第5話「青椒肉絲は美味しい」
空が赤く染まっていた。太陽がゆっくりと地平線の彼方に沈んでいき夜の気配が漂い始める。
凄惨な光景が繰り広げられた後だと、もしかしたら血のように赤い空に見えたかもしれない。実際、目の前で人が死んだ。少なからず俺はそれにショックを隠し切れなかったし、たぶん忘れることもないと思う。
しかし俺の目には血ではなくつい数時間前まで生きていた現実世界と同様の夕暮れが映っていた。それはおそらくプリムと話をしたおかげだと思っている。何故か彼女の言葉は俺の心の中に潜み蠢くどす黒い何かを消し去ってくれる。そんな気がした。
そんな天使たる彼女の言動は相変わらず独創的で、俺だけではなくウォルガンフ達も困惑させたようだった。
「私の中にいる誰かが教えてくれるんだけど……」
特徴的な出だしで始まるプリムの言葉に、俺とウォルガンフがほぼ同時に「電波系かよ」とつぶやき怪訝な表情を浮かべる。
見た目が中年男、中身が女子校生というシャルルも慣れが必要だと思ったがどうやら彼女も同様のようだ。
プリムはそんな俺達を気に留めることもなく、ある方向を指差している。綺麗な細い指の先には一羽の赤い鳥が椅子の手すりに止まっていた。
毛が鮮やかな赤で嘴が白。翼の一部分も白い。本か何かで見た記憶を遡れば「赤カナリア」という品種のはずだ。ただ本来のそれより体は大きい気がする。
プロセルピナで実在する鳥をNPCとして設定してるかどうかはわからない。ただのオブジェクトなのかも知れないが、どうやらプリムの目にはそう映らないらしい。
「この子。プレイヤーだと思う」
「いや待て。確かにこの世界だと見た目と中身は違うぜ? だがいくらなんでも鳥はねぇわ」
唖然とした様子のウォルガンフを置き俺は苦笑しながらそう彼女に語り掛けた。しかしその言葉を覆す現象が俺の目と耳を通り脳に飛び込んでくる。
「よくわかったわね。その通りよ」
「ほらな。そんなわけ……ってえぇ!?」
俺は思わず声がした方向へ見開いた瞳を動かした。
プリムの言葉に解答を下したのは目の前にいた鳥だった。信じられないことだが明らかに赤い鳥はその嘴から日本語を話していた。しかもインコなどが覚えて口ずさむ片言の日本語ではなく、まるで人間が喋っているかのように流暢な言葉だった。
よく見ると椅子の背もたれに隠れて見えなかったが足から紐が伸びていて、その先に赤いスマートフォンが繋がっている。赤カナリアは俺の肩まで羽ばたくと翼を休めた。
「女の勘って当たるのよね。よくわかるわぁ。女は子宮で物を考えるっていうしね。鳥にはないけどこの世界にくる前はついてたし」
物言いからどうやら中の人間は女性らしい。彼女は足で器用にスマートフォンの画面を押すと俺の画面にパーティの加入申請が表示される。視線を移すとそこには「ハピネス」というプレイヤーネームが見えた。
「よろしくね。リーダーさん。私はハピネス。実はあなた達を見てたわ。ワンダリングモンスターを倒した所もお仲間さんが死んだことも。そして<死神>が出たところも……」
彼女の言葉で俺は自分でもわかるほど目線が鋭くなる。
彼女は死神のことを知っているのは確かだ。パーティ申請をしているということは、死神のデメリットを承知の上での判断なのだろう。それより見ていながらアレフが死ぬ瞬間まで何もしなかったというのが俺としては少し腑に落ちなかった。
彼女はそれを見透かしているかのように「ごめんね」と言ってから言葉を続ける。
「言い訳にしかならないかもだけど、あなた達の仲間が死ぬのを見殺しにしたわけじゃないわ。何もできなかったのよ。私だってこの世界に来たばかりだから何もわからない。まずは情報を集める必要があった」
ここまで話すとハピネスは一度、俺達を見渡すかのように目配りした。
「いきなりあなた達に姿を現すことも考えたわ。でもこの姿だとまず相手にされないだろうし。だから私は観察することを選んだのよ。でもまさか一発で看破する子がいるとは思わなかったけどね」
俺は彼女の話を聞きながらパーティ申請の「承諾」をタップした。
別に彼女を責めるつもりはなかった。ワンダリングモンスターとの交戦中に下手に飛び出して巻き添えを喰らったら死ぬのは彼女だ。
それに俺はプリムが教えてくれるまで、赤カナリアがプレイヤーだとは想像もしていなかった。恐らく怪我を負ったとしてもただのオブジェクトか何かと判断して気にしなかった可能性もある。
声を出せばいいけどそれが不可能な状態だったら? そうなれば死を待つしかないじゃないか。ハピネスは冷静だったんだ。彼女がいう通り決して見捨てたわけじゃない。何もできなかったんだ。
彼女はスマートフォンのパーティ構成で自分がパーティに加入していることに気が付いたのだろう。お礼と言わんばかりに俺の頬にその柔らかい羽毛をすりよせた。
「ありがとう。いいわねぇ。イケメンの頬にすり寄るのは。リアルでいきなりやったら変態だしね。鳥もいいものだわ」
「まったく呑気なもんだぜ」
ハピネスがすり寄る光景を目の前にしてウォルガンフが呆れたと言わんばかりに肩をすくめる。何故かはわからないがプリムはどこか不機嫌そうだ。
俺は毛触りがくすぐったく感じ頬を離すとハピネスにカードの詳細を聞いた。彼女の所持するカードは「太陽」だった。
実際に見せると彼女は口にしアルカナを起動させる。すると俺達の目の前に眩い光と三本の長い尾を持つ赤き翼が羽ばたいた。ハピネスと同様に白い嘴と黒く丸い目を持ち、鮮やかな羽毛を携えた不死鳥が舞い降りる。
「ファイアロート・サンバードよ。能力は主にバフ関係。ステータス強化に自動回復。それと魔法障壁。アタッカーとしての能力はそんなに高くないけど燃焼DOTを持ってるわ」
ハピネスの言葉にウォルガンフが首を傾げる。MMORPGの経験がない彼には理解しがたい言葉が多いようだ。
「DOTてなんだ?」
「Damage over Time<ダメージオーバータイム>」
俺とプリムがほぼ同時に答えた。どうやらプリムにもMMOの経験があるらしい。
「燃焼DOTは相手の守備力も下げられる優秀なDOTだ。バフ関係やリジェネもあるならかなり頼もしい」
「お役に立てると思うわ」
彼女は自慢げに翼で礼をしてみせる。それと同時に不死鳥の姿は空気に溶け込むように消えていった。
礼をする鳥なんて見た事がないがやはりアバターだと本来の鳥とは構造でも違うのだろうか。それを言い始めれば流暢に人間の言葉を話す時点でおかしいのだから、考えても無駄なことだろうと俺は思った。
その時、「よし」と口にし突如、何かを思いついたかのように立ち上がったウォルガンフは、見つめる二人と一匹の視線を受けながらその大きな牙を見せた。どうやら笑っているようだった。
「メンバーも揃ってきたことだし。親睦会でもやろうぜ」
スタビリスの街中には大きな宿泊施設も備わっていた。RPG世界でいう「宿屋」というものだ。
「プロセルピナ」の世界は、モンスターやプレイヤーキャラ、NPC、アルカナなどは「ファンタジー世界」に即したデザインだが生活水準は「現代」という世界観で設定されている。
それを物語るように宿屋の中は、材質は日本とは違い壁が煉瓦や石でできているものの家具は現代に近い物が設置され、冷蔵庫のようなものもある。スタビリス最大の宿屋には温泉施設も用意されていた。
俺達はその宿泊施設の一つで和風のデザインで造られた「康寧亭」のキッチンが設置された広いリビングに集まっていた。大きな細長いテーブルの上には宿屋に保管されていたハムなどが山盛りになっている。それと酒の用意もあった。
宿屋にはNPCがいない。宿屋どころかこの街全体にプレイヤーを含めて動く人影は俺達しかいなかった。残りは位置が固定の商人NPCだけだ。
俺は目の前に山盛りになったハムやらベーコンの塊を眺めながら椅子に腰かけていた。隣にプリム。俺達の向かいにウォルガンフとシャルルが座っている。ハピネスはテーブルの上に止まっていた。
「飯食って親睦とかマジ日本人の発想だな」
「そりゃお前。俺達は日本人だぜ? 当然だろ」
「でも食べ物が肉ばかりって私は除け者にされてる気分だわ」
ハピネスが毛づくろいをしながら愚痴をこぼす。その慣れた嘴さばきから察するにどうやら鳥生活を満喫しているようだ。
俺はおもむろに立ち上がると冷蔵庫の中を覗き込む。冷蔵庫の中には肉の他に野菜や飲料水なども保管されていた。
さすが日本が作ったゲームだ。野菜などはどれもありふれたものだった。キッチンの方へ目を向けると調味料などもいろいろ揃っているようだ。俺は黒いコートを脱ぐと壁にかけ、灰色のシャツを腕まくりし手を洗い始める。
「肉だけだとつまんねーからなんか作るわ」
「お前。料理できんの?」
「家の事情でガキの頃から厨房に立ってるんで」
驚いた様子のウォルガンフとシャルルの視線をよそに俺は、手慣れた動きで材料を切りそろえ調理を始める。後を無言でついてきたノアトークンはズボンを掴んだまま無表情で俺を眺めていた。
興味深そうにプリムが桜色の髪を揺らしその光景を覗き込む。
「……ピーマンの細切り。タケノコの細切り。下味をつけた牛肉の細切り。オイスターソース」
材料から俺の作る料理のヒントを得たのか、彼女は指を立てて呟いた。
「青椒肉絲」
「正解」
「私も手伝う」
プリムとの連携により調理がはかどり、大皿に乗せられた青椒肉絲がおいしそうな匂いを漂わせる。彼女はまるで読心術でも使えるかのように、俺の求めることを即座に手助けしてくれた。
調味料を探す時にそれが目の前に置かれ、材料を炒める前に手元に野菜がすでに用意されている。調理が終われば手元に大皿が置かれている。俺の行動を逐一、観察しながらも彼女はスープの準備をしていた。
調理の最中、離れた場所にいるウォルガンフとシャルルの会話が耳に入る。どうやらシャルルはアレフの死を依然、引きずったままのようだ。酒を飲みつつ話を聞いているウォルガンフはそんな彼女を励ましているようだった。
彼は「飯の時くらいしけた話はよそうぜ」と笑い、「今、レヴィが美味いもの作ってるからよ」とも言っていた。頷くシャルルを一瞥し俺は微笑みながら調理を進めた。
テーブルの上に山盛りの青椒肉絲とプリムが作っていた鳥ガラベースの中華スープが並んだ。ニンニクとショウガの香りが鼻の奥をくすぐる。ハピネスの前には小皿に保管してあった細かく砕いたグラノーラが盛られていた。俺達は目の前に並ぶ料理に舌鼓をうちながら会話を弾ませた。
そして夜が訪れる。
「プロセルピナ」に来て初めての夜だった。それは現実世界と何一つ変わらない。違うことがあるとすれば、都会だと少なからずある「音」がここでは何もないことだ。
相変わらずトークンは傍から離れない。寝るかどうかはわからないがトークンをベッドに寝かしつけ、俺はその隣で横になった。
心が休まる……なんてことはなかった。むしろ一人で黙っていると不安が頭をもたげてくる。この先、デスゲームともいえるこの世界で生きていけるのだろうか。元の世界に無事帰れるのだろうか。
しかしその暗雲のような思いをかき消すように目をつぶると「彼女」の顔が見えた。その笑顔に導かれるように意識が薄くなっていく。
俺は見えない彼女の幻影に抱かれて寝た。
Damage over Time~ダメージオーバータイム。またはダメージオンタイム。時間と共に徐々にダメージを与える持続性のある魔法や攻撃のこと。