第4話「地獄に天使が舞い降りた」
血の棺ブラッティノアは笑みと共に消えていった。
残ったものはワンダリングモンスターの残骸と暗雲が立ち込めるかのように、暗く覆い尽くす死の気配だけだ。アレフの亡骸を前にして俺はこの世界の現実を知った。皆もそうだと思う。
戦いには常に死が付きまとう。平和な日本ではあり得ないそんな話がここでは現実に起きる。そんな考えが頭を過り震える俺の肩をウォルガンフの毛むくじゃらの手が軽く叩いた。
「……アレフを埋葬してやろう」
いくらなんでも死体をそのままにはできない。俺は無言で頷くとアレフの死体へと視線を移す。
その時、目の前で不可解な現象が起こっていた。血を流し死んでいたアレフの死体が忽然と姿を消していた。草の上に広がる血だまりだけが大地を赤く染めている。
すかさずスマートフォンへ視線を移した。画面はパーティメンバーを表示しているがアレフの名前はどこにもなく三人パーティになっていた。この世界では死亡した場合、自動でパーティから外され死体は時間が経つと消滅するのかもしれない。
弔うことすらできない世界。せめて黙とうだけでも捧げよう。俺は短い間、目を瞑るとうずくまるシャルルに手を差し伸べ立たせる。そして三人でスタビリスへ向かうべく歩き始めた。なるべく早くこの場を離れたかったからだ。
その時、俺は後ろで何かが動く気配を感じ振り返った。そこには木々が生い茂る光景が広がるだけだった。
数時間後。
シャルルも落ち着きを取り戻したのか、安全な街中を他の仲間がいないかどうか調べる為、歩き回っていた。彼女に言わせたら黙って座っていると気持ちが暗くなるそうだ。それならば何かしていたほうがいいらしい。
ウォルガンフは困惑したかのように頭を抱え椅子に腰かけている。数時間前の出来事が相当「こたえた」らしい。そんな中、俺は膝に乗せた無表情な幼女を前にして嘆息を漏らした。
「……んで。その目つきの悪い幼女。お前の後ついてきたんだって?」
頭を抱えたままウォルガンフが呟く。俺は無言で頷いた。
このブラッディノアを小さくしたような黒髪をツインテールに束ね黒いドレスを着た二等身の幼女は、あの遺跡前での惨劇の後、俺の後ろをついてきたらしい。スマートフォンのアルカナ情報によれば、死神のアルカナ「ブラッディノア」は対象を撃破した場合、「ノアトークン」を生成する。
トークンは「上位魔法障壁」による防御性能と「自爆」する機能を持っているようだ。残念ながら大元であるブラッディノアのような強烈な攻撃性能は持ち合わせてはいないらしい。
ノアトークンは常に召喚者に付き従うようだ。帰り道の途中でトークンに気が付き拾い上げ、街に戻った後も片時も俺から離れず常に貼りついていた。
確かに見た目は可愛らしいがあの凄惨な光景を生み出した彼女と瓜二つの容姿は正直、不気味にさえ思えた。そんな俺の気をよそにトークンはまるで人形のように瞬き一つせず身動きしない。
生物なのかどうかすらわからないが体からはほんのり温かみを感じる。髪からは僅かだが正体のわからない香しい匂いがした。
椅子が動く音が耳に響いたかと思うと、ウォルガンフが背もたれに委ねていた上半身を起こしため息を漏らす。
「せっかく異世界に来たってのによ。いるのは狼男に悪魔にオカマだぜ……っと中身は女子高生だっけか。あと無表情幼女」
「せめて可愛いエルフとか会いてぇわ」
「まったくだ。せめて美少女の一人や二人は見たいよなぁ……」
会話しながらも彼の表情は暗い。あんなことがあった後なのだから当然だと思えた。それでも何か会話をして気を紛らわさないと頭がおかしくなりそうだった。
「あー!」
ウォルガンフと俺の沈黙に満たされた空間を裂くように、中年男性の図太い声が響く。シャルルが何か見つけたようだ。見ると少し離れた位置で彼女が何かを指差している。
「美少女発見」
「なにー!?」
俺とウォルガンフが同時に椅子から立ち上がる。その勢いで膝に乗っていたトークンが無表情のままころんと地面に転がった。
トークンの細い腕を掴み持ち上げると俺は一目散にシャルルの元へ駆け寄る。彼女が指さす先に少女が仰向けに倒れている。
桜色のセミロングに整った髪は毛先だけ赤紫に染まっている。そして、頭の上には天使を象徴する光り輝く光輪が浮かんでいた。
女性らしいスタイルのよい体を包むのは、体のラインを醸し出すタイトで百合の花を連想させる純白のローブだ。そのローブの隙間から短めのスカートと白のロングブーツが見える。背中には小さな二枚の純白の翼が生えていた。
まさに地獄に舞い降りた美しい天使だ。生きているかどうか確かめる為、俺はゆっくり近づいていく。その時だった。
突如、彼女はアメジストに輝く瞳を見開くと上半身を起こす。周囲を見渡した後、紫紺の輝きは俺の姿を捉えその動きを止めた。
目線があった瞬間、彼女の顔に安堵とも受け取れる微笑みが生み出される。
「……あんたは……?」
「……君は……そっか。キミなんだ」
「ちょっとまって。ごめん。意味わかんねぇ」
「そう」
立ち上がろうとする彼女に俺は「立てる?」と手を差し伸べると、彼女は俺の様子を見て怪訝な表情を浮かべた。
「なんで幼女抱えているの?」
「いやこれトークンだよ。……っと言ってもわからないか。あとで説明する」
彼女は俺の言葉に疑いを抱く様子もなく、差し伸べた手を取り立ち上がる。そこへシャルルの鋭い声が投げかけられた。
「ちょっと。扱いが違うんですケド」
「おじさんが何か言ってる」
「おじさんじゃない! 中身は女子!」
「言論の自由は認めるけど正当性は認められない」
「うぐ……。あたし、なんかこの子。苦手だわ……」
臆することなく言葉を紡ぐ天使とたじろぐ中年魔術師。この二人のやり取りを見て俺は苦笑した。
扱いが違うと迫られても見た目が中年の男魔術師と可愛らしい女天使だと、優しく接するのはどちらかといわれたら後者だ。とはいえ天使も中身が女とは限らない。しかし何故か理由はわからないが彼女は女性らしく俺の瞳には映った。
ふと彼女の横顔を見つめる。俺の脳裏で美しい少女の横顔と記憶の中にある「彼女」の横顔が重なった。きっぱりとした口調といい醸し出す雰囲気といい「アイツ」に似ている。
彼女はこの状況に怯えている様子もなければ困惑している感じにも見えなかった。
普通に考えれば自分が意識を失い別人になっていて、さらに目の前に幼女を抱えた悪魔がいれば驚愕するか、下手すれば大絶叫を響かせることだろう。
だが彼女にはその様子が一切見られない。幼女がトークンだという俺の答えにも首を傾げる様子すらなかった。俺はどうしてもそれが気になり彼女へ言葉を投げかける。
「……なんかすげー落ち着いているように見えるけど、驚かないの?」
「まぁ確かに感覚違うし見た目も違うし日本じゃなさそうだけど。でも心の拠り所があったから平気かな」
「……心の拠り所って?」
首を傾げる俺をよそに彼女は、自分が倒れていた場所にピンク色のスマートフォンが落ちているのに気が付いて膝を折った。
恐らくそれは彼女のものだろう。その時、彼女は突如、慌てたかのように素早い動きでスマートフォンを掴むと何かを取り出し懐へしまい込んだ。
ピンク色のスマートフォンを眼前へ掲げその場にしゃがみ込むと、無言で彼女は画面を見つめている。どうやら状況を確認しているようだった。
『はじめましテ。プレイヤー「プリム」様。ご質問をどうゾ』
「この世界の状況とアルカナの詳細とクエストの詳細と召喚者の詳細と他のプレイヤーの詳細を教えて」
『……かしこまりましタ』
どうやら彼女は「プリム」というプレイヤーネームを持っているらしい。プリムの怒涛の質問攻めにシーリスがたじろいでいるようにも聞こえる。
スマートフォンから聞こえる情報に彼女は無言で耳を傾けていた。その間、背中に生えている小さな翼がまるでそれだけ別な生き物のようにパタパタと揺れている。
俺はトークンを肩車しただ黙って彼女の傍らに立っていた。
プリムのいう心の拠り所が何を意味するのかは俺にはわからない。だけどこんな異世界に来ても冷静さを保てるほどそれは彼女にとって重要なものなのだろう。ただ何故か俺は彼女とこうして近くにいると心が安らぐのを感じた。
しばらく沈黙の時間が流れる。おもむろに彼女は立ち上がるとアメジストの瞳を俺に向けた。
「ところでさ。パーティリーダーって誰なの?」
プリムの発言でそう言えばパーティリーダーを決めていなかったのを思い出し、俺は少し離れた位置で何やら話しているウォルガンフとシャルルへ声をかける。小さな声で話していたのか二人の会話内容は聞こえない。
パーティリーダーは誰にするのかという問いに二人はほぼ同時に俺を指差した。息の合ったその動きには有無を言わさぬ彼らの意思がこもっているように俺には思えた。わかりやすく言えば「押し付けられた」ことになるが人選に関しては成り行きに任せるのもいいだろう。
それに二人にはMMORPGの経験がないかもしくは少ない気配を察知していた。少なくともこの「プロセルピナ」の世界ではMMORPGの経験は必要だとアレフの一件で感じた俺は、リーダーをやるのも悪くないかもなと思った。
二人の指の動きをアメジストの瞳が追う。彼女はスマートフォンを指でタップするとパーティ参加の申請が俺の画面に表示された。迷う事無く承諾する。それは俺がパーティリーダーになった瞬間でもあった。
その後、俺は椅子に腰かけているプリムに「死神」のカードの詳細を説明した。
パーティメンバーに入ったからには彼女にはそれを知る必要があると思ったからだ。トークンの話。ワンダリングモンスターを一撃で倒した話。アレフの一件。そして「パーティメンバーが一人死んだ際に召喚可能」という極めて残虐な召喚条件。全てをプリムに話をした。
彼女は白く柔らかそうな手を膝の上に重ね黙って聞いていた。冷酷な召喚条件を耳にしても綺麗に整った眉一つ動かすことはなかった。余りに反応がないから目を開けながら寝ているのかと疑ったくらいだ。
ただ全てを見透かすように紫色に光り輝くアメジストの瞳を見つめていると、決して寝ているわけではなく「俺の発言すべてを受け入れている」ような印象を受けた。
初めて会ったであろう男の話を何故そこまで疑念を抱くことなく聞けるのか、俺にはその理由が思いつかなかった。
一通り話終えた時、彼女は微笑みながら俺に質問を投げかける。
「一つ質問いいかな?」
「なんだ?」
「キミ。彼女いるの?」
突拍子もない言葉に俺は唖然とし腕の力が抜け、肩車していたトークンがバランスを崩し無表情のまま地面に転がった。
「トークン落ちたよ?」という彼女の声に我に返り慌ててトークンを引き上げると俺は、自分でもわかるほど眉根を寄せてプリムを問い詰める。
「待て。ちょっと待て。なんでいきなりそんな話がはじまるんだよ!?」
「ちょっと聞いてみたいだけ」
この雲を掴むような掴みどころの無さは本当に「アイツ」に似ている。
触ろうとしても風に舞う木の葉のようにひらりひらりと躱していく感覚。実体がないように見えても確実にそこにいる。見ていないようでも細かい所まで俺のことを見ている。離れているように感じても本当は俺に常に寄り添っている。
アイツはそういう奴だ。目の前のプリムにも同じ感覚を覚えた。
俺は記憶の中にある笑顔とプリムの微笑みを重ねながら言葉を綴った。
「いるっていえば……いるかも」
「ずいぶん中途半端な言い方ね」
「俺自身、まだわからないっていうか踏ん切りがつかないっていうか。そんな感じなんだよ。好きって言ったわけでも言われたわけでもない」
「言葉にしてないだけなんじゃない? 本当は想いはわかっているんでしょ?」
「そう言われてみたらそうかもしれない。……ってか何でそういうこと聞くんだよ?」
「惚気話は嫌いだけど人の恋話は嫌いじゃないから。まぁ男なんだからはっきりさせちゃいなよ」
「帰ったら考えるよ。つーか初対面でいきなりそんな話、普通するか?」
俺の答えにどこか満足気に彼女は微笑みを浮かべ一点を見つめている。脈絡のない質問に何か意味がありそうだと思ったが追及はしないことにした。
逆ナンパではないことだけは確かだ。何故ならナンパする相手に恋人がいると知って喜ぶ人間を少なくとも俺は見た事がない。
彼女はおもむろに立ち上がると、笑顔で自らが握るピンク色のスマートフォンを俺に差し出す。
「キミは他人じゃないからね。自己紹介がまだだった。私はプリム」
「レヴィだ」
俺は簡潔にそう口にするとスマートフォンを受け取る。
握手代わりにスマートフォンを渡す。現実世界から自分と共に唯一、この世界に来た半身とも言えるそれを渡すのは自己紹介だけでなく「相手を信用する」ことを意味するのかもしれない。
彼女のスマートフォンの画面には「愚者」のカードが表示されていた。
俺はお返しにと自分の銀色のスマートフォンを差し出す。唯一つけている一本だけのストラップが揺れた。そのストラップにはある小さなマスコットが付けてある。
プリムはそれを見て優しく微笑んだ。