第9話 王都を歩きながら
王都の街路を黒猫と並んで、僕は歩いていた。
ぼろぼろな装備のままで街を歩くのは、なんともみじめな思いだった。このところ、ずっとこんな気分を味わっている気がする。
ひとまず、この王都内には、僕がこんなことになった、あらかたの事情は伝わっているらしい。
あらかたの事情というのはつまり、二年ほど前に魔王討伐に向かった勇者は敗走してしまった、ということだ。
しかし、王様は僕がみじめにならないよう、適度に体裁を整えた話を作ってくれた。
魔王は強く、敗走したものの。勇者の力も討伐まであと少し、というところまで迫った。魔王に深手を与えることには成功し、しばらくは力を抑えられる。
それでも屈辱を与えられたのは事実なので、回復ののち、魔王は王国に復讐のための行動に出るかもしれない。だから各都市は、勇者の張る破邪結界でもって、より守りを固めねばならない。
勇者は再び力を蓄え、再討伐に出る。今度こそ、千年の因縁に終止符を打てるであろう。なので、見かけたら優しくしてやってね、という――
そんな具合のお触れを、僕たちが謁見をしている間に、すでに発布していた。
おかげで、王都の人たちとの距離感は良好だった。
「勇者の兄ちゃん、久しぶりだな!」
「負けちまったんだって? でもまあ、死ななくてよかったよ」
「また戦いに行くの?」
「無理するなよ」
王城から出てきたときは、待ち受けていた人だかりにそんな声をかけられた。
そのすべてに応対はできなかったが、できる限り誠実に受け答えをした。
僕としては、役立たずの勇者扱いされて当然だろうと思っていたのに、思いのほか温かい声が多かった。ちびっ子なんかは、なんで負けるんだよ、とか、そういうことを言ってきた子が多かったが。
こうして街を歩いていても、好意的に手を振ったり、会釈してくる人は多い。発布からどれほども経っていないが、人の噂の足は速い。それに魔王討伐はみんなの関心事だったのだろうから、なおさらだろう。
しかし、まだ討伐の旅は終わっていないのだから、過度な干渉もしてこない。魔王討伐の旅をする勇者に、特別な理由がない限りは気安く声をかけたりしてはいけない、という暗黙の了解みたいなものがみんなの間にあるので、そのおかげということもあった。
僕は街を見回した。
大陸中央部にあるこの王都は、大陸でもっとも栄えている都だろう。
街は大きな市壁で囲まれ、北の丘にある王城は濠と城壁で囲まれている。
街の西側が居住区となっており、僕と黒猫はそちらを目指して歩いていた。
出店などで賑わう中央広場では、またいろんな人に声をかけられる。
魔王討伐の一時的な失敗、ということにはなるのだが、ここでもそれを騒ぐ声は聞こえてこない。
千年間、人々を苦しめ続けている魔王が相手だから、今回の結果も仕方ない――大抵の人たちはそう考えているのかもしれない。
第一、魔王がいるとはいうが、遠い北の地の城に居を構えているのだ。魔王がなんらかの行動を起こしても、最初に被害を被るのは王都の自分たちではない。
魔王がいても、千年間生活は続いてきた。僕が――当代の勇者が負けたところで、すぐに世界がどうにかなるだなんて、誰も思っていないのだろう。
広場を抜けて、居住区への道に入って、僕はふう、と嘆息した。
「……まぁ、今まではこんなノリで通用したわけだが。これからはそうもいかぬぞ」
僕の考えを読んだように、足元から声がした。魔王だ。
僕は黒猫に目をやった。
「魔王さん。喋ってもいいんですか?」
「まあ、人通りも減ったしな。そもそも、勇者であれば喋る猫くらい連れていてもいいだろう。魔王である、ということがバレるのはまずいだろうがな」
そういうものか、と僕は頷いた。この黒猫が魔王である、ということを僕は知っているからドキドキしてしまうが、みんなは知らないのだ。それなら、これは世にも不思議な喋る猫で、とても頼りになる仲間なんだ、と堂々としているほうがいいに違いない。
そう思い直してから、僕は魔王に訊いた。
「それにしても、魔王さん。僕の考えてたことが分かったんですか?」
「まあな。そんなツラをして、街や人を眺めてたらな。役目を果たせず意気消沈。にもかかわらず大して変わらない連中に困惑。そんなところだろう」
「大体当たりです」
「言っておくがな、人間なぞ、こんなものだぞ。お前がどれほど必死に鍛え、たったひとりでこの大陸を守ろうとしているかなど、知ったことではない。漫然と日々を過ごしているだけだ。仮に明日、この街が滅びるとしても、一日のルーティンを変えることはないであろうな」
そうなのかもしれないなと認めて、僕は頷いた。
分かった上で、僕は通りを見回して、答える。
「そうだと思います。でも、それでいいんです」
「なに?」
「勇者っていうのは、そういうものでしょう? 少なくとも僕は……明日も明後日も、一年後も、千年後も同じように笑って平穏に暮らせる、そんな生活をみんなに送ってほしくて……魔王さんを倒すっていう旅を始めたんです」
「本気で言ってるのか? そんなことのために、命を賭けるのか?」
「僕の命なんて。たとえば、僕ひとりが楽しくても、この王都のみんなが不幸なら、僕はちっとも、楽しくないです。でも、この王都のみんなや、大陸のみんなが楽しく過ごしてくれてるなら……。僕は自分がどれだけ不幸でも、辛くても、一緒に楽しい気分になれますから。僕は、そっちがいいですね」
それは僕の心からの気持ちだ。
魔王は得体の知れないものを見る目で、僕を見上げてきた。
「……まったく。大した愚か者だ。最初の勇者を思い出す。忌々しい」
馬鹿につける薬はないな、とまで言ってから、黒猫は付け足した。
「しかし。ここまで民を付け上がらせたのは勇者が甘やかしている以外にも、私の責任もあるわけだからな。不本意だが、そのつもりでやるしかあるまい」
「魔王さんの責任?」
「うむ。千年間、こいつらをのさばらせてしまったという責任がある。いっそのこと、最初の一年目で皆殺しにするべきだったかな」
そんなふうに、黒猫は嘯いてみせるが。
僕にはもちろん、そんなつもりはない、というふうに聞こえたが、やろうと思えばいつでもできた、というニュアンスにも取れた。
「やらないでいてくれて、ありがとうございました」
「まあな。私は心が広い。そもそも、人間たちは貴重な資源でもあるからな。絶滅などさせられぬ。そして、人の世を支配するというのが、邪悪なるものの宿命。人がおらねば、支配する意味はない。……ついでに、人は魔王という分かりやすい敵が存在していたほうが、団結し、平穏に暮らせる」
「そういうものですか」
「そういうものだ。甚だしいほどの矛盾だらけだな、世の中というのは」
言われてみると、そうかもしれない。
考えてみれば、魔物や魔王という分かりやすい敵が存在していてくれるから、人々は平穏に暮らせる、とも言えるのだ。
なにか悪いことが起きたとしても、それはすべて魔王のせいにできるのだから。
僕の場合は、勇者だから――なにか良いことが起きれば、それがどれほど僕と遠い事柄でも、勇者さまのおかげだ、と言われてきた。
ふと、気がつく。
勇者と魔王、というのは、正反対のものだと思っていた。
だけど、本当は、同じようなものなのかもしれない。
正逆であるからこそ同じ。座標軸のようなものを挟んでいても、その実、ぴったりと背中合わせになっている、そういうものなのかもしれない。
そう心の中で言葉にすると、いろいろと腑に落ちる感覚があった。
そもそも僕は、この魔王に一目会ったときから、なんだかとても気になったし、話がしてみたくなったし、話をしてみたらもっと話をしたいなと思ってしまった。
僕は勇者だから、周りの人たちとは、いつも、どこか距離があった。
魔王と話して、生まれて初めて、距離の近い人に会えた――そういう気分だった。
正直に言えば、勇者としての使命がなければ、魔王と剣なんて交えたくはない。
魔王城での戦いを思い出す。
最初は一応の降伏勧告だったが、途中から、僕は本気だった。降参してほしかった。
どういうわけか……僕は、魔王を殺したくないと強く思ってしまった。
たった今、魔王は世の中は甚だしい矛盾だらけだ、と言った。
僕にとっての大きな矛盾は、世の中のことではない。
正があるからこそ邪がある。またその逆も然り、というのは、当たり前の道理とも言えるからだ。
本当の矛盾とは、その正と邪が――勇者と魔王が、だからこそ分かり合える存在だとしても、結局は勇者と魔王であるからこそ、殺し合わないといけない。
それに尽きるんじゃないか――僕は、そう思った。




