第26話「火のないところに煙はたたない」
砲撃音とミドガルズオルムの咆哮が響いていた先程までの死闘が、幻であったかのような静寂がスタビリスを包んでいた。
街灯が消え暗闇に覆われている中、血をまとった紅の宝玉のように浮かび上がるのは悲哀に満ちた真紅の瞳。そしてスマートフォンに表示される「DEATH」の文字だ。
俺とプリム、そしてハピネスがその視線を注ぐ中、ブラッディノアは俺達へ振り向いた。
そこに笑顔なんてない。この世界を生み出したのが紛れもない自らの母親であり、その理由が俺達をなぶり殺すことに他ならないからだ。
死してなお憎悪と復讐心で「悪意」と化した彼女を倒すと明言した、乃愛の心中は穏やかでは決してないだろう。悲しみに暮れている赤い瞳がそう物語っていた。
それでも乃愛は半ば無理矢理、顔をほころばせた。逆にそれが俺には痛々しく見えた。
「……すみません。今は全て言うわけにはいきません。この体に長くいることもできません。あの人が対策する可能性もありますし。それにブラッディノアの役目は終わりました。アルカナとしてそろそろ消滅します」
彼女の言葉を裏付けるかのようにブラッディノアの体は少しずつ薄くなっていく。ゆっくりと霞のように空気中に霧散して消えていった。
「時期がきたら私の方から何らかのアクションを起こします。その時、またお会いしましょう」
「さようなら」と短く言葉を紡ぎ、ノアの体は完全に消滅する。俺はそれを無言で見送るとシーリスに撤退の指示を出した。
世界蛇ミドガルズオルム戦終了。討伐完了。
衛兵損失八十パーセント。愚者耐久値損失なし。プリム生存。ライン・ヴァイスリッター耐久値五十パーセント減少。ウォルガンフ気絶。レーベェパワークリーガー耐久値六十パーセント減少。ウィルト防御崩し後気絶。ファイアロート・サンバード耐久値三十パーセントまで回復。ハピネス即死回避により生存。ムーンヴァイスティガー耐久値二十パーセント減少。オラクル恐慌状態。カイザーサーヴェラー消滅。シャルル死亡。
それがレイドボス戦の結果の全てだ。
和風の佇まいを持つ康寧亭の一室に俺とプリム、そして頭を抱え椅子に腰かけるオラクルの姿があった。
シャルルが妹であった事実。それを知り目の前で焼け死んだことを考えて、当初はオラクルを一人にしてそっとしておくべきだと思っていた。しかし彼は断った。
話すことがある。そう言った彼の暗く淀んだ表情でありながら、意を決したかのような瞳に俺はうなずいた。そして三人だけのこの部屋でオラクルの口から語られた言葉に、俺は激情しテーブルに拳を叩きつけた。
「乃愛をあんたとシャルルの二人で殺したっていうのか!」
「そうだ。ここにくる前……彼女と会って僕は一目ぼれをした。夢中になった。だけど彼女は僕に心を開いてはくれなかった。彼女は長くは生きられない。それは知っていた。だから僕はそのせいで彼女は他人に心を開いてくれないのだと勝手に解釈して諦めようとしていた」
「だけどシャルルは違ったのね?」とプリムは言った。
「そう。シャルルの目には僕が弄ばれているように見えたみたいだった。常に一緒にいたシャルルを置いてけぼりにして彼女を求めた僕を見てシャルルは激怒した。僕にはでなく彼女にだ。たぶん自分の兄を奪われたような感覚だったんだろう」
「おい。だけどそれで殺すまではいかないだろう!?」
怒気を含んだ俺の言葉にオラクルは視線を地面へと落とす。
「シャルルは……二面性を持っていた。普段はそうでもないんだけど突然、暴力的で残虐になる精神を宿していた。いきなり人が変わったように凶暴になって小動物とかを残酷に殺したりもした。どこでスイッチが入るかわからないけど僕にだけはそうならなかった」
冷酷で残忍な二面性を持つシャルル。あの時、時計塔で見た彼女はまさにそうだったのかもしれない。
「そしてあの日。シャルルはついに実行に移した。彼女を病院の屋上から突き落としたんだ。あの時のシャルルの顔を今でも覚えている。……笑っていたよ。地面に激突して血だまりの中倒れている彼女の死体を見つめて。僕はその事実を隠蔽した。警察にも嘘の証言をした。見ていたのはシャルルだけだ。彼女は病気で苦しんでいたからそれを苦に自殺したということで落ち着いた……はずだった」
「だけど如月綾香は知っていたのね……」
「そう。僕がここにいるということはそういうことなんだろ? 彼女は死なんて望んでいなかった。長くはない命だと知っていながら懸命に生きようとしていた。そんな彼女が自殺なんてするはずがない。僕にだってわかることだ。母親である如月綾香が知らないわけがない」
オラクルはそこまで口にすると突如、両手で頭を抱え込んだ。白いスーツ姿の体が小刻みに震えている。
「僕は怖かったんだ。シャルルが怖かった。彼女の味方でありたいと願いながら。支えようとしていながら誰よりも彼女を恐れていた。僕がシャルルを何とかしていれば本当は彼女を……助けられたかもしれないのに」
「あんたは自分の妹に問題がありながらそれを放置した。シャルルに頼れるものはあんただけだった。それなのにあんたは恐怖心に負けて何もしなかった。自分に矛先が向くのは恐ろしくて全てを見殺しにした。その結果、如月乃愛は殺された!」
怒りに震え俺は思わず拳を振り上げる。オラクルはそれを見てもたじろぐことはなかった。もう殴られるくらいの覚悟はできていたのだろう。
いいだろう。だったら殴り倒してやる。俺の怒りも乃愛の悲しみも全て込めて。
「シャルルを助けられたのはあんただけだったはずだ! そうすれば彼女も乃愛も……死なずに済んだ!」
振りかぶった拳に力をこめ、それをオラクルの顔面へと殴りつけようと体を前に出す……その瞬間だった。
「レヴィ!」
凛として力強くそれでいて澄んだ声音。おそらくこの世界で唯一、俺に絶大な力を発揮するだろう彼女の声。
その強烈な抑止力に俺の体はピタリと止まった。震える拳を握りしめたまま俺の碧眼が声のした方向へゆっくりと動く。
交差するのは紫紺の輝き。真剣みを帯びた鋭い表情で俺を見つめるプリムの姿だった。
「ここで彼を殴ってなんになるの? 殴ったらシャルルが蘇るの? 如月乃愛が助かるの?」
「……」
「キミの拳はそんなことのためにあるものなの? 誰かを守るためにあるんじゃないの?」
その時だ。今まで何もアクションを起こさなかったノアトークンが歩み寄って俺の黒いズボンをギュッと掴んだ。まるで俺を止めようとしているかのように。
プリムに止められ、さらにノアそのものに止められた今、俺に殴れるわけがない。
俺はゆっくりと拳を下げるとオラクルに背を向けて部屋の扉へと歩み出す。背中に感じる視線と共にプリムが追従する気配がした。
俺が扉を開けたと同時に後ろから彼女の声が響く。それは冷静でありながら、激情を無理矢理閉じ込めたような抑制された声音だった。
「オラクル。あなたは仲間よ。だから私も仲間であるあなたを守るわ。レヴィも同じでしょう。だけど……私はあなたを許さない」
康寧亭に設けられた部屋の中で、俺は無言でソファーに腰を下ろした。
灯りをつけることもなく部屋は薄暗い空間に満たされている。他のメンバーも休んでいるのか物音一つしない静寂に包まれていた。
普段通りの静かなスタビリスの夜だ。ただそんな中、二つの物音だけが響く。それは扉を閉める音と俺の隣に誰かが座った証であるソファーと衣服がこすれた音だ。
俺は視線を移すことなく「彼女」に語り掛けた。
「……お前。悔しくないのかよ」
「悔しくないわけないじゃない。目の前に乃愛ちゃんを殺した張本人のうちの一人がいるんだよ。私はそんな彼でも守らないと駄目なんだよ? そんな自分が悔しくないわけがない。本当なら私が平手打ちでもボディブローでも打ち込みたいくらいよ」
「だったらなんで……」
「キミが先に動いたから。だから私は止めないと駄目になった。だからこそ私は冷静でいられたの。言うなればキミのおかげ。さっきも言ったけどあそこで殴っても事態は何も変わらない。キミが彼より痛い思いをして拳を汚すだけ」
プリムの言葉を胸に刻みながら、俺は薄暗い天井を見上げた。
確かに自分の拳は大切な人を守るために振るうと決めた。オラクルをあの場で殴り倒したところで何も変わらない。彼女の言う通りだ。
彼より殴った俺のほうが痛い思いをするだけだろう。オラクルでさえ目の前で妹を失ったというのに。辛いのは俺だけじゃない。プリムもそして何より肉親を失ったオラクルがもっとも辛いはずだ。
あの時計塔で俺はシャルルを相手にして何を言おうとした?
ノアトークンになんて命令を下そうとした?
脳裏に浮かんだ言葉に、俺自身が闇に悪意に飲み込まれそうになっていたのを自覚した。
もしあの時、言いきっていたのなら俺と如月綾香と何が違うというのか。愛する者、親しい者を殺した相手を復讐心に駆られて「殺そう」とする。違いなんて何一つない。
俺はパーティリーダー失格だ。
碧眼に自らの心そのものを映すかのように闇が広がる中、肩に何かが当たる感触を覚えた。視線を移すとそこには桜色の髪が見える。
俺の肩に頭を乗せプリムがそっと寄り添ってきた。薄暗く表情はよく見えないが目を瞑っているようだった。
「ねぇ。ハピネスさんもウィルトさんも『この世界にいるのは当然』と言っていた。シャルルもオラクルも乃愛ちゃんを殺していたのなら当然の話。ウォルガンフはまだわからないけど恐らく同じでしょう。ねぇ。私はそんな彼らも守らないと駄目なのかな? 多かれ少なかれ如月綾香に恨まれる人間ばかりがここにいる。そうでしょ?」
「そんなの俺が答えるまでもなくわかってるんだろ? お前は守護天使なんだろ? 俺だけにでなくパーティメンバー全員の……な。それに考えたんだ。何故、俺達がここにいるんだろうって。それは彼らを救うためにいるんじゃないのかって。誰がそう意図してるかはわからない。だけどそんな気がするんだよ。だから俺達は守らないといけない」
「……私は誰が守ってくれるの?」
一呼吸置き、俺は言葉を紡いだ。考えた末にでたものではなく、自然に心の中からあらゆるものを素通りして出てきた言葉だった。
「俺が守ってやる」
そっと優しくそれでいて力強く彼女を片腕で抱きしめた。プリムの体から伝わる温かさが体中を駆け巡る。
俺はゆっくりと目を閉じた。
全てのクエスト達成までの残り時間。あと十日。




