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11 二人の王子 3 アシト視点

 また、カナンを傷つけてしまった。


『君はいずれカナンを失うことになるよ』


 兄上からそう言われ協力を頼まれたとはいえ、さすがにこれは堪える。


 カナンを失わないためなら、どんなことでも耐えて見せる。そう決意したはずなのに……これほど辛い事だとは思わなかった。


 胸元にそっと手を当てる。


 無い…な。

 外してしまったのだから当たり前か……。

 あるはずのものが無い。

 たったそれだけの事が、本当に心許無い。


 ずっと守られていた。

 カナンにお守りと称して渡された大切なアルトリの花の香袋は、確かに私を守っていた。


 外した今なら分かる。


 これほどスティーナに囚われる事になるとは、正直思いもしなかった……。


 身に着けていた時は、こうまでスティーナに執着はしていなかったように思う。

 確かにスティーナに惹かれてはいた。いたが、カナンを毛嫌いすることは無かった。


 これほどに違うものか……。

 ここまで、自分の感情を支配されるものなのか。


 魅入られていた間の事も、私はしっかりと覚えている。

 自分の言動がカナンを苦しめているという事も自覚している。


 カナンを深く傷つけ追い詰めているのは他でもない、この私自身…なのだから……。


「これに打ち勝たないとカナンを失う……か。失う以前に、私の心が折れそうですよ、兄上」


 誰に聞かせるわけでもない愚痴が、ため息とともに零れる。

 いくら自己嫌悪に陥りようが、後悔を繰り返そうが、スティーナに魅入られる限りどうしようもない事と分かってはいても、カナンを傷つけた事実に変わりはない。


 見上げれば、上天に差し掛かる月が、淡い光を庭園に降り注いでいた。


 そう言えば、ここだったな……。


 思い出されるのは、在りし日の誓い。


 正式に婚約を交わした後、ここで私はカナンに誓った。

 この先、例えどんな困難が降りかかろうと、私が必ず君を守って見せる、と。

 

 そう、私が守るはずだった。

 私が守らなければいけなかった。

 だが、その想いをあざ笑うかのように、魅入られた私はカナンに辛辣な言葉を投げつける。


 それに、あの時は無意識に憤っていたような気もする。

 兄上に伴われ、私を忘れたかのように笑顔を見せるカナンに……。


 いや……違う。

 あれは、あのどうしようもなく苛つくあの感情は、おそらく嫉妬だ。

 カナンを守っているのは私ではなく自分だ、とでも言いたげに手を繋ぐ兄上に―――嫉妬していた。


 その嫉妬心が、無意識に私の身体を動かすことになったのだから、それはそれでよかったのかもしれないが………。


 脳裏をちらつくのはカナンの涙。

 私の言葉に傷つき静かに涙を流す彼女を、私はスティーナに魅入られているにも関わらず、美しいと思ってしまった。

 

 今思えば、あの一瞬は自我が戻っていたような気がする。

 すぐに聞こえたスティーナの声で、元に戻ってしまってはいたが……。


 それからも、まるでカナンを糾弾しなければいけないとでも言いたげに、スティーナは行動を起こす。

 矛盾だらけのその言い分でさえ無条件に信じ込み、結果カナンを追い詰めてしまった。


 私を見る、あの何もかも諦めてしまったかのような眼差し。

 何も言わず、ただ耐えていただけのカナンに、私は最悪の言葉を投げつけていた。


『君には失望したよ』


 崩れ落ちるように倒れるカナンを見た時、私の中に揺らぎが生じた。

 おそらくそれが、自我を取り戻し始める兆候だったのだろう。

 

 ゆっくりと浮上する意識。

 スティーナへの好意が薄れ始め、湧き上がるのはカナンへの愛しい想い。


 それは、自分の人格が入れ替わったとかそういうものではない。ただなんというか、気持ちが完全に逆転するようなそんな感じに思える。かといって、これまでの言動を忘れているわけではない。そのどちらもはっきりと覚えているのだ。


 覚えているからこそ、魅入られていた時の自分の言葉と行動に腹が立つ。


 その怒りのせいなのか、その後、私はスティーナにいくら見つめられようとも、魅入られることは無かった。


 まあ、アルトリの花が会場中を舞っていたというのもあるのだろうけど……。


 そう、初めはぼんやりとしていた自我が完全に戻ったのは、アルトリの花が会場を舞い始めた時だった。


 自我が完全に戻って最初に目にしたのは、兄上に抱きかかえられるカナンの姿。

 すぐにでも駆けつけ、兄上からカナンを奪い取りたい衝動は、危ないところで押し止めた。


 あの場で、私自身がカナンの許に駆けつけるわけにはいかなかった。

 心底腹立たしいが、あの時の私に出来る事は、大切にカナンを抱きかかえる兄上を何も言わず黙って見ていることだけだ。なぜなら、あの場で私が自我を取り戻しているという事を、スティーナに知られるわけにはいかなかったのだから……。


『いいか、アシト。もし仮に、本当に仮にだけどね。運よく彼女の魅了から逃れられたとしても、まだ君は囚われたふりをするんだよ』


 協力してくれ、と言われた時に告げられた言葉。


『まあ、お守りを外した段階で君は彼女に完全に囚われることになるだろうから、よほどのことが無い限り逃れられることは無いだろうけどね。ま、念のためだよ』


『分かった。彼女に気取られるなって事だろう?』


『……ああ。後は、これからどれだけカナンを傷つけようが、君はあまり気に病むな。そのすべてが君の本心ではないことを、僕が知っているから』


『兄上が知っていても、カナンはそう受け取ってはくれない』


『それは仕方ないね。今のカナンにそれを伝えるわけにはいかないから黙っているしかない。むしろ君の態度が本心ではないと知ったら、カナンがどんな行動に出るか考えるだけで恐ろしい。知ってるだろう? 本来のカナンがどんな性格なのか』


 知っている。

 元々が感情に素直なカナンは、兄上が叱責していなかったら抑える事なんて絶対しない。

 出会ったころのカナンがそうだった。

 公爵夫妻に甘やかされていたせいか、良く言えば素直、悪く言えばわがままな性格で、城に遊びに来るたびに、私は自分のもの、とでも言いたげに付き纏っていた。まあそれはそれで可愛いと思っていたし、我儘も私を好きだからこそだと思えば微笑ましく思う。


 そんな彼女を誰にも、特に兄上に取られたくなくて結婚の約束をしたこともあったな。

 ままごとのような約束だったけど……。

 その反面、私がまだ幼いのも相まって、あまりのしつこさに本気で鬱陶しいと思うときもあったというのは、内緒だ。


 もしカナンがあのまま成長していたなら、私はこうまで好きにはならなかったと思う。いや、おそらくだが、嫌っていたかもしれない。


 だけどカナンは変わった。

 誰もが憧れるほどに完璧で美しく、そして魅力的な女性に……。


 そう成長させたのが兄上、というのも複雑な心境だけどな―――


 カナンは、良く兄上から叱責されていた。

 我儘を言ったり、他者を見下したり、民を蔑ろにしようとするたびに、脅しともつかない言葉で叱責されていた。そして最後には、決まり文句的な言葉で『そのままだと、いつかアシトに嫌われるよ』と言って大人しくさせていた。


 それを聞くたびに、笑いを堪えるのが大変だった。

 それほどに、私に嫌われたくないのか、と。


 その他にも兄上から色々言われていたようだけど、その内容までは教えてくれなかった。ただ、『見ていてくださいね、アシト様。わたくし、絶対にアシト様に相応しい女性になって見せますわ』といって、本当に努力していた。


 日々成長していくその姿に、私も負けていられない、と思うようになった。

 お互いがお互いを尊重し助け合い成長していく中で、カナンは、私にとってとても大切で愛しい存在になっていった。


 決して失えない、私の愛する―――


 そんな彼女に私はいったい何をした。

 兄上は気に病むなとは言うが、さすがにこれは無いだろう!


 今は一時自我を取り戻してはいるが、お守りもなくアルトリの花もない状態でスティーナに会えば、きっとまた囚われることになる。


 それに、カナンはカナンで私の現状を知らない。


 真に私が想いを寄せているのがスティーナだと思い込んでいる。思っているがゆえに、私を忘れようとしたら……。


 ふいに浮かぶのは、意識を失ったカナンを大切に抱きかかえる兄上の姿。


 兄上はカナンをとても大切にしている。

『カナンは妹みたいなもんだよ』と言ってはいるが、あんな優しい目で見つめるその姿に、思いたくはないけど勘ぐってしまう。


 本当は、兄上がカナンを手に入れるために、私を追いやろうとしているんじゃないか…と。


 兄上に限ってそれは無いと知ってはいるのに、そう思わずにはいられない。


 いったい、いつまでこんなことが続く。

 いったい、いつになったら、私は―――


「良い月夜だね、アシト」


 ふいに掛けられた声に驚く。

 反射的に振り向いた私の目に映ったのは、

 

「兄上……」


 ゆっくりと辺りを見渡しながら近づく、サリス兄上の姿だった。




 ★




「部屋から庭園を見下ろしたら君が見えてね。ここに居るっていう事は、今は正気なんだろう?」


 兄上の言葉に頷く。

 私の隣に立つ兄上は、なぜか手にグラス二つとワインの瓶を持っていた。


「辛いかい?」


 言わずもがな、だ。


「まあ、そんなに睨むな。とりあえず座ろう」


 いや、ここ、地面ですが?

 いくら石畳とはいえ、直接座ったら絶対に服が汚れますよ、兄上。


 突然の兄上の挙動に、思わず放心する。


「ほら、突っ立ってないで、いいから座れ」


 逆らい難い口調。

 私は言われるがままに、兄上の隣に座った。

 もちろん石畳の上に直接。


 こんなふうに座り込むなど初めてだ。

 ちらりと兄上を窺えば、妙に慣れた仕種で寛いでいた。


「飲むか?」


 渡されたのは、グラスに注がれたワイン。

 私は、返事もせずにそのワインを呷った。


「一気飲みか? すごいな。ほら」


 空になったグラスに再びワインが注がれる。


「飲んで忘れろ、とは言わないけどな、あんまり自分を追い込むな。そのままじゃ、あの女の思う壺だぞ」


 そんなこと、言われずとも分かってる。

 心が弱くなれば、それだけ隙を与えるという事も、その事で、余計に彼女に魅入られやすくなる、という事も理解している。


 それでも……っ!


「……兄上…いつまで続くんですか。こんな……」


「……もう少しだ。もう少しで……終わるよ、アシト」


 噛みしめるようにゆっくりと告げる声は、兄上にしては珍しく低い声。

 怪訝に思い兄上に視線を向けると、兄上はアルトリの花をじっと見つめていた。


「覚えているか?」


「何を?」


「前に…そうだな、確かカナンと正式に婚約する前だったか、話したことがあっただろう? とある令嬢の物語を―――」


 唐突に話を向けられ、思わず困惑する。


「覚えて…いますが……」


 兄上が面白おかしく話していた恋愛物語だったよな?

 健気な主人公が悪役令嬢に虐められ傷つきながらも幸せを掴むそんな物語。カナンと二人で聞いていて、主人公に対する悪役令嬢のあまりにもひどい振舞に二人して憤っていた覚えがある。


「その話、どう思う?」


「どう思う、と言われても……」


 兄上が何を言いたいのか分からない。

 真摯に問うその言葉から、何か意味のある事だとは思うのだが……。


「似ていると思わないか?」


「似てる?」


「そう、似てるだろう? 気付かないか? アシト」


「………?」


 似ている?

 兄上は何を―――っ!


「まさ…か……」


 思い出した。


 思い出してしまった。

 兄上が語ってくれたその物語の詳細を……。

 単なる作り話と思い込んでいた時には気付かなかった。


 そう……確かに似ているのだ。


 その物語と、今のこの現状が―――


 多少、物語とは違う個所もあるにはある。

 だが、カナンを糾弾しようとするあの場面が、どうしても物語と重なってしまう。


「で…ですが、あれは、単なる物語のはず……兄上の創作した」


「創作…ね」


「違うのですか?」


「違うよ、創作ではない。今だから言えるが、あれが予見の真相だよ」


「………っ!」


 声にならなかった。


 巷に溢れている物語をまねて兄上が作った物語だとばかり思っていたそれが、ずっと兄上が言っていた予見の真相だなんて……。


「それは…本当なのですか? 本当なのだとしたら、兄上とカナンは……」


 声が震える。

 聞くな、と胸の内で警鐘が鳴り響いて止まない。


 なぜなら、あの物語の最後は―――




「そう、僕とカナンは、命を落とす」


 









ありがとうございました!



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