第37話「生を貪る黒棺」
俺の目の前で物理的な圧力を伴う殺気の奔流を闘気が押し戻していく。
漆黒に光る堕天使の翼を広げ、ブラッディノアの足が大地を蹴った。まるで地面が縮んだかのような速度で迫る彼女の目の前で迎え撃つは白銀の白虎。戦斧「バイルエグゼキューション」の斬撃より刹那のタイミングで速く斬爪が鋭利な軌跡を描く。
だが彼女は爪を掻い潜ることなくその黒いドレスを引き裂かれながら、戦斧を横一文字に薙ぎ払った。刃は白虎の体を捕らえ一閃の元、胴体を切断する。
ぶちまかれた肉片と鮮血が視界を覆う中、死神は勢いをそのままに遠心力を加えた一撃をフリッケライガイストへと叩きつける。
轟くのは激しい衝撃音。突如、具現化したキングオブバベルの防壁と激突し火花を散らす。硬質な響きと共に戦斧の刃が防壁を砕いた瞬間、何かが高速で滑空しブラッディノアの左肩を貫いた。
らせん状の風を纏った砲撃。肩口を抉るその一撃により彼女の左腕はだらんと力なく下がり、傷口から大量の血液が流れ出る。しかしブラッディノアは意に介することなく四肢を躍動させた。
一閃。片腕でも充分な殺傷能力を誇るバイルエグゼキューションの刃は、ライン・ヴァイスリッターの銀色の肉体を切り裂き破壊する。しかし彼女の視界を覆うのは灼熱の炎。カイザーサーヴェラーが生み出す炎の嵐がブラッディノアの体を容赦なく焼き焦がしていく。
『血の棺ブラッディノア。耐久値五十パーセント減少』
シーリスの戦闘ログが耳に入ったその瞬間だった。
まるで腹の底から焼けるような痛みが全身を襲う。俺は思わず地面に膝をつきそうになるのを必死にこらえた。
この痛みが彼女の痛み。ブラッディノアの激戦の証。それは俺がここにくるまで感じたことがない痛み。だが本来、俺は激痛に苛まれなければならなかった。その過程を飛ばしていつも安全な場所にいてそれで戦っているつもりになっていた。
しかしそれは間違っている。痛みを感じずして何か戦いか。
俺は歯を食いしばりながらブラッディノアの六枚に広がる漆黒の翼を見据えていた。
死神の咆哮が要塞「プロセルピナ・ハート」を揺るがす。
炎に焦がされ砲撃に貫かれ、斬爪と大剣にその身を裂かれ、戦斧の刃は幾度となく塔の防壁により防がれた。フリッケライガイストの耐久値は一パーセントも減っていない。
制限時間のカウントダウンは残り二分を切っていた。
『血の棺ブラッディノア。耐久値八十パーセント減少』
冷酷に響くシーリスの戦闘ログ。それと共に俺の体を貫くのは五十パーセント減少時とは比較にならない激痛。
全身を図太い針で何度も串刺しにされるような芯に響く体の悲鳴が俺の脳を駆け巡った。一瞬、意識が飛びそうになり倒れ込む体を無理矢理、足で大地を蹴り立ち上がる。
胃から何かが逆流すると同時に俺は大量の鮮血を地面に吐き出した。
血の味が広がり自分の手にべっとりとついた赤黒いそれを眺め、俺自身に死期が迫っていることを悟る。それでも横になるプリムを一瞥し、彼女の笑顔を思い浮かべ、それを取り戻すため再び前を向いた。
「……無理です。もうやめてください! 逃げてください! このままじゃ本当に……死んでしまう……」
乃愛の悲痛な叫びがこだまする中、ブラッディノアは全身を自らの血で染め、最早動かぬ左腕を振り動いた。肌は焼け焦げ切り裂かれた足は辛うじて胴体と大地とを繋ぎ合わせている。
唯一、動く右手に握られた戦斧が唸りを上げ迫り来る獅子の力戦士の大剣を砕き一刀両断する。勢いあまって地面に刃が突き刺さったその瞬間、ライン・ヴァイスリッターの銃口が彼女を捉えた。
しかし砲撃音が響くことはなく、代わりに耳に入ったのは嘲笑を含んだ女の声だった。
「楽しい見世物だけどいい加減飽きたわね。どう? 乃愛。私の条件を呑まないかしら?」
「……条件って……何ですか?」
「私の所に来なさい乃愛。そうすれば……まぁそこの小娘は死ぬけど男のほうは逃がしてあげるわ」
「……それ。本当ですか?」
「実の娘に嘘なんてつかないわ」
乃愛が沈黙する。目の前の惨状を見せつけられ悩んでいるようだった。
俺は自分でも驚くほど小さな声でピンク色のスマートフォンに語り掛ける。
「乃愛。駄目だ」
「……レヴィさん。だって! このままじゃ本当に死んでしまうかもしれないんですよ!?」
「何度も言わせるな。如月綾香の元へいったら駄目だ」
再び沈黙する乃愛に痺れを切らしたのか如月綾香は唇を歪めた。
「そう。それじゃ死になさい」
死へのカウントダウンが一分を切ったその時、砲撃音が響き渡る。空中をすべるように切り裂く砲弾はブラッディノアの体を貫いていった。
地面に倒れ彼女から噴き出した血が赤い泉となって広がっていく。右手から離れたバイルエグゼキューションが音を立てて転がり霧散して消え去った。
「レヴィさん!」
もはや痛みも感じない。ただその乃愛の叫び声だけが薄れゆく脳裏に響いていた。
しかし命の灯火は消えてはいない。俺は生きていた。そしてその命の鼓動に呼応するかのように幽鬼のごとく揺らぐブラッディノアが立ち上がる。
おぼろげに映るその姿は闇に包まれていた。この世の全ての死を収束させたような濃密な黒の気配は、彼女の右手へ吸い込まれていく。
「……死になさいですって? この私に死になさいと? とんだ笑い話だわ。この体にいるとしても私は死神。死神にとって死など隣人に等しい。むしろただの生み出すだけの廃棄物に過ぎない。哀れな人間に見せてあげるわ。これが死を操り生を奪い世界を調整する者よ」
束ねていたツインテールの髪がほどけ長い黒髪が背中に垂れ下がる。右手に収束した闇はやがて巨大な刀身へと変貌していった。
「上位死霊武器・死神の大鎌召喚」
闇が霧散した。
俺の目に映るのは妖艶な輝きを持つ刀身からなる大鎌だった。ブラッディノアはそれを横に構える。すると甲高い音が周辺に響き渡った。
如月綾香がその姿にまるで恐怖を抱いたかのように一瞬、身を振るわせ声を張り上げる。
「フリッケライガイスト! 早くその死神を……!」
カウントダウン残り二十秒。刹那。闇が牙を剥いた。
横一文字に繰り出された大鎌の一撃は、漆黒の軌跡を描きフリッケライガイストへ高速で迫る。その白刃は具現化したキングオブバベルの防壁をいとも容易く切り裂き、亡霊の体へ刀身を滑り込ませた。
一閃。斬撃が光となって通り過ぎた後、フリッケライガイストの体は上下に分断されゆっくりと上半身が滑り落ちていく。血煙を噴き出すこともなく亡霊の姿は空間に溶けるように消滅した。
大鎌を消し去ったブラッディノアがゆっくりと振り向く。その真紅の瞳と自身の碧眼を交差させた瞬間、俺の意識は闇の底へ沈んでいった。
その時、ブラッディノアの声が聞こえたような気がした。
「よく耐えたわね。召喚者。あなたの勝ちよ」
薄れる意識の中、何かが聞こえる。
女の声だ。聞き覚えのある凛としたそれでいて可愛らしい声。俺が守りたかった声。俺が聞きたかった声。
俺は心の中で安堵した。
「……レヴィさんの耐久値回復しました。もう大丈夫です」
……この声は乃愛か。
俺はゆっくりと目を開ける。視界が今だ定まらない中、後頭部に感じるのは柔らかく温かい感触。
碧眼と紫紺の輝きが交錯した。どうやら俺はプリムに膝枕をしてもらっているようだ。彼女は笑顔を見せつつもそのアメジストの瞳は涙に濡れていた。
形のよい整った唇が言葉を紡ぐ。
「……本当にキミは馬鹿だね。私なんて放置してさっさとプロセルピナ・ハートを破壊すれば帰れたのに」
「……んなことできるかよ。命を賭してくれたハピネスさんのためにも……俺達で現実世界に帰らないとだめだろうが。お前のほうが馬鹿だ」
「……ほんと。……そうだね」
プリムはゆっくりと俺の頭を抱きしめた。




