第16話 西の都 #2
僕は魔王に訊ねた。
「食べるんですか? これ」
「無論だ。食べものは食べるためにある」
「そもそも、魔王さんに食事って必要なんですか? 最初、王城までの道のりの時にはなんにも食べなかったですよね?」
「食わずでも生きてはいける。魔王ともなると、身体のつくりがお前ら軟弱な人間どもとは異なるからな。私にとって食べ物は純粋な嗜好品だ」
きっぱりと言い切ってから、魔王はこちらを見上げてきた。
「千年ぶりに城を出るのだ。シケた旅をするつもりはないぞ。各地の旨いものは一通り食ってやる。で、小僧、酒を売ってるところはどこだ?」
「お酒って。僕、今年で十八ですよ」
「お前が呑むのではないわ」
「猫がお酒なんて呑んじゃ、ダメですよ。あ、そういえば。イカとかエビとかも、猫は食べちゃダメなんですよ」
僕が注意をすると、魔王はふんと鼻を鳴らした。
「知ったことか。私は猫の身体を借りておるだけの魔王だと分かっているのか? チョコレートだろうがタマネギだろうがイカだろうがエビだろうが構わぬわ。すべては我が胃袋の前に平伏するのみだ」
また断言する魔王を見て、なんだか笑えてくる。
僕を見返して、魔王は不機嫌そうに言った。
「小僧。なにがおかしい」
「いえ……。でも、お城に千年いて、おいしいものとかも食べられなかったってことですよね。そういうものに興味があったんですか」
「うむ。世間では、陸運の発達のおかげで『お取り寄せグルメ』などといういかがわしい風習までのさばっておるらしいではないか。それを聞いた時は、誰ぞ魔王城まで配達できる気骨のあるヤツはおらぬものか、と思ったものだ」
「ああ、母が一時期凝ってましたね。舶来品とか、南で育った質のいいお肉とか。魔法の力を閉じ込められる石を使った保存技術が近年、特に発達して。新鮮なお魚とか、お肉が各地から、カタログひとつで取り寄せられるんですよ」
技術が発達したのも、そういうシステムができたのも、きっと、魔王と王家が茶番に勤しみ、この平和を守り続けていたおかげだが。
当事者たる魔王は、複雑そうに呻いた。
「くそ、忌々しい。私はお前らが暢気に過ごすための片棒を担がされていたというのに……。なにが『ご当地グルメ』だ、ちくしょうめ」
それを聞いて、僕はまた笑った。
だが、切実な話でもあるのだろう。遙か北の大地に閉じこもり、ひたすらに封印を守り続けるということ――
それは、想像を絶する孤独だったはずだ。
魔王は、ひとりぼっちだと言っていた。使い魔たる黒猫を飼ってもいたが。
極北の地には、どんな生物の影もない。生物が棲めないわけではないが、魔王城から発散される邪気や魔物を怖れて、動物はほとんど、魔王城には近寄らない。
いるのは、魔王が封印から漏出する邪気から作ったという、魔物だけ。
白い沈黙に閉ざされたあの場所で、千年間たったひとり。
しかも、黒猫は今、魔王に身体を貸している。
身体はきっと元に戻り、黒猫とはまた、一緒にいられるのだろうが。今も魔王は、たったひとりのままだ。
僕もひとりだった。だが、少なくとも帰る家があるし、父と母がいる。
魔王には、きっと、なにもない。
この旅が終わったら、また北の地でのひとりぼっちに戻ってしまう。
今は、僕が一緒にいるけど――
いいや、と、僕はその思いを打ち消した。
すべてが終わったとき、僕か魔王のどちらかがいなくなっているはずだ。
――僕が魔王さんに負けたら、魔王さんはやっぱりひとりぼっちだ。
そして、僕が勝っても、結局は同じことなのかもしれない。
「どうした? 小僧」
「……いえ。なんでもないです。でも、事情は分かったので。せめて、楽しい旅にしましょうよ。魔王さん、好きなもの、なんでも買ってあげますよ。あ、ほら、あっちに飴細工の屋台がありますよ。ああいうの好きじゃないですか?」
「お前、私を馬鹿にしてないか」
「してませんって」
「案内するなら、酒屋にしろ。まったく……」
そんなことを言いつつ、一緒に屋台のほうへと進む。
魔王は、シケた旅をするつもりはない、と言った。
僕はここまで、真面目に大陸を救うことだけを考えていたが、魔王に倣って、少し軌道修正することにした。
みんなを助けつつ、この魔王との旅も楽しみたい。
僕と魔王が、どんな最期を迎えたとしても、それを笑って受け入れられるように。




