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第35話「プロセルピナ・ハート」

 プロセルピナ・ハート。それは蒼穹の下、海に浮かぶ球体の要塞。

 現実世界へ戻るのに必要なクエストの最後の舞台だ。如月綾香から逃げる際、たまたま見つけた「心臓」は当初、海路かもしくは空中からの侵入を考えていた。しかし現地に三人で調査に赴いた際、乃愛が内部への侵入通路を確保した。

 

 目の前に広がるのは宝石を溶かしたかのように美しく青い海。俺達は海底を歩いていた。

 地上に繋がるトンネル状の通路は海底を通り要塞の最深部に繋がっている。頭上を見たこともない奇妙な魚が泳ぐ光景はさながら水族館のようだ。いきなりクラーケンと呼ばれる人間を一飲みできるほどの巨大なイカが横切った時はさすがに驚いたが。


 二十分ほど歩いただろうか。目の前に重々しい金属の扉が佇んでいた。おそらくプロセルピナ・ハートへの入り口だろう。

 注意深く観察してみたが鍵穴らしきものはない。そもそも扉という表現すら怪しい。何故なら取っ手すらないのだから。


 開ける手段もなく途方に暮れていたその時、プリムがおもむろにピンク色のスマートフォンを取り出した。そして、何かに促されるかのように扉を念入りに調べ始める。

 俺はパタパタと可愛らしく動く小さな翼を眺めながら彼女へ話しかけた。


「なんかあった?」


「うーん。乃愛ちゃんを接続できる端子かなんかあれば入れそうなんだけど……」


「私達も探しましょうか?」


「いや。ここはプリムの電波に任せたほうがいいんじゃね?」


 右肩にノアトークン。左肩にハピネスを乗せ俺はぼそっと呟いた。この手の探し物は超感覚を持つプリムやノアトークンに任せたほうがいい。もっともトークンは「イチゴのショートケーキ」が必須になるが。

 その時、小刻みに動いていた天使の羽がピンとそそりたつ。怒った時もそうだったがアバターの翼は、彼女の感情とリンクしているように見える。それから察するにどうやら何か見つけたようだ。


「これでいいかな?」


「問題ありません。すぐに終わります」


 ピンク色のスマートフォンから伸びたケーブルが扉の端子に接続された数十秒後。まるで自らの意思で開いたかのように扉が口を開ける。その光景を目の当たりにして俺達は感嘆の声を漏らした。


 要塞内は薄暗く、何かが発光しているのか時より赤い光が周辺を照らす。映画か何かで見た宇宙船の内部を探索しているような感覚だ。壁は鉄でできているのかひんやりと冷たい。

 俺達はゆっくりと要塞内の狭い通路を歩いていく。


 敵の気配はない。シーリスの索敵でも検知しないようだった。

 要塞内がMobで埋め尽くされているのではないかという不安は、どうやら思い過ごしで終わりそうだ。多少、拍子抜けとも思える静寂さに足取りも徐々に早くなっていく。


 突き進むこと数分。突然視界が開けた。

 見上げるほど天井が高いドーム型の空間。遮蔽物もないまるで闘技場を思わせるその場所は、戦闘の高揚と湿気を帯びた悪意に満ち溢れていた。


 その中央に何かがくすぶっている。窓から陽光が差し込む中、まるで取り残された闇夜の残滓はゆっくりと立ち上がった。その瞬間、体を突き抜けるのは針で刺すような物理的な圧力を伴う殺気だった。

 瞳に映るその姿は、幽鬼のように揺らぐ黒いローブを着た亡霊だ。


「……おいでなすったぜ」


『データにありませン。未知のモンスターでス』


「どのみち敵なのは間違いねぇ。プリムとハピネスさんはアルカナ起動。ノア。いくぞ」


 俺の声に呼応するようにプリムの眼前に愚者のアルカナが出現する。そしてハピネスが羽ばたくと同時に光り輝く不死鳥「ファイアロート・サンバード」が具現化した。

 ノアトークンが戦斧「バイルエグゼキューション」を構え、闇を見据える。その時乃愛の声が響いた。


「プロセルピナのデータベースにハッキング。データ照合完了しました。対象は……ネームドモンスター<神秘の継ぎ当て幽霊フリッケライガイスト・ジ・アルカナ>」



「……アルカナ!?」


 聞きなれたその言葉に目を見開いた瞬間、幾度となく耳にしたあの言葉が闇から発せられる。


「アルカナ起動」


 砲撃。ドーム内を揺らす発射音と共に砲弾が空間を突き抜ける。しかしその鉄の塊は臨戦態勢だったプリムの愚者により軌道を捻じ曲げられた。

 残響が耳に残る中、紅蓮の炎が闇を呑み込む。ファイアロート・サンバードによる炎の壁(ファイアウォール)だ。

 だが燃え盛る炎に身を焦がすことなく闇の周辺に火球が渦を巻く。高速で叩きつけられた業火は不死鳥が生み出した魔法障壁により眼前で赤く弾けた。


 刹那。火炎の海をノアトークンが切り裂く。回転運動により唸る戦斧の刃は、斬撃の竜巻と化してフリッケライガイストへ迫った。

 煌めく白刃。しかしそれは闇の前に突如、具現化した巨大な盾を思わせる建造物により弾き返される。それは塔のようにも見えた。

 空中でくるくると回転しながらノアトークンは俺の右腕に戻ってくる。俺は鋭い瞳を闇へと向けた。


「こいつ……アルカナを召喚するのか」


 初撃はライン・ヴァイスリッターの砲撃。その後の炎を防いだのはファイアロート・サンバードの魔法障壁。火球はカイザーサーヴェラー。最後のトークンの刃を防いだのは見たこともないアルカナだが、塔を模しているということは……キングオブバベルか。

 おそらくSRのアルカナをすべて扱えると見るべきだ。正直、今の戦力で「勝てる相手じゃない」と思えた。

 俺はフリッケライガイストから目を離すことなく、プリムとハピネスに声をかける。


「……プリム。ハピネスさん。あいつはやばい。正直、このメンバーで勝てる気がしない。なんとかこの場から離脱してさっさとプロセルピナ・ハートを破壊したほうが手っ取り早い」


「同感だわ。冗談じゃない強さよ。まともに相手してたら命がいくつあっても足りないわね」


「今、乃愛ちゃんに心臓の位置を検索してもらっているわ。そこまで私が時間稼ぐってことでいいかな?」


 素早くプリムの横顔を一瞥する。険しい表情を浮かべる彼女の頬を一筋の汗が伝っていた。

 彼女も気が付いているようだった。周辺から体を圧迫する極度の緊張感と突き刺す殺気。今、対峙する相手が「とんでもない化け物」だといういことに。


 その瞬間、フリッケライガイストが動く。音もなく地をすべるような素早さで躍動する黒い影にプリムが前へ出る。「アルカナ起動」という呪詛を思わせる不気味な言葉と共に、光り輝く白虎が獲物を狙う猛獣のごとく疾駆した。

 鋭利に煌めく三連の斬撃。だがそれは愚者により無理矢理、軌道を捻じ曲げられ、虎の腕は切り裂くべき対象とは真逆へ空間を裂く。

 その時だった。彼女の視界にはあるべき姿がなかった。漆黒の闇は白虎を囮としプリムの背後へまわっていた。


「プリム! 後ろだ!」


 俺の声とほぼ同時に察知したであろうプリムが死角である背面へ愚者を転回させる。刹那。ほんの一瞬だけ早くフリッケライガイストの腕が彼女の左腕をとらえた。

 青白く不気味なその腕は、掴むのではなくプリムの体を「素通り」していく。直後、亡霊の眼前に愚者が割り込むように入り込むと闇は弾かれ後退した。

 プリムは咄嗟に自らの左腕を見ていた。駆け寄った俺の瞳にも普段通りの美しい肌しかみえない。


「大丈夫か!?」


「……問題なさそう。ちょっと油断できない……け……ど……」


 急激に力が抜けたように彼女は俺の体に倒れ込んだ。目をつぶりまったく身動きをしないプリムの左腕には、先程までなかった刻印が見える。


「シーリス! 被害報告!」


『「呪い」の状態異常にかかっていまス。対処法はわかりませン』


「わからない!?」


『ハイ。未知の状態異常でス。徐々にプリム様の耐久値が減っていまス』


 会話中に急激に迫る殺気。咄嗟に視界をその方向へ向けると、フリッケライガイストがまるで蛇のように地を素早く這う。繰り出された白虎の斬爪をファイアロート・サンバードの魔法障壁が防いだ。

 斬撃と障壁が衝突する火花が目前で散る中、乃愛の声が響き渡る。


「プロセルピナ・ハートの所在を確認! プリムさんの呪いのデバフは早急にワクチンの作成に入ります!」


「レヴィ君!」


 赤と白が混ざった翼を羽ばたかせハピネスが俺の眼前に舞った。俺は何故かその姿に不安を感じた。何か大事なものを失ってしまう。そんな恐怖だ。


「乃愛さんのワクチンがいつ完成するかわからないわ。それに目的はプロセルピナ・ハートの破壊のはず。それならばプリムさんを助けることを含めて、心臓を破壊するのがもっとも効率的だわ。ここは私にまかせて先に行きなさい」


「任せろだって!? こいつ相手にあんた一人に任せろっていうのか!? 無理に決まってんだろ!」


「落ち着きなさいレヴィ君。他に方法はないでしょう? どのみちあなたでは身を守る術はない。魔法障壁で時間を稼げる私が適任よ。違う?」


 斬爪が幾重にも煌めき魔法障壁を衝撃が襲う中、その言葉に納得せざるを得ず黙り込む。そんな俺にハピネスはウィンクするかのように片目をつぶってみせた。


「大丈夫よ。高級ステーキの約束もあるし簡単には死なないわ。無謀と思われるかもしれないけど私にも作戦があるのよ? それにいざとなったら即死回避で死んだふりでもしてやり過ごすわ。その間にレヴィ君は心臓を壊すこと。それで仲良く現実世界へ帰れるわ」


「……わかった。この三人で生きて帰るって約束してくれ」


「もちろんよ」


 碧眼とつぶらな瞳が交錯する中、俺は短くそう言うとプリムを抱きかかえ乃愛が提示するルートへ一目散に走り出した。

 視界に一瞬、ハピネスが映る。

 まるで自分の弟を見守るような。慈愛に満ち溢れながら……別れの悲しみを内包したような。そんな姿だった。

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