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我慢の限界

「ミィちゃんのタバコが好き」と言われると、とんだ馬鹿が引っかかったといつも思う。私が引っかけているのは言うまでもないが、常連客でしかも、何十回も匂いを嗅いでいるのならそろそろ見破れよ、といつも思う。


場末のキャバレーよろしく今日も店内は閑散として広々だ。もともと大戦前に最盛期を迎えた「ゴロックのキャバレー」は、駐在する軍のお偉いさん相手の高値で派手な商売が災いし、敗戦の世の中、昔を懐かしんで来る古い身なりのよぼよぼ爺さんが、なけなしの金を落としていく保養所もどきに成り下がっていた。


「ありがとう、良い匂いでしょ。これ、2300年の年代物よ」


私が言うとジジイの顔がほころんで皺くちゃになる。今すぐその顔を潰してやりたかったが、タバコのフィルター部分を潰してやり過ごした。


「ああ〜、良い匂いだねぇ。あの頃思い出すよ、なあ。俺が吸ってたのはベンチックって煙草なんだけどね、電気タバコなんだよ。煙が出やしねぇんだ。そこ行くと俺は煙が苦手だって分かるんだけども、あの頃はみんな吸ってたからなあ。口に何か加えてなきゃ箔がつかねぇんだ。でも、ミィちゃんのタバコは良い匂いだなぁ。ちっともむせやしない」


これが老いた人間ばかりを惹きつける忌々しい調合薬の効果だと何度言ってやりたかったことか。お前のような死期の近いくせに生き恥さらしてキャバレーに来るような、皺くちゃの猿か人かも分からないようなものを惹きつける、とんだ毒薬だってことを懇切丁寧に説明してやりたかった。


「なあ、ミィちゃん。俺はよお、先が長くない」


そうだろうよ。


「だからよ、誰かに譲り受けてほしいと思ってたんだ。いや、ミィちゃんによ」


死して尚、こいつと繋がりがあるのかと思う激しい嫌悪感が胸を貫いた直後、私の肩にほど近いところで俯いたジジイは、何やら加齢臭のしそうなジャケットから一枚の写真を取り出した。


「なに? それ」


私は顔面の筋肉を酷使しながら、拒否とも了承とも取れぬ表情になるよう努めた。


「写真だ。動画じゃない。フォトグラフだ」


ジジイは嬉しそうに私の前で薄っぺらい長方形をひらひらさせた。うっとおしさに殺意が湧いてきた。


「誰が写ってるの?」

「娘だよ」


聞きたくもない。


ジジイがようやくひらひらを止めて表を見せてきた。写真に写るのは色褪せてモノトーンになりつつある背景と、同じ色でくっきりと笑う女性の横顔。そして恐らく、若き日のジジイ。


「綺麗な人ね」

「そうだろう? 自慢の娘だ」


嘘は言わなかった。ほどよく尖った鼻先に、まっすぐ引き締まった口元。ウェーブするほど豊かな髪は、視界を遮らないよう左右に分けられており、その分けられた髪の間から覗く目は、厚いまぶたに負けないほどぱっちりとしたラインを描いていた。


「これを私が持ってればいいの?」


正直、話を早く終わらせたくて幾らかぞんざいな聞き方になってしまった。でも、構うものか。こんなジジイにおべっかばっかり使っていては身がもたない。

ジジイは満足気に「ああ、そうだ」と頷いた。


「これはよ、俺が持ってる物の中で、唯一、大事なものだよ。もちろん、ミィちゃんも大事だよ? でもさ、こいつは俺の、なんていうかな、特別なんだ」

「……娘さんですもんね」


ジジイの自慢話を聞かされているときのコツが一つある。それは、一言しゃべるごとにコイツの寿命がだんだん縮まっていると思うことだ。


「……俺には七人の娘がいたんだがな、そのうち六番目の娘だけめっぽう体が弱くて、冷凍睡眠させたんだ。コールドスリープってやつだ。今じゃ、他の娘たちもそうさせりゃあ良かったと思うがな……戦争を生き抜いたのは、俺と、この子だけよ。今でも地下の冷封場に眠ってる。持病の治療法はとっくに開発されたんだがね、解凍してやれる金がないんだよ。冷凍したとき分割払いにしたのがいけなかった。

その後、あれよあれよという間に敗戦を喫してさ。俺は軍を退役させられるわ、金も思うように回らなくなるわ、そんでこのザマよ。ミィちゃんに慰めてもらわなけりゃ、明日の空気も吸えねぇような体たらくだ」


後味の悪い話を聞いたものだ。コイツは、このジジイは、ただ老いさらばえていくことも出来ずに娘の解凍費用を貯めることを放棄して、自分の慰めに浪費している。


「だがよ、冷凍されたほうにも人権があるってんで、決められた期間までに身元引受人が現れなかったら、あの子は解凍されることになるんだよ。それで誰も迎えに来てくれなかったことを知ったとき、あの子は悲しむだろう? 俺はのこのこ姿を現すことも出来ないから、だから、ミィちゃんに行って欲しいんだよ」

「お断りします」


考えるより先に言葉が出ていた。ジジイは目を丸くしている。私は気持ち悪さのあまり立ち上がって言った。


「私なら、キャバ嬢に自分の娘を迎えに行かせる父親なんて、絶対にイヤ」


立ち上がって視点が高くなった私の目には、広い店内に浮島のごとく置かれた赤いソファの群れと、そこに漂着したように身を寄せる客と嬢のペアが映っていた。皆、二人だけのお通夜を執り行っているかのように静かだ。団体客はひとつもいない。

中央には、使われているのを一度も見たことがないミュージックマシンと、円形の回転式ステージが鎮座していた。店の照明が若干ミラーボールのような煌めきを与えているのをいいことに、ミュージックマシンはまたいつでも音楽を奏でることが出来るとでも言いたげな雰囲気で、メタリックな機体をキラキラさせていた。


私はそれらを見つめながら、荒くなった鼻息を必死に落ち着けようとしていた。


「ミィちゃん、座んなよ」


ジジイがいくらか柔らかい声で言った。そのいかにも理解がありそうな声色に、ことさら腹が立つ。


「これから、店が閉まるまで10分ある。この時間で全部話そう。これ以上はかからねえ。ミィちゃん、今まで店に通った俺に免じて、聞いてくれ。俺はもういくよ、この店にも来ねぇ。だから、聞いてくれ。ミィちゃんが俺を嫌ってるのも分かってる。それでも、聞いてくれ」


ドキッとした。胸のあたりがやけに落ち着かない。ボケ老人の目をごまかすことくらい、造作もないことだと思っていたのに。


「ミィちゃん、俺はこれでも人を見る目があるんだ。君が好きでもない仕事を歯ぁ食いしばってやってんのはよーく分かった。

あの子もそうだったよ。一度決めたら辛くてもやり抜くんだ。だから君にはいつも声をかけて、同席してもらってた。似てるんだなあ、きっと。でも、それも今夜で終わりだ」


ジジイは座っているソファの前に置かれた透明な丸テーブルを見下ろして、独り言のようにつぶやいた。

なんだか胸騒ぎがする。何を言い出すんだろう。こいつが放つ一言が私の人生を台無しにしてしまう気がした。


「魔法、使ってるんだろう?」


ジジイは顔を上げた。私は答えなかった。


「あの子に会いに行ってやってくれ。あの子もそうなんだ。俺の不手際でこんなことになっちまったが、もっと色んなことが出来たはずなんだ。ミィちゃんみたいな子が、あの子のそばにいてくれたら」

「……なんで分かったの」


ジジイの話は途中から聞いていなかった。早く見破ってくれ、と心の中で毒づいていた日々が嘘みたいだった。


「俺も昔かじってた。好いた女が魔女だったんだよ」


魔女。

科学がたどり着いた先、ほんの少しずれた道に産み落とされた、人間の別の姿。


「さ、座ってくれ。ミィちゃん」


こちらを見上げてジジイが笑った。

なんだか寂しい笑い方だった。

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