共に教会に身を寄せていた。
しかし、母親の死がきっかけで、少女は父親の元に引き取られることになる。
貴族としての教育を施された少女は、誰もが目を奪われるほどの美しい淑女となった。
そして、運命の日。
少女は一人の青年と出会う。
青年は、王国の第二王子で在りながら決して奢る事など無く、とても誠実で優しくてそして美しい容姿をしていた。
少女は一目見た瞬間、第二王子に恋をしていた。
身分違いと分かっていても、その想いを止められなかった。
しかしそれは、少女だけではなかった。
第二王子もまた、少女を愛するようになっていたのだ。
けれど、その二人の恋を快く思わない者もいた。
それは、第二王子の親同士の決めた婚約者の存在だった。
幼いころから第二王子に恋していた美しく身分も高いその婚約者は、第二王子に近づく少女に執拗ないじめを繰り返すようになる。
それは日々を重ねるごとに悪質になるが、誰もその行為を止めることが出来ず、少女はひたすら耐えるしかなかった。
その耐え忍ぶ少女に同情した一部貴族の者たちは、いつしか第二王子の婚約者を悪役令嬢と呼ぶようになる。
そしてその悪役令嬢の悪質ないじめから少女を守るため、次第に擁護していくようになっていった。
しかしそれに激怒した悪役令嬢は、自らの非を認めるのではなく、更にその自尊心の高さからいじめを増加させ、ついには金さえあればどんな汚い仕事でも引き受けるという賊に、少女を襲わせるよう仕向けた。
第二王子は苦悩する。
愛する少女を傷つける悪役令嬢の影には、自らの優秀さを妬んでいた、兄である王太子も関わっていたと気付いたからだ。
悩み苦しみながらも第二王子は決断する。
兄と婚約者が愛する少女を蔑み、妬み、傷つけるなら、自分が少女を愛し、大切にし、守ろう、と。
そのためには、兄と婚約者を排除する必要がある。
第二王子は、奮闘する。
婚約者の悪事の証拠を集め、兄の傍若無人な態度に危機を抱いている貴族を味方につけ、国王を説得し、逃れられない舞台を整え、ついに悪役令嬢との婚約を破棄するに至った。
「私はこの場をもって貴様との婚約を破棄する!」
「なぜですか! わたくしの何がいけなかったというのです!」
「貴様が彼女に行った数々の仕打ち、身に覚えがないとは言わせない」
「そんなのわたくしのせいではありませんわ! 婚約者のいる身の貴方に近づく彼女が悪いのよ!」
「それでも貴様の行為は行きすぎだ。彼女を賊に襲わせるなど、正気の沙汰でない」
「貴方を愛しているからですわ!」
「愛しているなら何をしても許されると思っていたのか? 愚かしい…。そのような女など私は愛しいとは思わない。もう私の前に姿を見せるな!」
婚約者に拒絶され婚約を破棄された悪役令嬢は、それ以降も自らの非を認めようとはせず、見かねた国王により領地軟禁という処分を言い渡される。
そして兄は、第二王子の知らないうちに賊により殺害されていた。
それは奇しくも第二王子と少女の婚約式の時だった。
遊学中の事故だったらしい。
第二王子は、伯爵家の養女となった少女と結ばれ、その後味方の貴族の推挙により、王太子と成る。
悪役令嬢は、第二王子の婚約と自分の味方であった王太子の訃報を聞き、領地内にある広大な森の中に一人で入り込み姿を消した。
その後、悪役令嬢の姿を見た者はいない。
彼らの最期を悼みながら、少女と第二王子は、お互いを支えながら国を守っていった。
★
動悸が…止まらない。
大分前の事だから記憶は曖昧だか、確か、そんな話だった気がする。
兄上から聞かされていた、兄上創作の物語。
数ある恋愛物語の一つだと言って話してくれていたそれが、兄上が常に言っていた予見の真相だとは夢にも思わなかった。
確かに、兄上から、このままではカナンを失う、とは言われていた。
ただそれは、カナンが私から離れて行くことだとばかり思っていた。
私への想いを忘れ、他の誰かと結ばれる―――そう、例えば兄上、とか…。
そう想像するだけでも胸が痛む。
あり得ないことだと分かってはいるが、もし仮にカナンが私の想いを疑い、私に嫌われたと思い込み、そして…私への恋心さえ封じこんだなら……そんな未来もあるのではないかと、完全に否定しきれない自分も確かにいるのだ。
それが、まさか本当の意味で失うという事だなんて、思いもしなかった。
「…兄上とカナンが…死ぬ? しかし、兄上。その物語、いや、予見ではカナンの生死は語られていないはずです」
そう、悪役令嬢は姿を消す、とは言っていたが、生死にかかわることは言っていない。
「言わなかっただけだよ。あまりにも、惨い死に方だったからね。言う事が出来なかった」
「それは……?」
「言わない……。これだけは、僕の胸の中にしまっておく。それに、口に出してしまうとさ、本当にそうなりそうで僕も怖いんだよ」
辛そうに歪められたその表情に、私は口を閉ざすしかなかった。
兄上がカナンを大切にしているのは私も知っている。だから、兄上の気持ちも分かる。
ほんの僅かな懸念すら取り去ってしまいたい。
おそらく、そう思っての事なんだろう。
「ですが、兄上…」
「なんだい?」
「カナンは、物語の悪役令嬢とは違いますよ。カナンは、あんな愚かな行動はしない」
そう、根本的に物語の悪役令嬢とカナンは違うのだ。だけど、そうなるべきだ、とでも言いたげに、糾弾の場面は訪れていた。
なぜ?
それに、兄上も……。
兄上は、決して愚かではない――
どこか飄々として捉えどころがない言動をするが、その芯には確固たる信念がある。それを見抜いている者たちは、決して兄上を粗略に扱わない。
先ほどの宰相がいい例だ。
彼は父上と共に兄上をずっと見守っていた一人だ。
だから一見そうは見えないが、先ほども兄上の指示に従っていた。
舞踏会場の窓を開けたのだって、あれは兄上の意を受けた父上が宰相に許可を出したものだろう。常ならば会場の窓を開けることは無いのだから。
それを帯剣した近衛が窓を開けていた。
それは、父上の指示以外の何物でもない。
きっと、宰相がすべて報告していたのだろう。
一時会場から姿を消していたのは、スティーナの言動の裏を取るため。
戻ってきた宰相が言っていた『確認に手間取りました』というのは、そういう意味なのだと思う。
そして、ウィンロアの父、デレシアス伯爵も兄上に一目置いているように見えた。
あの会場で彼は、スティーナに心酔するウィンロアに落胆し、そして、スティーナを擁護する私たちと対峙する兄上をまるで見極めるかのように厳しい視線で見ていた。
兄上が会場を去るときに見せた伯爵の僅かな笑み。『これが、サリス殿下の真の姿か……』、そう呟かれた言葉は、その場にいた――スティーナに傾倒している者たちを除いて――誰もが思ったに違いない。
だから、兄上が物語の王太子のように愚かなどとは決して言えない。
それを知っているが故に、物語とは違うと断言できる。
「兄上、いったい何が起きているのです? こうも兄上の予見と懸け離れているのに、なぜスティーナ、いや彼女の思惑通りに事が進むのですか?」
「強制力……。本来あるべき道へと戻そうとしているそれが、彼女の味方をしている」
強制力、その言葉は兄上が何度か口にしていた。
私が彼女に魅入られるのも、その強制力の所為だと言ってもいた。
だけど、そんなもののために―――
「なら、このまま彼女の思惑通りに世界が動くのですか? カナンも兄上も、その強制力とやらのせいで死ななきゃならないのですか!」
絶対に認めない!
なぜ、そんなものに振り回されなきゃいけない!
なぜ、彼女の思う通りに動かなきゃいけない!
なぜ、そんな訳の分からないもののためにカナンを苦しめなきゃいけない!
なにより、その強制力に意思を奪われ言いなりになる私自身に一番腹が立つ!
「まあ、そう憤るな、アシト」
「ですが!」
「僕が何の策も無しに行動を起こしたと思っているのか?」
「そうは思いませんが……」
歯噛みするのは、自分にはなんの策も思い浮かばないから。
「大丈夫だよ、アシト。彼女の、いや世界の強制力に打ち勝つ手段は、もう僕の手の中にある」
兄上は、心配するな、とでも言いたげに私の頭を乱雑に撫でてきた。
「兄上、それはいったい?」
ぐしゃぐしゃになった自分の髪を手櫛で梳かしながら問いかける。
「今はまだ言えない。君がこのまま彼女に魅入られないという保証はないし、君に知られることでこちらに不利になる事もあるからね」
どうやら、完全には信用されていないようだ。
それは仕方がない事だと思う。
私自身、絶対にこれからは彼女に魅入られない、と言い切る自信はないのだから……。
「そんなに落ち込むな、と言っても無理か」
どこかあきれ口調なのは、私の聞き間違いではないと思う。
「そうだよな、好きな女の子を思いっきり傷つけているんだもんな~」
何が言いたいんだ、兄上は――っ!
「まあ、頑張れ、としか僕には言えないけどね。なにはともあれ、もう少しだ、アシト。あともう少しで……すべてが終わる」
もう少しで終わる。
繰り返されるその言葉は、妙に私の耳に残った。
なにをもって終わりとするのかは分からない。
ただ、決意を秘めた眼差しで兄上が見据えるのは、咲き誇るアルトリの花。
兄上はそっと手を伸ばし、アルトリの花を大切に摘み取ると、その花を徐に私に差し出した。
「僕からのお守りだ」
「お守り? い…いやしかし、アルトリの花は身に着けていてはいけないと……」
そう兄上から言われて、カナンから貰ったお守りを外したのに、どういうことだ?
「カナンほどの想いは込められていないからどれだけの効果があるのかは分からない。だけど、持っていた方が良い」
なんだ、それは?
「いったい、どういうことですか?」
訝し気に問いかけると、兄上は一瞬だけ私と視線を合わせると、すぐに目を逸らした。
「もう手段を選んでいられなくなった、という事だよ、アシト」
それは私に、というより、自分自身への戒めのようにも聞こえた。
兄上は何かを隠している。
そう確信しつつも、私は何も訊けずにいた。
訊いても兄上は何も答えてはくれないと知っているから。
ならば―――
「では、私はこのままでいます。この花に頼らずに、私は必ず跳ね除けて見せますよ、兄上」
そう、私は打ち勝って見せる。
例えスティーナに魅入られようとも必ず自我を取り戻す。
そうしなければいけない。
そうでなければ、私は彼女――カナンに会わせる顔が無い。
いつかすべてが終わり、愛しいカナンをこの腕に抱きしめるためにも、まずは、自らの意思で、私はこの理不尽な強制力に抗って見せよう。
そして、今度こそ……自分の力でカナンを守る。
それは兄上にも譲らない。
カナンを守るのは、婚約者であるこの私だ。
私の決意を聞いた兄上は、一瞬驚いた顔をしてから破顔した。
「そうか…」
言葉少なに頷く兄上は、その視線をアルトリの花に向けた。
月光の下、風に揺れるアルトリの花。
その花を、兄上は――なぜか眩しそうに見つめ続けていた。
読んでくださってありがとうございました!




