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第22話「世界蛇ミドガルズオルム」

 落ちていく太陽が黒く染まった。

 それは太陽そのものが漆黒に染まったわけではなく、巨大な何かが頭をもたげ俺達の視線から太陽を背に隠したからだった。


 スタビリスの外壁にそれは姿を現す。中央にそびえる時計塔からでもはっきり視認できるほどの巨大な姿は蛇のように細長かった。

 耳元に固定した右目だけに映るサイズの小さな液晶画面に、レイドボスの姿がくっきりと浮かび上がる。これはシーリスと繋がっていて彼女が集めた視覚情報などがリアルタイムで反映されるアイテムだ。


 右目に浮かび上がる巨大な蛇はミッドナイトブルーの鱗を備え、口元から背中へ伝わる長い毛は金色に染まっている。頭にはまるで蜘蛛のように八つほどの黒い単眼が並んでいた。

 とぐろを巻く巨躯は太陽を覆い尽くすほどの頭で眼下に広がる街並みを睨み、戦闘開始と言わんばかりに咆哮を上げる。


世界蛇(ミドガルズオルム)。魔法障壁と接触しまス!』


 シーリスの声とほぼ同時にどす黒い口が大きく開かれた。その瞬間、俺は背筋が寒くなるほどの戦慄を覚える。

 何故なら世界蛇の感情が感じられない黒い単眼が俺を睨んでいるように見えたからだ。


 甲高い耳鳴りのような音が大地を震わしたかと思うと、光の粒子が口元へと収束していく。その時、小さな光が世界蛇の前へと流星のごとく光の帯を空間に描いた。


 漆黒の単眼が「彼女」を捉える。その瞬間、口元から図太い光の束が発射音と共に一直線に放出された。

 鼓膜を震わす轟音。眩い雷光。レーザー兵器を思わせる太い光線は光の塊と化したプリムの目の前で軌道を捻じ曲げられ、まるで鏡に反射する光の帯のように直角に屈折すると、街の横に広がる森林へ着弾した。


 森林の一部が直線上に消失し炎が上がるのを目撃した俺は、そのあまりの威力に目を見開いた。もし彼女がいなければ……あの光線が街を……いや。俺を貫いていたからだ。


「お前、レヴィを狙ったな!」


 スマートフォンのパーティチャットから聞こえたものはプリムの怒りに震えているであろう声音だった。彼女はミドガルズオルムと俺の直線状に浮き、自らの怒りを体現するかのように純白の翼を大きく広げる。


「彼を殺させはしない!」


 その言葉が合図であるかのように、小さく開いた魔法障壁の穴めがけて、世界蛇は激しく体当たりを繰り返した。

 脳内につんざく衝撃音と共に大地が揺れたと思うと、ガラスが割れたような音が響き街を包み込む魔法障壁の一部が砕け散った。それは破片となって地面へと降り注ぎ、溶けるように空間へと消えていく。

 頭上にできた巨大な穴から八つの単眼が街を覗き込んだ。そこには明らかな悪意と意思が見て取れた。世界蛇は俺達を死へ呑み込むべく咆哮を響かせる。


『レヴィ様。プリム様へ砲台およびウォルガンフ様、シャルル様の位置情報を送信完了しましタ』


「砲撃開始!」


 スマートフォンへ俺はそう声を張り上げた瞬間、ミドガルズオルムの咆哮をかき消すかのように砲撃音と共に赤い空をいくつもの砲弾が貫いていく。

 魔道砲より撃ち出されたらせん状の風を纏い青白く光る魔法弾(マジックバレット)は、世界蛇の頭部に炸裂し爆発した。着弾するたびにミッドナイトブルーの鱗が弾け、夕暮れの空を血でさらに赤く染める。


 それでも世界蛇は動きを止めることなく巨躯を大穴へと躍らせた。不気味な頭が通過したかと思うとまるで重量に押しつぶされるかのように一瞬、魔法障壁は湾曲し無数の破片となって砕け散った。


 時を同じくして大きく開いた口から無数のモンスターが飛び出してくる。トカゲの頭に翼脚を羽ばたかせる飛竜のようなMobだった。


『飛行型ムービングオブジェクト「リトルワイバーン」多数接近中。後二分で接触しまス!』


「ダメージディーラーはそのままミドガルズオルムへ攻撃! オラクルとウィルトさんは小型Mobの処理を優先!」


「ウォルガンフだ。狙いは頭部でいいのか?」


「NPCの魔道砲は命中率が低い。精度で勝るライン・ヴァイスリッターは砲撃モードで頭部を集中砲火!」


「オーライ」


 手にするスマートフォンを口元から離したその時、視界にリトルワイバーンの姿が映る。俺は咄嗟にスマートフォンを空中に投げ出すとそれが合図であったかのように戦斧「バイルエグゼキューション」を握ったノアトークンが右手へと着地した。


 風が唸りを上げる。投げつけたと同時に空中で回転したトークンは刃の嵐となって迫り来るMobへと突撃していく。巻き上がる風は切り裂いた際にばらまかれた血により赤く染まり、分断された半身を街の頭上へと叩きつけた。


 血と肉片が飛び散る視界の中、輝く白虎と大剣を握りしめた獅子が空中で躍動した。瞬きする間もなく繰り出される斬爪と重い衝撃を伴った大剣の分厚い刃は、襲いかかるリトルワイバーンを切り裂き、血の雨を降らした。


 耳鳴りに似た甲高い音が響く。ミドガルズオルムの口元に光の塊が凝縮しつつあった。


『ミドガルズオルムのライトニングブレス、きまス!』


 青白い閃光が煌めいた瞬間、その直線上に輝く天使が立ちはだかる。轟く稲妻の束に彼女は立ち向かい、「愚者」のアルカナにより閃光を捻じ曲げた。

 鼓膜に響き渡る雷鳴と眩しい光に目を細める中、轟雷は街の外へと着弾し地面を陥没させた。


 その後も世界蛇が繰り出すブレスや体当たりをプリムは一身に受け止める。もし弾き返すことができなければ彼女を確実に殺すだろう死の権化たる破壊の一撃だ。


 それはかすっただけで下手をすれば死ぬかもしれない一撃にその身を置くことを意味した。それがどれだけ危険なことか俺には十分理解できていた。しかしこの提案をしたのは彼女であり、さらにプリム以外に実行できる人間など他にはいなかった。


 ……守るべき人がいるから。


 ただそれだけのために、彼女は自らを死地へと羽ばたかせた。俺はそれをただ後ろで見るしかできない。


 できることなら代わってやりたい。彼女を安全地帯へ置き、俺自ら死地へと赴ければどれだけ気が楽だっただろうか。もし彼女が「死神」のアルカナを手に入れていて俺が「愚者」なら。仮に俺が死んで彼女が助かるのなら。彼女を死なせて俺が生き残るよりよっほどマシだ。


 しかし彼女の言葉を耳にして今ならはっきりわかる。守りたい人を護るために死ぬんじゃない。守るために生きるんだ。

 生きるために死へ飛び込む。相反する生と死の狭間の中で道しるべとなるのは希望。あるいは魂の繋がりなのかもしれない。地獄の底で救いの手を差し伸べる蜘蛛の糸のように生をもつ俺と死へと飛び込む彼女を結び付けている。


 俺は指で優しく唇を触った。まだ彼女の柔らかい唇の感触が残っていた。




『ミドガルズオルム。耐久値二十パーセント減少。友軍衛兵NPC二十パーセント損失。愚者(ザ・フール)耐久値損失ナシ。ライン・ヴァイスリッター耐久値損失ナシ。ファイアロート・サンバード耐久値損失ナシ。カイザーサーヴェラー耐久値損失ナシ。ムーンヴァイスティガー耐久値十パーセント減少。レーベェパワークリーガー耐久値五パーセント減少』


 シーリスの戦闘ログを耳にしながら俺は前を見つめていた。時計塔のバルコニーの柵には今だ血に濡れた戦斧を手に周囲を警戒するかのようにノアトークンが立っている。


 衛兵の損失は免れない。しかしパーティメンバーにはそれほどの被害は出ていなかった。リトルワイバーンとの戦闘でヴァイスティガーとパワークリーガーが耐久値を少し減少させた程度だ。それもサンバードの自動回復で容易に修復できる範囲だった。


 時間はかかるかもしれない。しかし確実に勝利への道は開けつつあるように思えた。あとは守りの要であるタンク……プリムの気力だけが問題だ。ミドガルズオルムの攻撃を一身に受け止めている彼女の精神的負担は俺の想像を超えているに違いない。


 俺はスマートフォンを手に取りパーティメンバーの画面を開く。そしてプリムの名前の横に表示されている「EXIST」の文字を眺めた。


 ……終わったら彼女のわがままでも何でも聞こう。俺にできるのはそれくらいだ。


 出撃する際に見せた彼女の笑顔を脳裏に浮かべ、俺は心の中でそうつぶやいた。


 異変を感じたのはその時だ。先程まで聞こえていたシーリスの言葉が一切、耳に入らなくなっていた。それどころか周囲の音さえ何も聞き取れない。


 まるで耳を突然、塞がれたような感覚に驚き俺は思わず声を漏らす。自分の声は耳に響いた。どうやら耳の機能が失われたわけではないようだった。俺のいる空間だけが音を響かせ、それの外側に存在する世界は音を消失させていた。


 不可解な現象に周囲を見渡す俺を一瞬、まるで心臓を握りつぶされるような強烈な戦慄が襲う。背筋に走るのはどす黒い悪意。それは殺意とも言えるのかもしれない。


 ゆっくりと俺は後ろを振り向いた。見開いた俺の碧眼に映るのは金髪の少女だった。赤いローブを身に纏い整った顔立ちの彼女は右手に錫杖を持ち、左手に王冠を抱えている。美しい金髪のロングヘアーを揺らし少女はゆっくりと俺へと歩み寄った。


 美しい顔が歪む。その笑みは冷酷で残酷で彼女の美しさに泥を塗るような悪意がにじみ出ていた。


「……誰だ? あんた」


「あたしだよ。シャルルだよ。変装(ディスガイズ)って魔法しってる? この魔法でさぁ。リアルのあたしに近づけた見た目にしてみた。髪の色は違うけどね」


「……確かに前いってたとおり美人だな。そのどす黒い悪意さえなければ……な」


 俺の言葉にシャルルは「あははっ!」と甲高く笑うと悪意が渦を巻く瞳を向ける。

 それと同時にバルコニーの柵に立っていたノアトークンが宙を舞い俺の目の前に着地した。手には戦斧を握りしめシャルルを見据えている。それはまるで俺を守るように。あるいは彼女を敵視するかのようだった。

 トークンを視界に収め、シャルルの表情から笑みが消え去る。あからさまな不快感を感じ取れる表情で唇を醜くゆがめた。


「それだ。そいつだ。その顔。その目。気に入らない。許さない。そいつが存在することを許さない」


 闇が濃度を増す。彼女から立ち昇る「悪意」はやがて一つの形をなした。

 それは背筋が凍るほどの恐怖と殺意をもった嘲笑を浮かべる人の顔だった。正確に言えば上半身だけが闇によって形成されシャルルの背面に憑りついている。その闇が深くなればなるほど呼応するかのように彼女の顔は醜く歪み、シャルルの全身を殺意という名の漆黒へ染めていく。

 強烈な吐き気を催すような臭いが鼻の奥を刺激した。それはすえた匂い。腐臭だった。


「何故そいつがいる? お兄ちゃんを奪ったあいつが何故そこにいる? 如月乃愛は死んだはずだ。あたしが殺した(・・・・・・・)はずだ!」


 その言葉に俺は目を見開いた。殺した? 彼女は「自殺」だったはずだ。


「殺した!? 彼女は自殺だったはずじゃないのか!?」


「殺したんだよ! 病院の屋上から自殺に見せかけて突き落とした! 見ものだったよ。あの人形みたいに綺麗な顔がさぁ。ぐちゃって潰れて手足があり得ない方向にひん曲がって……アハハハッ!」


「ふざけんな! 彼女は病気で苦しみながらも懸命に生きようとしてただろうが! それを殺すなんて……」


「どうせすぐ死ぬ体だったんだから早いか遅いかの違いだろ! さっさとくたばればいいものをしぶとく生きやがって。挙句の果てにあたしのお兄ちゃんを誘惑する雌豚が! 死んで当然なんだよ!」


 シャルルの呪詛のような声が響く中、闇はさらに濃く深淵へと深まっていく。腐臭をまき散らし彼女の体を覆い尽くすかのように漆黒は広がりつつあった。


「あたしが欲しいと思ったものはみんな他の女が奪っていく。如月乃愛もプリムも!」


「プリムって……あんた……」


「何度後ろから火あぶりにしてやりたいと思ったことか! だけどあんたがご丁寧に位置情報送るせいで必ずあの女は射線上にいないんだよ!」


「どのみちフレンドリーファイアはパーティを組んでる以上できないはずだ!」


「……そいつは、どうかな」


 冷酷に顔をゆがめたシャルルは自らのスマートフォンをかざし、わざと俺に見えるように指で画面をタップする。その瞬間、今まで何も反応がなかった俺のスマートフォンの画面にある見慣れない言葉が表示される。

 そこに浮かび上がる文字を見た俺は驚愕で目を見開いた。


「……強制決闘モード!?」


「まずはそこの如月乃愛から火あぶりの刑だ! アルカナ起動!」


 闇に包まれたスマートフォンから光が溢れだす。魔法陣より生み出されるは血のように赤いローブを纏った「皇帝」のアルカナ「皇魔カイザーサーヴェラー」だった。

 ローブから伸びた手をかざし中心に熱量が収束していく。紅蓮の炎が生み出され、それはノアトークンを焼き払うべく嫉妬と殺意にまみれた業火を激しく燃え上がらせた。

 

タンク~敵の攻撃を一手に引き付け他の仲間を守る「盾役」のこと。MMORPGではヘイトコントロールにより敵のヘイトを集めパーティメンバーへの被害を防ぐ。

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