第95話 決戦間近 #1
丼ものを食べて守護龍と謝りに回ったあの日から、さらに三日が経っていた。
僕と魔王、兵士長の娘、聖女、守護龍は、兵舎傍の市壁に備えられた塔の最上階から海のほうを眺めていた。
龍乗訓練は、もう修了していた。一度コツを掴んでしまえば簡単なもので、背の上でジャンプをしたり、飛び降りて落下し、再び乗り込むなど、色んなパターンも身につけることができた。(落下訓練は、魔王がさんざん文句を言ったが)
あとは、黒い巨龍――破壊龍の襲来を待つばかりである。
現在、午後一時。お昼を兵舎の食堂で食べて、暇になったので僕たちも揃って物見に立つことにしたのだ。
望遠鏡を覗いている聖女が、なんとなしに呟く。
「海のほうから来るのかねぇ?」
「恐らくはな。守護龍の考えは、理に適っている。海の中というのは、我々は手出しができぬゆえ、奇襲を防ぐことができる。空と同じくひたすらに広大であり、光が届かぬゆえに探すこともできぬ。知恵があるとは思えぬが、いやらしいヤツだ」
魔王は、僕の頭の上から海の方角を見つつ、答えている。
「海の中で、力を蓄えてる、って考えなんだよね? どれくらい、蓄えてくるんだろう」
兵士長の娘が、不安げに言った。
それに答えるのも、魔王だ。
「少なくとも、前回を上回るのは確かだな。だが、長くは溜めてはおられぬはず。そろそろ、来るはずだ」
「どうして?」
「我々が逃げる可能性があるからよ。邪悪の塊である黒き龍は、私やこの腐れ聖女のような魔王とは違う。純粋に、すべてを破壊し滅ぼすということだけが目的のはずだ。魔物と変わらぬ。そして魔物にしろ、制作者の意図というものをある程度反映させ、意図せぬ行動を掣肘することができるが……黒き龍の場合は、制作者が制作者だからな。本来の邪悪よりもさらに邪悪だと考えておくくらいがちょうど良いだろう」
魔王は海から視線を外さないまま、続ける。
「私が最初に提案したプランは、黒き龍も本能で感じ取っている可能性がある。なにしろ、破邪結界など知らぬ古きものであるはずなのに、神聖宝玉を一番に壊してみせるほど勘の冴えるヤツだからな。そして、ここまで……訓練開始から一週間近く。おそらく、都の民の疎開を選択していれば、その準備が整い、移動が始まるか、その作業のまさに最中、というくらいの時期のはずだ」
「まさか……そうであることも踏まえて、そろそろ、狙ってくる?」
「当たればラッキー、くらいの予想だろうがな。いずれにせよ、ヤツは古代の文明を相手取った邪悪そのもの。簡単にはいかぬ。間違いなく、この大陸でもっとも規模の大きいこの都を狙ってくる。近いうちに、必ずな」
その予想は当たりそうだと、僕は漠然と思っていた。
思いながら、破壊龍について、考える。
守護龍には、自我があるが。破壊龍にも、自我があるものなんだろうか?
大昔の魔王が邪悪を喚び出し、それを龍に成形したものなら、魔物と同じ単なる邪気の塊で、自我なんてないのだろうか。
破壊と殺戮は本能がもたらすもので、対話の余地というのは、最初からないのだろうか。魔物だから、殺さねばならないのか。
ふと、僕は――この東の都に来てからというもの、そんなことばかり考えていることにも、気がついた。
「おい、小僧」
魔王が、僕に呼びかけてくる。
「なんです?」
「お前の考えていることなど、手に取るように分かる。大方、あの黒き龍にも、守護龍のような人格が宿っていないのか、と考えていたのだろう」
「……よく分かりますね」
「ふん。いいか、余計なことを考えるな。ヤツは、古代の世界を滅ぼした邪悪の集大成。傑作なわけだ。ここでお前が妙な情けをかけ、取り逃してみろ。今でこそ、力を大幅に減じているが、その力を取り戻すようなことがあれば、この世は終わるぞ。私とお前が力を合わせても、無理かもしれん。あれで一万分の一なのだからな」
「そんな可能性が?」
「馬鹿め、頭を働かせろ。あの巨龍が逃げおおせ、もし北の封印されし邪悪と融合でもしたらどうするつもりだ。まったく手がつけられなくなるぞ」
「それは――」
考えもしていなかったが、魔王に言われて、それこそが最悪のシナリオだと理解する。
魔王は続けた。
「あの巨龍から、北へ近づくことはないであろう。が、北のアレが目覚めれば、捕食しようとする可能性はある。だから、ここで滅ぼしておかねばならんのだ」
「なぜ……巨龍が北に近づかないって言いきれるんです?」
「格というやつだ。力を減じている巨龍が、自分から捕食者には近寄らぬ。力を戻していけば、どうなるかは分からぬが……だからこそ、力を減じていて、この都にこだわっている今こそが、最初で最後の機会かもしれぬぞ。これを逃せば、大陸は終わる。それくらいの気持ちで、お前は戦わねばならぬのだ。よいな?」
「……はい。分かりました」
今になって意識させられたが、それだけのスケールの戦いなのだ。
いろんなものが大きな街だったが、その最後の戦いまで、大きな規模、意味を持つようになってしまった。
僕は、足元にくっついて立っている守護龍の頭に、手を置いた。不思議そうに、僕の顔を見上げて微笑んでくる。
それに微笑み返して、僕は魔王に訊いた。
「どうして、この子には心がちゃんとあるんでしょうか。破壊龍に、それがあるかもしれない可能性は?」
「お前な……」
今終わらせた話を混ぜっ返すな、と言いたげに、それでも魔王は答えてくれた。
「私に分かるわけがなかろう。勇者との協力を前提に作られたのだから、それを円滑にするために心を入れたのではないのか?」
「破壊龍は、どうでしょう」
「私なら、そんなものを入れるわけがないな。破壊と殺戮を成すのに、心など邪魔なだけだろう。お前のようになよなよしい葛藤などされてはかなわぬわ」
「邪気で魔物を作るときに、心を入れることは可能なんですか?」
「……可能ではあるが。いちいち、そんなことはせぬ」
と、黙っていた兵士長の娘が、魔王の言葉に疑問の声を上げた。
「ねえ、そもそも……『心』なんてものを、そんな……魔物とかを作るときに植えつけるなんてことが、できるものなの?」
その問いに、びくりと、魔王と聖女が反応する。
普通の反応ではなかった。
言うなれば、急所を突かれたような、そんな反応だった。




