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第29話「黒曜石の瞳と可憐な薔薇」

 爽やかな風が俺の体を突き抜けていく。


 温かい柔らかな日差しを天に浮かぶ太陽が地上へ注ぐ中、ノアトークンとプリムを乗せて俺の運転するバイクが大地を疾走していた。

 シーリスの話だと周辺にMobの存在は確認できないらしい。ちらっとバックミラーを見ると上機嫌な様子のプリムが桜色の髪を風になびかせていた。

 俺との二人旅は気楽でいいらしい。彼女の開放的な気持ちよささえ伺わせる表情がそう物語っていた。


 パーティメンバーは全員、古都エルドラードへ戻っていた。

 スタビリスからレイドボスの脅威が過ぎ去った今、留まる必要なんてないからだ。オラクルは蒼ざめた顔は変わらずだが普段通り食事を取り、エルドラードへ到着後、簡単なクエストにも協力してくれている。しかし彼特有の英単語を混ぜた口調を言うことはなかった。


 そしてエルドラードでのクエストが片付き、ついに残りが一つとなった時、再びあのNPCがシーリスを通して訴えてきた。

 ノアだ。ウィルトがいう「本来ゲームには存在しないはずのNPC」である彼女が依頼するクエスト。それは受諾者が俺とプリムだけに限定されている。内容は「ある研究室へ来てほしい」というものだった。


 ミドガルズオルム戦の時、乃愛は言っていた。「時期がきたら何らかのアクションを起こす」と。それがこの限定クエストなのではないだろうか。

 迷うことなく俺とプリムは受諾した。そして今、指定された場所へバイクを走らせている。


 背中にプリムが抱きつく感触を覚える。彼女の肩にはスタビリスのファンシーショップで購入した「ツバメのぬいぐるみ」が入ったバッグが揺れていた。


「ねぇ。乃愛ちゃん喜ぶかな?」


「ぬいぐるみが嫌いな女とかいねぇだろ。大丈夫さ。イチゴのショートケーキもあれば完璧だったな」


 その言葉に呼応するようにノアトークンの首がぐりんと回り俺を見つめる。物欲しそうな彼女の表情に俺は苦笑した。




 生い茂る森林の中にそれはあった。

 シーリスの案内で車一台がようやく入れるほどの細道を抜けた先、周りの木々より一際大きな巨木の根元で俺達は立ち止まる。周辺は深緑で覆われ視界に映るものは、枝から伸びた葉の隙間から差し込む陽光以外に動く生き物の気配すらない。


 風の音すらしない静寂に包まれた世界。その一角に奇妙なものが存在した。

 それは巨木に刻まれた見た事もない印だった。騎士団の紋章とか国旗とかそういう堅苦しいものではなく、もっとくだけているというか「可愛い」とさえ感じさせる形だった。


 丸い円の中に可愛らしくデフォルメされたツバメが描かれている。しかも精密に刻まれていないその形状からおそらく手書きだと思われた。


『レヴィ様。ワタシをその紋章の前へかざしてくださイ』


 シーリスに促されたまま俺は銀色のスマートフォンをツバメの紋章へ近づけた。すると目の前の空間に一瞬、光が走り木々だけが映し出されていた光景にぽつんと青白い扉が浮かび上がる。

 外壁も何もない。それはまるで景色そのものに扉が取り付けられているかのようだった。

 俺はゆっくりと扉に備え付けられた取っ手を回す。扉があった部分だけ景色が切り取られていた。目の前に浮かぶその空間は虚空の闇だ。


『ゆっくり真っ直ぐ歩いてくださイ』


 シーリスの案内の元、俺はプリムの手を握ると虚空へ身を乗り出す。闇の中で足に伝わる接地感。暗闇に形成された通路を空中に漂うシーリスを先頭に歩いていく。


 突如、視界が開けた。

 まるでそこだけが別世界のように光が溢れる温かい空間。目に飛び込んできた光景に俺は驚いて目を見開いた。何故なら、それは俺が求めてやまないものだからだ。


 俺達が足を踏み入れた場所はプロセルピナの世界ではない。どこかで見覚えのある現実世界の一室だった。

 机の上にはノートパソコンが置かれ、周辺には本が置かれた書棚とぬいぐるみが佇むベッドが設置されている。その様相からどうやら女性の部屋と推測できた。

 ノートパソコンの前に車椅子があった。そこに長い黒髪が見える。車椅子に腰かけた彼女は振り向くことなく言葉を紡いだ。

 

「すみません。ちょっとそのまま待っていてもらえますか?」


 小鳥がさえずるような可愛らしい声音。聞き覚えのあるその声に俺の脳裏にある少女の顔が浮かぶ。


「……如月乃愛」


 俺の声に彼女が反応した。

 ノートパソコンを打つ指が止まり、車椅子に手をかけるとくるりと車輪を回転させる。美しい黒髪が揺れた。俺とプリムの目の前で笑顔を見せる少女は、紛れもなく死んだはずの如月乃愛だった。


「はい。おひさしぶりです。レヴィさん。プリムさん」


「おひさしぶり。乃愛ちゃん。……はい。これ。プレゼント」


「わぁ。ありがとうございます。すみません。ベッドの上に置いてもらっていいですか?」


 まるで生きていた時のようにツバメのぬいぐるみを喜び、また再会を楽しみ会話するプリムと乃愛を見て俺は半ば茫然と立っていた。


 あの辛い別れを経験した如月乃愛が目の前にいること。その再会の喜びと死んだ人間が今、ここにいることの不可解さが俺をそうさせた。

 トークンやブラッディノアの「中にはいっている」時と目の前に実際にいるのとではインパクトがまったく違う。本当に「生きているんだな」と実感させるには十分すぎた。

 その時、アメジストの瞳と黒曜石の瞳がほぼ同時に俺をみつめる。


「キミ。どうしたの?」


「……あー。いやわりぃ。ちょっとぼーっとしてた」


「乃愛ちゃんの綺麗さに見惚れたのかな?」


「そんな。プリムさんのほうが綺麗ですよ」


「……なぁ。乃愛」


 二人の会話を遮るように俺は彼女へ話しかけた。

 胸が熱くなるような歓喜と彼女と分かち合いたい楽しむべき時間がここにある。そして、死んだ人間がここで生きているという神秘的な事象を含めて、その全てが心の中で混ざり合い花を開こうとする。

 しかしそれを抑えてでも俺は知らなければならなかった。この世界のことを。彼女のことを。


「聞きたいことがあるんだ」




 小さく丸い可愛らしいテーブル。

 椅子に腰かけ黒曜石の輝きを見つめる碧眼と紫紺。俺とプリムの視線が注がれる中、如月乃愛は言葉を紡ぐ。


 彼女の病気。筋萎縮性側索硬化症きんいしゅくせいそくさくこうかしょうといい、筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経変性疾患で呼吸筋麻痺により死亡する難病。彼女の場合、生きても二十歳は迎えられないと宣告されていた。

 この世界にいる彼女はその病気から解放されているらしい。車椅子は変わらずではあるが。


 そしてこのプロセルピナという世界。

 彼女がここで意識を持った時、俺達はまだ来ていなかったという。もちろん彼女にもこの世界がどうしてできたのか。なぜ死んだはずなのにここにいるのかはわからなかったそうだ。

 その後、彼女は自分という存在がどうなっているのか調べた。そして自分がこの世界に干渉できる方法を持っていることに気が付いた。

 さらに彼女は知る。この世界が自らの母親が生み出した世界だということを。


「そんな時に外部からデータが送信されてきました。それがレヴィさん達だったんです。私はその時、母の思惑を理解しました。だからサポートすることに決めたんです。シーリスを使って」


「シーリスを使ってって……もしかして彼女が言ってた『マスター』って……」


「はい。私です。シーリスは私がサポート用に作成したプログラムです」


 美しい薔薇の花びらのように可憐な笑顔を見せる乃愛を見つめた後、俺はスマートフォンへ視線を移した。

 時より減らず口を叩くこのシーリスは、彼女が俺達を助けるために生み出したものだった。考えてみれば俺はこのプログラムに何度も助けられていた。


「それと……そのレイドボス入れ替えガチャはお役に立てましたか? レイドボスと戦うことをシーリスから知ってなんとか手を貸せないかなぁと思って急遽、作成したんですが……」


「あれ。乃愛ちゃんが作ったものだったの?」


「はい。あの……言いにくいんですけど……」


「レヴィが爆死するのが心配だった?」


「爆死の話はもうやめろ」


 プリムの話にすかさず割り込むと、乃愛は申し訳なさそうに視線を落としながら口ごもりつつ言葉を紡ぐ。


「その……爆死されるとアイテムが手に入りませんし……かといってベリルの無駄使いも駄目だなぁと思って」


 彼女は唐突に顔を上げると、そこには開き直ったかのように爽やかな笑顔を見せていた。


「思い切って確率操作しました! SR率八十パーセントまで!」


「……あぁ。やっぱりな」


「レヴィにしては運が良すぎると思ったんだよね……」


 プリムの言葉に俺は苦笑する。それと同時にある希望が芽生えていた。

 目の前にいる乃愛には、それだけの力がある。この世界でおこる事象を改変できる力が。それがあればこの先、有利に進めるだけでなく元の世界へ戻るという目的がさらに現実味を帯びてくる。

 

 しかし、仮に現実世界へ戻ったらこの世界にいる乃愛はどうなるのか。彼女はこのままこの世界で一人生きていくのだろうか。それとも消滅してしまうのだろうか。

 希望と共に湧き出る寂しさを心にとどめながら俺は乃愛を見つめた。


「なぁ。乃愛」


「はい?」


「もし俺達が現実世界に戻ったら……君はどうなるんだ?」


 その言葉に彼女の顔から笑みが消えた。黒曜石の瞳はじっと俺を見つめている。彼女は俺の心に去来する寂しさを感じ取っているようだった。

 ゆっくりと乃愛の整った唇が美しい声音を綴る。


「……正直な話。どうなるかわかりません。この世界に留まるのか。それとも消滅してしまうのか。仮に消滅するとしても……私はレヴィさん達を現実世界へ帰します」


「……」


「そんな顔しないでください。どうせ私はすでに死んでいる人間なんです。再びこうして会えただけで奇跡のようなものです。でもこの奇跡は嬉しい反面、本来あってはならないものです」


 俺の想いを恐らくプリムも感じ取っているのだろう。彼女も俺同様に笑みが消え去り寂しげな表情を浮かべている。そんな二人を乃愛の笑顔が優しく包み込んだ。


「私もレヴィさん達もいるべき場所に帰るべきです。……いっしょに帰りましょう?」


 現実世界へ戻れば彼女と会う楽しい時間もすべてが無くなる。もう二度と乃愛に会うことできない。それでも彼女のいう通り、今ある時間は本来、あってはならないものだ。彼女は死んだ。そして俺達は本当はここにいてはいけない。

 だからこそ三人共、本来いるはずの場所へ帰らないといけないんだ。

 

 俺は乃愛の瞳を見つめると笑顔で返した。一緒に帰ろう。そう思った。

 おそらくプリムも同じ思いだろう。俺は彼女の顔へ視線を移す。しかし予想に反して目に飛び込んできたプリムの表情は笑顔ではけっしてなく、まるで決意に満ち溢れているかのような凛とした強さがそこにはあった。

 視線に気が付いたのかプリムのアメジストの瞳が俺の碧眼と交差する。突如、可愛らしい笑顔を形作ると彼女は言葉を紡いだ。


「ねぇ。レヴィ。ちょっと私と乃愛ちゃんの二人だけにしてくれないかな?」


「なんだよ? 急に。俺がいちゃまずいのか?」


「キミは女子トークにまざるつもり? キミの悪口いえないでしょ?」


「わかったよ。外でシーリスとおしゃべりでもしてらぁ」


『レヴィ様と二人っきりですカ。マスター。この機体が破壊される可能性がありますので代替品のご用意をお願いしまス』


「お前は俺をなんだと思ってんだよ!?」


 シーリスの減らず口を聞きながら俺は乃愛の部屋を出た。

 相変わらずズボンをぎゅっと掴むノアトークンの気配を感じながら、俺の脳裏に先程のプリムの表情が浮かび上がる。

 彼女の瞳は……何を見ていたのだろうか?

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