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第42話「蒼穹を舞う二羽の燕」

 ワールドボス戦が開始されるのは、現実世界へ帰還するためのクエスト期限の最終日。残された日数を俺はただ茫然と過ごしていた。


 何かしたくてもできない。徐々に心の中に積み上がる焦燥感。ゆっくりと無駄に時間だけが過ぎていく。だがそんな俺とは対照的にプリムは穏やかで、いつも身に着けているムクドリのエプロン姿で料理を作っていた。

 そんな時、ワールドボス戦を明日に迎えた日だった。突如、プリムが笑顔で「外にでかけない?」と俺に話しかけてきた。とくに断る理由もなかった俺はその提案にうなずく。

 

 雲一つない蒼穹の下、俺達は二人揃ってエルドラードの街並みの中を歩いていた。

 そういえば以前、彼女とこうして二人で出かけたのは混浴の時か。あの時も沈んでいた俺を気分転換させようとプリムが連れだしたのを思い出した。もしかしたら今回も同じ目的なのかもしれない。


 しかし今の状況は前回とはわけが違う。残された時間すら少ない状況でさらに相手はワールドボスだ。楽観視など到底できないし最悪、その戦闘で俺達が木っ端みじんに吹き飛ぶことすらありえる。

 むしろその可能性のほうが高い。如月綾香がプロセルピナ・ハートの一件以降、今までまったく妨害工作をしてこなかったのは、小細工をやめワールドボスで俺達を確実に始末するためではないのか。


 死のイメージと共に沸き上がる負の感情に押しつぶされそうになりながら、俺はふとプリムへ視線を移す。そこにいたのは柔らかな陽光に照らされた美しい天使。

 何故、彼女はこうも輝けるのか。何故、彼女はこの状況下でこうも明るく振る舞えるのか。何故、彼女はここまで「強い」のか。

 脳裏にふと彼女の言葉が蘇る。


「……心の拠り所か」


「うん? なんか言った? レヴィ」


「いや。何でもねぇ」


「ところでさ。今、私達ってこの世界を貸し切りしているみたいなものだね」


「乃愛とかいるじゃねぇか」


 そう口にした途端、俺はあることに気が付いた。

 銀色のスマートフォンがない。常にすぐ脇で浮遊していたからそれが当たり前になっていた。しかしこの日。シーリスは俺達を追従しなかった。

 その時、はじめて気が付いたがプリムの持つピンク色のスマートフォンも見当たらなかった。


「あれ? 乃愛とシーリスは?」


「アネシスに置いてきた」


 プリムがぼそっと呟くと俺へアメジストの瞳を向け、可憐な笑顔を見せる。


「今日は私達二人だけ。だから二人だけの話をゆっくりとできる」


 エルドラードの広場の中、絶えず水を立ち昇らせる噴水の前で、プリムはそう紡ぐとくるりと前を向く。

 俺は背中に生えた小さな天使の羽を見つめながら、噴水の脇に腰を下ろした。


「ねぇ。キミは今回のワールドボス戦。勝てないと思ってるでしょ?」


 突然、心を見透かされた発言に一瞬、身を震わす。


「……何もかも筒抜けじゃねぇか」


「暗い顔してるから。そうなんじゃないかと思ってた」


「お前の読心術には勝てねぇよ。その通りだ。いくら考えても勝てるビジョンが浮かばねぇ。……お前はどうなんだよ?」


「神頼み」


「は?」


「最終的には女神様にお願いするしかないかなぁって。そう思ってる」


 彼女の言葉に俺は苦笑した。

 最後で神頼み。確かにありえそうな話だが天使の彼女が口にすると、自分を人間界に遣わせた神に懇願しているように見えたからだ。

 

「乃愛ちゃんも言ってたけど、誰かがこの世界を見ている予感がするの」


「それが女神様だってか?」


「わからない。ただキミが言っていたブラッディノア。彼女、普段とは違っていたんでしょ?」


「ああ。そうだな。あの如月綾香が怖れたくらいだ。見た目は一緒だけど中身は……別物に見えた」


「乃愛ちゃんのいう女神様やブラッディノアの中身が何なのかわからないけど、私達や如月綾香ですら制御できない強大な存在がこの世界に来ているんだと思う。それを感じ取って如月綾香は確実に殺すためワールドボスで戦わせるという選択肢を取ったのよ。この世界における彼女の最後の武器なんだから」


「……」


「だから私は奇跡を信じたい。如月綾香が歪んだ奇跡によってこの世界を生み出したのなら、私達も奇跡を信じて起こして勝つという未来をつかみ取ってもいいんじゃないかな」


 プリムの声は穏やかでそれでいて力強かった。俺にはない強さが彼女にはあった。どんな時でも希望を捨てない強さだ。

 そんな彼女を見てあらためて思った。プリムの中身は誰なのだろうと。


 彼女は言った。心の拠り所があると。今でも強く輝く彼女はまだ「それ」が残っている証拠だ。

 そしておそらく心の拠り所とは俺のことなのだろう。そんなことを言うのは……凛愛しかいない。

 思い起こせば今までの発言や行動からすぐにそんな結論にたどり着きそうだった。だけど俺はそうしなかった。何故なら認めたくなかったからだ。彼女が死と直面するこんな世界にいることを。

 プリムの姿を思い浮かべ、そしてその姿に凛愛を重ね、俺は陽光の元で蒼穹を見上げるプリムに語り掛けた。


「なぁ。プリム」


「何?」


「お前が誰なのか今更聞こうとはしない。だけどこれだけはいっておきたい」


「……うん」


「もしお前が凛愛じゃないなら、俺はお前に彼女の幻影を重ねている馬鹿野郎だ。現実世界に帰ったらこんな男のことはもう忘れろ」


「……」


「だけどもしお前が凛愛だというのなら……。俺はお前を絶対に死なせはしない」


 優しい風が俺達を包み込んだ。舞い散る桜の花びらのように彼女の桜色の髪が揺れる。

 プリムは無言だった。だけど一瞬だけ体が震えたのを俺は見逃さなかった。彼女は何かに耐えるかのように体を硬直させ顔を下げると、ゆっくりと再び空を見上げる。

 そして囁くような声でつぶやいた。


「……やっぱり私は間違ってなかった」


 辛うじて聞こえたその言葉の意味を問おうとした瞬間、彼女はそれを制するように突如、振り向くと可憐な笑顔を見せた。


「そろそろ戻ろう?」


 俺は口から出かけた言葉を呑み込みうなずいた。




 その日の夜。

 夜が明ければワールドボス戦が開始される。当然眠ることなどできず、薄暗い部屋の中で俺はぼんやりと窓から夜空を見上げていた。

 雲一つない宝石のような空。この美しい夜空を見上げるのも今日が最後だ。明日、繰り広げられるだろう死闘を前に突如、暗く湿った恐怖が襲いかかる。

 死ぬことへの恐怖なのか。それとも現実世界に帰れないことへの恐怖か。おそらくどちらでもないだろう。

 俺は視線をベッドで横になるプリムへ向けた。


 俺が今感じている恐怖は……彼女が死ぬことに対してだ。


 じっと見つめる視線を感じたのか「眠れないの?」というプリムの声が響く。


「そりゃ寝れねぇさ。でも無理してでも寝るよ。明日は大切な日だしな。お前も寝ろよ」


 そう答えプリムのベッドから離れようとする。その時、毛布の隙間から白くやわらかい手が俺を掴んだ。

 振り向いた時、月光の中、宝石のように輝くアメジストの瞳が俺を見つめていた。


「プリム?」


「……お願い。こっちにきて」


 手を引かれ彼女は俺をベッドの中へと招き入れた。

 目の前に広がるのは薄暗く染まった天井。手は今だプリムの温かみに溢れ、心臓は徐々に鼓動を高めていく。

 その時、消え去りそうなほど小さな声がプリムから響いてくる。


「私ね。怖かったの。はじめてこの世界に来た時、周りに誰もいなくて自分が誰なのかわからなくて。ただ記憶だけあって。慌てて外に飛び出た。だけど誰もいなくて寂しくて怖くて気を失った」


「……それであんなとこにいたのか」


「だけど心の拠り所が見つかった。それで私は心から安堵したの。やっと生きる意味を見つけたって。この世界に来た意味を見つけたって。だけどね。別な感情も芽生えた。それがね。……私を苦しめる」


「苦しめる? なんで?」


「辛いの。私の中にいる彼女と相反しているから。そしてキミは彼女と会いたがっているのをわかっているから。現実になれば私は消えてしまう。だけどそれがキミの願い。そして私の願いでもあるの」


 気が付くと彼女の手は震えていた。そっと視線を移す。そこにはアメジストの瞳を涙で濡らしたプリムの姿があった。


「だけど私は本当はキミとずっと一緒にいたい。消えてしまいたくない。できることならこの世界でずっと……」


 俺は手を離すと震える彼女の体へ通し、優しく抱きしめた。

 桜色の髪を胸元に沈めながらプリムの震える声が耳に響いてくる。


「でもそれは駄目。キミの言葉で確信した。キミは現実世界に帰るべきだって。私は彼女にはなれない。私は消えなければならない。だけど今日くらいは……最後の日くらいは……キミと……一緒に……」


 ゆっくりと彼女は顔をあげる。月夜に照らされたプリムは、涙に濡れながらも女神のように美しく愛おしかった。

 次第にお互いの顔が近づいていく。


「お前が何であれ震えて泣いている女をそのまま放置なんてできねぇよ。凛愛だって抱きしめるくらいは許してくれるだろ?」


 吐息が触れるほどの距離でプリムは微笑んだ。


「うん。許してくれると思うよ……」


 ゆっくりと唇が触れ合い混ざり合った。

 彼女の両腕が艶やかに俺の首元へ回しかけられる。

 俺は彼女を両腕で抱きしめた。



 翌日。気が付いた時にはプリムの姿はそこになかった。

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