最終話「雪の中を舞う桜色の天使」
その日は住んでいる地方にしては珍しく小雪が降っていた。
俺は奇遇にもプロセルピナで着ていたアバターと似た黒いコートを羽織り、待ち合わせ場所である公園のベンチに座っていた。
スマートフォン向けMMORPG「プロセルピナ」は、事前登録ガチャの配信を中止していた。お知らせを確認したところ、重大なバグが発生したとのことで無期限延期となっていた。
朝の八時に通知がきた凛愛からのコネクトは、それ以降沈黙を守っている。試しに何気ない一言を送ってみたが反応はなかった。
あのプロセルピナでの生活は何だったのだろうか。
時間は完全に巻き戻っていた。あの死と悲しみに包まれながらも短いひと時を楽しんだ仲間との旅。そしてプリムの笑顔の記憶だけを残して。
ウォルガンフ、アレフ、シャルル、オラクル、ウィルト、ハピネス。全員、現実世界で生きているのだろうか。そしてプリム。最後の賭けで勝利した彼女は俺を守り、俺を励まし、そして現実世界へ帰してくれた。
彼女は生きているのだろうか。
俺はふとスマートフォンを手に取る。
もちろんシーリスなんているわけがない。思わず語り掛けようとするのを必死で抑えた。
何かの衝動に駆られて画像フォルダを漁る。その時、ある一枚の写真を目撃して俺の体は硬直した。
プロセルピナの康寧亭の前で全員で立っている写真だった。黒いコートと片翼の黒翼を携えた俺とその真横で可憐な笑顔を見せるプリムが目に入る。
もう一度、お前に会いたい。
俺はそう思い微笑んだ。
待ち合わせの時間。午前十時より少し前。
ベンチで半ば茫然と雲で覆われた空を眺める。ちらちらと妖精のように小さな雪が顔に舞い降りた。頭の中ではプロセルピナでの旅が走馬燈のように駆け巡っていた。
その時、後ろから凛とした可愛らしい声が響く。
「……何を感傷に浸っているの?」
俺はその声音に心の底から安堵した。まさしく聞きたかった声そのものだったからだ。
「俺だって感傷くらい浸る」
「そう」
おとなしくクールな余韻を携えそう言葉を返すと「彼女」は俺の隣に座った。
視線をゆっくりと移す。そこにいたのはセミロングの黒髪を整えた可憐な少女。まるでプリムのように白いコートを羽織った燕 凛愛だった。
彼女はじっと見つめる俺の視線に気が付いたのか、少し眉根を寄せ小首を傾げてみせた。
「何? 顔になにかついてる?」
「いんや。長かったなぁって」
「ごめん。意味わかんない」
「お前さ。夢みてなかった?」
「見てない。それより結翔。なんか変だよ?」
予想していたのとまったく違う反応に俺は思わず凛愛に顔を近づけた。突然の行動に彼女は少し驚いた様子で上半身だけを後退させる。
「……な……何?」
「お前さ。プロセルピナにいなかった?」
「何それ? プロセルピナ? 知らないそんなの。何のこと言ってるの?」
「だからプロセルピナだよ! 事前登録ガチャまわしたら転移した世界だ。そこでお前に……」
「ちょっと! ちょっとまって! 結翔。だから何のことを言ってるの?」
凛愛は本当に困惑しているように見えた。もしかして……記憶がないのか?
脳裏に浮かんだのはプリムの横たわる姿だ。俺と彼女の違い。それは「生きて」戻ったか、それとも「死んだまま」戻ったかだ。死んだ状態で戻ったのなら記憶が失われるのではないか。
「記憶がないのか?」
「記憶を失うもなにも私、何もしてないけど? やっぱり変だよ結翔。プロセルピナだっけ? 夢でも見てたんじゃない」
「いや、あれは夢じゃねぇ現実だった。そこで俺はお前に会ったんだ」
「変。やっぱり変。仮にそんな世界にいったとして当然、意識失って気が付いたら……とかでしょ?」
「その通り」
「なら私は該当しないよ。だってキミにコネクトを送ってからずっと起きていたんだから。もちろん意識ははっきりしてるよ? なんなら何してたか全部教えてあげようか?」
ある意味、冷徹とも言えるその言葉に俺は茫然と彼女を見つめる。
違うというのか? プリムは凛愛ではなかったのか?
俺の脳裏でプリムの笑顔が浮かんで、そして塵のように崩れ消え去っていった。
「……お前。プリムじゃないのか?」
「違う。私は凛愛だよ?」
その言葉に俺は愕然となって彼女から体を離した。そして視線を地面へと落とす。
凛愛が嘘をついているとは思えない。プリムは彼女ではなかった。それじゃあのプリムは……一体だれだったんだ。
プリムと過ごした日々が駆け巡る。彼女が見せた笑顔。怒った表情。涙に濡れた顔。そして死ぬ間際に見せた悲しくも希望に満ちた笑顔。それらがすべて脳内で再生され、ガラスが砕けたように欠片となってちりばめられていく。
何か大切なものを失ったような喪失感が俺を襲った。その時、うなだれるように視線を落としている俺に凛愛が語り掛ける。
「ねぇ。結翔。今、『プリム』って言った?」
「言った」
「……何でその名前を知っているの?」
「何でって俺がそのプロセルピナで彼女に会ったからだ」
力なく答える俺に凛愛が驚いた様子で詰め寄った。
「嘘でしょ?」
「嘘じゃねぇ! 俺は本当に会ったんだ! お前に似たプリムって天使に!」
「そんなわけないじゃない!」
凛愛は真剣な眼差しで俺を見つめる。明らかにプリムの存在を否定する彼女に、俺は衝動的に眉根を寄せた。
「……信じられない。まさか結翔。見たんだ」
「見たってプリムを?」
「……その……どうだったの?」
「どうだったって何が?」
「だから。……感想よ」
視線を逸らし先程の強い口調とはうって変わり、ぼそぼそと小さな声でしゃべる凛愛。そんな彼女を見て脳裏にプリムとキスした瞬間が蘇った。
「あ……いや。柔らかかったっていうか暖かかったっていうか……」
「はぁ?」
「ち……違うのか?」
「キミが何のこといってるのかわからないけど、読んだんならちゃんと感想いってよね」
彼女の言葉が何をさすのか理解できず俺は首を傾げた。
「感想って?」
「だから私の書いた小説。こっそり読んだんでしょ!?」
「いや。読んでねぇ読んでねぇ」
「そんなわけない! だってプリムって私が書いた小説のヒロインの名前なんだから!」
凛愛の口から語られた真実に俺は驚愕し絶句する。あのプリムが……凛愛が生み出したキャラクターだというのか。
力が抜け茫然とする俺に凛愛がゆっくりと近づく。そして真剣な眼差しで俺を見つめた。
「……言って。何があったか全部話して。私、信じるから」
小雪は今だ振り続ける。
人気の少ない公園のベンチに腰を下ろす凛愛の手には、銀色のスマートフォンが握られている。彼女の瞳に映る画像はあの康寧亭での全員が集合した写真だった。
俺はプロセルピナでの出来事を全て話した。事前登録ガチャを回したら気を失ってその世界にいったこと。それはゲームの世界だったこと。自分を含めて八人のメンバーがいたこと。そこでプリムに出会ったこと。如月乃愛と再会し如月綾香に出会ったこと。そして……自分以外、全員死んだこと。
凛愛は疑うことなくすべてを受け入れた。そして、自らが生み出したキャラクターと瓜二つのプリムを見て顔をほころばす。
「本当に私のイメージ通りだ。可愛いな。プリム」
「可愛かったよ。優しか……ボディブロー一回喰らったけど。まぁ優しかった」
「プリムはね。私が自分を投影して描いたキャラなの。私の駄目な部分を克服してこうありたいと思った女の子。だからそのプロセルピナにいたプリムは私の精神が宿っていたんだと思う。でもキミの話を聞く分には、おそらくプリムそのものの意思も持ってたのね。だから彼女は辛かったんだ。キミは現実世界へ戻りたい。だけど彼女はそこでしか存在できない。キミは私に会いたい。プリムはそれを理解しているけど本当はプリム自身もずっとキミと一緒にいたかった。何故なら彼女もキミが好きだったから」
「……」
「彼女の気持ちは痛いほどわかる。でもプリムはキミを現実世界へ戻すことを選んだのね。きっと私がプリムだったとしても同じことをしただろうな。だって私はキミが好きなんだから」
「凛愛……」
「プリムがその世界にいったのはきっとキミを助けるためだったんだと思う。私のかわりに彼女が舞い降りたんだ。もう一人の私として」
プリムは「本当に守護天使」だった。
凛愛の精神と記憶を持ち、それでいながらプリム本人の意思を持つ彼女は、俺を助けるために舞い降りた。そして自分の理想を捻じ曲げ俺のために現実世界へ戻る犠牲となった。
二人で帰るんだよ。
この言葉は最後までプリムが凛愛を演じていたことを意味していた。それはすべては俺を奮い起こすため。プリムを凛愛だと思っていた俺は、ワールドボス戦で彼女の言葉で大地に立つことができた。
本当は彼女は帰ることなどできないのに。
プロセルピナの最終日の夜。泣く彼女を胸元に抱き寄せた光景が脳裏に蘇る。あの時の彼女が本当のプリムだった。最後だけ自分をさらけ出した。もう二度と俺に会えないから。
俺の体にあの時、彼女を抱きしめた感触がまだ残っていた。その余韻に浸りながら俺は凛愛に視線を移した。無性にプリムが出る小説の内容が気になった。
「……なぁ。お前の書いた小説ってどんなの?」
「ファンタジー小説でね。一人の悪魔と一人の天使の物語。一人の悪魔がね。地獄での殺し合いに嫌気がさして地上へ脱出しようとするの。仲間の悪魔に攻められて片翼になった状態でも彼は諦めずに地上を目指した。そしてたまたま地上に遣わされていた天使と出会って恋に落ちるの。その天使がプリム」
「……その片翼の悪魔の名前は?」
「レヴィ」
偶然なのか。俺のプロセルピナのプレイヤーネームだ。
凛愛はソーシャルゲームをほとんどやらない。おそらく俺のプレイヤーネームも知らないだろう。
「聞いてもいいか? その小説のタイトルは?」
凛愛は胸にこみ上げるものを抑えるようにそっと手を当てると空を見上げた。
「レヴィモルテ」
その凛としていながら可憐さを秘めた声音で響かせる余韻を感じながら、俺はそのタイトルを胸に刻んだ。
何故なら俺を助け俺を愛してくれた天使が登場する小説なのだから。
一時間後。空を舞っていた小雪は消え、陽光が大地を照らしていた。
俺と凛愛はある墓石の前にいた。墓には「如月乃愛」と刻まれている。
俺達がここに来た理由は他でもない。あのプロセルピナでの最後の瞬間。彼女……如月乃愛の墓参りの約束を果たすためだ。
凛愛がそっと墓石に花を添える。色とりどりの美しく可憐な花は「プリムローズ」だった。
「ねぇ。結翔。さっきも言ったけどプリムは私の精神が宿ってる。だからね」
彼女は俺に笑顔を見せた。墓石に添えられたプリムローズのように可憐な微笑みだった。
「彼女が言ったことはすべて本当だよ?」
その言葉で脳裏にプリムの言葉が幾重にも折り重なり駆け巡る。
彼女が言っていた言葉。例えば……結婚しちゃえ……とか。
俺は自分でもわかるくらい目を徐々に見開いていく。その様子をさも楽し気に凛愛は見つめていた。
「おま……それって」
その時だ。彼女は何かに気が付いたのか俺の後ろへ視線を移した。そして一瞬、小首を傾げると言葉を紡ぐ。
「ねぇ。あの人ってもしかしてキミが言ってたプレイヤーじゃないかな? そんな気がするの」
俺は振り向いた。
その瞬間、目の前を赤い小鳥が横切っていく。白と赤が混じった翼が視界から消えた後、そこにいたのは一人の女性だった。
「まさか……ハピネスさん?」
ほんのり茶色に染めた長髪に眼鏡をかけた美しいその人は、手に花を携えていた。
そして、驚く俺を見つめ微笑んだ。
「よくわかったわね。その通りよ。レヴィ君」




