【1】未来日記
晴れ渡る空。朝日が街をやわらかく照らしていた。
神谷悠人はわずかに眉をひそめ、手で目をこすった。しばらくすると眠気も引き、ふと枕元に視線を落とす。
そこには、一冊の日記帳が置かれていた。
だが、それは悠人のものではない。高校を卒業してからというもの、悠人は日記など書いていない。
そもそも、まともな人間が日記なんて書くか?
「……じゃあ、誰のだ?」
いたずらにしては手が込みすぎている。こんな退屈な悪ふざけをする奴がいるとも思えない。
悠人は日記帳を手に取り、何気なく最初のページを開いた。
そして、一行目に書かれた文字を目にする。
5025年3月25日
【俺はFランクの火属性天赋と判定された。これで俺の将来は真っ暗だ。】
この世界では、天赋にランクが存在する。
最上位はSSSランク。そしてFランクは最下位だ。
さらに天赋にはさまざまな属性がある。水、火、風、雷、岩、氷、光、闇。剣、樹、空間、そして時間。
そして今日は、5025年3月25日。
十八歳になった者は全員、今日――天赋と属性の適性検査を受ける日だった。
悠人も、つい先ほど十八歳になったばかりだ。
もっとも、検査は今日の正午から。まだ時間には余裕がある。
悠人はページをめくり、次の行へ視線を落とした。
5025年3月26日
【聞いた話だが、昨日――小川恒一が学校の門の前で、すごい修行書を買ったらしい。】
悠人はその名前を知っている。小川恒一。同じクラスの生徒だ。
だが、あいつはろくでもない男だ。
噂では、ヌンチャクを振り回して自分の祖母を殴ったことがあるらしい。
しかも真冬の一番寒い日に、祖母にビキニ姿で畑仕事をさせたという、とんでもない話まである。
悠人は呆れたように息を吐き、さらに読み進める。
5025年3月27日
【Fランクの天赋じゃ修行の進みは遅い。でも、人は運命に勝てるはずだ。まだ希望はある。】
5025年3月28日
【今日の午後、小川恒一に会った。あいつは二星武者に突破していて、みんなの前で俺を“ゴミ”だと笑った。本当に腹が立つ。百回殺しても気が済まない。】
5025年3月29日
【今日も修行だ。俺は――世界最強の武神になる。】
神谷悠人はまだ眠気の残る目をこすった。どうにも、この字は見覚えがある気がする。
それに、行間からにじみ出る性格も妙に覚えがあった。
5025年3月30日
【男児たるもの、大志を抱かずしてどうする。生まれ持ったこの体を無駄にしてたまるか。努力だ、努力あるのみだ。】
5025年3月31日
【やっぱり俺はダメ人間だ。七日間も必死に修行したのに、境界はまったく上がらない。この人生、もう終わりかもしれない。いっそ手に職でもつけるか……将来、飢え死にしないように。】
悠人はそこまで読んで、思わず吹き出した。
なんというか、哀れというか……妙に可愛いというか。
Fランク天赋では修行の道はほぼ絶望的。普通の人間として生きるしかない――そんなことは誰でも知っている。
それでもこの書き手は、七日間も挑戦を続けたらしい。
5025年4月1日
【今日は一日家でゴロゴロ。冷たいコーラを飲みながら原神をプレイ。最高すぎる。これこそ俺の理想の人生だ。】
5025年4月2日
【冷たいコーラ。原神。】
5025年4月3日
【今日も冷たいコーラ。原神。】
5025年4月4日
【コーラを飲みすぎたせいか、一日中腹を壊した。腹が痛すぎる……もう脱水で倒れそうだ。】
5025年4月5日
【神谷悠人よ、どうしてここまで堕落してしまったんだ。武神になるという大志を忘れたのか! 吾日に三たび我が身を省みる……もうこんな生活は終わりだ。】
悠人はそこで動きを止めた。
寝起きでぼんやりしていた頭が、一瞬で冴えわたる。
「……そりゃ見覚えあるはずだ」
彼はぽつりと呟いた。
「これ――俺の字じゃないか」
5025年4月6日
【柳瀬霞が俺と別れると言い出した。たぶん俺の天赋が弱すぎるからだろう。まあ別れるのはいいとして、炊飯器まで持っていくのはひどすぎるだろ!】
5025年4月7日
【水瀬澪がトップ天赋を検出されたらしい。そのせいで、名門大学から特別推薦を受けた。今日、彼女はこの街を離れる。出発前に澪は俺を訪ねてきた。何か言いたそうだったけど……結局、何も言わずに帰っていった。】
水瀬澪と神谷悠人の関係は、父親たちの代にまでさかのぼる。
両家の父親は昔からの親友で、母親同士も親しい友人だった。
悠人の両親が付き合い始めた頃、ついでのように澪の両親も引き合わせたらしい。
その後、二つの家族は相談の末、同じ場所に家を買い、隣同士の家に住むことになった。
こうして悠人と澪は、物心ついた頃からずっと一緒に育ってきた。
二人はいわゆる幼なじみというやつだ。
しかも生まれた年も月も同じで、澪のほうが悠人より三日だけ早く生まれている。
……だが、幼なじみという関係は、ときに突然現れた相手には勝てない。
正直なところ、柳瀬霞の誘惑が強すぎた。
彼女は夜中になると、しょっちゅう黒ストッキング姿の自撮り写真を悠人に送りつけてくる。
十八歳の青年、血気盛んな年頃の悠人が、そんな誘惑に耐えられるはずもない。
気がつけば、完全に心を奪われていた。
そして三か月前――
悠人は霞に告白し、二人は正式に付き合い始めた。
SNSにも写真を載せ、交際を公表したほどだ。
その日の夜、霞は自ら悠人の部屋を訪れた。
あのとき何が起きたのか、悠人はあまり思い出したくなかった。
澪はそれ以来、悠人とほとんど話さなくなった。
気を遣って距離を取っているのか、それとも単に怒っているのか――悠人には分からない。
この日記帳は、一ページに十四行ある。
一行が一日分の記録で、つまり十四日先までの未来が書かれているということになる。
悠人は最初のページを読み終え、肩をすくめた。
どう考えても悪ふざけだ。
誰かが自分の筆跡を真似して、わざわざこんな内容を書いたに違いない。
「まあ、続きがどうなるか見てみるか」
悠人はくすりと笑い、二ページ目をめくろうとした。
だが――
ページはびくともしない。
まるで見えない力に押さえつけられているかのように、どうやってもめくれなかった。
「……なんだこれ?」
悠人は眉をひそめる。
少し妙な感じがした。
おそらく内容を考えつかなかったから、ページ同士を糊で貼り付けているのだろう。
だが、その手口にしてはずいぶん雑だ。
悠人は力ずくで開こうとした。
しかし力を入れる前に――
日記帳が、勝手に最後のページへとめくられた。
5125年1月9日
【九州各地で組織された義勇軍は、再び妖族によって壊滅した。勇敢に戦った者たちの亡骸は、すべて妖族に喰らわれ、骨すら残らなかった。】
5125年2月1日
【人族が暮らす九州の大地は、瞬く間にその大半が陥落した。押し寄せる妖族の大軍は、夕暮れに広がる最初の闇のように、この世界の光をすべて飲み込んでいった。】
5125年3月16日
【長い年月を経て、俺は再び水瀬澪に会った。あの圧倒的な風格は、昔とまったく変わらない。これまで彼女は数々の称号を得ていた――「凌霄四傑」「青蓮の剣仙」「十大英傑」「人族の双璧」。だが、実際に顔を合わせた瞬間、俺は思わず昔の呼び名で声をかけてしまった。――「よう、小娘」】
5125年3月18日
【だが、澪はすでに重傷を負っていた。丹田も経脈もすべて壊れ、もう長くは生きられないという。前線を離れたのは、その最後の力を振り絞って俺に会いに来るためだったらしい。】
5125年3月19日
【死の間際、澪は俺の腕の中にもたれかかった。俺の手を握りながら、彼女は静かに言った。「あのとき家を出る前、本当はあなたに言いたかったの。“仲直りしよう”って。でも、意地を張って言えなかった。もしあのとき、あなたと喧嘩しなければ……もし私が、もう少しだけ勇気を出せていたら……」】
5125年3月20日
【俺は澪を裏山の林に葬った。子どもの頃、よく二人で遊んだ場所だ。半生を無駄に過ごしてしまった俺にも、結局言えなかった言葉がある。墓石をそっと撫でながら、俺はつぶやいた。「もし来世があるなら……今度こそ、お前を裏切らない」】
5125年7月22日
【妖族の大軍が、ついに城の外まで迫ってきた。守備隊はすでに全滅し、この世界にはもう希望が残っていない。ついに闇が訪れ、光は滅びた。妖族に喰われて死ぬのだけは御免だ。せめて人としての尊厳を保ったまま死にたい。俺は家の中で刀を研ぎ、やって来る妖族を待つ。――神谷悠人、これを最後の記録とする。】
最後のページに書かれた二行を見て、悠人の胸にわずかな寂しさが広がった。
あまりにも生々しい内容で、どこか自分のことのように感じてしまったのだ。
だが、それでも悠人は断言できた。
この日記は――ただの悪ふざけだ。
妖族は五千年前、すでに荒れ果てた北境へと追放されている。
今では細々と生き延びているだけで、しかも北境と九州の間には天堑長城がそびえ立っている。
妖族が南下して九州へ攻め込む?
そんなこと、あり得るはずがない。
悠人は自分がFランク天赋だと告げられるほうが、まだ信じられる。
それでも――妖族が天堑長城を突破するなど、絶対にあり得ない。
誰もそんな話を信じない。
だって、それはまるで――
のび太がテストで百点を取るような話だから。




