おねえさん、抱き着いてくる
海沿いのコンビニから歩いて戻ってきた俺たちは、そのまま俺の部屋のローテーブルを挟んで向かい合っていた。
買ってきたばかりの強炭酸水のペットボトルを開け、戸棚の奥に少しだけ残っていたジンのボトルを取り出す。適当な濃さで割ってグラスを差し出すと、山葉さんは「ありがと」と受け取り、コトリとテーブルに置いた。
「はい、お疲れ様です」
「ん。おつかー」
グラスを軽くぶつけ合う。氷がカランと涼しげな音を立てた。
今日はプロジェクターの電源を入れない。本格的に飲むということで、シットコムを流し見せず、代わりに小さめのボリュームで音楽をかけた。ロック、ジャズ、Kポップまで、適当に流れている。
「しっかし、鈴木くんが講義サボろうなんて言うから、びっくりした」
山葉さんはソファに深く寄りかかり、グラスの縁を指でなぞりながらくすくすと笑った。
「……俺だって、たまには悪いことくらいしますよ。それに、さっきの海風、結構気持ちよかったんで。もうちょっと起きてたいなって思って」
「ふふ、なにそれ。でもまあ、あたしもそういう気分だったから、いっか」
彼女は目を細めて笑い、グラスを口に運んだ。
そんな他愛のない会話を交わしながら、画面の中で繰り広げられるドタバタ劇を眺める。いつもと変わらない、だらだらとした心地よい時間。
ただ、一つだけ違ったのは、彼女のグラスが空くスピードだった。
さっきのコンビニの駐車場で、彼女のスマホを震わせていたあの無神経な通知の束。あの時、暗い海の底を見つめていた彼女の虚無感を、アルコールで強引に洗い流そうとしているかのようだ。
彼女はあっという間に一杯目を飲み干し、「おかわり」と空のグラスを突き出してきた。俺が注ぎ足した二杯目も、みるみるうちに減っていく。
俺もそれに付き合うように自分のグラスを傾け、買ってきたばかりのピザポテトの袋を開けた。
やがて、深夜二時。
エアコンの効き始めた俺の部屋は、ピザポテトの強烈なジャンクな匂いと、グラスの中で弾ける炭酸の音に満たされていた。
ローテーブルの上には、ジンのボトルと、強炭酸水が置かれている。
「んー、うま。やっぱピザポテトは深夜に食べるのが一番背徳感あってよきかなー」
山葉さんはソファに深く沈み込み、指先についたチーズの粉をぺろりと舐めながら、グラスを煽った。
その顔にはもう、駐車場で見せていた暗い刺々しさは微塵もない。アルコールとジャンクフードの濃い味が、外の世界の面倒なことやさっきまでのシリアスな空気を、すっかり上書きしてくれたようだった。
それに釣られるように、俺自身の頭の芯も心地よく解けていく。明日の一限の講義のこととか、彼女が抱えているだろう複雑な事情とか、そういうものは全部、もうどうでもよくなっていた。
ただ目の前で、背徳的だと言いながら楽しそうに笑っている彼女を見ていると、今日は色々と投げ出して、こうして二人で堕落してしまうのが、一番の正解だったのかもしれないと思えた。
普段なら、少しずつ氷を転がすようにちびちびと飲む彼女だが、今夜は明らかにペースが早い。あっという間にグラスが空になり、俺が炭酸水を注ぎ足す前に、自分でボトルから直接ドボドボと酒を注いでいる。
「山葉さん、ちょっとペース早くないですか。明日、講義サボるにしても……」
「いーの。今日は限界まで飲むって決めたの。ほら、すずきくんも飲んで飲んで」
彼女は自分のグラスを俺のグラスにカチンと乱暴にぶつけ、にしし、と笑った。
それから一時間もしないうちに、ジンのボトルは底が見え始めていた。
数杯目を飲み干した頃には、彼女の様子は明らかに普段と違っていた。
いつもは気怠げに半分閉じているジト目が、今はとろんとした潤みを帯びて、輪郭がふんわりと解けている。白い頬から首筋にかけて、アルコール特有の薄い赤みが差していた。
「すずきくーん、つぎ、ハイボールつくってぇ」
間延びした声。少しだけ呂律が甘くなっている。彼女は空になったグラスを両手で持ち、テーブルの上でコツンコツンと揺らした。
「もうウイスキーないですよ。山葉さん、だいぶ回ってるんじゃないですか?」
「まわってないもーん。ぜんぜん、へーきだもん。……すずきくんこそ、お顔ちょっとあかいよ?」
「……そうですか? まあ、今日はいいペースで飲んでますし」
実際、俺の頭の奥もぽかぽかと温かく、心地よい浮遊感に包まれていた。普段なら途中でチェイサーを挟んで自制するところだが、今夜は限界まで付き合って、このだらだらとした空気に身を任せるのも悪くないと思えていた。
「ねー、すずきくーん。このポテチ、なんかかたち変じゃない? ちょっとハートっぽーい」
山葉さんが、指先でつまんだ歪な形のポテトチップスを、俺の目の前まで突き出してくる。距離が近い。
「いや、ただ欠けてるだけだと思いますけど……」
「えー、ゆめがないなー。はい、あーんして」
「あ、いや、俺は自分で……」
「あー、んっ」
有無を言わさぬ圧。普段の俺なら、自意識が邪魔をして絶対に避けるところだ。だが、アルコールのせいか、俺は妙におかしくなってあっさりと観念し、口を開けてそれを受け取った。
彼女の指先が微かに俺の唇に触れ、チーズのジャンクな味と一緒に、彼女の肌の温もりを含んだ甘い残り香が鼻を抜ける。
「ふふっ、おいしー? すずきくん、リスみたいに食べるね。かーわい」
「リスって……。山葉さんこそ、口の端にチーズついてますよ」
「え、うそ。とってぇ?」
俺が笑いながら紙ナプキンを渡すと、山葉さんはケラケラと笑い、そのまま俺の肩にぽすんと頭を預けてきた。
生温かい体温と、アルコールの混じった甘い吐息が首筋に当たる。
外の世界で被っている『女神』の完璧な仮面とも、俺の部屋で見せる『ダウナーなねえちゃん』とも違う。ただの無防備で柔らかい女の子がそこにいた。
普段なら理性が警鐘を鳴らして飛び退くほどの密着度だが、今の俺には、肩に押し付けられる柔らかな重みも、彼女から立ち上る匂いも、ただひどく心地よかった。
「……すずきくん、お酒、つよいねぇ。ぜんぜん、ふつうにお話してるしぃ」
山葉さんは俺の肩に頭を乗せたまま、少しだけ上ずったような甘い声で、上目遣いにこちらを覗き込んできた。
「いや、わりと酔ってはいますよ、多分。……というか、山葉さんは、だいぶ限界近いですよ」
「げんかーい、とっぱ。まだのめるもん……」
そう言いながら、彼女は自分のグラスを掴み損ねて、テーブルの上でカチャンと空振りの音を立てた。平気なわけがない。
「ほら、お水飲んでください」
俺がチェイサー代わりに注いだ水のグラスを手渡そうとすると、彼女はそれを受け取らず、代わりに俺の腕に両腕を回して、ぎゅっとしがみついてきた。
「んーん、お水いらない。……すずきくん、あったかーい」
「ちょ、山葉さん……っ」
「えへへ……」
擦り寄ってくる頬の熱が、Tシャツ越しにダイレクトに伝わってくる。動悸がうるさくて、俺は身動き一つ取れなくなった。
やがて、ランダム再生してる音楽を聴くともなしに聴いていると、ふと隣が静かになったことに気付く。
肩にあった重みがスリップするように外れ、山葉さんは先日一緒にニトリアで買った『自分にフィットするクッション』に顔を半分埋めるようにして横たわっていた。
「……山葉さん?」




