それでも僕は、そこまでやってない
物音により、俺は目を覚ます。
目を開いた瞬間に飛び込んできた光景は、小さな寝息をたてて安らかな表情で眠る、エイコの姿。頬を赤くさせ、満たされた表情でとても気持ちよさそうにしているも、物音の正体はエイコではない事が分かった。
ゆっくりと身体を起こしリビングを見渡してみると、そこには台所に立つ、母親と妹の後ろ姿が目に入った。俺が起きた事に気付いた妹は俺へと振り返り「あ、おはよー兄貴」と言い、ニヤニヤとした笑顔を俺へと向けた。
そのニヤニヤの正体が何なのかくらいは、想像できる……俺とエイコが添い寝している姿を目撃しての、笑みなのだろう。
「おはよう……起こせばいいのに」
俺はコタツから出て洗面台へ向かおうと、歩きながら妹へと声をかけた。すると妹は「あんなに仲良く寝られると起こしにくいって」と言い、更に笑みを深める。
色々と変な事を、勘ぐられていないだろうか……いくらクタクタだったとはいえ、エイコはベッドで寝かせるべきだったかも知れない。
「……夜中、エイコがトイレに起きて、それから話を少しして」
「あははっ! 別に何も聞いてないじゃんかぁ。変な人ー」
……確かに。俺はただ、嫌らしい笑みを向けられただけ。それだけなのに言い訳をするという事は、やましい事があるという事だろう。
語るに落ちるとはこの事か。
「十月十日後が楽しみだな」
母親の言葉に妹が「あははっ!」と鋭い笑い声をあげ、スクランブルエッグが入っているフライパンをガチャガチャと激しく振った。
「思ったよりはやくお姉ちゃんが出来そう。甥っ子か姪っ子も。この年で叔母さんかーそれは少し嫌だなー」
……女性はこういう話題に意外と抵抗が無いのは知ってはいたが、家族間でこの手の話をするようになるとは、思っていなかった。
「……そういう事はやってねぇよ」
「あははっ。まぁまぁ。そういう事にしておこうねー。それよりもエイコちゃん起こしてあげて」
「……顔洗ってからな」
俺はニヤついている妹と母親の表情に釈然としないまま、洗面所へと入り、顔を洗い歯を磨きはじめた。
……本当なのにな。絶対信じられてない。
俺かエイコのどちらかがあの行為に慣れ、どうしても満たされず、不足を感じるようになった時、いずれそういう時も来るだろうが、今はその時ではない。
結婚だ、子供だと、周りも俺ものたまってはいるが、お互いの人生の事を思えば、まだまだ先の事なのかな……なんて事を、なんとなく、考える。
エイコのバイトが始まるのが朝の八時。そして今は朝の七時前。バイト先とエイコの家が近いとはいえ、女性には色々と準備が多い。
とても気持ちよさそうに眠っているエイコを起こすのは忍びないが、ここは心を鬼にして起こさなければならないだろう。
俺はエイコのすぐ側にしゃがみ込み、頭を撫で「エイコ」と、声をかける。するとエイコは身体を一瞬ピクリと動かし、目を薄く開いた。
「ん……朝?」
「うん。そろそろ七時になる」
俺の声を聞き、エイコは「あー……」と呟きながら身体を起こし、開ききらない目を擦りながら大きな欠伸をした。
睡眠時間は、二、三時間といった所だろうか……俺はそれでも平気ではあるが、エイコの場合はどうなのだろう。
「……ふふっ。トモぉ、おはよぉ」
エイコは目を擦っていた手をどけて、薄く微笑み、俺の顔を見つめてそういった。
その姿の、美しさたるや……天使という表現では足りないように思える。
窓から差し込む朝日を浴びて、俺だけに向けた微笑みを浮かべた寝起きのエイコは、女神のように、美しい。
「おはよう、エイコ」
「……ふははっ。少し、照れる」
頬に自分の手を当てて、エイコは床を見つめてはにかんだ。
少し照れる理由は、解る。情欲を満たすようにお互いを求め合い、普段とは違う自分を相手に見せた後なのだ、俺も少し、照れている。
「うん。照れるな」
「ふひひっ……」
エイコは横目でチラリと俺の顔を見てすぐに逸らし、顔を左右に振り、身体をクネクネと動かしながら「ふははーいやー……はははー」と、笑っている。眠る前の事を、思い出しているのだろうか。
可愛い。
こんなにウブいエイコを見れるのは、今のうちだろう。これから先、ああいった行為に慣れくると、照れる事も無くなる。
だから今のうちに、目に焼き付けておきたい。
……と、思っていたのだが、妹が「兄貴何やってんのー? 時間ないんでしょ?」という声を発し、現実に引き戻される。
畜生。仕方ない事ではあるのだが、もっと見ていたかった。
「とりあえず、顔洗ってきたらどうだ? 歯ブラシもエイコ用に新しいの、用意しておいたから」
「うん……ありがとぉトモぉ」
エイコはノソノソとコタツから出て、身体をグッと仰け反らせながら「んんーっ」と伸びをする。そして俺へと近づき、チラリと台所へと視線を向け、とても素早い動きで俺の頬に、唇を押し当てた。その際に小さく「チュッ」という音が鳴る。
「ふひひっ……顔洗ってきまーす」
……朝から脳を溶かされる感覚が、俺を襲う。




