表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

双頭の禿鷹

作者: 渡弥和志
掲載日:2026/02/05

 夜の森は、嫌いじゃない。


 嫌いじゃないが──血の匂いだけは、どうにも馴染まない。

 霧が低く這って、土が濡れている。足音は殺せるが、痕は残る。

 その痕を辿って追うのが、今夜の俺の仕事だ。


 木の上で羽音。

 大きな鳥が一羽、はばたく。

 ……禿鷹だろうか。縁起がいいのか悪いのか、どっちなんだろうな。


 少し先、森を裂くように走る複数の気配。

 盗賊だ。逃げ足はそこそこ。だが隊列が乱れている。追われ慣れてる連中の乱れ方だ。


 隊列の最後で、一人分の足取りが意図的に遅れた。


 殿(しんがり)

 自分が残って仲間を逃がす役。

 そういう奴がいる団は、潰れにくい。

 ──潰れにくいだけで、綺麗に生きられるとは限らないが。


 男が振り返る。剣を構えた。

 手に馴染んだ構えだ。迷いが少ない。

 ……いや、迷いを押し殺す癖がある。


 俺は森の影から出る。

 できるだけ音を立てず、できるだけ堂々と。


「おまえ一人か」


 男が小さく息を吐く。


 盗賊団『禿鷹の団』。

 名前だけは聞いたことがある。人を殺すより物を盗む。だが、殺しを避ける盗賊も、いずれ血で濡れる。逃げ道が狭くなるからだ。


 男は踏み込んできた。

 時間稼ぎの踏み込み。刃がぶつかる。重い。

 悪くない。腕もある。

 問題は──その腕をどこに向けてるか、だ。


 俺は双剣を合わせない。片方で受けて、もう片方で〝次〟を置く。

 受ける剣と、脅す剣。

 二本あるだけで間合いは崩れる。崩れた瞬間、相手の癖が顔を出す。


 男は守る。

 斬るより先に、守る。

 殿役の癖だ。


 俺は半歩下がって、逆の刃で脇腹を撫でる。浅く。

 痛みは残すが、動きは殺しきらない。逃げる足を奪うほどではない。

 削る。呼吸を乱す。視界を狭める。


 ──殺す気か、って顔だな。

 殺すなら、最初の一合で終わってる。

 だが俺は、剣を売っているだけで、命を買ってるわけじゃない。


 男は下がらない。下がれない。

 仲間がまだ近いのが分かっているからだ。

 俺はさらに絡め取る。弾く。逸らす。

 足元を払う。


 男が膝をついた。

 呼吸が乱れた。だが、目はまだ死んでいない。

 ──俺は刃を振り下ろさない。

 代わりに、少しだけ観察する。


 森の奥に、逃げた連中の気配がまだ残っている。

 実際の距離より、男の意識がそちらに引っ張られた。


 その瞬間──男の剣が、一瞬、軽くなった。

 こういうのは癖で分かる。


 踏み込みが一拍遅れる。

 目が〝俺〟じゃなく、〝逃げ道〟を見た。


 逃げる。

 いや、逃げかけた。


 俺は口角を上げる。こういうとき真顔でいるのは性に合わない。


「……今の、逃げる算段だったろ」


 男の喉が鳴った。

 図星だ。


「剣が軽くなった。あれだ。森に走り込む隙間が見えた顔」


 冗談めかした声音にしてやる。

 その方が、刺さる。


 男は何か言い返そうとして──言葉を飲む。

 言い訳を探した顔だ。

 だがすぐに、自分でそれを噛み殺した。


 いい顔だな。嫌いじゃない。


「……気づいたのか」


「気づくさ。双剣だぞ、伊達じゃねえ」


「……お前が〝双剣のダイン〟か」


 俺は肩をすくめる。


「逃げるのが悪いとは言わねえ。生き延びる判断ってのは大体そっちだ」


 軽口のまま、目だけは外さない。


「でもよ。簡単に逃げる奴は、剣を下げる」


 男の剣は、俺にまっすぐ向けられている。

 剣を握る指が、ほんの少し震えていた。


「……あんたは、迷ったまま踏ん張った」


 それが答えだ。

 善人じゃない。英雄でもない。

 だが、完全な臆病者でもない。


 俺は剣を鞘に納める。


「ここまでだ。追えば全員やれるが……今日は腹は減ってない」


 そう言って背を向ける。


 冗談みたいに言ったが、冗談じゃない。

 逃がせば、俺の腹は満たされない。

 しかし追えば、この団は、この男は終わる。


 ……それに。


 こいつの目が、昔の俺に似ていた。


 勝って引く。

 仕事を捨てる。


 俺は森の奥へ歩きながら、舌打ちした。

 相変わらず、面倒な方を選ぶ癖が抜けない。


 背後で、男が立ち上がる気配。

 追っては来ない。追える足じゃない。賢い。

 少し歩いて、立ち止まる。


 霧が薄くなってきた。夜明けが近い。


 俺は自分の掌を見た。

 剣の柄の感触が残っている。


 守るってのは、剣より重い。

 分かってる。分かってるから、独りでやってきた。

 ……なのにな。


 少しして、背後から声が飛んできた。


「ダイン!」


 そら、面倒が来た。

 俺は振り返らずに返す。


「まだ何かあるのか? 説教なら有料だぞ」


 森の中の空気が揺れる。

 複数の気配。団ごと戻ってきたらしい。

 盗賊にしては肝が据わってる。

 それとも、追い詰められてるだけか。


 足音が近づく。

 さっきの殿役──ハマン、か。名前を仲間が呼んでる。


「俺たちの頭をやらないか」


 俺は思わず振り返った。


「……は?」


 声が裏返ったのを自覚して、咳払いで誤魔化す。


「いや待て待て。俺、そういうの向いてねえって言わなかったか?」


「言ってない」


「じゃあ、今言った」


「それでもだ」


 ハマンは剣を下ろした。

 敵に向ける剣じゃない。頼むための剣……


 こいつ、さっき〝逃げかけた〟のに、今は逃げない顔をしてやがる。

 腹が立つ。羨ましい。どっちもだ。


「俺は、後ろを守る役しかできない。前を向くのは……あんたの方が向いてる」


 周りの連中が息を呑む。

 盗賊団の仲間に向ける言葉じゃない。

 だが、こういう言葉が出るときは、たいてい本気だ。


 俺は頭を掻く。


「……盗賊稼業をやる気はねえ」


「もう盗みはやらん。足を洗う」


 簡単に言う。

 簡単に言えるほど、簡単じゃないのにな。


 俺はわざと軽く笑う。


「へえ。言うじゃねえか。で、食い扶持は?」


「傭兵団として使ってくれ」


「俺は独りで雇われる方が性に合ってる」


 それは本音だ。

 独りなら、誰も背負わずに済む。

 誰も死なせずに済む──と、言い訳できる。


 ハマンは一歩前に出た。


「それでもだ」


 その目が、さっきより真っ直ぐだ。

 痛いくらいに。


「……他人を守りきれるほど、俺は器用じゃない」


 俺がそう言うと、ハマンは頷いた。


「分かってる」


 分かってる?

 こいつが?

 さっき逃げかけた男が?


 ハマンは大きく息を飲み込み、それから言った。


「なら、俺が後ろを守る」


 ……ああ、そう来たか。


「団を率いるのは一人でいい。だが、団を生かすのは一人じゃできない」


 言葉が、変に上手い奴だ。

 さっきまでの盗賊の顔じゃない。


 俺は黙る。

 黙るしかない。


 〝守れなかった夜〟の匂いが、あいつからした。

 俺にもある。だから分かる。

 こいつは、ここで折れたら、一生自分を許せない。


 長い沈黙のあと、俺は息を吐いた。

 軽口で誤魔化すのも、もう限界だ。


「……後悔しても、逃げ場はないぜ」


「逃げるなら、最初から頼まない」


 ハマンの声は震えていた。

 震えていて、なお踏ん張っている。


 俺は鞘に納めた剣を見る。


 斬れば終わる。

 仕事としては完璧だ。


 だが、終わった後に残るものは決まっている。

 金と、死人と、独り分の影──

 ──割に合わない。


 そう思うようになったのは、いつからだったか。


 音が森に響く。夜明け前の森は、音がよく通る。


「……分かった。俺が頭だ」


 仲間たちがざわつく。

 当たり前だ。俺だってざわついてる。


 だが、もう戻れない。

 戻る気も、ない。


 ────


 その夜、俺たちは名を変えた。

 名前なんて飾りだ。だが飾りがあると、人は踏ん張れる。


 誰かが「禿鷹は死肉を漁る鳥だ」と呟いた。

 盗賊団らしい自嘲だ。

 俺は笑ってやる。


「双頭の禿鷹なら……多少はマシだろ」


 乾いた空気が、少しだけ和らぐ。

 誰かが吹き出し、誰かが肩の力を抜いた。


 いい。そういうのが必要だ。

 重いものを背負うなら、なおさら。


 双頭のそれは、命を与えもするという伝説。

 ……こいつらは知らないだろうがな。


「今日から『禿鷹の傭兵団』だ。旗を作る」


 反対は出ない。

 反対が出る空気があるなら、まだ盗賊を続けてるだろう。


 俺は歩き出す。

 団の先頭に立つでもなく、振り返りもしない。

 振り返ったら、逃げる道が見えるからだ。

 見えたら、きっと、楽な方へ寄ってしまう。


 背中に気配が重なる。

 ハマンだ。あいつは後ろに立つ。約束通り。


 夜明けの森を、俺たちは並んで抜けていく。

 もう、逃げるためじゃない。


 禿鷹の傭兵団は──

 ──逃げ場を捨てた夜から始まった。


お読みいただき、誠にありがとうございました。

もしお気に召しましたら、評価・ご感想などお待ちしております。


また、こちらは長編『ヘルドゥラの神々:漆黒の女王』のスピンオフでもあります。

世界観など気に入ってくださるようでしたら、ぜひ長編本編や、他の短編も覗いてみてくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ