第11話「キマイラ逃走劇」
黒いツインテールが揺れていた。
死神のアルカナ「ブラッディノア」をそのまま小さくしたノアトークンが、無表情でイチゴのショートケーキを両手で掴みほおばっている。瓦礫の上で短い脚がまるで意思を持つ別の生命体のように前後にパタパタと動いていた。普段、見ることのできない光景だ。よほど嬉しいのだろうと俺は思った。
そんな彼女の目の前の空間に「ノアの調査書」が置かれている。俺とプリムはそれに視線を落としゆっくりとページをめくる。目次に書かれていたサブタイトルは二つ。「如月乃愛に関する報告」と「如月綾香に関する報告」だった。
如月乃愛の名前を見た瞬間、俺の脳裏に黒髪の美しい少女の顔が浮かび上がる。彼女と出会ったのは一年くらい前だった。友人が怪我をして入院した病院に見舞いにいった時、俺の目の前に彼女は現れた。
車椅子に乗った美少女。まるで画家やイラストレーターに理想の美少女を描いてもらった絵から飛び出してきたかのような美の化身だった。美しい黒髪につぶらな瞳。完璧に整った顔立ち。柔らかそうな唇。俺は吸い込まれるように見とれていた。
自慢じゃないが凛愛も美人だが彼女のそれとは違う。凛愛が可愛らしい百合の花なら目の前の少女は美しい黒い薔薇だ。しかしその表情は悲哀に満ちているように見えた。
彼女は手にしたスマートフォンを落としそれを拾おうと前屈みになった時、車椅子から落ちかける。そこを俺が飛び出して支えたのが彼女と会話をするきっかけだった。コネクトのアプリケーションを教えた後、夜に会話したりたまに会いにもいった。
その美少女の名前が「如月乃愛」だった。
調査書を見る俺の表情から察したのか寄り添うような位置でアメジストの瞳を向け「彼女の事、知ってるの?」とプリムの声が投げかけられる。俺は「ああ」と短く答えると彼女は微笑んだ。
「なんだ。乃愛ちゃんと二股だったんだ。私も入れたら三股だね」
「待て。そんなんじゃねぇ。つーか自分を数に入れるな! それより『乃愛ちゃん』ってあんた。如月乃愛を知ってるのか?」
「知ってるよ。コネクトで会話もしてたし何度も会いにいった。彼女。美人だったよね。女でも見惚れるくらいに」
そう口にした途端、プリムの表情に陰りが見て取れる。彼女も知っているんだ。如月乃愛の最後を。
「ああ。あんな美人。彼女以外に見た事ねぇよ。生きていれば絶世の美女になっていただろうな……」
如月乃愛はもうこの世にはいない。数か月前に死んだ。自殺だ。自ら病院の屋上から飛び降りた。それを知ったのは死んでから数日後のことだった。
彼女との最後の会話は今でもコネクトのトークページに残っている。なんてことない日常の会話だった。最後の言葉は「おやすみなさい」だった。俺との会話を病気に苛まれながら苦しみながらそれでも綴っていたかと思うと胸が熱くなってくる。どうすることもできない自分に腹立たしさすら覚えた。
彼女のことを知っているプリムも今にも泣きだしそうな表情だ。俺はそんな彼女の手をそっと握ると「如月乃愛に関する報告」のページを飛ばした。
「今は読まないでおこう。思い出したら辛いから……な」
俺の手を握り返しプリムが頷く。彼女の柔らかい指の感触が俺の手を暖かく包み込んでいた。
二つ目のサブタイトルである「如月綾香に関する報告」のページにたどり着く。名前からして恐らく乃愛の親族だと思われた。そういえば彼女に会いにいった時も家族と思われる人物とすれ違った記憶はなかった。当然、親の名前も知らない。
「如月綾香。如月乃愛の母親。ゲームプログラマー。Playback所属……」
Playbackという単語に俺とプリムが同時に顔を見合わせる。それもそのはず。Playbackとは「プロセルピナ」を開発したゲーム会社だ。俺は資料に目を落とすと再び読み始めた。
如月綾香。Playback所属のゲームプログラマーで「プロセルピナ」の生みの親。「プロセルピナ」のシナリオやゲームシステムのほとんどを彼女が手掛けた。アルカナのデザインをしたのも彼女であり、唯一のLRのアルカナ「ブラッディノア」は自らの娘である如月乃愛をモチーフにしている。
「ブラッディノアが……如月乃愛をモチーフにしてたのか」
あの惨劇を生んだブラッディノアの顔を俺は思い出した。あの時は気が動転していたけど後になって脳裏に蘇らせると確かに死神は乃愛に似ていた。黒髪といい美しい顔立ちといいそっくりだった。ただ違うのはあの残虐性だけだ。
その時、記憶の海に沈んでいるとある言葉と映像が水面から浮上してくる。「私。イチゴのショートケーキが大好きなんです」という如月乃愛の笑顔だった。
俺は後ろで満足気にイチゴのショートケーキを食べているノアトークンへ視線を移す。
ようやくプリムの言う「秘密兵器」の意味をその時、理解した。恐らくノアトークンには如月乃愛の精神が受け継がれているのだろう。
死んだ人間の精神がそこに入っているというのは正直、妄想でしかないし普通なら理解できない現象だけど俺はそう思いたかった。少しでもいい。彼女の存在を感じていたい。そんな願いが俺にそう思わせているのかも知れない。そしてプリムもまた同じなのだろう。
俺は視線を再び資料へ戻すとページをめくった。
「プロセルピナ」の開発がほぼ終わりかけた時期に如月綾香は、あるトラブルにより「プロセルピナプロジェクト」のチーフプログラマーの立場から外される。そしてプロセルピナ事前登録ガチャ開始数週間前に「自殺」した。
自殺。その言葉が頭を過った瞬間、身震いするほどの悪寒が全身を襲う。まるで死という闇が自分を喰らおうと覆い尽くしてくるようなそんな感覚だった。
その時、急にページが閉じられる。資料の上にはプリムの手が乗っていた。突如、閉じた彼女の行動を不可解に思い俺は横に寄り添うプリムへ視線を移す。彼女は美しい顔を蒼白とさせ冷や汗のような雫が頬を伝っていた。
「……駄目。これ以上はこの場だと危険。続きはもっと安全な場所でないと」
目を見開き小刻みに震えながら一点を見据える彼女は、震える唇でそう言葉を紡いだ。
「見ている。何かが。強烈な悪意が私達を見ている」
見ているという言葉に俺は周囲を見渡す。視界には人影は何も映らない。
いつしか日差しはなくなり薄暗くなっていく。音すらなく無音の状態に包まれた。まるで俺達の周りだけ世界から孤立しているような感覚だった。
急激な悪寒と不安に襲われた俺はスマートフォンに語り掛けシーリスを呼んだ。しかしまったく反応がない。はじめての経験だった。周囲を覆う世界が徐々に消滅していき闇へと呑まれていくような見えない圧迫感が全身を貫く。震えるプリムと共に俺の体は漆黒へ染まっていった……。
その時、プリムと俺の体を何かが掴んだ。茫然としていた俺はその感触で我に返る。見るとノアトークンが二人の体を掴みじっと見つめていた。
その乃愛の面影がある顔立ちに組み込まれたつぶらな瞳の奥に光が見える。その光は俺に語り掛けていた。飲み込まれてはいけないと。
「プリム! 愚者のアルカナを起動しろ!」
俺の声に彼女は稲妻が走ったかのように一瞬、体を痙攣させると我に返ったかのように立ち上がる。
愚者のアルカナを起動しプリムの目の前に白い髪に目と耳を封じたうずくまる女性が具現化したかと思うと、天井の崩れた穴から何かが俺達を覗き込む。殺意がこもったかのように光り輝く金色の瞳は羽ばたく巨大な獣がターゲットを俺達に定めた証だった。
大地を揺るがすかのような咆哮が響き渡る。俺は咄嗟に資料とノアトークンの細い腕を掴むとプリムの差し出す手を握りしめた。
「飛行!」
彼女の言葉とほぼ同時に背中に生えている二枚の小さな翼が巨大化する。宙に浮く感覚と共に純白の翼が羽ばたいた。巻き起こる風により散乱していた本が宙を舞う。
飛行機のように空中へ打ち出されたプリムの体は図書館の中を駆け抜け、瞬く間に外へ飛び出すとリブレリーアまで運転してきたバイクの運転席に俺を運んだ。
素早くノアトークンを前に固定すると後ろにプリムを座らせアクセルを捻る。けたたましい音と共にタイヤが地面との摩擦により煙を上げ浮くかのように車両を加速させた。
「ノア! 絶対にその調査書を手放すな! 行くぞ!」
車体は弾丸の如く打ち出され地面を疾走する。その後ろを巨大な羽ばたく獣が追いかけた。
ライオンの頭に巨大な翼。山羊の胴体に蛇の尻尾。「キマイラ」と呼ばれる神話上の怪物だ。キマイラは地面を滑るように加速する俺達を執拗に追う。本来ならターゲットが切れて徘徊するはずだ。しかし明らかに俺達へ敵意を失うことなく巨大な黒い翼が羽ばたいた。
吸気の音と共にバックミラーに映し出される獅子の口が赤く煌めく。それが大きく開かれたと思うと灼熱の業火が地面を駆ける貧弱な生き物を焼き尽くすべく降り注いだ。
しかしプリムの「拒絶!」という言葉と共に炎は浮遊する「愚者」のアルカナを中心に二手に引き裂かれ、地面を業火が走っていった。回り込んだ炎が前方で壁のように揺れる。俺はさらに加速し立ち昇る炎の壁を突き抜けた。
肌を焼くような熱気と共に火の粉が眼前に舞う。熱気を伴う突き抜けるような風を受けながら俺はそれでもアクセルを緩めなかった。ここで死ぬわけにはいかない。そんな想いだけが頭の中にこだました。
廃墟であるリブレリーアを抜け森林地帯に車両は入り込む。その時、一定距離を追従するスマートフォンから僅かに声がした。それは途切れ途切れに聞こえる断片的な言葉から次第に明瞭な声となって俺の耳に響き渡る。
『……ィ様。……レヴィ様! 危険でス! 対象。頭上に高エネルギー反応!』
シーリスの声だった。
俺は咄嗟にキマイラへ視線を移す。羽ばたく獅子の頭上には光が幾重にも収束しそれは巨大な光球となって周辺を照らし出した。その瞬間、疾走する大地に赤く丸い何かが浮かび上がる。まるで血で構成された水紋のように点在する丸みの中には「WARNING」と表示されていた。
俺はその意味を即座に理解する。走る前方まで埋め尽くされる赤い大きな点は、相手の攻撃が炸裂する範囲だ。
「プリム! AoEがくる!」
「レヴィ! 真っ直ぐ走って! 全て弾き返してみせる!」
俺はその言葉に真剣な眼差しを向けるプリムを一瞥すると前を見据えた。そしてハンドルを握る手に力を込める。
「俺達の命。お前に預けるぞ!」
『キマイラの「追尾する光弾」がきまス!』
光が爆ぜた。
バラバラに砕け散った光の残滓は細長い魔法光弾となって雨のように降り注ぐ。眩い光が周囲を照らす中、俺はプリムを信じてアクセルをさらに捻った。
愚者のアルカナにより撃ち出される魔法光弾はおそらく全て軌道を捻じ曲げられ大地に着弾したのだろう。車両の前方周辺の大地がえぐられ爆発し土砂が舞った。
当たれば即死するであろう光の塊が何度も降り注ぐ中、俺は前だけを見つめてひたすら車両を走らせる。そして天罰であるかのように空中から撃ち出された光弾は、全てバイクへ当たることなく消滅した。
「……俺。生きてる!?」
「今度からキミの守護天使って名乗ってもいいかな」
そんな会話がかき消されるかのように突き抜ける風の中、猛攻がなりを潜める。バックミラーで一瞥しいまだ追尾してくる「キマイラ」を確認したが、範囲攻撃の後は充電期間があるかのように咆哮のみを響かせた。
しかしここまでかなりの距離を走っている。ターゲットが切れないのはどう考えても通常ではあり得ない。その答えをプリムが見つけたのか呟いた。
「うぜぇな! まだついてきやがる!」
「……頭の上に何かがいる。どす黒い悪意のような何かが」
「あぁん? なんだそれ? 電波が教えてくれるのか!? それともシックスセンスか!? それともセブンセンシズか!? 俺には何も見えねぇぞ!」
その言葉通り素早く後ろを振り向いた俺には何も見えない。恐らく彼女の持つ鋭敏な感覚だけが捉えるのだろう。もしその「何か」を追い払うことができるのならその瞬間にターゲットが外れ再び徘徊を開始するのかもしれない。そう思った俺は咄嗟にシーリスを通してパーティチャットを表示させ声を張り上げた。
「ハピネスさん!」
「あら? レヴィ君。デートの調子はどう?」
普段と何一つ変わらない平穏を感じさせる彼女の声に俺は、「それどころじゃねぇ!」と一喝すると叫んだ。
「ウォルフさんと今、境界線にいる!?」
「いるわよ。何となくだけどそろそろ戻るんじゃないかと思って」
「ナイスだ! そろそろ森林地帯を抜けて草原地帯へ突入する! ワンダリングモンスター<キマイラ>に追われている! ライン・ヴァイスリッターの砲撃モードで頭を狙撃して!」
俺の声と同時に森林地帯を抜け目の前には草原が広がる。遥か彼方にスタビリスの城壁が見えてきた。
『ライン・ヴァイスリッター砲撃モード。自動から手動へ変更しまス』
戦車のアルカナ「ライン・ヴァイスリッター」は普段は車輪で移動し接近戦と砲撃を主体とするが、砲撃モードになると固定砲台と化す。
その状態だと移動できない代わりに射程が伸び、マニュアルモードにすることで召喚者本人とリンクして高精度の射撃を可能にした。それで「キマイラ」の頭部に潜むプリムの言う「どす黒い悪意」などというふざけた思念を吹き飛ばそうという作戦だ。倒す必要はない。ターゲットさえ切れればそれでいい。
しかし、耳鳴りに似た甲高い音が響き振り向いた俺の視界の中で、思惑を見透かしたかのように再び「キマイラ」の頭上に光が収束する。シーリスの声が響き渡った。
『追尾する光弾。第二射、来まス!』
草の大地が赤い斑点で覆い尽くされる。逃げ場などどこにもない。見渡す限り「WARNING」の文字で埋め尽くされていた。万が一、発射された時に備え、プリムが後部座席から離れ並行に飛行する。
『ライン・ヴァイスリッターの射程まで残り二百メートル』
俺はアクセルを緩めることなく車体を走らせる。バックミラーに映る「キマイラ」の頭上で巨大な光の玉が生み出され、それは突き抜ける風が唸りを上げる中でもはっきり聞こえるほど、周囲と共鳴するように甲高い音がこだました。
今まさに天を仰ぐ異形の怪物より矮小な人間に死刑宣告が下されようとしていた。
刹那。らせん状の風を纏って砲弾が空間を裂く。目にもとまらぬ速度で「キマイラ」の頭部に到達した砲弾は獅子の頭にめり込み血と肉片を散らした。
咄嗟に俺はアクセルを緩めると衝撃により空中で体勢を崩したプリムの体を抱き寄せる。大地を染めていた範囲を示す赤き巨大な点は砲撃と共に消失した。
『キマイラ頭部被弾。耐久値十パーセント減少しましタ』
頭部の一部を破損し血を滴らせながら、まるで突如、視界を奪われたかのように「キマイラ」は身動きすることなく空中を漂う。そしてくるりと向きを変えると帰巣本能でもあるかのように森林地帯へと飛び去って行った。
バイクを停止させ俺とプリムはその光景を半ば茫然として見つめていた。その時、彼女の顔が俺のすぐ脇にあることに気が付いた。柔らかそうな唇が吐息が触れるほどの距離で艶やかに光り、紫色に輝くアメジストの瞳が碧眼と交差する。
プリムは微笑んで見せた。できることならそのまま抱き続けていたいほど可憐な笑顔だった。しかし俺は抱き寄せていた彼女を無言で後部座席に座らせると前を向いた。背中に彼女のどこか不満気な声が投げかけられる。
「命を張った女にその態度はひどくない?」
「どうせハピネスさんあたりがニヤニヤしながら見てるだろうよ。話のネタにされるのはごめんだ。そこでどうだ? イチゴのショートケーキで手を打たないか?」
「いいね。スタビリスに美味しいケーキ屋さんあるよ。案内してあげる」
「決まりだな」
車体を走らせようとしたその時、前に座るノアトークンがぎゅっと俺の黒いコートを掴んだ。彼女は相変わらず無表情を貼りつかせていたがどこか物欲しそうに見えた。
俺はそんなノアトークンへ笑顔を見せる。
「もちろんノアも一緒にな」
AOE~エリアオブエフェクト。一定範囲に効果があるスキルのこと。範囲攻撃。




