第7話 目覚め #3
なぜかすんなり、頷いてしまう。僕は手を腰にやった――が、忘れていた。剣をさげておくためのベルトにくっついているのは鞘だけ。聖剣がない。
「ほれ。そこに『ひのきの棒』が落ちておるぞ。初心に返ってそれを使え」
言われて、僕は足元を見た。今まで気づかなかったが、誰かが準備でもしておいてくれたかのように、ちょうど良い長さの木の棒が落ちている。
ひのきの棒なんてものは、一般の人がちょっとした護身用に持ち歩いたりする程度の、武器とは呼べない代物だ。それで魔物を追い払うことはできても、倒すまでは考えないことのほうが多いのではないか。不定形の魔物に木の棒というのも、相性が最悪だ。
しかし、選り好みもしていられない。
僕は『ひのきの棒』を拾いあげて、意識を集中した。
剣気を操れば、持っている武器がなんであろうと関係はないし、こんな不定形の魔物など、ものの数でしかない。
そもそも、大陸南部の魔物は魔王城から遠く離れているせいか、大して強くもない。ちゃんとした剣さえあれば、剣気を使う必要すらなく、それこそ、一般の人が棒切れで追い払える程度の魔物ばかりだ。
が――僕は、自分の身体の異変に気づいた。
剣気が出てこない。
自分の手足のように自由に使いこなせた力なのだが、いくら集中しても念じても出てこない。感じられない。
どういうことだ、と焦っている内に、目の前までやってきた不定形の魔物が、体当たりを食らわせてきた。
「うわっ!?」
なす術なく、押し倒される。ぐじゅぐじゅと音を立てて、魔物は僕をゼリー状の身体の中に取り込み始めた。
黒猫は、地面に寝そべって前肢を舐めつつ、囃し立ててくる。
「どうしたどうした。小僧、そのままでは消化されるぞ。勇者ともあろうお方が、新たな旅が始まる前にゲームオーバーか」
「いやっ、あの……! なんか、力が出なくてっ……!」
僕は必死に答えた。
剣気だけではない。身体に力が入らないのだ。
いつもの僕であれば、簡単に払いのけられるはずだ。でも、今はこんな魔物の力にも抗えない。
身体はそのままに、力だけが赤子にまで戻ってしまったような、そんな感覚だった。
懸命に抵抗をするのだが、魔物は僕の顔までをその身体で覆ってきた。
息ができない。
不定形の魔物は、こうしてそのゼリー状の身体に獲物を取り込み、窒息死させ、その後はゆっくりと溶かして栄養にしていく。
普段は、鼠だとか、虫だとか、そういう小さなものを捕食している。人間が標的になり、喰われてしまうということは、まずない。知性が無いため、近づくと襲ってくることがあるが、棒切れで叩いたり、たいまつを近づけたりすれば、慌てて逃げていく。そんな程度の魔物だ。
そのはずなのに。勇者が、そんなにも弱い魔物の犠牲者となってしまうのか。
焦っていると、いきなり息ができるようになった。
僕の身体を覆っていた魔物が、吹っ飛ばされたのだ。
助けてくれたらしい、黒猫を見る。彼女はさして感情も表さずに、ひとりごとのように言っていた。
「ふーむ。やっぱりだな。こんな魔物相手にすら歯が立たぬとは。相当深刻だが、仕方がないか。選択の余地はなかった」
「あの……?」
訊ねようとすると、黒猫は僕を一瞥してから付け加えた。
「説明はしてやる。なに、簡単なことだ。お前がどれほど勇者として修練を積んできたかは知らぬが。それが全部失われた、というだけのことだからな」
それから、黒猫は尻尾を魔物に向けて振った。
目に見えない衝撃波が魔物を打ち据える。ゼリー状の身体はバラバラに飛散し、ひとたまりもなく絶命したようだった。
だが、僕はそれどころではなかった。
「まっ、魔王さん! いっ、今、なんて?」
「若いのに、耳が遠いのか? お前の力は全部無くなったと言ったのだ。初期化だ。真っさらの白紙。なにも書かれていないキャンバス。賭博好きの財布の中身。ピーマンの中身。乾燥したヘチマ。お前の力は、現在そんな感じだ」
「そっ、そんなぁ……。う、ウソでしょう? そんなことってあります?」
「現実だ。受け入れろ。お前はおそらく、その辺の剣術道場の子供にも負けるぞ」
「が、がーん……」
へなへなと、その場に崩れ落ちる。
だが、自覚はあった。自分には、今、なんの力もない。
勇者としての鍛練を始める前の自分がどういう具合だったのかなんてことは思い出せないが、ひょっとすると、その頃よりも頼りないかもしれない。
僕は五歳くらいで剣術を始めたが、その頃と同じか、あるいはそれ以下か。いや間違いなく、その頃よりも弱い。
うなだれていると、ぽんぽんと、膝のあたりを黒猫が叩いてくる。
「そう落ち込むな。命があっただけありがたいと思え。足るを知れ」
「そ、そうですね……。いや、でも……」
「めそめそと女々しいヤツだな。力がないならないで、強い武具に身を固めるとか、やりようはいくらでもあるだろうが」
「でも、魔王さん。剣はなくなっちゃったし……」
「剣? ああ、あの聖剣なら、そこに落ちておるぞ。ただし――」
「えっ!?」
跳ねるように、僕は立ち上がっていた。あの剣さえあれば、ある程度はなんとかなるかもしれない。
僕は必死で周りを見回した。そして、見覚えのある柄が転がっているのを見つけた。
「やっ、やったぁ! あった! よかった!」
「おい、小僧、話を最後まで――」
魔王が言ってくるが、構わずに剣に駆け寄る。柄に手を伸ばす。
取り上げると、それは柄だけだった。
後ろまでやってきた黒猫が、落ち着いた声で言ってきた。
「最後まで聞けと言っておるだろうが。ただし、ブチ折れておるぞ、と。まあ、二度も折れておる剣だからな、それは。古いし。三度目もむべなるかなよ」
「そ、そんなぁ……。苦労して直してもらったのに……」
「また直せばよかろう。そう気落ちするな。泣くな。もう十八になるんだろう。私もなんだか気が滅入るぞ」
実際に嘆息しながら、黒猫は近くの草むらをちょいと示した。そっちには、刀身が落ちている。
泣く泣く、それらを鞘に戻すだけは戻したが。僕はこみ上げてくる嘆息をどうにも抑えきれなかった。
「まあ、ともかく。王城へ急ぐぞ。新しい武器は王にせがめ。この大陸がどうにかなるかもしれないという、我々はそういう瀬戸際に立たされているのだからな」
「……どういうことです?」
「その説明も、全部王城に着いてからだ。行くぞ」
それだけ言って、黒猫は草原を進んでいく。
僕もそれ以上は訊けず、その後をついていくしかなかった。




