第77話 北の山の頂上(と勇者の歌) #2
「なんだと?」
僕のところに、三人が駆け寄ってくる。
ぴょいっと僕の肩に飛び乗り、魔王は僕の示した、彫られた文字のようなものを眺める。
僕には、よく分からない記号の羅列にしか見えない。なにかの文字なんだろうか?
魔王もしばらくそれを眺めていたが、重たい声で言った。
「古代の文字だな……。学者かなにか連れてこないと読めぬぞ。千年どころではない、大昔に彫られたものだろう。図書館の記述も、相当に古い伝承を、どこかの学者が発見して翻訳し、まとめたものらしかったからな」
「あー。でも私読めるわ、たぶん」
聖女がだるそうに言った。
「本当ですか?」
救いの手だ。今から街に戻り、古代の言葉を読める学者をここに連れてくるというのは骨が折れる。
聖女は煙草に火をつけながら、記号を見てふんふんと頷いている。
「大昔は、こんな感じの記号を使ってたんだよ、文字にねぇ。で、長い時間をかけて、今の文字になっていったってわけさ」
「なんて書いてあるんです?」
「ちょい待ち。私も久しぶりに読むからねぇ。頭を切り換えるのがすげえ面倒くさいのよねぇ……。ええと……『守護神の力を借りんとする勇者よ、天空目がけて高らかに歌い上げよ。魂の歌を』……って、書いてあるねぇ」
「歌い上げろ? 魂の歌を?」
僕は首を捻った。笛の話はどこに行ったんだろうか。
あ、と声を出して、ぽんと兵士長の娘が手を打った。
「分かった! 笛っていうのは、きっと、お兄ちゃんのことなんだ!」
「ぼく?」
「うん! この山の頂上で、歌を歌う勇者……それをたとえて、笛って書いてあったんじゃないの? なんか、歌に呼ばれて神さまが出てくるとか、そういうお話、小さい頃に読んだことあるもん」
言われてみれば、もっともらしい気もする。
しばし考えて、やっぱり、僕は首を捻った。
「でも……笛は北の山の遺跡の宝箱に封印した、って書いてあったんだけど」
僕が、魔王と聖女に確認の視線を投げると、ふたりも頷く。
が、さして気にしていない様子で、魔王が言ってきた。
「学者の翻訳ミスがないとも限らぬ。小娘の言うことも、さもありなんという気がする。というわけで、小僧。早速歌ってみろ」
「えっ……。僕が? 歌を?」
「他に誰がいる。お前が勇者であろう」
「ええ……。そうですけど。でも……」
「歯切れ悪いねぇ、少年。アレかい。オンチってやつかい?」
「そんなことはないと思いますよ。ちょっと恥ずかしいってだけで」
「あはは。お兄ちゃんが歌うとこなんて、見たことないし、どんなふうなのか、結構気になるかも。恥ずかしがってる場合じゃないでしょ」
「うむ。魂の歌というのは、下手でも精一杯歌えということだろうしな。守り神はきっと、お前の姿勢を評価するはずだ」
「そうは言ってもですね……」
恥ずかしいのは恥ずかしい。なんでこんな晴れた午後に山の頂上で、歌を披露しないといけないんだ、という思いのほうが強かった。
と、聖女が広場の真ん中を指さした。
「ホラ、ちょうどお立ち台があるじゃないか。あそこに立って歌えって書いてあるよ」
「絶対嘘ですよねそれ」
「まーまー。そのほうが面白いし。守り神さまに届きそうじゃないか。きっと少年の歌に感動して出てくるさ」
「下手すぎたらヘソを曲げるかもしれませんけどね……」
嘆息する。が、やらなければならない雰囲気を、どうやっても退けられそうになかった。
僕は仕方なく、広場の真ん中へ移動して台座に登った。
聖女は地面にござを敷き、酒を取り出して、拍手してくる。
魔王も兵士長の娘も座り、拝聴の姿勢だ。
「よーし、じゃあ。エントリーナンバー一番。勇者の少年ー! いってみよー!」
聖女が高らかに言う。
「お兄ちゃん、がんばってー」
「大きく元気な声で歌えよー」
無責任な声援も飛んでくる。
もう、どうにでもなれだ。僕は腹をくくった。
「なに歌えばいいんです?」
「なんでもいいよ」
「じゃあ……。あの、適当な民謡でいいですか」
「オーケーオーケー。いってみよう!」
僕は嘆息した。それから大きく息を吸い込んだ。
それから――およそ一分程度ではあるが――味わった屈辱の時間のことを、僕はきっと、生涯忘れないだろう。
ともかく。歌い終えると、三人は痙攣しながらござの上をごろごろ転がっていた。
聖女に至っては、飲んでいたブランデーを鼻から垂らして悶絶している。
僕は三人を見下ろして言った。
「なに笑ってんですか、あんたら。言われたから歌っただけだってのに……」
それに、申し訳なさそうに顔を上げて僕を見て、また笑う三人。
僕は心を無にして、三人が笑い終えるのを待った。
まず口を開いたのが、聖女だ。
「ごっ、ごめんよ、少年。想像以上だったわ。はっ、鼻に。鼻にブランデーが入って痛いんだわ……。ひっ、ひっ――」
引き笑いまでしている。どれだけ僕の歌は面白かったんだろう。
涙を拭きながら、兵士長の娘も弁明してきた。
「わ、私は別に、そんなに笑うほどじゃないって思うんだけど……。なんか、途中で、警邏中に見かけた喋る九官鳥を思い出しちゃって……ぷふふふふ!」
いったい、僕の歌はどんなふうに聞こえたんだ。九官鳥並なのか。
最後に、魔王が言った。
「私は好きだぞ。音声を保存できるのなら、いつまでも手元に取っておきたい。好きなときに笑えるからな。小僧、街で披露すれば、お前の望むみんなが笑って暮らせる世界というのは、容易に達成できるであろうよ。ぐっ、ふふふふ……!」
慰めてくれるのかと思ったら、一番ひどいことを言われた。
僕は嘆息をひとつすると、みんなに言った。
「……で、肝心なことを忘れないでくださいよ。なんにも起きないですよ」
「ふむ、確かにな」
魔王は息を整えて、周辺を見回した。
僕も見回すが、龍が現れたりはしていないし、宝箱が現れたりもしていない。隠し扉が開いたり、ということもない。




