第42話 東の都への馬車の中 #2
確かに、僕も子供の頃は冒険ものの絵本が大好きだった。母がコレクションしている怪奇小説とかの合間に、よく読んだ。
考えてみると、勇者の敵役には、いつも龍が選ばれていたように思う。
人里を襲い、財宝を奪い、傍若無人に振る舞う悪い龍。
腹の下に財宝を敷いてふんぞり返っているその悪い龍を、正義の味方たる勇者が成敗して、財宝を都へ持ち帰り、めでたしめでたし。
子供の頃は、そんな話にとても、わくわくした。
僕は生まれつき、剣の扱いが上手かった――らしい。
いつの間にか、剣気というものを知覚できていたし、それを自由自在に操ることができるようになったと確信したのは、十歳になる頃だ。
剣気というのは、才あるものが剣に生涯を捧げ続け、晩年にようやく、わずかに感じられる程度だという、剣の極意であるらしい。剣気を知覚するだけでも、武人のほんの一握りにしか許されないという。
そして勇者は基本的に、例外なく、剣気を扱うことができる。
剣気を扱えるから勇者なのか、勇者となるべきものが剣気を扱えるのか、どっちなのかは、僕には分からないが。
歴史上、僕くらいに剣気を操れたのは、『最初の勇者』だけだと言われている。
いや、ちょっと順序が逆か。僕が、最初の勇者くらいに剣気を操れるのだ。
五歳だったか、初めて剣を握ったときから――武の寵愛を受けしものだとか、幼くして剣に聖が宿っているとか、父の剣術道場の人たちは、僕をめちゃくちゃに評価した。最強の勇者となる、と言われたのもこの頃からだった。『最初の勇者』を超える勇者になる、とも言われたっけ。
絵本からの刷り込みや、そういう周囲の声のおかげで、僕自身、自然と、僕は勇者になるんだと思い込んでいた。
でも父だけは、僕を甘やかしたりしなかった。むしろより厳しく、どれほど強くともそんなものは一瞬の油断で潰えるのだと言って、毎日僕をしごき上げてきた。
座禅など、精神的な修行にも、たくさん取り組んできた。
そんなこんなで、たぶん――僕は十を数える頃には、剣気の扱いを完全に習得し、魔王にすら勝てるんじゃないか、と自覚していたと思う。
それは自惚れでも、誇張でもないつもりだった。
僕は五歳で剣を握ってから、父と他の都市の道場に出稽古に行っても、一度も負けたことはなかった。一年かからず、すべての道場ですべての人に勝ってしまった。
それどころか、剣を身体に当てられたことすらなく――どんな達人の人と稽古をしても、それは同じだった。ある程度勝負の形になるのは、北の戦士長か、勇者であった父くらいしかいなかった。
八つか、その頃に、魔物退治なんかもすることになった。魔物も、僕を脅かすほどのものは、ひとつとして存在していなかった。(魔水晶鉱山の火炎蜥蜴のような強度の魔物とは戦わなかった、というのも、もちろんあるけれど)
つまり、僕は戦いで、今まで一度も、ひとつの傷すら負ったことがなかった。
通例では、勇者は成人してから名乗れる。王国法では、二十歳からが成人扱いだ。お酒も煙草も、二十歳になってから。
だけど。どうせ魔王を倒して平和な世の中を取り戻さないといけないのなら、早いほうがいい。
僕はそう思って、十五歳の誕生日を迎えたら、勇者として魔王討伐の旅に出たい、と両親に申し出た。
それは王城に届き、特例として認められた。
そこから二年と半年をかけて、僕は魔王城に辿り着いた。
――そうして、僕は……この、魔王さんに出会って、今の旅が始まったんだ。
最初の旅では、僕はなにも、辛いと感じたことはなかった。
その代わりに、すごく楽しい、と感じたこともなかったと思う。
淡々と、問題を解決していた。淡々と、魔物を殺してきた。
そのうちに、疑問を持つようになった。
こんな、一方的に殺していくだけの存在が、はたして『勇者』なんだろうか、と。
少なくとも、僕の思い描いていたものとは、違っていた。
僕はどうやら、最強の勇者になってしまった。それだけ強いのなら、僕の剣は、絶対に正しい方向に向いていなければいけないはずだ。
僕の剣は、正しい方向へ振るわれているのだろうか?
その疑問は、日ごとに強くなった。魔王討伐のシナリオが茶番だったことを察知していたわけではないが。
そして、疑問は魔王との対峙でピークに達した、と思う。
魔王を見て、この人を斬りたくない――と思ってしまった。
この人を斬るのは、違う――そう思ってしまった。
肩にある魔王の重みを感じながら、それはきっと、正しかったのだと思っている。
「物思いに耽るのは勝手だがな、小僧よ」
と、耳元で声がする。そちらを向いた。
「今回の相手は、話し合いが通用するような相手ではないし、お前は相手に情けをかけられるほど強くもない。生きようとせねば死ぬぞ。肝に銘じておけよ」
「……はい。でも……」
僕は、言われて思いついた疑問を口にした。
「絵本の龍とかって、喋るじゃないですか? よく来たな勇者よ、みたいな。そういう感じのヤツだったら、どうしましょう」
「関係ない。喋る前に殺せ」
「どっちが悪者か分かんないですよそれじゃあ」
「お前は馬鹿か。勝ったほうが正義だ」
「もー、魔王思想だなぁ」
「魔王だから当然であろう。お前はその軟弱勇者思想をなんとかしろ」
「いちいち軟弱って枕詞をつけることないでしょう」
「やかましい。なら、ちゃんと強者としての思想を身につけよ」
「そういうことを言って。あの魔王城の時から腹立ったんですけど、その考え方、ホントによくないですよ。だいたい、魔王さんは――」
「お、着いたようだぞ」
議論する気はないようで、魔王はちょうど馬車が停まったのをいいことに、ぴょいと僕の肩から飛び降りてしまう。反対の座席から、窓を覗いている。
もう、と息をついて、僕もそのあとを追い、姿勢を変えた。
同じ窓から外を見てみると、雄大な東の都、それを守る壁がある。着いたのだ。
が、僕はごくりと、唾液を呑み込んだ。
魔王が、ぽつりと言う。
「うーむ……。話し合いの余地がある龍であったほうが、いいかもな……」
僕は黙って頷いていた。
東の都の市壁は、もっとも雄大だと言われている。その高さは二十メートルくらいはある。城塞都市を象徴する、巨大市壁――
それが幅二十メートル弱ほどの範囲で、完全に崩壊して、穴が開いていた。建設作業員たちが、必死で修繕作業に取り組んでいるのが見える。
「こんなことする龍相手に、勝てるんでしょうか……」
「さあなぁ……」
僕と魔王は揃って、うーんと唸るしかなかった。




