第5話 目覚め #1
「……ここは……?」
ぎしぎしと、全身が痛む。目を開けて、誰にともなく、意識することもなく、僕の口からは、そんな言葉が漏れていた。
感じるのは、身体の痛み以外には、鳥の囀り、草、大地の匂い。太陽の光の暖かさ。霞む視界に映るのは、どうやら青空らしい。
それで、僕は魔王城の中にいるのではなく、どこか――野原のど真ん中で大の字になって倒れているのだ、ということが分かった。
僕は、魔王との最終決戦の最中だったはずだ。
それがどうして、いきなりこんなところに?
僕は生きていたのか?
魔王はどこに消えた?
勝ったのか、負けたのか?
世界はどうなったんだ?
自問しながら、僕は頭の中で思い出せることをできるだけ、思い出そうとした。
僕と魔王は、互いに短期決着を目論み、持てる最大の力をぶつけ合った。
剣と手刀で切り結び、互いに一歩も退かなかった。
そうだ。その最中に……なにか、魔王が慌てたようになにかを口走った。それから、どうしたのだろうと僕が思う間もなく、いきなり視界が真っ白になって、真っ黒になった。
意識を手放すときに、耳には轟音が響いていた。地震のように魔王城の玉座の間が揺れていたのも思い出す。
それからいきなり大爆発が起きた。たぶん。
それになす術なく巻き込まれて吹っ飛んでいき、この、どことも知れない草原に倒れている……そういうことらしい。
あれは――あの爆発は僕と魔王の力がぶつかり合った結果、起きたことなのだろうか?
それにしても、と思う。
季節は今、三月だ。
北の大地はまだ雪に埋もれている。あそこは六月頃になってようやく申し訳程度に雪解けがあり、数ヶ月の夏を経てまた、すぐさま白銀に覆われる沈黙の大地に逆戻りする、そんな土地だった。
つまり僕が寝ているのは、北の大地ではない。南東か南西か、真南かは分からないが。とにかく魔王城のある北の大地よりは南の方角へと飛ばされたのだと想像できた。
僕は、全身の具合を寝そべったまま確かめた。
まだ起き上がれないが、骨折などの重篤な怪我は負っていないようだった。よくもまあ――と思う。昔から身体の頑丈さには自信があるのだが、おそらくとんでもない距離を吹っ飛ばされてきたのに、よく死ななかったものだ。
本当なら、ここがどこなのか、すぐにでも確かめないといけないだろうが、体力も回復させないといけない。
僕はしばらく、陽光と大地に身を委ねて、目を閉じた。
魔王討伐という多大な重圧を忘れて、久しぶりにリラックスできる時間だった。
しかし、討伐という言葉が頭を過ぎったせいで、関連した疑問が浮かんだ。
――でも、待てよ。これって……どうすればいいんだ?
僕は勇者だ。魔王を倒して、大陸に平和をもたらさなければならない。
魔王城に乗り込み、魔王を倒して、その証拠を大陸中央にある王城へと持ち帰って、もう魔王はいなくなって平和になったことを示さねばならない。
でも……最終決戦は、完全にうやむやになってしまった。
いや、僕の敗北、ということなのかもしれない。まだ生きているから、一敗、とカウントするに留まるだけだが。
これから、どうしよう。ここが中央に近い場所なら、王城に一旦顔を出して、なにが起きたかを報告すべきだろうか。
魔王城に近い場所なら、まずはなにがあの場で起きたのか、魔王はどうなったのか、それを確認しておくべきだろうか。
でも王城へ向かったとして、王様になにを報告すればいいのだろうか。僕だって、なにが起きたのかは分かっていないのに。
ああでもない、こうでもない。いろいろ考えていると、いきなり耳元で声がした。
「おお、勇者よ。死んでしまうとは情けない。生きてるなら、とっとと起きろ」
魔王の声だった。
背筋を、電流が走っていったかのような危機感を感じて――僕は跳ね起きた。
腰に手をやる――が、吹っ飛ばされたときに手に持っていた聖剣は、鞘にも、手の中にもない。
丸腰で、僕は周囲の気配を探った。
そこは、想像通りの開けた野原だった。自然豊かで、暢気に蝶々が飛んでいる。
そして、僕以外には、誰もいない。
しかし、聞こえたのは確実に魔王の声だった。一度しか会話していないが、二度と忘れない、そんな自信がある。やや低めだがよく通る、綺麗な声だ。
どこだ――必死に周囲の気配を探る。丸腰の今、あの凄まじい力で奇襲でもされたら、なす術なく殺されてしまうだろう。
周囲三百六十度の様子を、勇者として磨いた感覚で探るが、なにも分からない。なにも周囲にはいない。
と、また声がした。
「ふ、なんとか成功しておったか。おい、勇者よ。単刀直入に言うが、ひとまず休戦だ。少なくとも、私はお前と戦う意思はない」
僕は、また周囲を見回した。なにもいない。
僕は、警戒を解いた。
戦う意思はない――それが真実かどうかは分からない。魔王ともなれば、そんなことを言いながら笑顔で殺しにかかってくるのでは、と思う。
一方で、あの魔王は、絶対にそんなことはしない――そういう確信もあった。
意を決して、僕は訊き返した。
「魔王さん? いるんですか? 休戦とか、その……どういうことなんです?」
「うむ。相当、厄介なことになった。私と小僧の力が、想像以上に強すぎたせいでな」
声は答えてくれた。魔王の声には、害意や敵意が全く篭もっていない。優しい年上の女性の声にしか聞こえなかった。
だが、相変わらずその姿は見えない。声自体は、どこか近くからのようである。
と、草むらから一匹の黒猫が歩み出てきた。シルエットは可愛らしく、すらりとした感じで、小猫と成猫の間くらいの大きさだ。
あの魔王城で魔王が飼っていたらしい黒猫に似ている。




