第27話 亀裂、決裂
旦那は、まだ女の子を抱き締めて、すすり泣いている。
魔王はなおも言った。
「決して、少女は無為な犠牲などではない。ひとりの死で、何人もの命が救われるのだ。それは、人として誇るべき、素晴らしい選択なのではないか?」
それに、旦那は身体を強張らせた。
なにもできずにいる旦那の腕の中から、女の子が僕のほうを向いてきた。
彼女は、自分の首から、首飾りを外した。
それを示し、差し出してくる。
「……あの。これ、おにいちゃんたちのものなの?」
「ああ、うん、ええと……」
僕のほうも、言葉に詰まる。
女の子は、笑顔で言ってきた。
「じゃあ、おかえしします。パパ、ちゃんと、ものをかりるときはおねがいしないと、っていつも、いってるのに。しちやさんには、『とりひきのしんらい』がだいじだって、いってたでしょ?」
たどたどしくもある言葉で、精一杯背伸びをしながら、言っている。
僕は目を閉じた。
しばらく、女の子の言葉を噛みしめる。
自分でも熱く感じられる息を吐き出した。
それから、目を開く。
質屋の旦那と、その娘の姿を、見つめる。
僕は女の子から神聖宝玉の首飾りを受け取ると、女の子の首にかけ直した。
「おい、小僧――」
それを見た魔王が抗弁してくる。店主は、驚いた顔で僕を見ている。女の子も。
全員に、僕は首を振った。
「これは、差し上げます」
「おい、小僧、なにを――」
魔王の言葉を遮り、僕は手を伸ばして、女の子の頭を撫でた。
「ごめんね。お父さんを、いじめに来たわけじゃないんだ。その首飾りがなくなって、困っている人がいて。どこに行ったのか、それを探しているだけだったんだよ」
「そうなの?」
「うん。ここにあるって分かったから、もう大丈夫。でも、またなくしちゃうといけないから。ひとまずは、君が、大事に持っていてくれないかな。なくしたりしないように、ちゃんと身につけておけるかな?」
「うん!」
「よし。じゃあ……旦那さん。そういうことですから。後のことは全部、僕たちに任せてください」
「そ、そんな。いいんですか、宝玉がないと、街は……」
「いいえ」
僕は、きっぱりと首を振った。
「そんなこと、絶対にさせません。そのために、僕が――勇者がいるんです。この子も元気に生きていけて、街のみんなも元気に生きていける。僕は、そういう世界を守るために戦っているんですから。任せてください。全部終わったら、また報告に来ます」
「……勇者さま」
旦那は、僕の手を取って、ひたすらに頭を下げてきた。
「ありがとうございます……! ありがとう、ありがとう……!」
その後は、なんとか旦那に落ち着いてもらってから、僕たちは店を出た。
足元で、魔王が不機嫌そうに言ってくる。
「小僧。この馬鹿たれが。丸く収まるところだったのに……」
馬屋に向かって歩いていたのだが、僕は足を止めた。
魔王も足を止めて、こちらを見上げてくる。
その魔王に、僕は言った。
「はっきりと言いますよ。魔王さん。馬鹿はあなたです」
「なんだと? この青びょうたんが、もう一度――」
「ええ! 何度でも言いますよ! 馬鹿はあなたです! この、大バカ!」
「お、大バカ……」
こちらの剣幕に、ちょっとたじろいで魔王が繰り返す。
僕はしゃがみ込むと、指を魔王に突きつけた。
「なに考えてるんですか! 信じられませんよ! 僕は、今、本当にあなたを許せない気持ちでいっぱいなんです。二度と、あんなことを言わないでください!」
僕は我知らず、できる限りの怒声を張り上げていたようだった。
やかましそうに、魔王が一歩、二歩と退く。
が、すぐに彼女も負けじと言い返してきた。
「嘗めるなよ。理想論だけのガキが! 現実的になれ! 私があの場で、ひとつでも間違ったことを言ったか!? 完璧な解決策を提示したであろうが!」
「ええ、間違ってませんよ! 完璧でしたよ! だから腹が立つんです!」
「なんだと!?」
「確かに、魔王さん、あなたの理屈は正しいのかもしれない。僕じゃ、あんな解決策は見出せない。でも、どこにも人の気持ちがないじゃないですか!」
「そんな目に見えないものを推し測ってどうする! 複雑な問題だからこそ、客観的に、冷静に最善の利益が得られるよう、機械的に判断すべきであろうが! 私はお前ら人間たちに、最大限歩み寄り譲歩したぞ!」
「理屈だけで物事が進むなら、人は泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりしません! ひとり死ねば、みんな助かる――そんな考え方しかできないんですか、あなたは!」
「だからお前は甘いというのだ! 平和や平等というのは、常になんらかの犠牲の上に成立しておる! あの少女はそのために必要な犠牲だ! 受け入れろ!」
「そんなもの――受け入れられるわけないでしょうが! 犠牲の上にしか成り立たない平和や平等なんて、そんなもの、本物の平和でなければ、平等でもなんでもない! ましてや、それを一方的に他人に強いるなんて……あなたは、とんでもない恥知らずですよ!」
「……っ!」
僕は怒りを吐き出して、気づけば肩で息をしていた。
魔王はしばらく黙っていたが、なおも言い返してきた。
だがその声音は、ゆっくりと、確かめるような調子だった。
「……あの小娘は長くは保たぬ。ならせめて、その死に意義を持たせてやろうと私は思った。それも間違いだというのか?」
僕も、ゆっくりと頷いた。
「ええ、間違いです。僕は、そんな簡単に諦めたりしません。最終的に、どうしようもないのだと分かるだけだったとしても。絶対に、机の上の計算だけで物事を終わらせたくない。魔王さん、あなたは、あの地図と一緒ですよ」
「地図?」
「ええ。あの地図に引かれた、赤いルートです。あのルートを、ただ地図だけ見て、最短距離に線を引いたものだと結論づけたでしょう。でも、現実には毒の沼地があって、すごく大きな、渡るのが大変な川が流れているんです。これも同じです。僕たちは、みんな……生きているんです。生きていて、心があるんですよ」
僕は必死で、魔王に訴えた。
だが魔王は、にべもなかった。
「ふん……くだらん。お前、誰にものを言っているのか分かっているのか? 私は魔王であるぞ。魔王に、人心を省みろ、だと? ふざけるなよ」
「ふざけてなんていません。よく考えてください。あの子が具合を悪くしてしまったのも、僕たちが直接の原因じゃないですか。それなのに、一番簡単な選択肢を選んで終わらせるだなんて、最悪ですよ、魔王さんは」
「なんだと――」
「第一、あの子のお母さんは、魔物に殺されたんでしょう。魔王さん、あなたが殺したようなものじゃないですか。なんとも思わないんですか? どうして、あの子や旦那さんの気持ちを分かってあげられないんですか。ああいう人たちが不幸な目に遭って、そのままなんて……そんな世界でいいと思うんですか?」
「…………ふん」
その言葉に、魔王はすっと目を細めて、そっぽを向いた。それから、歩き出す。
しまった、と思った。さすがに、言い過ぎてしまったかもしれない。
あの子のお母さんは、あなたが殺したも同然、だなんて――
「魔王さん……?」
声をかけつつ追いつくが、魔王はなにも言わない。
結局、馬に乗るまで、僕たちは無言だった。
が、馬を走らせようとしたところで、鞍の上の魔王が言った。
「小僧。お前にお前の考えがあるなら、私はもうなにも言わぬ。その代わり、協力もしない。勝手になんとかしろ」
つんとした声だった。
今度はそれに僕が返事をせず、黙って馬を走らせた。




