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おねえさん、裏垢のフォローが俺1人

 シットコムを二話ほど消化したところで、山葉さんは自分の部屋へと帰っていった。


 一人残された静かな部屋には、まだ微かに彼女の体温と甘い匂いの余韻が漂っているような気がする。


 俺はベッドに横たわり、自分のnoteの痛々しい文章を「面白い」と肯定してくれた彼女の言葉を反芻しながら、手元のスマホの画面を光らせた。


 画面に映っているのは、先ほど相互フォローになったばかりの、彼女のInstagramのアカウントだ。

 何気なく、彼女の過去の投稿をスクロールしてみる。


 そこに、大学の全学生が憧れる『生協の女神』の姿はなかった。


 並んでいる写真はどれも、無造作で、ひどく力の抜けたものばかりだった。深夜のコインランドリーで虚しく回り続ける乾燥機。ピントの甘い、飲みかけのストロングゼロの缶。妙に不格好な形をしたスーパーの特売野菜。どこかの路地裏に立つ、「なんかムカつく顔の犬」の古びた看板。


 自撮りは一枚もない。キャプションも「だる」や「あつい」といったそっけない一言か、あるいは無言。


 だが、そのどれもが不思議と印象に残る。クッションに深く沈み込んでいる時の、あの隙だらけでだらしない温度感に満ちていて、俺は思わず小さく吹き出してしまった。


 ふと、投稿についている「いいね」の顔ぶれを見てみる。フォロワー数はそこそこいるものの、見事に匿名のアカウントや風景写真のボットのようなものばかりで、大学関係者と思しきキラキラしたアイコンは一つも見当たらなかった。


 なるほど。どうやらこれは、いわゆる『裏垢』というやつらしい。


 彼女ほど目立つ人間なら、大学の友人たちと繋がっているメインのアカウントが別にあるはずだ。表向き接点のない俺には、さっきのURLを送るためだけに、当たり障りのないこっちのアカウントを教えたのだろう。


 そんなふうに納得し、スマホの電源を落とそうとした時だった。


 画面の上部に、ひょこっとDMの通知バッジが表示された。山葉さんからだ。


『鈴木くんのアカウント、投稿が独特すぎておもしろ』


「……え?」

 短いメッセージに首を傾げ、ハッとして自分のアカウントの画面を開く

 彼女は今、壁の向こう側で、俺の投稿を見ているのだ。


 俺のタイムラインには、雰囲気を出すためにわざわざモノクロ加工した自家焙煎のコーヒー豆、単館系フランス映画の半券、間接照明に照らされたレコードジャケットなどが、完璧なグリッド計算のもとに並べられている。キャプションはどれも、ポエムじみた長文か、スカした英語の一言。


 完全に『サブカル系雰囲気イケメン』として演出されつくした、自意識の塊のような投稿群。

 誰かに見られるために作ったもののはずなのに、実際にみられて反応されると、何故だか顔が熱くなる。


『見ないでくださいよ、恥ずかしい』


 慌ててそう返信を打つ。数秒後、すぐに既読がつき、ふきだしのアイコンが現れた。


『いいじゃん、ぽくて。あたしは好きだよ。雰囲気イケメン感あるよね』


「雰囲気ですか」


「あれ誉め言葉だと思うけど? イケメンじゃん。イケてるメン』


「カニカマは魚肉練り製品であって蟹じゃないです」


 そう返すと、しばし返信が止まった。ちょっと自虐的過ぎたかな、と思う。


 しかし数秒がすぎ、またスマホの通知音がなった。


「あたしは好きだよ、カニカマ。おいしいじゃん」


 ちょっと吹き出してしまった。そういう話じゃないって。


「いやカニカマは俺も好きですけど」


「なんてね。ねむ。じゃ、おやすみー」


 からかうような、でも決して馬鹿にはしていない、体温を感じるメッセージ。

『おやすみなさい』とだけ返し、俺は熱を持ったスマホを胸の上に伏せた。


つい数十分前まで、彼女は俺のすぐ隣のソファに座って、肩が触れそうな距離で同じ画面を見ていた。


 それが今は、薄い壁一枚を隔てた向こう側にいる。目には見えないけれど、デジタルな電波に乗って届く言葉には、さっきまで隣で感じていたいたあの甘い匂いと、生温かい体温がそのまま乗っているような気がした。くすくすと笑う柔らかな声も。



 俺はベッドの上で寝返りを打ち、隣の部屋との境にある冷たい壁に、そっと手のひらを当ててみる。

 壁の向こうの彼女も、今、同じようにスマホの光に顔を照らされているのだろうか。


 すぐそこにいるみたいな錯覚……でもないか、実際すぐそこにいる。壁があるだけだ。この不思議な距離感が、ひどくむず痒くて、なのに心地いい。


 気のせいかもしれないが、手のひらを当てた壁の向こう側からも、微かにトントン、と何かでノックするような音が聞こえた気がして。



 俺は暗闇の中で、吐息を漏らした。


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