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第39話「母の願い」

 エルドラードに夜の帳が降りる。

 拠点としている宿「アネシス」は静寂に包まれていた。大きなキッチンには物言わぬ横長のテーブルが佇み、リビングでくつろいでいた人影はもはや存在しない。

 たまに聞こえたウォルガンフの笑い声も、ハピネスの羽ばたく音も、ウィルトとの奇妙なお茶会もここにはない。シャルルの話声もオラクルの妙な英単語も聞こえない。そして常に寄り添いズボンをぎゅっと握っていたノアトークンの感触も最早ない。

 ここにいるのはデータである如月乃愛を除けば俺とプリムだけだ。


 テーブルに置かれたピンク色のスマートフォンをみつめ、俺は椅子に腰かけていた。

 中央に座す如月乃愛は無言だ。彼女は今、シークレットクエストの詳細を調べている。俺達にはただ結果を待つことしかできなかった。

 部屋にかぐわしい香りが漂うと同時にプリムが奥から紅茶を手に俺に近づく。揺れる赤茶色の液体が満たされた白いティーカップを目の前に置くと、彼女は向かいの椅子に腰かけた。


「ねぇ。レヴィ。如月綾香の件、どう思う?」


「あの女が俺達を殺そうとしているのは間違いない。それなのにあの場を放棄した。それは俺が意識を失う瞬間、ブラッディノアの刃は如月綾香に届いていたんじゃないか?」


「負傷したってこと?」


「傷を負ったかどうかはわからないけどおそらくその場にはいられなくなった。あの時のブラッディノアもなんか……今までとは違ったしな。あの如月綾香が明らかに一瞬……怖れを抱いていた」


「ふむ」


「あの女がそのままおとなしくしているわけがない。俺達を確実に殺す方法を今頃、企んでるんじゃねぇかな。だから対策を練る必要がある」


「そうだね」


 プリムはうなずくと紅茶を口にいれた。そしてゆっくりとテーブルの上に置くと、アメジストの瞳が俺を見つめる。


「ねぇ。レヴィ。気が付いているとは思うけど、もし次戦闘になったら……」


「それは言うんじゃねぇ」


 彼女の言葉を俺は鋭い口調で切り捨てた。突然、耳に響くその言葉にプリムは一瞬、目を見開くと碧眼から視線を逸らした。


「その先は言うんじゃねぇ。聞きたくもない。考えたくもない。それが現実だ? だからどうした。現実だからって何もかも受け入れなきゃならねぇのか」


 彼女の言わんとしていることを俺は理解していた。もし次、戦闘になった場合……言い換えれば死神の力が必要になった場合、死ぬのはプリムだ。そして恐らく彼女はそれを受け入れるだろう。

 冗談じゃない。俺だけのこのこと現実世界へ帰れというのか。血に濡れた足で数多の屍の上を歩きながら。

 脳裏にウォルガンフの言葉が蘇る。お前は「モルテ」だ。他の人間の命を吸って最後まで生きながらえる……と。


 その時、場の空気が一気に重苦しくなるのを感じ、咄嗟に「悪かった」と短くつぶやく。プリムは俺の言葉に桜色の髪を揺らし首を横に振った。


「いいよ。キミの気持ちは知っているつもりだから」


 そうだ。彼女は俺の気持ちを知っている。だからこそ自らを犠牲にしてでも俺を現実世界へ帰そうとするような気がして、怖かった。


「はぁ……」


 突如、重い空気を切り裂いたのは乃愛の嘆息だった。


「すみません。見つかりません。シークレットクエストの詳細は不明。発生条件も不明です。困りました……」


「乃愛でもわからないのか……」


「ねぇ乃愛ちゃん。そのシークレットクエストって如月綾香が仕組んだことだよね?」


「おそらくそう思われます。プレイヤーデータを強制転送するプログラムをなんとか条件こみで組んで作成したのが、現実世界へ戻るためのクエストです。それは私が作ったものです。あの人はそのプログラムに一瞬、侵入成功して一部を改変したようです」


「つまり如月綾香しか知らないということ?」


「そうなります。プログラム作成者でも気が付かないほど巧妙に隠されたクエストです」


「それじゃ……如月綾香の持つデータに直接ハッキングできれば判明する可能性があるってことね」


 プリムの言葉に如月乃愛が驚愕したかのように大きな声をあげた。


「ちょっと待ってください! それは危険すぎます!」


「でもこのままだと私達、一生ここから動けないよ? 乃愛ちゃんならプロセルピナの深部に入れるんじゃない?」


 プロセルピナの最深部。まさに悪意が渦巻く深淵の闇だ。

 そこに到達することは如月綾香そのものに入ることを意味するようなもの。災厄を詰め込んだパンドラの箱の中にあるものは、全てのものを失った女の悲しみと殺意が生み出した憎悪の塊。でもその中心に俺達を現実世界へ帰す光に満ちた「希望」が眠っている。

 俺はゆっくりと乃愛に語り掛けた。


「……行こう。乃愛。そこに答えがあるんだろ? なら行くしかない。憎しみが渦巻こうと悲しみが泣き叫ぼうと希望があるのなら進むしかないだろ?」


「……わかりました」


 承諾した彼女の声音は決意を胸に秘めたように凛としながら、それでいて鋭かった。


「明日。場所へ案内します。ただし何が起こるかわかりません。覚悟していてください」



 

 如月乃愛に案内された場所。そこは廃墟だった。

 スタビリスからバイクで二十分ほどの距離にある街。一度、俺達が訪れた場所。死の街リブレリーアだ。物言わぬ倒壊した建物が乱立する中、乃愛に促されたどり着いたその先には一件の家が建っていた。


 廃墟とはいえリブレリーアは街並みそのものは日本と一緒だ。それを物語るように目の前に佇む家は、どこかで見覚えのある二階建ての建物だった。玄関には「如月」と書かれた表札が寂しげにぶら下がっていた。

 倒壊こそ免れているものの人気もない家を見上げた俺に如月乃愛が話しかける。


「ここ。私の家です」


「乃愛の?」


「はい。現実世界とまったく一緒の家です。私もはじめて見た時はびっくりしました」


「乃愛ちゃん。ここに如月綾香のデータがあると?」


「確認したわけではありません。でもこの作られた世界にただ一つ、現実と同じ私の育った家がある。それだけで私はここに母の全てがあると確信したんです」


「乃愛がそういうのなら間違いないだろ。入ってみよう。シーリス。敵は検知できるか?」


『ムービングオブジェクトの反応はありませン。周囲に人間の存在は確認できませン。完全に無人でス』


 シーリスの言葉に頷くと俺は扉の取っ手に手をかけた。

 鍵はかかっていない。ゆっくりと扉を開ける。視界に広がるのは薄暗い空間。二階につながる階段と奥へ進む通路が見えた。

 玄関には女物と思われる靴がいくつかある。廃墟に建っているとは考えられないほど綺麗に掃除と整理がされ、まるでつい最近まで人が住んでいたと思わせる屋内だった。

 見た目は一般的な日本の住居だ。しかしここだけ気温が下がっているかと思えるほどの冷たい空気が充満している。まるでホラーハウスか何かだ。


 背筋が凍るような不気味な気配をプリムも感じているのだろう。彼女は屋内を見渡すとぼそっとつぶやいた。


「まるで心霊スポットみたいな感じだね」


「何が悲しくて女と一緒にこんな世界で心霊ツアーしなきゃならねぇんだよ。俺は幽霊ってやつが苦手なんだ。殴れないからな!」


 俺の言葉に「ふふふ」と小刻みに笑う乃愛の声が耳に入る。


「二階は私の部屋ですが特に行っても意味はないと思います。母の部屋はリビングを抜けた先にあります」

 

 ゆっくり廊下を歩いていく。リビングにたどり着くとそこにはソファーとテーブルにテレビ。そしてキッチンが見える。どこにでもあるようなありふれた光景だ。

 リビングから二つの扉が見えた。どちらかが如月綾香の部屋だろう。そう思った俺はおもむろに一つの取っ手に手をかけた。

 ゆっくりと開けると同時にプリムの言葉が背中に投げかけられる。


「レヴィ。その部屋は駄目。やばいよ(・・・・)?」


「は?」


 彼女が言い終わらぬうちに扉が開かれた。俺の目の前に広がる光景。それは目を覆うような凄惨なものだった。

 ズタズタに切り裂かれた狼と赤カナリアの死体。血まみれの虎と大男。高所から落ちたように頭が潰れ手足があり得ない方向に曲がっている赤いローブ姿の男性の死体。そして杭が何かで壁に打ち付けられた獅子の姿。

 一瞬でそれらの情報が頭の中に叩きこまれた俺は、ゾクッとするほど背筋を凍らせ、思わず勢いよく扉を閉めた。

 扉を背にして俺は荒い息を吐く。心拍数が上がり鼓動が激しく脈打つのを感じ胸にそっと手を当てた。心配そうにアメジストの瞳が俺の顔を覗きこんだ。


「大丈夫?」


「えらいもん見ちまった。やばいな。確かにやばい。狂ってやがる」


 プリムがそんな俺の手をそっと優しく握る。彼女の温かみが俺へ伝わると同時に激しい鼓動が落ち着いていくのを感じた。


「落ち着いたかな? 長居はしないほうがよさそうだね。早いとこ探し物を済ませないと。……正解は隣の部屋かな?」


 俺は頷くとプリムの手を離しもう一つの扉を開けた。

 そこは小さな部屋だった。クローゼットの他は簡素なベッドとパソコンしかない。「端末と思われる機器を発見しました」という乃愛の声を耳にして俺達は、彼女に促されるようにパソコンの前まで移動した。

 日本製と思われるそれにピンク色のスマートフォンから伸びたケーブルを繋げ、電源ボタンを押す。すると何の問題もなくパソコンは起動した。

 画面にはデスクトップアイコンが一つもなく、ただ光が灯りまっさらな画面が映し出されているだけだ。


「……間違いありません。何も表示されていませんがこのパソコン。プロセルピナに繋がっています。では……ハッキングを開始します」


 息を呑む音と共に如月乃愛は沈黙した。俺達はその様子をただ黙って見つめている。

 ここは乃愛の家であると同時にこの世界における如月綾香の家でもある。いつここへ彼女が現れるかわからない。

 焦る気持ちが芽生えながらも俺は乃愛を信じて待ち続けた。周囲に意識を集中し、起きるかもしれない異変に身構えながら。


 数分。いや数十分たっただろうか。正確な時間はわからない。ただとてつもなく長く感じた。

 パソコンの画面に変化が現れる。それは真ん中にぽつんと浮かび上がる入力画面だった。


「……パスワード?」


「……はい。私にはここまでしか侵入できません。ここから先はパスワードを解除しないと進めません」


「厄介ね。パスワードなんて作成者のエゴで作られるものよ。正解を引き当てるには本人の感情や思想とリンクしなければならないわ」


「しかも予想の範疇ですが……不正解だった場合、何かしらの障害が発生する可能性があります。あの人のことだからそれくらいのトラップは仕掛けていると考えてよさそうです」


 俺は画面を見つめた。

 パスワードは作成者のエゴによるもの。如月綾香が考えていることなんて理解できるはずがない。原始的だがかつもっとも困難な壁。まさに難攻不落の要塞だ。

 いくら思案しても到底答えなど見つからなかった。しかしその時、目の前で桜色の髪が揺れた。プリムがおもむろに椅子に腰かける。

 

「私にやらせて」


 彼女は短くそう言葉を紡ぐと、そのしなやかな指をキーボードへと向けた。


「私ね。考えたことがあるの。如月綾香は何故この世界を作ったんだろうって。その本当の目的って何だろうって」


「俺達を殺すためじゃねぇの?」


「違うと思うわ。それは目的の一つでしかなくて、彼女が本当にこの世界でもっともやりたかったことではないと思うの」


 プリムの指がゆっくり確実に単語を打ち込んでいく。俺は黙ってその光景を見つめた。

 打ち込まれたキーワードに乃愛が「え?」と短く声をあげる。


「それは……如月乃愛をこの世界に蘇らせることだと私は思う」


 おかえりなさい乃愛。


 ローマ字でプリムが打ち込んだ言葉。それが表示されると同時に彼女の指がゆっくりとエンターキーを押す。

 その瞬間、画面が開けた。一つのファイルがぽつんとそこには表示されていた。


「パスワード解除できました! プロセルピナの最深部に侵入します!」

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