第16話「空気を読まない山羊頭」
鳴り響くシーリスの警笛に俺は飛び起きた。
急激に意識が覚醒していく。隣には驚いたかのように目を見開いているプリムと宙に浮かぶ銀色のスマートフォンが目に映った。そこには「緊急事態」を告げる赤く染まった四文字が表示されていた。
『ネームドモンスター<サバト・バフォメット>急速接近中。接触まで残り五分でス』
「ネームドモンスター!? 位置固定のやつが何で襲ってくるんだよ! しかも街中だぞ!?」
『詳細は不明でス。表示はあくまでネームドモンスターとなっていまス』
俺はシーリスに声を張り上げながら寝袋から飛び出すと周囲を見渡す。
別な部屋から騒めきが聞こえてきた。おそらくウォルガンフやシャルル達の声だろう。
この緊急事態の通知は当然、全員のスマートフォンに表示されているはずだ。その時、俺の目を一際引いたのは、怒りに満ちているかのように小刻みに体を震わすプリムの姿だった。
「……空気、読まなすぎ!」
彼女は突然そう叫ぶと、目の前でいきなり青のショートパンツを脱ぎ捨てる。パンツにタンクトップの姿でずかずかと歩み出すと壁にかけてある純白のローブを手に取った。
素早くスカートを履きローブの袖へ腕を通すと突然、唖然とした俺の眼前に黒いコートが飛んできた。そして「アルカナ起動!」という言葉と共に「愚者」のアルカナが具現化し、彼女は夜の空へと舞い上がっていく。
俺は黒いコートを着ながらすぐさまウィルトへWhisperを飛ばした。
「ネームドモンスターがワンダリングモンスターへ変化することってあるのか!?」
「ない! ネームドモンスターは設定されたエリアから動くことはない! まさに異常事態だ! 何か別な意思に操られているとしか思えない!」
彼の言葉によって「キマイラ」が脳裏に蘇る。リブレリーアから俺達を追い回したあの「キマイラ」もプリムの言う「悪意」とやらに操られていた。恐らく「バフォメット」も同じパターンだろう。
俺はウィルトとのWhisperを切りパーティチャットを開くと、スマートフォンへ声を張り上げる。
「総員! 戦闘準備!」
「ハピネスよ。プリムさんは?」
「たった今、怒り狂ったようにノーブラで出撃していったよ!」
「あらま。女性アバターは色々、大変ねぇ」
「ライン・ヴァイスリッターは砲撃モードで狙撃。シャルルも同じく遠距離から。絶対に近寄るな! ウィルトとオラクルはプリムがタゲを取った後から攻める。相手の攻撃には波があるはずだ。相手の攻撃ターンは彼女に防御に徹してもらう。攻めが終わったら彼女と入れ替えで接近戦だ!」
「ヒットアンドアウェイってやつだな。大将」
「ホワッツ? ヒットアンドアウェイって何?」
「ググレカス!」
俺はオラクルの質問にそう吐き捨てると外に飛び出した。その瞬間、背筋に強烈な寒気を覚え視線を上げる。
月夜のみが照らされた廃墟の空に濃密な闇が浮かんでいた。
山羊の頭に蝙蝠のような大きな翼。女性のような乳房を持つが体つきは大きく力に溢れている。ダボダボのズボンに包まれた足を座禅のように組み、蛇のように細い尻尾が空中でしなっていた。宙に浮くその異形の物体は何の感情も見えないどす黒い瞳を眼下に注ぐ。
一筋の光が地上から帯のように伸びていき、「バフォメット」の索敵範囲に入ったその時、悪魔は太い両腕を上げた。それと同時に複数の燃え盛る火球が生み出され、光の塊へと降り注ぐ。
しかしその眩い光……悪魔に立ち向かう天使であるかのように輝くプリムは、火球の軌道を捻じ曲げ、業火は無人の大地へと着弾した。
「シーリス! ウォルフさんとシャルルの位置データをプリムへ転送!」
『かしこまりましタ。転送終了でス』
「砲撃開始!」
夜空を轟音が震わす。
地上から撃たれた砲弾と火球が闇夜を貫き「サバト・バフォメット」の体へ炸裂する。砲弾と火球を受けてなお怯むことなく悪魔はゆっくりと下降を開始した。どうやら「魔法障壁」を張り巡らせ遠距離砲撃を防いでいるようだった。
その時、プリムが音もなく距離を取った。直後、タイミングを合わせたかのように二体の影が空中へ飛び出していく。
黒い鎧に身を包み大剣をその手に握る黄金色の獅子「力戦士レーベェパワークリーガー」と月のように青白い巨大な白虎「ムーンヴァイスティガー」だ。「力」のウィルトと「月」のオラクルのアルカナだった。
獅子の大剣が唸りを上げる。高速で撃ち出された分厚い刃は白刃を煌めかせ「サバト・バフォメット」が展開する魔法障壁とぶつかり合い火花が散った。
衝撃音と共にまるで砕けたガラスのように魔法障壁が空中に散りばめられる。そこへ斬爪が鋭い軌跡を描き悪魔の黒い体を切り裂いていく。
『<サバト・バフォメット>魔法障壁破損。耐久値二パーセント減少』
ムーンヴァイスティガーは一撃の威力そのものは低い。しかしその攻撃速度はあらゆるアルカナの中でも最速であり、幾重にも弧を描く鋭利な爪は休むことなく悪魔の体を切り刻んだ。
ほんの短い攻防で「バフォメット」の耐久値は十パーセント減少していた。しかしそれは長くは続かない。
突如、腕を上げた山羊の悪魔を視界に収め、俺は思わず声を上げる。
「攻め過ぎだ! いったん下がれ!」
その声とほぼ同時に燃え盛る火球が白虎の体へ降り注いだ。直撃を受け白い体を炎に包まれた虎が地上へと火の玉となって落下する。
「シーリス! 被害状況!」
『ムーンヴァイスティガー耐久値三十パーセント減少』
「三十パーセント!? 一発で!?」
驚愕の声を上げる俺にウィルトの声が響く。
「オラクルのアルカナはDPSは高いが紙耐久だ! 下手に食らうと五十パーセントを切るぞ!」
「オラクルは大人しくしていろ! ハピネスさん! 出番だ!」
「OK。任せて。それよりプリムさんどうして怒ってたの?」
「そういや何でだろ」
「たぶん寝ているあなたにキスでもしようとして邪魔されて怒ってるんじゃない?」
「……少し覚えがある……かも」
「あら。私、冗談で言ったのよ?」
話題の中心にいるその天使は空中で止まっていた。
いつしか砲撃も止み、シャルルの放つ火炎もなりを潜めている。突如、訪れた静寂と共に「何かおかしい」というウォルガンフの声がスマートフォンから聞こえてきた。
「どうした?」
「なんだあいつ。静止画像みたいに止まってやがる」
「おい。ノーブラ天使! <バフォメット>はどうなってる!?」
「……止まってる。本当に身動き一つしない」
彼女の言葉に俺は「サバト・バフォメット」がよく見える位置まで移動する。その後を同じ速度でノアトークンが追従した。
見上げる夜空には彼女達の言葉通り「サバト・バフォメット」が静止している。まるでそれは夜空というキャンパスに悪魔の絵を描いたかのように身動き一つしなかった。
一気に攻めるチャンスとも思えるその沈黙が不気味さを漂わせ、逆に俺達の動きを抑え込んでいた。
しかし静寂は長くは続かない。悪魔の体が闇夜に隠れるかのようにどす黒い霧に覆われると、それが分割され地上に降り注ぐ。
落ちた黒い霧は、まるで生き物であるかのように蠢き次第に異形の物体へと変貌していった。
その瞬間、ウィルトの声が響き渡る。
「まずい! 使い魔だ!」
『使い魔急速接近中。数五体。約一分で接触しまス』
シーリスの声を裏付けるかのように目の前にノアトークンと同じ大きさの小悪魔が見えた。赤黒い体に小さな黒い翼を持つ異形の物体は俺にターゲットを決め、甲高い不協和音を響かせ鋭い爪を振りかざす。
その瞬間、空中から黒いツインテールの髪と共に黒いドレスが舞った。小さな手に戦斧「バイルエグゼキューション」を握りしめたノアトークンが体を回転させ使い魔を縦に一刀両断する。鮮血と共に赤黒い体は分断され絶命した。
血のついた戦斧を掲げ、無表情ながら鋭い瞳を宿しトークンは前を見据える。
「ダメージディーラーはそのまま<バフォメット>への攻撃続行!」
「使い魔はどうするんだ!? 大将! プレイヤーへダイレクトアタックされれば使い魔が相手でも死にかねないぞ!?」
驚愕したかのように大きな声を響かせるウィルトに、俺は戦斧を構えるノアトークンと共に迫り来る小悪魔を視認し睨みつけた。
「俺が殺る。雑魚掃除は俺の仕事だからな!」
ダメージディーラー~攻撃役のこと。攻撃により相手にダメージを与えることに特化した役割。
DPS~Damage Per Second<ダメージパーセカンド>の略。1秒間あたりのダメージ、時間対火力の事。また高い火力を有する職のことも差す場合がある。




