第25話「悪意と化す母と戦う娘と」
死神。それは生命の死を司る神。
ブラッディノアはまさに「生を摘み取る」神だ。
その重厚な戦斧が唸りをあげるたびに生は死へと移行し、黒き凶刃が漆黒の軌跡を描くごとに暗闇を鮮血が赤く染める。
彼女は迫り来るリトルワイバーンの群れを戦斧の一閃でなぎ倒しながら、ミドガルズオルムの胴体へ刃を潜り込ませた。
圧倒的。まさにその一言だった。暴虐の限りを尽くすブラッディノアの一撃は世界蛇の耐久値を問答無用に奪っていく。しかし、それを見据える俺の瞳には、彼女の猛攻を傍観するようにミドガルズオルムに憑りつきくすぶる「悪意」が映りこんでいた。
笑ってやがる。
嘲笑。このくそったれな世界で必死に生き抜く俺達を、まるで茶番だと笑い愚弄する淀む闇。それは人の顔を形成していた。
まるで痛みに泣き叫ぶかのように咆哮を響かせ、切り裂かれた鱗の隙間から血煙を噴き出すミドガルズオルムとは対照的に、頭部に憑りつく男とも女とも見て取れる「悪意」はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あぁ。ノア。私の可愛いノア。こっちよ。こちらにきなさい。ここは私達の楽園。そして罪人を一匹残らず殺す処刑場。可愛いノア。あなたはこちら側よ」
外見同様、男と女が同時に喋っているような声音にブラッディノアが反応する。
苦しみ悶える世界蛇を前にして彼女の動きが停止した。戦斧「バイルエグゼキューション」の刃を地面に突き刺し、暗闇に浮かび上がるミドガルズオルムの頭部を見上げている。
その姿からは最早戦意の欠片も見て取れず、まるで「悪意」に吸い込まれるようにブラッディノアは、戦斧を手放し歩み出した。
先程まで猛威を振るったとは思えないほどよろめくブラッディノアにプリムが叫ぶ。
「駄目よ! そっちにいっては駄目!」
プリムの言葉に止まることなく歩み続ける彼女を目にして「悪意」は口角を吊り上げた。
その瞬間、耳元にノイズが響きそこにいるブラッディノアという「映像」が「ジャミング」されたかのように彼女の姿が激しく歪んだかと思うと突如、立ち止まった。そしてまるで生気を取り戻したように凛とした姿で立ち、「悪意」へ向けゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それはできません」
悪意の生み出す嘲笑が消えた。代わりに形成されるのは自らの意にそぐわない者へ向ける苛立ちの表情だ。
「……ノア?」
「あなたはもう私の母ではありません。それどころか人ですらない。あなたは憎悪の塊です。自らを不幸にした者達への激しい憎しみと復讐心だけが死んだ後もこの世界に残り形をなしているだけ。憎悪は何も生みません。ただ悲しいだけ」
手放していた戦斧がまるで意思を持つかのように一人でに動き、大地より刃を抜くと回転しながらノアの手元へと空を切った。
彼女はそれを掴むと決意の黒炎をその身に纏ったように漆黒に光り輝く刃をミドガルズオルム……いや。頭部に巣食う「悪意」へと向ける。
「そんなあなたを見ていられない。あなたも私も本来あるべき場所へ戻るべきです。そのために私は……娘としてあなたを倒します」
娘。その言葉で脳裏に浮かぶのは如月乃愛だ。目の前にいるブラッディノアが……いや。「中にいる存在」が彼女なのだろう。
乃愛は母親である「如月綾香」の苦しみや憎悪を知ったうえで俺達を助け、母親を倒すことを選んだ。
今、目の前にいる「如月綾香」は人の皮を被った憎悪の集合体だ。憎しみに激情し復讐心に染まり俺達を殺すことだけを目的として漂う亡者の成れの果てだ。それは死を生み新たな憎しみを精製するしか能がなく腐臭と腐肉にまみれている。
一瞬、乃愛の真紅の瞳が俺へ向けられた。碧眼がそれを見つめ返し「乃愛。ぶちかましてやれ」と俺は短く言葉を紡ぐ。
彼女はそれに笑顔で答え「悪意」を見据えた。
「ノアァァァァァァァァァァァァア!」
言うことを聞かない我が子へ苛立ちを募らせたかのような腹底に響く怒号。びりびりと空気が振動する中、ノアの足が大地を蹴った。
迎撃するように撃ちこまれたミドガルズオルムの稲妻を咄嗟に割り込んだ愚者のアルカナが真横に屈折させる。目を覆うような雷光の中、プリムは世界蛇を見据えたまま言葉を紡いだ。
「いくよ。乃愛ちゃん」
「シーリス。残存兵力をかき集めて動ける魔道砲をすべてミドガルズオルムの頭部へ集中させろ。当たらなくてもいい。煙幕替わりだ」
『了解しましタ』
銀色のスマートフォンに短く指示を飛ばした俺は、雷鳴の前に立ち止まったノアへ語り掛ける。
「支援は俺がする。隙はプリムが作ってくれる。君は落ち着いて確実に奴の息の根を止めるんだ」
「はい。ですがブラッディノアでもミドガルズオルムの耐久値を削り切れるかどうか……」
「大丈夫だ。あと少し。もう少し時間を稼げれば……彼女が復活する」
目を丸くする乃愛に俺は微笑んで見せる。
知っていた。各メンバーからアルカナの詳細を聞いた時「彼女」から言われていた。不死鳥。その所以を。
俺の手の中で「彼女」はゆっくりと生命の息吹を取り戻しつつあった。そしてその時は到来する。
「おおおおおおおおお! ハピネスさん復活!」
突如、手の中から飛び上がり赤い体は宙に羽ばたく。まるで灰の中から蘇生する不死鳥のように。
太陽のアルカナ、ファイアロート・サンバードの能力。それは強力な自己回復能力と、一度だけ即死するほどのダメージを負ったとしても体力を僅かに残存させる「即死回避」だ。つまり自動回復と「即死回避」により一度だけ不死鳥のごとく死の淵から生還する。シーリスが「死亡報告」をしないのはその能力があるからだ。
ハピネスは黒くつぶらな瞳をブラッディノアへ向けた。
「……乃愛さん……よね?」
「はい。おひさしぶりです」
「レヴィ君についているってことは……綾香と戦ってくれるの?」
「はい。あの人はもう私の母ではありません。あの人をあるべき場所へ戻すことが私の役目だと思っています」
「そう。あなたの母親に私がしたことは許されることではないわ。あなたに会わせる顔なんてない。許してほしいなんて言わないわ。だけどこれだけは言わせて。……ありがとう。レヴィ君の味方になってくれて」
暗闇の中、光が溢れた。
神々しいまでに輝きを取り戻したファイアロート・サンバードが赤いスマートフォンから浮かび上がり、その白い嘴がさえずる。「上位全能力強化」に「上位身体強化」、「自動回復」だ。
バフにより全身を青白いオーラに包まれたブラッディノアは、戦斧の柄を力強く握ると一歩前に出る。そして機会を伺うように刃を横に構えミドガルズオルムを見据えた。
空気が鳴動する。
砲撃。ミドガルズオルムの咆哮を貫くように魔道砲から撃ち出された魔法弾<マジックバレット>が、高速で世界蛇の頭部へ炸裂し肉体を打ち砕く。血に塗れながらもまるで戦車の主砲のごとく口から稲妻の光線を吐き出すがプリムによって軌道を捻じ曲げられ、街の外へと弾き返された。
明らかに弱っている。その証拠に攻め手を減らし徐々に後退を開始していた。あと一太刀で。ブラッディノアの持つ強力無比な斬撃があれば、あの首を切り落とせる。
しかしその最後の一手を世界蛇は許してくれなかった。突如、青白い球体が巨躯を包み込み魔道砲の砲撃が阻まれ表面で爆発する。
『ミドガルズオルム。上位魔法障壁を展開。自動回復開始』
「あいつ! 回復できるのかよ!?」
強固な外殻に身を固めゆっくりと体力を回復させるミドガルズオルムへ俺は声を張り上げた。魔法障壁を何とかしなければ削った耐久値が回復し再び猛威を振るい始める。持久戦になれば先にくたばるのはこっちだ。
魔法障壁を破壊するにはブラッディノアの破壊力があれば可能かもしれない。しかしネームドモンスターが展開する耐久力の低いものとは段違いのレイドボスの魔法障壁だ。魔道砲の砲撃すら退ける強固な青白い外殻を確実に破壊するのならそれに特化した「防御崩し」が必要だった。
その能力を有しているのは獅子の力戦士「レーベェパワークリーガー」しかいない。
刹那。咆哮が響き渡る。咄嗟に俺は振り向いた。心の声が届いたのかどうかそれはわからない。しかし金色に光るたてがみを暗闇の中に浮かび上がらせた獅子は、吐血し赤黒く汚れた口を大きく開いた。
まるでミドガルズオルムを……いや。如月綾香という「悪意」を噛み砕かんとするように。
「綾香ぁぁぁぁ!」
レーべェパワークリーガーが疾駆し俺の脇を駆け抜ける。
四肢が躍動し分厚い刃が空間を裂いた。大地を踏み抜かんとするほど右足を踏み込み全体重を乗せた切っ先が白刃を描く。全身全霊を込めたその一撃は青白い障壁にぶつかり火花を散らすと、衝撃音と共に粉々に打ち砕いた。
ガラスが割れるように破片が宙に舞う中、ブラッディノアが動く。勢いをそのままに体勢を崩した獅子戦士と入れ替わるように一気に距離を詰めたその先には、うずくまるように頭を大地へと垂らしたミドガルズオルムの姿があった。
黒いドレスが漆黒の軌跡を描く。強化魔法により青白い炎を纏ったように光るその体は、戦斧「バイルエグゼキューション」を高速で振り下ろした。
白刃が煌めき黒光りする刃が世界蛇の首元へ滑り込んでいく。血煙が噴き出す中、戦斧はミドガルズオルムの首を断ち切った。それは斬首執行人が罪人の首を切り落とす、さながら斬首刑のようだった。
黒いドレスを血で染めブラッディノアは大地に横たわる世界蛇の首を見下ろす。俺の目の前でぼんやりと浮かび上がる真紅の瞳は冷たくも悲哀に染まっていた。
彼女の目の前でミドガルズオルムの頭から何かが浮かび上がり空中へ昇っていく。黒い煙のようなそれは男とも女とも見て取れる中性的な顔で嘲笑をのぞかせた。俺は右手に乗せたノアトークンを「悪意」へ投げつける。
煌めく斬撃。回転運動と共に唸りを上げた刃は漂う闇を一刀両断した。
「こいつは俺からの宣戦布告だ! 絶対、元の世界に戻ってやる!」
闇夜に響き渡る俺の怒号を前にして、「悪意」は切り裂かれながら甲高い笑い声を上げ暗闇に溶け込むように消え去った。
静かにシーリスの声が響き渡る。
『戦闘終了。ミドガルズオルムの討伐に成功しましタ』




