第44話「死と再生の神は舞い降りる」
紅の大地で俺はただ茫然とプリムの死体を抱きしめていた。
その体は今だ温かい。まるで生きているかのように。しかしそれが次第に冷たくなり、そして消滅する未来がすでに見えていた。
戦う気力も何もない。ただ自分にとってもっとも経験したくない恐怖がこうして現実になった。それが俺を蝕みすべてを奪っていく。
だが一人だけ。たった一人だけ俺を鼓舞する人間がいた。彼女は身動きしない俺にひたすら叫び続ける。
「レヴィさん! 立って! そして……プリムさんのメッセージを見て!」
立ってという声には何も反応できなかったのに「プリムのメッセージ」という言葉に俺の体がピクリと動く。
目の前にゆらゆらと漂うピンク色のスマートフォン。そこにはプリムからのメッセージが刻まれていた。
力のない手でそれを取り俺は覗き込む。そして書かれていた内容に目を見開いた。
「立ち上がって! お願い!」
如月乃愛の祈るような声音。それと同時にプリムからの最後の言葉が俺の心に揺さぶりをかける。
彼女のメッセージ。それは「俺達二人」で現実世界へ帰る方法だった。逆位置という切り札を見つけ出し如月乃愛の力を活用し、死神の召喚システムの穴さえついた。そして自らを犠牲にしてまで活路を開いた。
「プリムさんは私と再会して二人きりになったあの時、彼女が考えた計画の全てを私に打ち明けてくれました。プリムさんの思いを私は受け取りました。だけどそれを実行できるのはレヴィさんだけなんです! だから立ち上がって!」
目の前にぼんやりと純白の翼が見える。後ろから翼を大きく広げたプリムが俺を包み込む感覚を覚えた。幻想の中で彼女は俺の耳元に優しく囁く。
いっしょに帰りましょう? レヴィ。
力がみなぎる。恐怖は完全に消え去った。
俺の足は大地を踏みしだき、力強く立ち上がる。
「……絶望する様を満足気に眺めていたのに。あなた。まだやる気なの?」
ワールドボス「アジ・ダハーカ」の頭部にどす黒くくすぶる悪意が見えた。それは人の顔を形成している。
如月綾香だった。ワールドボスにとり憑いている彼女は、立ち上がった俺を見据えて口元に浮かべていた嘲笑をやめ、眉根を寄せる。
「絶望に苛まれ何もかも失った私と同じ目にあったあなたを、そのまま野垂れ死にさせようとしていたのに。まぁいいわ。死にたいというのなら今、ここで死になさい」
「……いや。そいつはお断りだ。前にもいった。俺達は現実世界に帰る」
「いつまでそんな甘い幻想を抱いている!? そこの女も死んだ。クエストの期限も過ぎた! 何もかも失ったお前に何ができる!」
「俺は無力さ。何もできやしねぇ。でもなぁ俺がここで心折れるわけにはいかねぇんだよ」
「……しぶとい男。ゴキブリのように叩いても叩いても這いずり回る。理想のため? 女のため? 自ら生きるため? どのみちお前の理想も生きようとする力もすべて砂でできた城よ。波にさらわれて跡形もなく潰れ去る運命でしかない!」
激情したかのように顔を歪め叫ぶ如月綾香を前にして、俺は彼女を睨みつけた。
「俺の命なんざ砂上の楼閣だ。すぐ吹き飛ぶもろいもんさ。だが土台さえあれば崩れても何度でも築き上げてみせる。現実世界とそこにいる……愛する者という地盤にな。そいつはお前ごときじゃ崩せねぇんだよ!」
俺は感じていた。自分の背中に本来なかったはずの片翼。そこに純白の翼が宿っていることを。
白と黒の翼を広げ俺はスマートフォンを空中に投げつけた。それは横方向に静止すると回転を開始し光り輝く画面から召喚魔法陣を空中に描く。それとほぼ同時に如月乃愛の凛とした声音が響き渡った。
「ラストバトルいきます! レヴィさん!」
「アルカナ。逆位置起動!」
魔法陣から眩い光の柱が天を衝く。膨大な光の海の中、神々しい純白の翼で包み込まれた美しい姿が浮かび上がった。
それを目にして如月綾香が驚愕したのか震える声を響かせた。
「ありえない! 死神のアルカナは逆位置を作成していないはずだ! 何故、起動する!?」
「……乃愛。君が作ったんだろ?」
俺はピンク色のスマートフォンに優しく語り掛けた。
「はい。死神には逆位置は存在しませんでした。だから作ったんです。器だけ。私が死ぬ寸前に微笑みかけてくれたあの女神様が入れる器を。あの方は自らの名前を言ってくださいました」
乃愛の声が優しくそして力強く響き渡る。
「死と再生の神『シルフィリア』と」
光がはじけ飛んだ。
天を衝く眩い柱が消え去った後、そこに具現化したものは美しい六枚の翼を携えた女神の姿。光り輝く銀色の髪に海のように青く輝くサファイアの瞳。小柄な体を包み込むものは青と純白を基調とした美しいローブだった。
あどけなさの残る顔だちでありながら見るものを圧倒する美しき女神。彼女は紅の大地に舞い降りると俺に背を向け前を見据える。
「……なんだ? あれはなんだ? データではない! あの時の死神と同じ。人でもない。プログラムでもない! お前はなんだ!?」
怖れを抱くように震えたじろぐ如月綾香に女神はゆっくりと言葉を綴る。
「黙れゲス女。脳漿をぶちまけたいのか?」
思わずひれ伏せたくなるほどの圧力と神々しいまでの存在感に如月綾香は黙り込んだ。そして全てを見透かすようなサファイアの瞳が俺を見つめる。
「召喚者。君の望みはなんだ?」
「あいつを倒してくれ。そして救ってくれ。あれは憎悪により歪んだ人間の成れの果てだ。あの人も乃愛も俺もここにいるべきじゃない。本来いるべき場所へ帰してくれ」
俺の答えに満足したのか、女神シルフィリアは口元をわずかにほころばすと前を見据えた。
「いいだろう。君のその願い。叶えよう」
「叶える? 叶えるだと? たった一体のアルカナで何ができる!?」
如月綾香の言葉に呼応するかのように、純白に輝く六枚の翼が広がり女神の体から青白いオーラがほとばしる。
見る者を屈服させる物理的圧力を伴った光り輝くその姿は、まさに怒れる神だ。
「人の成れの果てよ。人と獣をわけるものはなんだ?」
「……何を言っている!?」
「人とは神が人であれと生み出したもの。獣とは違い地上のすべてを蹂躙せし者。獣では人には敵わん。そして、人であることを捨てた者は人にあらず。獣だ。お前はどちらだ?」
「……」
「憎悪に身を焦がし、憎悪に身を委ね人を捨てたお前は最早、獣に等しい。如月綾香。獣に堕ちた時、お前は最初からこの者達に負けている」
女神はゆっくりと前へ歩み出る。
「そして、彼が私の召喚に成功した時点で、お前の敗北は決定事項だ」
その瞬間、竜の咆哮が大地を揺さぶる。
紅の大地をさらに赤く染め「WARNING」という文字が刻まれた範囲が展開された。AoEと呼ばれる範囲攻撃。ワールドボスのAoEはプレイヤーを問答無用で死滅させることだろう。
だが女神はまったく動じない。それどころか身動き一つせずに闇の瘴気に包まれた「アジ・ダハーカ」を見据えていた。
「死ね! たとえ高次元の存在だとしてもここは私の世界! 私こそがこの世界の神だ!」
如月綾香の怒号と共に撃ちだされるは地中より噴き出す黒炎。それは高速で大地を駆け巡り俺達の眼前まで迫る。
刹那。目の前に青白いクリスタルが展開された。
「水晶の加護」
青みを帯びた半透明のクリスタルは俺達を包み込み、黒炎はそれに弾かれ霧散して消え去った。
衝撃すら感じない。それはまるでさざ波が押し寄せ何事もなく過ぎ去っていくように。
「解放」
女神の紡ぐ言葉と同時に水晶が割れたガラスのように細かく砕け散り、跡形もなく空気中に溶けていく。
それを目撃して如月綾香は驚愕に満ちた声をあげる。
「物理完全無効!? いや魔法属性もあるから外的要因を完全にシャットアウトするのか! ……だが仮にその女神とやらで私を倒したとしても、お前はもう元の世界には帰れないはずだ!」
震える声音でそう口にする如月綾香に女神は静かに言葉を紡ぐ。
「君に問おう。召喚者。残り時間は何秒だ?」
俺はその声にピンク色のスマートフォンをかざしてみせた。
「残り十秒」
その瞬間、轟くは激しい雷光。天より地面に迸る稲妻はシルフィリアの左手に吸い込まれる。彼女の美しい手の中で雷光は眩い光の魔力となって渦を巻いた。
女神は一瞬、俺達へ視線を送り前を見据える。その時、彼女のサファイアの瞳に見たこともない文字が刻まれ、高速で流れていくのを俺は見た。
案ずるな。そう言っているように思えた。この人なら俺やプリムの願いを叶えてくれる。そう確信を得た。
「十分だ。刹那で終わらせる」
大地が揺れる。「ありえない!」という言葉を連呼しワールドボス「アジ・ダハーカ」を傀儡とする如月綾香が高速で俺達へ迫る。その目に恐怖と畏怖の念を宿しながら。
「お前! まさか乃愛の力でクエストの制限時間を改変したのか!?」
「最後にあんたが出てくると読んでいた天使がいた。そして女神が舞い降りると信じていた天使がいた。あんたを倒して救済するために。乃愛を救済するために。プリムの希望はすべてに勝利したんだ」
生み出された吹き荒れる風は女神の体を包み込んだ。その向けられる恐怖も憎悪も殺意もすべて跳ね除けるかのように。
光り輝く女神は美しい余韻を携え言葉を奏でる。
「最上位精霊魔法・神々の怒り」
刹那。降り注ぐは神の怒りを体現したかのような轟雷。
大地を揺さぶる雷鳴と衝撃が俺の体を突き抜ける。目を覆うような眩しい光が過ぎ去った後、目の前に現れたのは全身を貫かれ黒くくすぶるワールドボスの姿だった。
神々の怒りが直撃した「アジ・ダハーカ」は体を崩壊させ跡形もなく消え去る。残ったのはぼんやりと浮かぶ光の塊だった。
それは身動き一つせず空間に漂っていたが、急激に女神の手へと吸い込まれていった。
『ワールドボス「アジ・ダハーカ」耐久値消滅。最終クエスト完了』
シーリスの戦闘ログを耳にしながら、俺は目の前で起こった光景が今だ信じられず茫然と立ち尽くしていた。
「……ワンパン……かよ」
「所詮は強大とはいえ生み出されたもの。神の前では児戯に等しい」
サファイアの瞳でワールドボスが消え去った後の虚空を眺めた後、身を翻しシルフィリアはピンク色のスマートフォンへ視線を移す。そして、愛らしい笑顔を見せた。
「如月綾香は魂縛した。君といっしょにあるべき場所へと私が誘おう」
「……ありがとう……ございます。そして来て下さって本当にありがとうございました」
「気にするな。君が私の半身と似ているのでね。ついつい気にかけてしまっただけだ。彼女は以前、この世界に来たようだが今はいないな。まったくあいつの放浪癖は治りようもない」
シルフィリアが微笑んだその時、周辺が突如、光に包まれ始める。その輝く粒子は俺と腕の中で目を閉じるプリムを包み込んだ。
その時、俺は理解した。現実世界へ戻れるのだと。
「そろそろお別れのようだ。この世界は崩壊する。その前に私もいるべき場所に戻るとしよう。読書の続きがまだ残っている」
「女神様も本読むんですか?」
「最近はライトノベルとかいうものに傾向していてね。なかなか興味深い」
「神様もライトノベル読むのかよ……。それじゃ女神様。これでもどうぞ」
俺はプリムを片腕で抱きかかえると懐から一冊の文庫本を取り出した。それはベヴェルクトで拾った「哀愁のエスパーダ」だ。
そっと俺は彼女に差し出す。
「俺が読んでた小説です。よかったら」
女神はそれを受け取ると百合のように可憐な笑顔を見せてくれた。
「やれやれ。積み本が増えてしまったな。ありがとう。読ませてもらうよ」
いつまでも見続けたいほどの可愛らしさだがそれは叶わないようだった。周辺の光はもう目を覆うほど眩く輝き、女神も世界もそして……如月乃愛も消し去っていく。
もう見えなくなる寸前、乃愛の透き通った美しい声音が耳に響いた。
「レヴィさん。私と母を助けてくれてありがとうございました。もう会えないけどそれが本来のあるべき姿。ですから寂しいなんて言いません。私のぶんまで生きてください。私はずっと見守っていますから。最後に……お二人ともお幸せに」
「……あとで君の墓参りにいくよ。凛愛といっしょに」
「はい」
消えゆく言葉と同時に脳裏に如月乃愛の満面の笑みが浮かび上がる。そしてすべてが光の海に落ちていった。
その先にあるのは、どこまでも深く続く深淵の闇だった。
意識が覚醒する。
おぼろげに映るのは見慣れた天井。俺はハッと飛び起きた。
どうやらベッドの上にいたようだ。慌てて周辺を見渡す。目に映るものは見慣れた自室だった。その瞬間、俺は理解する。
現実世界に戻っていた。
いつも枕元に置いてある場所に銀色のスマートフォンが佇んでいる。俺は咄嗟に手に取って日付を確認した。
十二月二十四日クリスマスイブ。時間は朝の九時ちょうどだった。




