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第30話「悪意の権化たる美女は冷笑を浮かべる」

 時々、突き抜ける木々のせせらぎが俺の霞色の髪をなびかせた。


 すぐ脇に銀色のスマートフォンが宙に浮き、目の前には深緑に彩られた木々が静かに佇んでいる。可愛らしいツバメのマークが刻まれた巨木の根元に俺は腰を下ろすと、膝にノアトークンを座らせた。


 今頃、再会した二人は女子トークに花を咲かせているのだろう。俺は空を覆うように伸びる葉の隙間からこぼれ落ちる陽光を見上げ、先程までの乃愛との会話を思い出していた。


 彼女は言った。俺達がこの世界に来た時、データが送信されてきた……と。


 ウィルトの予想通り、俺達の体は現実世界の体ではなく「データに精神が移植された」だけの存在なのかもしれない。それはオンラインゲームでのPCを操作しているのとなんら変わらない。ただ中に魂が入っているかいないかだ。


 俺はおもむろにスマートフォンを手に取りクエスト一覧を覗き込む。「現実世界への帰還」の条件となっている「すべてのクエストのクリア」の項目は残り一個だけだ。

 内容はプロセルピナハートの破壊。詳細はわからない。場所も不明だ。しかしこれが終われば俺達の戦いも終焉を迎える。


 今までの戦いが脳裏を過った。ロイヤルリザードマンとの初戦闘。ホーンドサーペントとの激闘。空気を読まないバフォメットとの激戦。そして……世界蛇ミドガルズオルムとの死闘。死の影を落とすように暗くくすぶり散っていったアレフやシャルル。康寧亭(こうねいてい)での安泰とした日々。プリムの笑顔。それら全てが浮かんでは消えていく。


 俺はクエスト一覧を閉じた。代わりに表示されるものは一枚のスクリーンショットだ。アレフを除く全員が康寧亭(こうねいてい)の前で立っているその画像は、シーリスが撮影し全員のスマートフォンに転送したものだ。

 笑顔で立つメンバーの画像を見ながら俺はつぶやいた。


「……高級ステーキ。食えるのかな」




 あれからどれくらい時間がたっただろうか。

 女子二人はよほど盛り上がっているのか一向に出てくる気配がない。シーリスも沈黙を貫いている。減らず口を叩くプログラムだが何も言わないと寂しさを感じるものだ。


 優しく肌を撫でる風と陽光がもたらす温かみに包まれているととたんに眠気が襲ってくる。次第に意識が薄らいでいく中、俺を覚醒させたのは膝でおとなしく座っていたノアトークンだった。


 彼女は突如、飛び上がり俺の前に立つと右手に戦斧「バイルエグゼキューション」を召喚する。そして一点を凝視し体を硬直させた。

 ノアトークンが見つめる先に一人の女性が立っている。先程まで視界には映っていなかった。感知できる意識の外から突然、この世界に具現化したかのような感覚だった。


 女性らしい肢体に灰色のローブを身に着けている。頭から同じ色の布をかぶり表情は見えない。背中へ長く美しい黒髪が垂れ下がっていた。

 少なからずモンスターの類ではなさそうだ。しかし注意深く見ればその体から暗く湿った闇が噴出しているのが見て取れた。


「うふふふ。その先にいるのでしょう? 通してもらえないかしら?」


 人間の女の声音。不気味なほど澄んだその声は乃愛を連想させた。

 女が醸し出す殺気とすら感じ取れる気配に背筋を震わせながら、俺は鋭い瞳で見据える。


「そいつは……無理だな。自宅に怪しい人はいれないだろう? そういうこった」


「あら。ご挨拶ね。母親が娘に会いにきたのに門前払いなんて」


 母親。そのキーワードで驚愕し目を見開く俺の前で、彼女はゆっくりと顔に覆いかぶさる布を引き上げた。

 中から現れたのは美しき薔薇のように端正な顔立ち。如月乃愛をそのまま成熟させたような妖艶な美女だ。

 しかしその薔薇には棘がある。生き血を滴らせたその先端で心臓をえぐり出しそうな鋭利さで。


「……帰ってくれねぇかな? 今、乃愛の奴はお友達と楽しい女子会の真っ最中でね。あんたはお呼びじゃないらしいさ」


「失礼ね。女子会なら私だって参加できるわ」


「年齢制限に引っかかってるんだよ」


「うふふふ。それは残念。さすがに歳だけはどうしようもないわ」


 にじり寄ってくる彼女に押し出されるようにじりじりと後退しながら、俺は状況を打開するべく思考を巡らせた。

 その言動。その殺意にも似たどす黒い悪意。まさに目の前にいる女は「如月綾香」だ。もし彼女がこのプロセルピナの世界において「GM」と同じ位置にいるのなら……戦ったところで勝てる見込みなんて現状はない。PCがGMに勝つなんて天地がひっくり返っても無理な話だ。

 しかしここで俺だけ逃げるわけにはいかなかった。奴の狙いは乃愛だ。彼女を失うわけにはいかない。


 脳裏に過るのは真後ろにある扉。それをシーリスが開けた記憶だ。おそらく厳重なプロテクトがかけられているはず。いくら如月綾香でもすぐには解除できないだろう。

 中にいる乃愛とプリムが気が付けば扉が開いた瞬間に飛び込んでロック。その後、乃愛が用意しているだろう別ルートからの離脱でこの窮地を脱せられるはずだ。

 どのみち時間を稼ぐ必要がある。


 ねっとりとした冷気をまとった空気が周辺を包み込んだ。冷たく濃密な闇の気配に背筋が凍るのを感じながら、俺は目の前の女を見据え言葉を紡ぐ。


「母親ってんなら娘が会いたがってないの理解して、いったん身を引くべきじゃねぇの?」


「部外者のあなたにそんなこと言われる筋合いはないわね。乃愛が本当はどう思っているのかなんてあなたには理解できないでしょう?」


「いいや俺にはわかるね。思春期の男子は意外とそういうの敏感なんだぜ? 乃愛はあんたに会いたくない。あんたは彼女に会うべきじゃねぇよ。乃愛は俺達でしばらく面倒みるからさ。帰ってくれ」


「そう。どうやらあなたは娘をたぶらかす悪いお友達って存在かしら? それじゃ母親としてあなたを排除して娘を更生させないと……ね」


 悪意が寒気をともないざわついた。

 腰まで伸びた長い髪の毛先が人の手のような形状へ変化する。それは意思を持つように指を広げ、俺を握りつぶさんと空を切った。


 一閃。縦方向に煌めいた白刃が女の毛先を切り落とす。首元まで伸びた瞬間、繰り出したノアトークンの戦斧による斬撃だった。本体から断たれた手の形を模した毛先は、ばらばらになって地上へ落ちていく。

 その瞬間、俺の腕を何かが掴む。それは後ろの方角……つまり乃愛達がいた扉から白く美しい手が伸びていた。引っ張られると同時に交差する碧眼と紫紺の輝き。俺は咄嗟に残った右手でノアトークンの体を掴んだ。

 扉に引き込まれる瞬間、憎悪が眼前で膨らんだ。


「……なんだ? お前は誰だ(・・・・・)? なぜ断りもなく異物が混入している? 私の楽園に許しもしない存在が何故いる!?」


 闇が膨張すると同時に響き渡る呪詛の言葉。刹那。扉が閉められた。

 暗い通路をプリムと共に走る。乃愛の部屋にたどり着くと彼女は慌てたかのようにノートパソコンに向かっていた。


「誤算でした。まさか本人が直接くるなんて!」


「あの化けモン。やっぱり……?」


「如月綾香。私の母ですよ!」


『セキュリティシステム。レベル二まで突破されましタ。コンピューターウィルスを検知。防壁プログラムを次々と書き換え無効化している模様』


「嘘!? 早すぎ!」


「子も子なら親も親だな……。打開策は!?」


「今から新しいプログラムを組んでいる時間はありません。この場を放棄します。今、私のプログラムをシーリスへダウンロードしています! そこまでセキュリティが持ってくれればいいんですが……」


「……私のプログラムって?」


 理解できない彼女の言葉に俺は首を傾げた。その時気が付く。如月乃愛の体が空間に溶けていくかのように徐々に薄くなっていくのを。

 彼女は振り向き俺に笑顔を見せた。


「私に実体はありません。プログラムが人の形をしているだけです。如月乃愛という人格が宿ったプログラム。それが今の私です」


 目の前にいる可憐な笑顔を見せる乃愛は実体のないプログラム。

 信じられないその言葉に俺は震える手を彼女へ伸ばす。しかしその指先は乃愛の言葉を裏付けるように彼女の体を素通りしていった。

 不可解な現象に思わず指をひっこめた俺に「ね?」と彼女は笑って見せた。その笑顔が徐々に光の粒子となって消滅していく。

 

「シーリスの中でずっと見守ります」と言葉を残し如月乃愛の体は完全に消滅した。


『セキュリティシステム。レベル四を突破されましタ。対象。エリアに侵入しまス!』


「ダウンロード完了しました! 脱出ルート確保。あの人がきます! 走ってください!」


 シーリスの声に混じり、プリムのスマートフォンから声が響く。それは紛れもない如月乃愛の声だった。

 その瞬間、バタンッと扉が勢いよく開く音が耳に入る。部屋に流れ込んでくるのは湿気を帯びた闇。暗闇に包まれた通路の奥から濃密な悪意は俺達を見据えていた。

 ゾッとする寒気に背筋を凍らすと俺は咄嗟にプリムの手を掴み走り始めた。部屋から伸びたトンネル状の通路へ身を乗り出す。


「まてぇええええええっ!」


 響き渡る呪詛の声。俺は走りながら振り向いた。

 見ると暗闇の中、灰色の女がこちらを睨みつけている。その瞬間、彼女の体が前方に倒れ込むと無数に髪から生えた手が体を持ち上げ、節足動物特有の素早い動きで大地を駆けた。顔だけは俺達を見据え、狂気と悪意に湛えた瞳が妖しく光り輝く。

 さながらその姿は蜘蛛の化け物である「アラクネ」のようだった。後ろに視線を移したプリムが悪寒が走るのか体を身震いさせる。


「うわっ。きもっ」


「プリムッ! 飛べない!?」


「通路せまくて無理! っていうかレヴィ。走るの速すぎて……」


 見ると如月綾香は高速で地面を這うように俺達へ迫っていた。手を引きすぐ後ろで走るプリムは、俺の速度に体がついていけず体勢を崩しかけている。

 俺は咄嗟に彼女を抱きかかえるとさらに走る速度を加速させた。背中を掴む感触はどうやらノアトークンが必死にしがみついているようだ。

 両手に抱きかかえられ縮こまるプリムは俺の碧眼を見つめおとなしくしている。「わぁ。大胆」という乃愛の驚嘆の声を耳に響かせ俺は漂うスマートフォンに声を張り上げた。


「乃愛! この通路どこまで続く!? このままじゃ追いつかれるぞ!?」


「もうすぐ終点です。ですが気をつけてください。この先は……」


 彼女の言葉が言い終わらぬうちに目の前の空間が開く。そこは雲一つない晴天だった。しかしあるはずのものが存在しない。

 それは大地を踏みしめるはずの接地感だ。俺の体は虚空に投げ出されていた。


「海に面した崖です!」


「それを早くいえぇぇぇぇ!」


 俺の驚愕の叫びがこだまする中、はるか上空から海面へと真っ逆さまに落ちていく。周りに掴むものなど何一つない。俺達が駆け抜けた通路が空にぽっかり浮かんでいるのが視界に入る中、背中に空間を突き抜ける風圧を感じた。

 このまま落下した場合、落下ダメージだけでおそらく死ぬ。そんな考えが脳裏をよぎった瞬間、「飛行(フライト)!」という声と共に俺の体は空中で停止した。


 純白の翼を羽ばたかせたプリムが俺の手を握っている。背中の黒翼にぶら下がる感触はおそらくノアトークンだろう。九死に一生を得た俺は安堵感からほっと胸をなで下ろした。

 如月綾香は降ってこない。ここからは小さくて見えないがまだ脱出通路の中にいるようだ。


「……思った通りです。飛行プログラムはまだ組んでいないみたいですね。ですがあの人のことですからその場で即興で組み上げて追ってくる可能性もあります。早く離脱しましょう」


「同感。シーリス。ここから近い場所にバイクを移動できる?」


『ここから一キロメートル先に車両を自動運転にて移動させていまス』


「OK。それじゃその場所を送信して」


『かしこまりましタ。プリム様』


 プリムはピンク色のスマートフォンを眺め場所を確認したのか頷いてみせる。左手にぶらさがる俺はその光景を一瞥すると何気なく前を見つめた。

 透き通る青空の下。海の上にぽつんと何かが浮かんでいる。よく見ると大陸から離れた要塞のように俺の目には映った。それはドームのように球体でまるで金属でできたボールが海の上を漂っているかのようだった。

 俺はおもむろに指を差すと言葉を紡ぐ。

 

「シーリス。あれなんだ?」


『情報にありませン。すみませン。わかりませン』


「データベースにハッキングしました。あれは……<プロセルピナ・ハート>と呼ばれるこの世界の中枢です。用途は不明」


 俺は如月乃愛の声に驚愕して目を見開いた。あの大海に浮かぶ球体の要塞こそ「全てのクエストクリア」に必要な最後のクエスト「プロセルピナハートの破壊」の達成に必要な施設だ。

 おそらくあの要塞の中枢を破壊することでクエストクリアになると思われる。そして俺達はついに……現実世界に帰れるんだ。

 

「あれが……<プロセルピナハート>」


「ざっと見ても移動用の通路はないな。海路かもしくは上空からか。別な移動手段もあるかもしれねぇ。あとで調べてみよう。乃愛もいるんだ。きっと何とかなるさ」


 そう言い見上げるとそこにはプリムの笑顔があった。蒼穹の下、光に包まれた暖かい微笑みを見つめ「行こう」と俺は彼女に語り掛ける。

 光り輝く翼が羽ばたき俺達の体は大海原を駆けていった。


 その時、銀色のスマートフォンに通知音が鳴る。

 画面に表示されているのはパーティチャットだった。相手はハピネスだ。彼女の言葉は短く最悪の状況が書き込まれていた。


 ウィルトが死んだ……と。

GM~ゲームマスターの略。

PC~プレイヤーキャラクターの略。

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