一人で行けるもん?
「お知り合いなんですか?」
彼女が教室を去ってから一花に尋ねると、「彼女のお父様は私の父の会社の重役なんです。」と答えた。
「あぁ、そういえば、なんか見覚えあると思った。」
今更思い出す幸太郎に後継がそれでいいのかとも思ったが、喉元で留めておく。
それにしても世間は狭い。二葉亭学園は私立だからかそれなりに裕福な人間が多いが、まさかそんな横のつながりがあったとは。しかしそう考えれば確かに千夏にもどこかお嬢様のような雰囲気があった。
そんな彼女がなぜあんな質問をしたのかますます謎だが、お嬢様とは思いついたら即行動する生き物なのだろうか。雪春は兄を亡くして夜な夜な出歩いていた少女のことを思い出して苦笑した。
「柳さん、相変わらず変わってるわねー。なんでユキちゃん先生にデートで行きたいところなんて聞くのかしら?」
目下一番の疑問を朔太郎が口にする。
「中等部の頃から結構思い込み激しいところがあったからなー。たぶん、何か事情があるじゃないんですか?」
潤平が後半は雪春に向けて答えた。どんな思い込みをしたらあんな質問につながるのか全く見当もつかないが、頭には止めておこう。
すると一花が再びそわそわとして雪春に尋ねた。
「聞かれるといえば・・・先生、嶺藤先輩にも何か聞かれたりしませんでした?」
「嶺藤さん?いえ、特には・・・何故ですか?」
「いえ、少し気になったもので。」
煮え切らない態度に首を傾げる。特に彼女と関わったことはない。一度だけ家まで送ったことはあるが、それぐらいだ。何か気にするようなことでもあるのだろうか。
雪春が疑問符を頭に浮かべていると、朔太郎がこっそり耳打ちした。
「大丈夫よ、ユキちゃん先生。」
「え?」
「きっとすぐわかるから。」
彼はいつか見た、とても綺麗なウインクをした。
その日の帰り道、幸太郎が隣で心配そうにつげた。
「ユキ、修学旅行、本当に気をつけろよ?」
どうやら教室での会話をまだ引きずっていたらしい。雪春は自転車のハンドルを押しながら肩をすくめた。
「幸太郎まで・・・鹿がそんなに恐ろしい生き物だとは知りませんでした。」
「そうじゃなくてだな・・・。」
幸太郎は珍しくため息をついて頭をかくと、「まあいい。」と諦めたように言われた。こういう辺りはさすがに兄妹らしくどこか似ている。
「とにかく、俺はついて行けないんだから、用心するに越したことはないだろう?」
「え?」
思わず顔を見上げた。
「・・・来ないんですか?」
その疑問に逆に幸太郎が驚いたように目を見開いた。
「いくらなんでも、俺は新幹線の速さにはついて行けないぞ。」
そうだ。実体がない幸太郎は新幹線に乗ることができないのだった。そういえば今までも電車に乗ってどこかに出かける時はついてこなかった。しかしこの五ヶ月、三泊四日も離れたことはなかったため、当然ついてくるものばかりだと思っていた。そんな自分に愕然とし、同時に切なくなる。
(・・・いい機会かもしれません。)
そばにいることがあまりにも当たり前になっていて、たまに忘れそうになってしまう。それはきっと良くないことだった。どんなに事実から目をそらそうとも、いつかは別れなければいけない相手なのだ。
雪春は目を閉じて、ゆっくりと自分を納得させた。
「そうですね、では修学旅行は一人・・・」
そこまで言いかけて、脳裏にふとある場面が蘇った。
人気のない生徒会室。座っている雪春の後ろから生徒が一人覆いかぶさり、その端正な顔を近づけて一言。
“今二人きりですね、先生”
「・・・ではなく、やっぱりついてきてくれませんか?」
「え?」
180度方向転換をした言葉に、幸太郎がきょとんとする。
しかし雪春は空気が冷えた気がして身を震わせていた。
今更ながら、修学旅行の恐ろしさに思い至ったのだ。初めての関西で実は密かにわくわくしていて失念していたが、“あの夏目”が同じ旅館に泊まる三泊四日の間になんのアクションも起こさないなんてことあるのだろうか。
いや、ない(反語)。
こう断言するのは理由があった。五月の事件以降、何故か夏目に過度なスキンシップをされるようになったのだ。始めはそういう人間なのかと思って流していたら文化祭の時に告白されてしまい、それ自体は冗談の延長だと思いたくとも、行動自体は冗談で済みそうもないことをしてくるようになったのだ。夏休みの間も何回も家に押しかけてきては雪春を連れ出そうとした。断固として家にはあげなかったが、根負けして数回会ったりもした。生徒会の顧問だって結局なし崩しに続けさせられている。彼は、そういう突拍子もないことをしでかす危険性を大いに孕んでいるのだ。
もし修学旅行中に常軌を逸した行動に出られでもしたら。
(いえ、でも相手は高校生ですし・・・。)
慌てて最悪の想定を頭から振り払う。
そうだ。個室には鍵だってかけられるし、なんなら誰かに同室になってもらえばいい。それにいくら夏目でも、さすがに学校の行事の間に変な行動はしないだろう。
そう懸命に自分に言い聞かせていると、再び文化祭の記憶が蘇った。
大きな手に、甲に感じる熱い感触。そしてその目にじわじわと捕らえるような色を宿し一言。
“――逃す気はありませんから。”
「後生ですからどうにかしてついてきてください・・・。」
「ユ、ユキ?」
拝むような様子に流石に幸太郎も困惑している。しかし雪春はなりふり構っていられなかった。
鍵なんかかけたって無駄な気がするし、誰かと同室になっても何かの“やむを得ない”理由で、個室に戻されるかもしれないと思ってしまうのは何故だろう。
考え過ぎだと、自意識過剰だと言われようと、これまでの経験が油断はするなと雪春に告げていた。
幸太郎はそんな雪春の様子に何か感じ取ったのか、少し思案するように頬をかいた。
「じゃあ、夏目に頼んでみたらどうだ?」
「はい?」
斜め45度の提案をされて思わず目が点になる。
「そういうことを何とかできそうなのは、夏目ぐらいだろう?」
幸太郎の言いたいことはわかる。夏目は陰陽師の家系らしく、現在は名ばかりで衰退してしまった呪術を少々使えるようなのだ。今までも何度かそのおかげで助けられてきた。
しかしだからと言って、夏目に困っての対策だというのにその夏目に頼っては、まるでラスボスの前に出て行って「丸腰なので何か武器ください」と言うようなものではないか。
ことの次第がわかっているのかいないのか不明な幸太郎に呆れて肩を落とす。
(あ・・・そうです。)
そこでもう一つ、もっと簡単な方法があることに気がついて、雪春は幸太郎を見上げた。
「幸太郎が移動中だけ私の体に入れば「だめだ。」
言い切る前に幸太郎にはねつけられた。
「・・・もうお前の体は借りないって決めたんだ。」
幸太郎は文化祭の一件から、雪春の体に入ることを拒むようになった。体を貸すような事態がそこまであるわけではなかったが、普段の能天気な幸太郎には珍しいぐらい、この件に関しては頑なだった。
なんとなく幸太郎が心配している内容がわかるだけに、雪春はそれ以上何も言えなかった。
「とにかく明日、夏目に言ってみろよ。」
「・・・はい。」
無理だと思うけど、と心の中で嘆いた。