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記憶と思い出

 九月末となって、日が落ちるのが少しだけ早くなった。窓から差し込む夕日が長い影を描き出し、放課後の無人の廊下を際だたせる。

 夕暮れの学校はどこか悲しい。

「ユキ?どうした?」

 突然幸太郎が覗き込んできた。いつの間にか合流していたようだ。

 最近幸太郎は、雪春が夏目と会うときについて来なくなった。確かに前から仲がいいわけではなかったが、特に苦手にしている様子もなかったので少し気になる。今までは何か考えがあるのかとそっとしておいたが、それとなく聞いてみた方がいいだろうか。

「幸――」

「三島先生!」

 後ろから発せられた声にびくりとする。

 一人の少女が廊下の向こうから向かってくるところだった。

「一花。」

 雪春の代わりに幸太郎が隣で小さく呟いた。その声は拾われることなく雪春の耳にだけ響く。

 それは幸太郎の妹、樋口一花だった。彼女はすぐそばまで近づくと、少し荒く息を吐いて尋ねた。

「谷崎先輩を捜しているんですけど、知りませんか?」

 どこか怒った様子に内心首を傾げる。

「何か用事でもあるんですか?」

「時間になっても来ないんです。引継をしてもらうつもりだったのに!」

 どうやら潤平と約束をしていたのにすっぽかされたようだ。彼女は形の整った眉を寄せて腹を据えかねた様子で腰に手を当てた。

 数ヶ月前まであった他人を寄せ付けない空気もなりを潜め、現在は風紀委員として活躍し、楽しい学校生活を送れているようだ。その可愛らしい容姿と品のある雰囲気にファンも多い。しかし親しい人間には少しツンデレの傾向があり、特に一緒に組んで仕事をすることが多い風紀委員長・谷崎潤平たにざきじゅんぺいに対してはそれがよく見られた。大雑把なきらいがある彼を一花が注意する場面は、今や名物になりつつある。そのうち名コンビから名カップルになるのかと噂されていることを知らないのは、本人達だけかもしれない。

 それで何人もの男子生徒が枕を濡らしていることを知らない一花は、同じ表情のまま続けた。

「心当たりは探したので、今から教室を見に行くところです。」

 どうせ方向が一緒だったので、雪春も着いていく事にした。他愛もない話をしながら渡り廊下を歩く。

 二学年のエリアは更に人がいなかった。下校時刻も間近で、ほとんどが部活か帰宅した後なのだろう。ふと、前を行く幸太郎に目をやる。彼はいつものように浮いたりせず、地に足をつけて歩いていた。


 こうやって、数年前はこの廊下を歩いたりしていたのだろうな。


 当時を知らないのに、今頃になって雪春だけがその姿を見れるという事実に、何だか妙な気分になった。他の人には思い出の中だけで生きる幸太郎が、雪春にとっては亡くなった五月以降の彼が全てなのだ。

 他の人が昔の記憶だけを繰り返す間も、雪春の中には新しい記憶が更新されていく。

(いつか・・・)

 いつか、幸太郎がいなくなったら。

 雪春は、彼との思い出を思い返して何を思うのだろうか。

「―――奈良公園は、お兄ちゃんと行ったことがあります。」

 沈みかけていた思考が、一花の一言で引き上げられた。彼女は気づいた様子もなく、楽しそうに話している。

「鹿がいっぱいいて、可愛かったですよ。」

 そういえば修学旅行の話をしている途中だった。新幹線で移動した一日目は、奈良公園付近を見学することになっている。

 懐かしいな、と一花は思い出し笑いをしていた。幸太郎にそっと目をやると、彼も楽しそうに話を聞いていた。

 五月の事件以降、一花はこうして幸太郎の話を雪春にするようになった。きっと幸太郎を知っている人物と思い出を分かち合いたいのだろう。一花は知らないが異母兄弟であった幸太郎は、一花の母親に嫌われていた。そのため、彼女とは幸太郎の話ができないのだ。

 本来であれば、幸太郎が成仏していないことを一花に告げた方がいいのかもしれない。一度否定してしまったが、その後言う機会はあった。しかし幸太郎は、言う必要はない、見守るだけでいいとして結局一花に伝えないことを選んだのだ。

 初めは自分が言わないようにしたものの、未だに成仏できない幸太郎のことを考えたらもどかしい思いがないわけではないが、幸太郎がそう決めた以上、雪春は何も言えなかった。

 そうこうしているうちに、あっという間に潤平のクラスへとたどり着いた。教室のドアの窓から覗くと、件の男子生徒の後ろ姿が見えた。やはり教室にいたらしい。

「谷崎くー・・・」

「先生、待ってください!」

 ドアに手をかける寸前、一花が慌てたようにその手を押さえる。

 驚いて振り向くと、彼女は唇の前で指を立てて、静かに、というポーズを取った。彼女に習って口をつぐみ、こっそりと部屋の中を伺う。

 すると、潤平の前に誰かもう一人いるのが見えた。顔はうつむいていてよく見えないが女子のようだ。その女子生徒は手を何度も組み直し、口は何かを言いたげに動いている。夕日とは違う、じりじりと焼け付くような緊張感。

「あれってーーー・・・」

「告白ね。」

 言葉の続きを後ろから耳元でささやかれ、危うく声が出そうになった。一花と一緒に振り返ると、同じく身を潜めて教室内を伺う朔太郎がいた。

「教室で告白なんて大胆ね~。誰が来るかわからないのに。」

「お、荻野君・・・。」

 感心したように頬に手をあてて言う彼に、瞬間止まった息をゆっくりと吐き出す。

 彼の言うことももっともだろう。現にもう四人(傍目には三人)の人間に目撃されているのだから。

 しかし下校時刻も間近な教室にいる生徒も少ないのも確かだ。彼も先程生徒会室で別れたはずなのだが。

「まだ帰っていなかったんですか?」

「ちょっと忘れ物を取りに教室にね。」

 そう言って胸に抱えていた雑誌を軽く持ち上げた。関西という文字がちらりと見えたので、修学旅行用の旅行雑誌だろうか。

「それにしても、さっすが潤ちゃん。やっぱりモテるのね~。」

 感心したように言う朔太郎に釣られて、雪春も潤平に目をやった。

 スポーツ少年らしい爽やかな笑みと均整のとれた体格。誰とでも仲良くなれる人懐っこさに風紀委員長でも偉ぶらない態度は、男女共に指示されている。モテるのも当然だろう。

「文化祭の時も告白されてたの見たぞ。」

 隠れる必要もない幸太郎も身を潜めながら言うのを聞いて、ますます信憑性が増した。

「先輩って・・・。」

 すると今までずっと黙り込んでいた一花がぼそりと呟いた。

「大雑把だしがさつだし、すぐ仕事サボるし。どうして人気なのか謎ですね。」

 先ほどより深く刻まれた眉間のしわに、幸太郎も雪春も黙り込む。

(一花・・・。)

(樋口さん・・・。)

 彼女の為に、二人は敢えて続きの言葉を飲み込んだが、朔太郎が果敢にも言ってしまった。

「一花ちゃん、ヤキモチ?」

「はぁ!?」

 無人の廊下に大きく響きわたり、朔太郎と二人掛かりで一花の口を抑えた。恐る恐る教室内をのぞいて、空気が変わっていないのを確認する。幸いにも気づかれなかったようだ。

 安堵のため息をついて再び向き直ると、一花は苦しそうにもがいていた。強く抑えすぎてしまっていたらしい。慌てて謝って手を離すと、彼女は酸欠で涙がたまった目でこちらを睨んできた。

「そんなんじゃありません!」

 自分でもまずいと思ったのか声は抑えられていたが、強い否定が込められていた。しかし言った本人である朔太郎は気にせずに教室内を覗いているので、一花は更に言い募った。

「荻野先輩!聞いて「あ、告白終わったみたいよ」

 なんだかんだ言いつつ気になっていたのだろう。その言葉に、一花も抗議を中断して中を覗いた。

 教室内で潤平が頭をかきながら何かを謝っている。すると少女は更に顔を俯かせて小さく震えた。小柄な肢体が更に小さく見え、見ているこっちも胸が痛むその様子に一同は声が出ない。そして見守っているうちに女子生徒は後方の扉から出ていき、そのまま廊下の向こうに走り去っていった。

「振っちゃったみたいね。」

 大した驚きもなく朔太郎が言う。

「結構かわいい子だったのにな~。」

 一花には負けるけど、と幸太郎が続けた。

 一花といえば、複雑な顔をして黙っているだけだった。

 潤平はしばらく見送るように扉を見ていたが、やがて軽くため息をつくとこちらを振り返った。

 まずい、と思ったときには、教室を出ようとした彼とばっちりと目が合ってしまった。

「何やってんですか、そんなとこで。」

 見つかってしまっては仕方ない。三人は屈めていた体を起こして教室内に入った。

「ごめんね~潤ちゃん。たまたま通りがかったのよ。」

「先生もですか?」

「・・・はい、すみません。」

 つい見入ってしまった自分を恥じて謝る。しかし潤平は大して気にしている様子もなかった。そして黙りこくっている一花に向き合う。

「悪いな樋口。約束の時間に行けなくて。」

「・・・いえ。」

 一花は相変わらず複雑そうな表情をしていたが、いつもの憎まれ口はついぞ出なかった。


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