第38話「最初で最後の笑顔」
俺の目の前で心臓は鼓動を続けていた。
それはブラッディノアの刃はプロセルピナ・ハートへ届かなかったことを意味する。フリッケライガイストが死んだその瞬間に俺は意識を失い、彼女は消滅したのだろう。
多少、痛みが残る体で周辺を見渡す。如月綾香の姿はここにはなかった。
「如月綾香は?」
「あの人は……レヴィさんが意識を失ったその時、この場を立ち去りました」
「それ乃愛ちゃんから聞いてすごい不可解なの。だってその時は私も倒れていてレヴィも意識を失っていたんでしょ? ブラッディノアが消えたその時に私達を殺そうと思えば容易にできるんじゃないかしら。しかも目の前には最後のクエストが残っている状態で。それなのに何もせずに立ち去るなんてどう考えてもおかしいわ」
プリムのいう通り確かに不可解な動きだ。
あの女の目的が俺達を殺すことなら絶好の機会だったはず。それなのに何もしないその意図は何か。俺達がプロセルピナ・ハートを破壊できないだろうという絶対の自信からなのだろうか。それとも彼女にはやはり……人の心が残っているのか。
俺はゆっくりと視線を脈動するプロセルピナ・ハートへと向ける。
今は考えるのはよそう。心臓を破壊すれば現実世界へ帰れる。まずはその方法を考えるべきだ。
「とりあえず如月綾香の件は怪しいが置いておこう。まずは目の前のクエストを達成するほうが優先だ」
「それは賛成。だけどノアトークンでも壊せなかったんでしょ? どうやるの?」
「ブラッディノアで破壊しようとしていたんだが消えちまったしな。乃愛。何かヒントない?」
「レヴィさんが体力を回復させている間、実はプロセルピナ・ハートの詳細を調べていたんですが、斬撃、打撃、刺突、魔法は一切効果がないようです。もしかしたらブラッディノアであっても破壊できない可能性があります」
「ちょっと待った! それって事実上破壊不可能ってことか!?」
「そうとは言い切れませんが現状、存在するアルカナに破壊できる可能性はほぼ皆無です。もしかしたらこのことを知っているからあの人は見逃したのかも……しれません」
「……乃愛の力で何とかならないのか……?」
「申し訳ありません。無理です。チートでも改変できるのは数値上のものだけ。存在するデータそのものを変質させることは不可能です」
俺は乃愛の言葉に視線を落とした。
残された日数はあと四日しかない。その期間内に実質破壊不可能なクエスト達成条件が立ちはだかる。戻ってじっくり方法を探るやり方もあるが、再度ここへ来た時、周辺に安全が確保されている保証なんてない。
死神のアルカナが「パーティメンバーが一人死んだ際に召喚可能」である時点で俺は戦力外通告が下されている。さらに如月綾香の存在だ。彼女がおとなしく引き下がったのは意外だがまた何かしらの妨害工策はしてくることだろう。その危機を俺とプリムだけで乗り越えられるのだろうか。
今、俺達は安全だ。周りに敵はいないし如月綾香もいない。
これはハピネスが死を賭して生み出してくれたチャンスだ。これを生かさずしてどうやって彼女の思いに応えられようか。
俺は思考を巡らす。
アルカナの攻撃では実質破壊不可能。ならば……アルカナ以外の攻撃なら? もちろん素手なんて馬鹿げたことじゃない。今この場にあるもので心臓を吹き飛ばせるような何か……。
その時、誰かが俺のズボンをぎゅっと掴んだ。いつも感じるこの感覚。その記憶をたどるように俺を見上げる小さな赤い目があった。
ノアトークン。この世界にきた初日からずっと常に寄り添っていた存在。その愛らしくも無表情をつらぬいた小顔は俺に何かを訴えているように見えた。
碧眼で彼女を見つめたその瞬間、頭の中で何かがはじけ飛んだ。
「……なぁ。乃愛。斬撃も打撃も魔法も駄目なんだろ?」
「はい」
「それじゃ……爆破は?」
「爆破!? いや……それは可能かもしれませんが爆弾なんてどこにも……ましてやプロセルピナ・ハートを吹き飛ばせるほどのものなんて……」
「……ここにある」
俺はゆっくりと膝を折りノアトークンに目線を合わせると、艶のあるツインテールの頭を優しく撫でた。
トークンは嬉しそうに目を細める。今まで見たこともないその仕草に俺の胸の中を針で突き刺すような痛みが一瞬駆け抜けた。
ノアトークンには「自爆」の能力がある。破壊力は不明だがもしかしたら唯一、この世界でプロセルピナ・ハートを破壊できる可能性があった。しかしそれは彼女との永遠の別れを意味している。
ずっとトークンは俺を守っていた。時には共に戦った。最初はただの人形に過ぎなかった。だけど次第にその姿に愛らしさを覚え妹のように家族のように。そんな大切な存在へとなっていた。
「……本当はお前を失いたくない。現実世界へ帰ればお別れになるんだろうけどその時まで一緒にいたかった。だけどお前の力が今、俺達には必要なんだ」
優しくそれでいて力強く俺はそっとノアトークンを抱きしめる。
「行ってくれるか?」
腕の中で彼女がうなずいた。
手を離すとそこにあるのは無邪気で可愛らしい笑顔。それはノアトークンが見せた最初で最後の満面の笑みだった。
俺から離れると彼女はテクテクと歩き出す。途中で後ろ髪を引かれるかのように見送る俺達を一瞥し、再び歩み出した。もう振り返ることもなかった。
そしてノアトークンの小さな体がプロセルピナ・ハートへ吸い込まれるかのように消えたその瞬間、目の前に膨大な光の渦が巻き起こる。
咄嗟に前にでたプリムが「アルカナ起動!」と叫んだ。
愚者のアルカナが具現化したその瞬間。光の渦は膨張し爆ぜた。
目を覆うような眩しさと共に駆け抜けるのは吹き飛びそうなほどの爆風。一瞬で視界が、いや世界すべてが白く染まった。
視界が戻り爆風が四散したその時、俺はゆっくりと前を見つめる。そこには何もなかった。ただぽっかりと丸みを帯びた虚無の空間だけが存在している。
俺は茫然とその光景を見つめた。
「ねぇ。私達って……いつも核爆弾と寝泊まりしていたの?」
「俺。核爆弾投げつけてたんだな……」
「愚者いなきゃ全滅だね。間違いなく」
俺とプリムがお互いの翼を寄せ合い地面に座り込んだ。
力も何も入らなかった。胸の中に去来するものは、クエストをクリアしたという達成感とそれを上回る悲しさだけだった。
最初八人いた。それが今俺とプリムしかいない。これで現実世界へ帰れるかもしれない。しかしそれは数多の屍の上に成り立っている。
言葉にはできない虚しさが込み上げる中、俺の手をプリムが握った。無言でその細い指を握り返す。
「……終わったんだね」
「終わったよ。全部」
「これからどうなるのかな?」
「そりゃお前。光に包まれて次第に意識が薄れていって……そして気が付いたら現実世界ってパターンだろ」
俺は背中に寄り添っている彼女にそう返すと空を見上げた。ノアトークンの爆風によるものか頭上には巨大な穴が口をあけている。
そこから見えるのは澄み切ったような蒼穹だった。
見つめる俺の脳裏には今までのプロセルピナでの出来事が走馬燈のように駆け巡っていた。
「……レヴィさん。プリムさん」
ピンク色のスマートフォンから嗚咽が聞こえる。中にいる如月乃愛が泣いているようだった。
『マスターが泣いていまス』
「なんか感慨深くて……すみません。でもやっと……みんなあるべき場所へ帰れるんですね」
『ワタシはレヴィ様から離れられてせいせいしておりまス』
「こんな時まで減らず口かよ。まぁでもお前には世話になったな」
『やめてくださイ。気持ち悪いでス。さっさと帰ってくださイ』
「言われなくても帰るわ。乃愛は……いや。そうだな。みんなで本来いるべき場所へ帰るんだったな」
一瞬、別れを惜しむ言葉が出掛けたがそれを呑み込む。如月乃愛はもう死んだ人間なんだ。本来は会ってはいけない存在。
だから「また会いたい」なんて言えるわけがない。
「はい!」という元気のよい可憐な声音を耳にした後、無言のプリムへ言葉を紡ぐ。
「……戻る前に。なぁプリム。お前ってやっぱりさ。り……」
「待って」
言いかけた言葉をプリムの鋭い声が切り裂いた。思わず俺は彼女のほうへ振り向く。
「どうした?」
「おかしくない?」
「何が?」
「ねぇ。なんで何も起きないの?」
その言葉に俺は驚愕で目を見開き立ち上がると周囲を見渡す。
プリムの言う通りだ。何も起きていない。最後のクエストである「プロセルピナ・ハートの破壊」はクリアしたはずだ。しかし何も起きていない。
俺達はまだ……この世界にいる。
「シーリス!?」
『クエスト確認。プロセルピナ・ハートの破壊は達成していまス。しかし現実世界へ戻るためのクエストは全て達成していませン』
「なんですって!?」
もっとも驚愕したのは如月乃愛なのだろう。プリムのスマートフォンから驚きに染まった声音を響かせた後、突如、沈黙する。
おそらく調べているのだろう。プリムが立ち上がりその様子を見つめていた。
しばらくするとピンク色のスマートフォンから力ない言葉が紡ぎ出される。
「……本当です。クエストが達成されていない。ですが表示されているクエストは全て終了しています。それなのにまだ終わっていない」
「シークレットクエスト」
静かに語るプリムに俺は視線を移した。
「おそらく隠されたクエストがまだあるんだわ。そしてそれなら如月綾香がすんなりこの場を立ち去ったのは理解できる。何故なら……プロセルピナ・ハートを破壊するクエストを達成しても私達は現実世界へ帰れないからよ」
彼女の言葉に俺の脳裏にあのフリッケライガイスト戦で見せていた如月綾香の嘲笑が浮かび上がる。
おそらく今だあの女は……笑っている。




