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第3話「死をばらまく美しき棺」

 目の前には草原が広がっていた。

 汚泥のように淀んだ空はいつの間にか晴れ、青空を覗かせている。青いペンキの上に白い絵の具を落としたようにぽつぽつと白い雲が空にこびりついていた。


 石でできた城壁に囲まれた「スタビリス」の街の外に四人は立っていた。俺は草原を見渡し黒いフードをめくる。霞色の髪を風がなびかせた。森林のせせらぎがどこからともなく耳に響いてくる。


 元の世界に戻るには「全てのクエストクリア」が必要。クエスト一覧にはそう表示されている。

 シーリスに問うと「よくわかりませン」の一点張りだった。このクエスト報酬が正確なのかもわからない。

 そもそもMMORPGである「プロセルピナ」で「現実世界へ戻る」というクエスト報酬の存在自体がおかしい。本当にこの世界が「ゲームの世界」なのであれば……正確に言えば「ゲームの内容にそった世界」なのであればそのような報酬などあり得ないからだ。


 ガチャを引いた瞬間にこの世界へ来たという異変と同様に、「プロセルピナ」という「ゲームの世界」においても「本来あり得ない」現象が起きている。シーリスが答えられないのはその為だ。

 だからといって街の中に引きこもっているわけにもいかない。事実かどうかは別としても「元の世界に帰る」という方法を現在の時点で達成できる可能性があるのは「全てのクエストクリア」しかなく、しかも期間は「二十日」と決まっている。


 突如、地獄に放り投げられた俺達に垂らされた唯一の蜘蛛の糸だ。ならばクエストクリアに向けてやれることはするべきだというのが全員の総意だった。


 まず俺達が考えたのは「アルカナの制御」だ。

 戦闘を介さないクエストもあるが、中には「ネームドモンスターの討伐」なども含まれているのを確認している。


 ネームドモンスターとは徘徊せず固定の場所にいる固有名詞を持つモンスターで、だいたいはアクティブだ。他のMobと比べて強力でオーラなどを纏っているのでわかりやすい。今までのMMORPGの経験上、単体で挑むのは無謀だ。


 しかし、いずれは挑む相手。街の近くにいる弱いMobで戦い方を学ぶ必要があると感じて俺達は今、こうして街を出たわけだ。

 シーリスの声がスマートフォンから響く。


『街の周辺にいるムービングオブジェクトは単体でも非常に弱い対象となっていまス』


 彼女の言葉を裏付けるかのように俺達の目の前には、大きい灰色の鼠や蜘蛛の姿が浮かび上がりあてもなく徘徊している。

 おそらくMobの中では最弱。こちらに注意を向けないところを見るとノンアクティブらしい。それを視界に収め、シャルルが言葉を紡いだ。


「ちょっとやってみるわ。アルカナ起動!」


 彼女の言葉とほぼ同時に浮かび上がるスマートフォンから魔法陣が浮かび上がる。光が溢れ生み出されたそれは、全身を赤く染めたローブに身を包む魔術師「皇魔カイザーサーヴェラー」だ。


 皇魔は鼠をターゲットと認識したのか、その灰色の体へ向け手をかざした。どうやらアルカナは指示がない場合オートターゲットのようだ。

 その瞬間、手の平から燃え盛る火球が生み出され撃ち出される。それは一直線に鼠へ迫りその体は紅蓮の炎に包まれて消し炭となった。


「……すげぇ」


 俺含め一同が感嘆の声を上げた。もっとも一番驚いていたのはシャルルだろう。驚愕したのか目を見開いて固まっていた。それは当然だ。今、彼女が行使した「魔法」というものは、現実世界では間違いなく手に入れることができない力なのだから。


 最初は驚いた様子の彼女だったが次第にそれは喜びへと変わるのが見て取れた。

 

 仮想世界でしか持ち得ない魔法という力。それを手に入れたことによる優越感が彼女にもたらされているのかも知れない。だが俺は、喜びに目を輝かせる中年魔術師を見て一瞬、その狂気にも感じ取れる瞳の光に一抹の不安を感じた。


 先程の魔法ですっかり気をよくしたのだろう。シャルルが声を張り上げる。


「さぁ。もうちょっとやってみましょうよ」


 俺達はその言葉に頷き、もう少し先へ進むことにした。


 街の周辺は鼠と蜘蛛しかいない。さすがにこの相手では練習にさえならない様子だった。俺達はもう少し強いMobを探す為、鼠の群れを掻き分け森林の奥へと進んでいく。

 森林の中は静寂に包まれ、空から降り注ぐ陽の光が木々の隙間に差し込み幻想的な光景を醸し出していた。


 木の幹に触れ、深緑の匂いを鼻で感じ俺はここが現実世界と一緒だと知った。

 見た目も違う。モンスターとか魔法とか現実世界ではあり得ないものもある。しかし五感で脳に届く情報は現実世界のそれと一緒だった。つまりそれは「死ぬ」ことも一緒なのだろうかという考えが頭の中を過る。

 

 森林を抜けると遺跡のような建物が鎮座していた。半分が木々に覆われ伸びた蔦が迷路のように石の壁を這っていた。


 遺跡の前は広場のようになっていた。奥に入り口があり周りは草原が広がっている。その時、アレフが何かを見つけたのか俺達の前へ歩み出た。


 彼が指さす先には一体のトカゲの頭に鎧をきた体つきが大きいMobが立っている。こちらに気が付いていないのかふらふらと周辺を漂うように移動していた。

 

「他のモンスターより強そうだけど一体しかいないし大丈夫だろう。あいつで練習してみよう」


 アレフもシャルルのアルカナを見て早く試してみたい気持ちがあったのだろう。逸る気持ちを抑え切れない様子で小走りにMobへ近づいていく。


 その時、俺はトカゲ頭のMobを凝視した。他の弱いMobとは違い、「ロイヤルリザードマン」という名前がついている。そしてその体からは僅かにオーラが漲っていた。


 俺は自分でもわかるくらい目を見開く。目の前のMobは明らかに違うからだ。それは「ネームドモンスター」と同じ様相を呈しているのだから。一瞬で全身に悪寒が走るのを感じる。

 思わず俺は足が地につかない様子のアレフへ大声で叫んだ。


「近づくな! ワンダリングモンスターだ!」


 背中に突如、投げつけられた大声に驚いたかのようにアレフが振り向く。その瞬間だった。

 ロイヤルリザードマンは標的をアレフに定めたのか突如、動き出す。その手にする湾曲の刃がアレフの体を切り裂いた。血しぶきをあげ崩れるアレフを前にして、金切り声にも似たシャルルの悲鳴が響き渡る。


「痛いぃぃぃぃ! 痛いぃぃぃぃ!」


 彼女の悲鳴を覆い尽くすほどの大きさでアレフの絶叫が森を揺さぶる。


 俺とウォルガンフがほぼ同時に飛び出した。倒れるアレフに追撃を加えんと刃を振り上げるロイヤルリザードマンの前に純白の騎士が立ちはだかる。

 下半身に戦車の車輪を持ち右手に槍。左手に大砲を持つ騎士「ライン・ヴァイスリッター」だ。ウォルガンフのアルカナだった。


 振り下ろす一撃をヴァイスリッターが体で抑え込む。金属音が響き渡りその白い鎧の表面に火花が散った。


『ライン・ヴァイスリッター。耐久値三パーセント減少。残り九十七パーセントでス』


 シーリスの戦闘ログが響く中、俺は荒い息を吐き血を流すアレフの元へ駆け寄る。傷は背中から脇腹にかけて切り裂かれていた。

 自らの手に生暖かい血がつく。そして鼻に漂う血の臭い。全てが現実のものだった。大きな胸元を上下させ、苦悶の表情を浮かべるアレフに視線を落とし、俺はシーリスへ叫んだ。


「アレフの状況は!?」


出血(ブリーディング)の状態異常に侵されていまス。早く止血してくださイ。もしくは治癒(キュアヒーリング)が必要でス』


 俺は周囲を見渡す。だが止血に使えそうな布も何もない。自分の服を破ろうとしたがアバターなせいだろうか。千切ることはできなかった。

 ふとシャルルを一瞥する。彼女は目の前の状態に腰を抜かしている状態だった。その時、ウォルガンフの声が響き渡る。


「……早く何とかしてくれ! コイツ。強い!」


 彼も慣れないアルカナで苦戦しているようだった。ライン・ヴァイスリッターは手にする槍で何度もロイヤルリザードマンの体を穿つが、その巨躯は動きが衰えることを知らない。

 幾度も火花が散る中、シーリスの戦闘ログによるとライン・ヴァイスリッターの耐久値は二十パーセント減少していた。俺はシャルルに視線を移すと声を張り上げる。


「シャルル! アレフさんを頼む!」


 その声にムチでも打たれたかのように体を震わせた彼女は、腰が引けながらもアレフの元へと駆け寄ってくる。それを目にして俺は立ち上がった。


 死神のカードの詳細はわからない。正直、不気味な気配を漂わせるこのLRのアルカナを使う気にはなれなかった。俺は怖かった。この死神が死をまき散らしそうな気がしてならなかったからだ。

 だが今は仲間の死が現実に迫っている。躊躇している余裕などなかった。俺は鋭い瞳を前に向け横で宙に浮くスマートフォンへと口を開く。


「……アルカナ起動!」


 俺の声が響き渡る。だが返ってきた答えは予想を覆すものだった。


『できませン』


「なんでだよ!?」


『死神の召喚条件を満たしていませン』


 俺はその言葉にスマートフォンを手に取ると画面へ視線を落とす。だがそこに死神の召喚条件など表示されてはいなかった。

 焦りが沸き上がるのを感じた俺は、思わずスマートフォンを草原の上へ叩きつける。その時、草の上に転がる画面から何かが耳に響いた。


『……出血(ブリーディング)によりプレイヤーアレフ様の耐久値が消失しましタ。アレフ様の死亡を確認』


 俺の動きが止まる。アレフの傍らにいたシャルルへ視線を移すと彼女は顔面を蒼白とさせ、小刻みに体を震わせていた。


 草原の上に転がったスマートフォンがゆっくりと俺のすぐ脇へ宙を漂い戻ってくる。地面へ叩きつけたにも関わらず傷も汚れさえ一つない銀色のスマートフォンの画面には、パーティメンバー一覧が表示されていた。

 その中のアレフの項目にある表示が「EXIST」という青い文字から「DEATH」という赤い文字へと切り替わっていた。


 DEATH……死。今、目の前で人が死んだ。理不尽に冷酷に無残に命が一つ消えた。それが俺に現実を思い知らせる。この世界は死で溢れている場所なのだと。

 その時、スマートフォンからシーリスの言葉が耳に響いた。


『……死神の召喚条件を満たしましタ(・・・・・・)。召喚しますカ?』


 画面に映る死神のカードの詳細に文字が浮かび上がっていた。それは「召喚条件を満たした」と同時に開放されたアルカナの情報だ。


 パーティメンバーの一人が死亡した時、召喚可能。


 そう表示されている。

 死と共に開かれる召喚陣はまさに死の神にふさわしいのかもしれない。俺の目の前に恐怖と死が詰まったパンドラの箱が置かれているような気分だった。それが放たれたらどんな厄災が降り注ぐかわからない。


 だが現実世界へ戻る為なら俺は悪魔でも死神でも自らへ手を差し伸べるならば、それを掴まなければならないのだろうか。アレフの命はもう戻らない。ならば今やるべきことは、他の仲間を自分を生き残らせることではないか。

 俺はゆっくりと言葉を紡いだ。


「……アルカナ。起動」


 銀色のスマートフォンが光を放った。

 空中に浮かび上がる召喚陣より眩い光と共に黒い物体が浮かび上がる。それは背中に生えた黒翼により全身を覆っている人型のアルカナだった。

 

 漆黒の六枚に及ぶ翼を広げ、「彼女」は舞い降りる。黒髪をツインテールに整え、黒く染色されたドレスのスカートが揺らいだ。美しい容姿を持つ少女は、口元を歪ませ血のように赤い瞳を輝かせる。


『ようこソ。血の棺「ブラッディノア」』


 俺は茫然と少女を見つめていた。

 その美しさと全身から醸し出される死の気配に圧倒される。まさにそこにいたのは少女の姿を借りた「死の権化」だ。


 死神が舞い降りた瞬間、ロイヤルリザードマンは少女を見据えその足が大地を蹴った。目の前にいるライン・ヴァイスリッターの脇を駆け抜け、湾曲した剣の切っ先を彼女へ向ける。


 空気を裂く音と共に白刃が煌めいた瞬間、少女の目の前で鮮血が舞う。それは彼女が流したものではなくリザードマンの赤黒い血だった。ブラッディノアの右手にだらんと血を滴らせた何かがぶら下がっている。それはワンダリングモンスターのちぎれた左腕だった。


 血が滴る左腕の肉を彼女は噛みちぎる。目の前で繰り広げられる凄惨な光景にシャルルが吐き気をもよおし嘔吐していたのが見えた。ブラッディノアは咀嚼した後、口から血に塗れた肉片を吐き出す。


「……まずい」


 そう言葉を漏らし彼女は血のついた口元を拭う。同時にシーリスの声が響いた。


『ロイヤルリザードマンの体組織の摂取成功。体組織の解析終了。最も適した武器を転送しまス。お受け取りくださイ。ブラッディノア』


 召喚陣より浮かび上がるのは両刀の戦斧だった。まるで地獄の亡者の叫びを思わせるどす黒いオーラを纏い、全てを死に帰すであろう残酷な光を放つ刃は持ち主がその手に掴むのを待っていた。

 ブラッディノアは黒光りする戦斧を一瞥すると満足気に微笑む。


「素敵な武器ね」


 細い右手が戦斧の柄を握った。重厚感あふれる戦斧はまるで彼女の体の一部であるかのように軽々と宙を舞う。口元にほほえみを浮かべたまま、ブラッディノアは刃を向けるロイヤルリザードマンへゆっくりと歩み寄った。

 それと同時に一瞬、リザードマンの体を何かが覆う。まるでそれはガラス質を思わせる透明な壁のようだった。


『対象が物理防壁を展開。解除しますカ?』


「ノー」


『バイルエグゼキューションの出力を最大にするとメンバーに被害が出る可能性がありまス。出力を抑えますカ?』


「ノー」


『では、全力で対象を破壊しますカ?』


 シーリスのその言葉が耳に響いた瞬間、彼女は歓喜に満ち溢れるかのように目を見開き口元を歪ませる。


「イエス! それが私の存在意義なのだから!」


 目の前で戦斧の殺傷範囲にロイヤルリザードマンが侵入した刹那。妖しい光を放つ分厚い刃が唸りを上げた。


 繰り出された斬撃は黒い光の軌跡を生み、展開された物理防壁を易々と破壊するとリザードマンの胴体を真っ二つに切断する。その一撃はモンスターの体を突き抜け、軌道の延長線上にある木々も一瞬でなぎ倒していった。


 崩れ去る木々が次々と大地を震わせる中、苦戦したワンダリングモンスターを一撃で葬り、尚且つ木々まで「開拓」したその威力に驚き、俺は茫然と死神を見据えた。


 だが彼女の動きはそれで終わらない。頭上で刃を返すと大地に転がるロイヤルリザードマンの体へ戦斧を振り下ろした。幾度も刃を振り下ろすその光景に俺は戦慄を覚え大地に膝をついた。

 血と肉片が飛び散る中、シーリスの声が響く。


『ブラッディノア。対象はすでに死んでいまス。攻撃を中断してくださイ』


 だが彼女の凶行は止まらない。ようやく戦斧がその動きを止めた時、地面にはもはや原型を留めていない血に塗れた何かが散らばっていた。


過剰殺戮(オーバーキル)。対象完全破壊。お疲れさまでしタ。ブラッディノア』


 目に余る凄惨な光景に恐怖し体を小刻みに震わせる俺に少女はゆっくりと近づく。全身に血の臭いと死の予感を漂わせながら、美しい顔を俺に寄せた。

 その整った口が美しく冷酷な声を響かせる。


「……どう? 私を使役する気分は? どう? この世界で頂点に立てる気分は? 私を使えばあなたはこの世界の支配者にもなれる。どう? 素晴らしい世界でしょう?」


 漂う血の臭い。バラバラになった肉片。死に横たわるかつての仲間。戦慄を覚えたかのように震える仲間達。


 こんな世界が理想なわけがない。こんな世界が素晴らしいわけがない。こんな世界で頂点に立って何になるというのか。

 目の前の惨状が俺に教えてくれた。この世界は地獄だ。常に亡者が手を伸ばし死へと引き込む理不尽なデスゲームだ。

 俺は視線を落とすと震える口で言葉を紡いだ。


「……冗談じゃない。くそったれな世界だ」


Mob~ムービングオブジェクト。ゲーム中に存在するオブジェクトの中でプレイヤーによって操作されていないもの。MMORPGでは敵モンスターをさす。

ワンダリングモンスター~徘徊しているモンスター。

ノンアクティブ~ノンアクティブモンスター。PC<プレイヤーキャラクター>が攻撃しない限りは攻撃してこない敵。能動的にターゲットを取らない敵。

アクティブ~アクティブモンスター。PCが攻撃しなくとも能動的に攻撃してくる敵。



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