加害者そして被害者
入院中、家庭裁判所から調査員という人が来て、私の話を聞いていく。
退院後も何度か話を聞かれた。
私は、調査員がおばちゃんであったことで非常に安堵した事を覚えている。
隠し事無く質問に答えた。
この間、私は少年鑑別所に入れられる事も無く、家に帰り、学校に通っていた。
――――数ヵ月後、家庭裁判所の審判が下った。
不処分だった。
何故ならば、
私はほんの12歳の少女であり、
父親からひどい暴行を受けており、
事件当時私は(母も)「殺される」と脅え、
救急隊員も『心神耗弱状態』に見えたと証言し、
――――余りにも。
余りにも情状酌量の余地がある為だった。
皮肉だな。
最初警察に逃げ込んだ時、警察にはただの夫婦喧嘩としてしか相手にされなかったのだ。
「法は家庭に介入せず、みたいな所があるんですよね。アハハ。」
なんて笑っている警察のおじさんが信じられられなかった。
法の介入無いためこのような事態になったのに、結局は法によって守られるとは、なんという皮肉だろう。
あの時。
――――――このままでは、殺される!!――――――――
瓶を思いっきり男の後頭部に向けて振り降ろした、あの時。
私には
はっきり
殺意が
あった
――――――このままでは、お母さんと私は死んでしまう!!―――――――
そして男が死んだ。確実に死んだと聞かされた時の安堵感。
心底ホッとした。
自分は、これから罪に問われようが、
母と私はこれからビクビクしながら生きて行く必要が全く無い。
暴力を恐れて生きて行く必要が全く無い。
殺されてしまうと脅えながら生きて行く必要が全く無い。
これがどんなに喜ばしい事か!!!
少年法は、14歳以下且つDV被害者であった私には適用が無く、
児童保護法によってわたしは守られ、私は病院の精神科にカウンセリングに通う以外全くお咎めなしとなった。
しかし、不処分が決まったその日、私は事件後初めて泣いた。
それに気付いた母が、抱きしめて「大丈夫よ」と繰り返し囁いてくれた。
――――――――大丈夫よ―――――――
事件後、周りの人々は同情的であった。
少なくても表面上は。
私は普通に学校に通っていたし、母も、勤務先の社長さんから励まされていた。
しかし、匿名の嫌がらせは絶えなかった。無言電話・イタズラ電話が相次いだ。時々、家に脅迫状のようなものが届いた。
母は、特に私の安否を気遣い引っ越しを決意した。
周囲の人には「東京に行く事にした」と話し、私たち親子は道内最大の都市に引っ越した。
引っ越した先で私たち親子が静かな暮らしをおくれたのは、一重に少年事件だった為である。
プライバシー保護が最優先される少年事件は、可能な限り秘匿される。
実際、私の尊属殺人事件についても、プレス公開は一切なかった。
人口に膾炙されたのみであった。
母から聞いた話しでは、日本における殺人事件の実に4割が、家族内殺人であるという。