第84話 北の山からの帰還 #3
と、へばっていた魔王が、ようやく顔を上げた。
「声を出せぬというのは、おそらく邪気を浴びたからであろう。生身の人間が邪気に晒されると、様々な異常をきたすからな。その孤島はおそらく、封印された龍そのものであったのだ。海の底に封印したはずのものが、年月を経て、海上に顔を出すまでになったのであろうよ。あるいは、徐々に自分で浮かび上がってきたか」
「自分で?」
「うむ。北の地に天より降りた邪悪なるものと同じだ。私が封印し、漏れ出でる邪気をなんとか管理してやりくりしてはいたが、それでも完全にとはいかぬ。その巨龍も、悠久の時をかけて少しずつ、縛られたロープを身体を揺すって緩めるように、封印を解いていったのであろうな。なにしろ北の邪悪とは違い、私のような管理者もいなかったのだから」
魔王はくい、と顎で守護龍を指した。
「だいたい、イメージというものがあるから分かるであろう。地の底や海の底は、どこまでも闇だ。つまり、邪悪なるものを封印するのに相応しい。対して、この守護龍がいたのは、遙か天空だ。こちらは、まさに聖なるものを留めておくのに相応しい」
「なるほど。大昔の人も、それっぽさを大事にしたんですね」
「当たり前だ。そもそも、守護龍も、黒き龍も封印したのは往時の勇者なのであろう。なれば、それっぽい場所に封印されておらねば、むしろ不自然というものよ。だから、孤島の話を聞いたときから、疑問ではあったのだ」
なるほど。魔王の説明には、頷くしかない。
あとは、この守護龍が、最初の襲撃の後、海へ――潮騒の孤島のほうへ飛んでいった、という情報も、ミスリードになっていた。
その時にこの子は目眩ましをされていたのだから、狙った方角へ飛び立てたはずはないのだ。潮騒の孤島のほうへ飛んだというのは、単なる偶然だ。
そこまで確認を終えて、兵士長は申し訳なさそうに言った。
「我々の失態です。事態の萌芽そのものは、すでに三週間前からあったのです。それが、誰もが漁師の言葉を聞き流し、潮騒の孤島がなくなったことにも気づかぬ有様。まことに、面目ない。十分な備えは、できたはずでした」
「そんな。仕方のないことですよ」
僕が言うと、魔王も頷く。
「悔やむのであれば。過ぎたことよりも、前車の轍を踏まぬことを考えよ。黒き龍は、再び来るであろう。いつかは分からぬが、我々が戦力に守護龍を加えたことくらいは、悟っていそうなものだ。おそらく……準備をして、街を滅ぼしに来るはずだ。神聖宝玉もないのだからな」
その通りだ。僕は、みんなの顔を見回した。
「力を貸してください。僕ひとりでは、きっと難しいです。でも、みんなで力を合わせれば。きっと、あいつを倒せるはずです」
それに、全員が頷く。兵士長は、一番力強く頷いていた。
「無論ですとも。ですが、今日はお疲れのご様子。ひとまず、今晩はゆっくりと休まれ、明日、作戦会議ということで、いかがですかな?」
「そうですね。では、お言葉に甘えて」
僕は気を引き締めつつ、答えた。
いよいよ、決戦が近づいている。気持ちはかなり、高まっていた。
と――
ぎゅるるるるるるるぅぅうぅぅぅ、と、大きな腹の虫が鳴いた。
全員の目が、音の源――守護龍に集中する。
守護龍は、顔を赤くして、俯きがちに言った。
「ご、ごめんなさい……。お腹、空いちゃってまして……」
それを聞いて、守護龍以外のみんなが押し黙り――
笑いがこぼれた。その笑いにバツが悪そうにしている守護龍に、僕は訊いた。
「今日はもう、ご飯を食べて寝るだけだから。おいしいもの、食べにいこうか」
「えっ、いいんですか? あの……私、人間じゃないのに」
「そんなこと、関係ないよ。仲間なんだ。なにか、食べたいものはある? 好物とか」
「好物……」
守護龍は考えて言った。
「ええと、活きのいい、血の滴るお肉が好きです!」
「そ、そっか。それはちょっとなぁ……」
さすがは龍だ。空腹時、お腹が空きすぎて馬一頭だって食べられる、という慣用表現があるが。この子の場合、まさにそれこそが慣用的なのだろう。
と、聞いていた兵士長が言った。
「大通りに、良い肉を出すステーキハウスがありますぞ。血の滴るレアステーキも思うがまま。肉を自在に焼く、腕の良い料理人の店です。そこなどは、いかがですかな?」
「ほう、ほう……」
守護龍よりも、魔王のほうがむっくりと起き上がって興味津々だったが。
僕は守護龍に訊いた。
「ステーキはどうかな。食べたことある? 焼いたお肉なんだけど」
「人間さんの食べ物も、焼いたお肉も、食べたことありません。あの、炎を使うと、大抵真っ黒にしちゃうので……。でも、食べてみたいですっ!」
元気に、守護龍は言う。なら、話は決まりだ。
最後に、終始ぐったりしていた兵士長の娘が、兵士長に訊いた。
「お父さん、あそこ、サラダバー無料ってまだやってたっけ?」
「ん? そうだな、今月いっぱいはやってたと思うぞ」
「そっかぁ。よかったぁ。なんか、元気出てきたかも。お肉も食べたいし」
「どうなることかと思ったけど、やっぱ肉だよねぇ。私もやる気出てきたわ」
聖女も復活する。
こんなノリの未知数な連中で街は大丈夫なのかと、一瞬不安になるが。
だからこそ、予測不能の力でもって、強敵に立ち向かえるはずだ。
そう自分を納得させて、僕たちはステーキハウスへと向かうことにした。




