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合わせ鏡

作者: 塚本亮悟

 帰省して三日ほど経ち、長い間会っていなかった友人と待ち合わせてとあるスナックに入った。

 既にいい時間であるにも関わらず、客は一人しか居らず、ただ一人しかいない若い女の子とカラオケで盛り上がっていた。カウンターを仕切っているママが友人に軽口を叩き、取り敢えず注文したビールを準備し始めた。

 二時間ほど経ち、客もこれ以上入ってこないと踏み、私達はママに酒を勧めた。

 それがいけなかった。

 酒が進むにつれ、会話の内容は自ずと年齢に話の矛先を向けていった。絡み酒にはウンザリさせられることが多い私はさりげなく自分の身嗜みをダシに、ママの容姿を誉めた。が、向かい側に座る手練は「全部の支度が終わるまでに10分かからないのよ」と、微笑んで私の下手なお追従をいなした。

 私は逃げるようにグラスへ手を伸ばすが、合間に流れる沈黙に不意を突かれた格好でビールを胃に流しこむことを止めた。ママは煙が立ち昇るタバコを休ませてカウンターテーブルの縁を見つめていた。

 「そう言えば髪形を整えるのに一時間以上かかるって子が昔居たわ」

 マイクを離さない隣の女の子に視線を投げ打つが、宥めるような微笑が「そうじゃなくて」と、言葉を添えた。


 髪形に手間隙をかけるのはママこと、近藤芳子の同級生だった。髪型というよりはお洒落一般に縁遠い女性が、である。

 その女性は中学の頃、交通事故に巻き込まれて視力を失った。突然にではなく、後遺症という形でそれは現れた。高校に入る頃には既に別々の学校に通っていた。それからはずっと疎遠になっていた。

 彼女と再会したのは成人してから二年後にあった同窓会の時だった。

 その当時、芳子は地方の都市でOLをやっていた。流行のファッションに身を包み、仄かな優越感を覚えていたが、同窓会に現れたその女性は見違えるほど綺麗になっていた。正直驚いた。いや、本当に驚いたのは彼女が遠くから芳子を見つけてロビーホールの反対側から駆け寄ってきたことにあった。


 彼女が角膜の移植手術を受けて視力回復に至った話を切り出したのは宴会も酣に差しかかった頃だった。


 そこから大検を受けて今は大学生であるとか、最近出来た彼氏だとか、色々なヘアスタイルを楽しんでいるだとか、話は次から次へと飛び火していく。髪をカールさせる時は手鏡で後ろ髪が整っているかどうかかまで入念にチェックするとか。二杯目の生ビールに口をつけながら、彼女の昔と今を比べてみた。

 よく喋るようになった。

 最初に受けた印象がそれだった。だが、それがどうも気に食わない。鬱積していく苛立ちを二次会までずるずると持ち越していった。そうして二次会も終盤に差し掛かってくると流石にその苛立ちは疲れに変わってきてしまっていた。芳子は何時しか適当に切り上げようと生返事を繰り返していた。だが、スタッカート調のお喋りはその行く手を阻み、その後も延々と続いた。

 そのお喋りが失速し始めたのは芳子以外の人間が彼女の周りから誰も居なくなった時だった。

 「最近さぁ、後ろを確かめてる時なんだけど…」

 普段手鏡の中に見ているものは後ろ髪だけだ。ただ、合わせ鏡で自分が小さな点になるまで数珠繋ぎに連なって見える角度がその手鏡の中にある。その女性はそんな合わせ鏡に映る風景に違和感を覚えた。

 誰かが居る。

 見えるはずの無い小さな自分が一人だけ違う動きをしている気がしてならないのだ。

 芳子は焼酎のロックを一口含んで笑った。紋切り型の答えでしかなかったが、確かにそれは気のせいであったり、神経質になり過ぎているからこそ、そう見えるものなのだ。曖昧な返事をして、友人は溜息をついた。そんな沈黙を払拭するように芳子へ電話番号を教えてもらうよう科を作って頼んできた。


 それから芳子と彼女は幾度か連絡を取り合った。

 年賀状も届いた。新婚旅行で取った写真付きである。ただ、彼女の頬にちょっとした染みが出来ていた。化粧で隠そうとしたが隠しきれていない。そんな染みだった。そして、そんなあら捜しをしている自分が少し嫌になった。その頃、実家に戻る直前だったが、彼女にそれを伝える気にはどうしてもなれなかった。

 それっきりだったはずが、その三ヶ月後、新婦から電話が掛かってきた。

 実家に問い合わせて、新しい電話番号を聞き出したらしい。幸せそうだった。それと共にそういうことに労力を費やすほど暇なのだ。そんな重いがふっと頭を掠めた時、「シミが多くなってきて困ってるの」と、相手が切り出してきた。芳子は迷ったが、自分が愛用している化粧品を勧めてみた。

 その一週間後に、「効き目無いみたい」と、あけすけな答えが返ってきた。芳子は釈然としなかったが謝った。その時の会話はそれで終わった。


 そしてそれからまた一ヶ月後、電話の呼び出し音が鳴った。

 「あの話覚えてる?」

 明るかった声がめっきり沈んでいた。咄嗟に何の話か思い出せなかった。ので、芳子は率直に尋ね返した。憶えが無いと。

 「合わせ鏡の話よ!」

 声はいきなり激昂した。ただならぬ様子に、宥めながらも何があったのか尋ねてみた。無論、相手もそれを望んでいたのだ。

 「一番小さい私が勝手に動くの」

 意味が分からない。

 「急に俯いて肩を揺らすの。口半開きで。まるで笑ってるみたいに」

 考え過ぎだ。

 「近づいてくるの。粒だったのが、小指の大きさぐらいに映ってる私まで変なことし始めてるの。シミも大きくなってきてるし」

 芳子は病院に行って診てもらうよう説得するので精一杯だった。夕方に掛け直してもらうよう懇願したが、彼女はお構いなしだった。

 「どんどん近づいてるの。もう十枚くらい隔てたところに居るの。私じゃない誰か。酷い顔の誰か。確認しないと怖くてたまらない。どんどん顔がボロボロになってく。私の顔が、私の顔が!」

 芳子は適当なことを言って電話を切った。

 怖かった。

 鳴り止まない呼び出し音に耐えかねて電話線を引っこ抜いた。だが、その日から留守番電話に大量のメッセージが残され始めた。着信するはずなどないのに。

 『私じゃない誰かが語り掛けてくるの。女の人。声が聞こえないから分からない』

 『吹き出物が増えてきたの。こんなシミだらけの顔、私じゃない!』

 『今日どこから電話してると思う?精神病院。あははははははははは』

 『あの女がすぐ近くに居るの。何て言ってるのかやっと分かった。「どろぼう」だって』

 『私が盗んだもの何だったと思う?もう取れないの。返したくない』

 『あいつが!あいつが私の目を盗りに来るの!助けて!助けて!!』


 『思いついたの。私の顔を元通りにする方法』

 その日の夜、留守録を再生すると、一件目に彼女の声が部屋中に木霊した。その後ろで男の悲鳴が上がっているのが電話機のスピーカーを通して聞こえてくる。芳子は後悔した。そんな大した用件そうそう入ってくるものじゃない。何故留守録を再生してしまったのか、自分の行為が恨めしくて仕方がなかった。

 『待っててね。もうすぐ元通りにするから』

 その合間に受話器の向こうから聞こえる苦痛による絶叫は尋常なものではなかった。

 『今度里帰りするね』

 テープが大きな音を立てて止まった。その夜、芳子は一睡も出来ずに過ごした。


 「それからね。毎日色んな新聞を読むようになったのは」

 その夜を境に友達からのメッセージはぷっつり途絶えてしまったそうだ。ママは小さな記事まで一つ残らず毎日読み漁った。が、それらしい事件はついに見つけることが出来なかった。自殺、心中、そんな題材をくまなく呼んで探したが、「無理心中って名前伏せちゃうことがあるから」と、言ってママは煙草を燻らせた。紫煙がカウンターに舞い降りた。

 「暫くして、実家に電話すればいいんだって思いついたんだけど、ずっと前に引っ越してたみたい。電話は繋がらなかった。結局、あの子がどうなったのか分からず終いなの」

 私は酒を飲み干して、きっと記事に書かれなかったんだろう、と言った。ママは何かを含んだような微笑を零した。そう、頬の辺りのシミが無ければ私は確かにママからもう一つ話を引っ張り出そうという気分になっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 合わせ鏡が織り成す虚像の不気味さと女性の我執が的確な文章で描出された好短編です。 ヒロインのママこと芳子が同級生に嫉妬しつつ、そうした自分に嫌悪を覚える等の描写にも、物語としての奥行が感…
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